戻る Episode3 "Befor a storm."
  Act6 "Hydro-Fighter."

「まったく、役に立たないわね」
呆れた調子で端末を小突き、ノアジミルは溜息をついた。
幾らか期待した組織の情報網も、こと財団やJ7のこととなると、どうにも役に立ちそうな情報が出てこない。
唯一入手できた情報といえば、議会特務委員会でもJ7の行方を追っている、ということだった。
血の行進事件に巻き込まれて死んだのか?
その仮定には、あまりリアリティが感じられなかった。
噂のガンドールとでも遣り合わない限りJ7がヘマをしでかすとも思えなかったし、第一死体が見つかっていない。
では、何故J7は消えたのか?
これまた、正直言ってさっぱりだ。
何かしら、クナップシュタイン財団に関わる特命を受けていたらしいが、それだけでは何のことやら皆目わからない。
まさか、J7が財団の私兵に遅れを取るとも思えないのだが……
「仕方ない、足で稼ぐとしますか」
溜息混じりに呟いて、ノアジミルは席を立った。
そして、彼女は「徒労」という言葉の意味を身をもって知ることになる。


「なるほど……あれが財団の秘密兵器、か」
口許を綻ばせつつ、J7はひとりごちた。
彼は、もちろん死んでなどいなかった。
それどころか、現在進行形で精力的に活動を繰り広げている。
ゴゥッ、と、盛大な爆音を響かせて彼方の上空を駆ける蒼い機体。今ではほとんど耳にすることもない、ジェットエンジンの甲高い響き。
「秘密兵器と言うには、少々派手過ぎるな。どう思う、警備の兵隊さん?」
わざとらしく、足許に転がっている迷彩服の男に声を掛けてみる。猿轡を噛ませてあるのだから、答えようがないのはわかっていたが。
ブロッサム・シティより北東に数十km。打ち捨てられ、今では人の通わぬ荒野の元合衆国空軍基地。
しかし、注意して見ればその周辺が熟練の兵士たちによって厳重に監視されていることがわかる。一見すると危険なアウター・サヴェッジがうろついているようにしか見えないが、その装備はならず者が所有するにはあまりに分不相応な高価で手入れの行き届いたものであった。
J7は、高精度のデジタルカメラを空に向けた。
「しかし、本当に実用段階にあったとはな。正直、驚いているよ」
ほとんど独語のようなJ7の呼び掛けに、縛り上げられ地に転がされた男は睨み付けることで応じる。
その様子は、殊更J7の失笑を誘った。
男の言わんとすることはわかる。
要するに、俺たちに刃向かってただで済むと思うな、ということだろう。
「そう昂ぶることもないだろう、君。どのみち、すぐにここを離れねばならないのだ。私はこの岩陰を、君はこの世から」
平然と言ってのけるJ7の振る舞いに、男は身を震わせた。J7は殺すと言ったら殺すタイプの男なのだと、意識の深い部分で感じずにはいられなかったから。
「ハイドロ・ファイターか。財団には過ぎたる玩具だぞ、カール・ロハルト殿」
ここにいない男に向けて呟きつつ、J7は銃を抜いた。
もうじき、あの航空機が直近を通過するはずだ。
その爆音の中でなら、銃の音などそれほど目立ちはすまい。
――それにしても、どうアプローチをかけたものか。
彼にしては珍しく手法について思い悩みつつ、J7はタイミングを合わせてトリガーを引き絞った。


「よう。お疲れだな、ノアジミル」
気安い口調で声を掛けてきた組織の男に、ノアジミルは深い疲労を湛えた瞳を向けて応じた。
「そりゃ、疲れもするわ。散々歩き回って、何も成果無しじゃ、ねぇ」
ドカリとソファに身を投げ出すノアジミル。
その様子が可笑しかったのか、男は笑いを噛み殺しつつ言った。
「ネットダイバーでも雇えばよかろうによ。何なら紹介してやろうか?」
「その筋の権威ならね」
答えつつ水差しから水を汲み、一気にあおる。漸く人心地着き、ノアジミルは付け加えた。
「ハッキリいって、その辺に転がってるようなショボイ情報になんか用事は無いのよ」
「はっ、言うね」
男は、大仰に肩をすくめてから続ける。
「そうは言っても、そのショボイ情報も拾えないんじゃ、話にもならねぇぜ?」
ノアジミルは、不快げにかぶりを振る。
「ケンカ売ってる? そうならそうと、ハッキリ言って欲しいんだけど」
「おいおい」
男は、少々腰が引けながらも言葉を返した。
「俺は、お前さんのためを思って言ってやってるんだぜ? お前さんがプライドの高ぇ女だってことは重々承知してるし、俺なんかが殴り合いで勝てる手合いじゃねぇってのも理解してる。だがよ、情報戦は別だ。ネットダイバーにゃ、逆立ちしても勝てやしねぇ。たとえ、そこらに転がってる屑ダイバーが相手でもな」
「そう思うなら、ちゃんと組織で用意して欲しいわね。まったく……」
ぼやくノアジミルに、男は力無く笑う。
「無茶言うな。組織にそんな余裕があるもんかよ」
「じゃあ、組織に出来ることをしてもらおうじゃないの。ウチの情報網は、からっきし役には立たなかったわよ」
ノアジミルはそう言うが、ギャング組織の諜報力など多寡が知れている。その系統のプロであるエージェントや、あるいは金にものを言わせて専門家を揃えている財団などとは、比べるのも愚かだ。
そもそも、組織の関心はいかにして防衛機動軍を欺き、出し抜き、不法行為を成功させるかという部分に集中している。今回の件は、正直言って専門外もいいところだった。
「モノにもよるさ。とりあえず、この件に関しちゃ黄大人の情報を待つしかねぇんじゃねぇか? 組織としては、さ」
黄大人とは、組織の息の掛かったシティ議員、黄丁襄のことだ。この人物の存在だけでも、紅五仁安威は対立する他のギャング組織と比べ、まだしもマシな組織ではあるのだが。
「それじゃ、出遅れる」
ノアジミルは、吐き捨てるように言った。
取り立てて役職も持たないシティ議員の耳に伝わる頃には、情報の鮮度は相当落ちていると踏んでいいだろう。相手がJ7や財団なら、尚更だ。
「仕方ないだろう? リスクを抑えりゃ、結果だって控え目になる」
幾らか呆れ気味にそう答え、男は奥の部屋へと消えた。
確かに、組織にとっては切り札とも言える黄大人を失うわけにはいかない。彼に、例えば特務委員会の動向を嗅ぎ回らせるような無理を強いることは出来ないだろう。
こうなると、あとは個人の才覚で何とかするしかないのだが……


荒野の中に、ポツン、と存在する寂しい建築物。近くには、半ば朽ちているように偽装された航空機用の倉庫があるだけ。ブロッサム・シティの街に出るためには、燃料電池が切れかかるまで電気自動車を走らせねばならない。それも、略奪を生業とするアウター・サヴェッジの目をかいくぐりながら。
こんな場所に見張りなど必要ないのだと思っていた。
しかし、飛行試験中に緊急帰頭を命じられ着陸するなり聞かされた報告に、ハヤトは認識を改めることとなった。
巡回の警備員が、何者かに殺害されたというのだ。何者かはわからないが、この荒野のど真ん中に害意を持った人間がいる、あるいはいたという事実は否定できない。
もっとも、それは確かに一定の衝撃を伴うニュースではあったが、ハヤトに課せられた職務とはそれほど関係のある問題ではなかった。彼はテストパイロットであり、飛ぶことと報告することが仕事であって、警備は範疇外なのだから。
関わってくるのは、職務以外の時間に関してだ。
本来ならば、週一回はブロッサム・シティへの帰還が認められている。本来なら、今日の夕刻にはここを出て、明日の夕刻までは自由を満喫できる予定であった。だが、安全――人員に関してなのか情報漏洩に関してなのかは微妙なところだが――が確認されない限り外出不可、とのお達しが出ていたのではどうしようもない。
そういうわけで、今夜のハヤトはお気に入りのクラブであるブリューネで少しばかりの酒と歌姫の美声に酔うことを諦め、分厚いコンクリートの壁に囲まれた狭く味気ない個室に閉じこもっていることしか出来なかった。
クナップシュタイン財団が提供する報酬は、充分過ぎるほどである。それよりも何よりも、最新鋭航空機のテストを任されるというのは、この御時世珍しく貴重な存在であるパイロットとしての自負を満たしてくれる。
しかし、である。
若い身のハヤトとしては、たまの休日ぐらいは思い切り羽根を伸ばしておきたい、とも思うのだ。それが直前でお預けを食らってしまったのだから、鬱憤も溜まろうというもの。
さっさと寝てしまおう、などと思って横になったはいいが、どうにも目が冴えて眠れない。
暫くの間ベッドの上でゴロゴロしてから、ハヤトは眠ることを諦め適当な暇潰しを求めて立ち上がった。
行き先など、それほど多くはない。
廃墟のような味気ない居住施設と管制塔。偽装された格納庫と滑走路。それが、ここにある全てなのだから。
幾つかの場所をウロウロと歩き回り、途中見回りの警備員に注意を喚起されたりしながら、結局ハヤトは格納庫にやってきていた。
格納庫では、既に作業は終了しているのだろう、何やら機材を片付けている整備の人間がいるだけだった。まあ、格納庫の周囲には、昼間の殺害事件の余波であろう、過密なまでに配置された幾人もの警備員が緊張した面持ちで立ってはいたのだが。
ハヤトは、とりあえず近くにいた整備主任に声を掛けた。
「チーフ。済まないが、コックピット周りを扱ってもいいか?」
「調整は明日にして頂きたいのですが」
銀縁の眼鏡を掛けた神経質そうな整備主任が、そう答える。
ハヤトは、この男の部署と地位、どのような性向を持つかは知っていたが、生憎と名前は知らなかった。チーフ、と言えば事足りるからだ。
彼だけではない。この場所で名を知っている者など、責任者のスティングレイぐらいのものだ。これは、別段ハヤトが無関心な男だというわけではなく、個人的な情報を遣り取りするのが禁じられているからであった。情報漏洩を恐れるあまりに取られている、歪な組織体制の結果でしかない。
もっとも、ハヤトはそのことについて特に問題だとは思っていない。結局、ここでは人間関係など大した問題ではないと考えているから。
それよりも何よりも、彼がこの場所で最も強く惹かれ思慕しているものは今視線の先にある愛機だったから。
凛とした鋭さを感じさせる主翼。滑らかなカーブを描く機首。小振りのカナード翼が、ちょっとしたアクセントだ。超先進の高耐久水素ジェットエンジンを抱える機体は緩やかな曲線で構成され、何となく女性的なフォルムだと感じさせる。
XF/T−00ゼロダイバー。
ロッキードもボーイングも未だ実現できていない、実用に堪え得る性能を実現した、恐らく世界で唯一の超音速水素燃料ジェット戦闘機。その特性から、ハイドロ・ファイターと呼ばれることもある。
それが、ハヤトのかけがえのない相棒の名であった。


「現地警備兵に続き、今度はクルーガー・ソフトかね? セキュリティ・サービスも、災難だね」
カール・ロハルト・クナップシュタインは、どことなく楽しそうにそう言って警護部門責任者を眺めた。特に視線が険しいわけでもないが、相手としては生きた心地がしない。カール・ロハルトにとっては予測済みの事態であっても、管理部門にとっては不手際以外の何物でもなかったら。その上、カール・ロハルトが満面の笑顔を湛えたまま死刑を宣告できる人間であることはわかっていたから尚更だ。
「申し訳ありません。今後同じミスを犯さぬよう、各部署に徹底させます。対策としては既に――」
「その辺りの説明は、いいよ」
やんわりと、カール・ロハルトは部下の言い訳を遮った。些事に関わっているのは億劫だったし、彼らがどう頑張ったところで事件の首謀者に敵うとも思えなかったから。
「君たちが充分な注意と情熱をもって任務にあたっているのは理解しているつもりだ。今後気をつけてくれれば、それでいい」
注意したところで、無駄だろうけど。
その言葉は胸の内に仕舞ったまま、カール・ロハルトは深く頭を下げる男に退出を促す。
一人になってから、彼は漸くにこやかな笑みを崩し、幾らか不満気な面持ちで呟いた。
「つまらないな……まだ、手の内で踊るのみ、か」
秘密試験場の偵察、ソフトウェア管理部門への潜入・襲撃。いずれも、カール・ロハルトの想像の範疇を超えていない。
J7ならば、もっと面白い、こちらの意表をつく行動をとってくれるかもしれないと期待していたのだが。
――詰まらないゲームなら、いっそ止めてしまうか?
そう思わないでもない。
結局のところ、カール・ロハルトにとって、これはゲームに過ぎなかった。
大財閥を束ねる身として、組織のパワーというものは身に染みて理解している。クナップシュタイン財団といえど、より大きな組織、強大な力の前には屈服せざるを得ない。
それがわかっているからこそ、敢えて自らを危険に晒すようなゲームに興じているのだ。もしかしたら、予想外の結末が待っているかもしれない、と。それは、カール・ロハルトを抜き差しならぬ立場に追い遣るかもしれないが、結果のわかりきった未来にただ向かうよりは何倍も心踊る、エキサイティングな経験をもたらしてくれると思っていた。
しかし、J7は今のところカール・ロハルトの期待に添うような、彼の裏をかく動きは見せてくれていない。それは、甚だ面白くない現実であった。
それとも、少しゲームの条件が厳し過ぎたのか? もう少し、条件を緩めてやるのも一興かもしれない。
考え始めると、カール・ロハルトは自身の思い付きの細部を検討することに夢中になった。
しばし黙考し、彼は傍らの内線電話を手に取った。連絡を入れる先は、御自慢の情報部門だ。
「もしもし? 私だ。少し、リークして欲しい情報があるのだが――」
担当者に説明しながら、カール・ロハルトは更なる波乱に溢れるであろう未来を思い描き、子供のように無邪気な笑みを浮かべた。


「よう、戻ったか」
滅多なことでは本来の用途に使われることは無い応接室でノアジミルを出迎えた男は、そう言ってドリンクパックを投げてよこした。
片手でそれを受け取りながら、ノアジミルは少しだけ険のある声で応じる。
「何の成果もなく、ね」
ここ数日、ほとんど定型句になってしまった遣り取りだ。心当たりを色々と調べまわってはいるが、どうにも結果は芳しくない。
「そうふて腐れんなよ。J7に関する情報、幾つか入ってるぜ」
「本当? どんな?」
漸く動きがあったかと、色めき立つノアジミル。
「まあ、慌てるなよ。大したことじゃねぇ」
そう前置きして、男は手に入れた情報を披露した。
「一つ目は、どうやらJ7が議会を裏切ったらしい、ってことだ。奴を追ったエージェントが、何人か返り討ちに遭ったそうだぜ。ま、裏切り自体は、そんな珍しいモンでもないがよ」
「何故、という部分ね」
ノアジミルの言葉に、男は相槌を打ちつつも溜息をつく。
「それが、さっぱりなんだな、これが。議会を裏切ったからっていって、財団とつるんだってワケでもないらしい」
「その根拠は?」
男は、ノアジミルの問いに対する答えとなる第二の情報を告げる。
「財団の施設――何のこたぁない、ソフト屋なんだがよ、これが何者かの侵入を許し警備員が数名やられてる。生き残りの警備員の証言では、どうやらその侵入者ってのはJ7らしい。ちなみに、時間的にはエージェントが殺された後だ」
これには、ノアジミルも参った。
J7の行動は、あまりにも支離滅裂で彼女の理解を超えていた。これが撹乱行動なら、それはもう素晴らしい腕前だと形容するしかない。
「議会を捨て、財団にも牙を剥き……いったい、何を考えているの、あの男は?」
「それは、俺も知りたいところだな。だが、奴がそこまでのリスクを冒すってことは、だ。リターンも相当でかいってことじゃねぇか?」
それは、確かにそうかもしれない。
ノアジミルは、必死に頭を働かせる。
「レジスタンスと組んだって線は?」
その仮定に、男がかぶりを振った。
「そりゃ、考えにくいな。J7がレジスタンスと組むメリットはないだろう」
「少なくとも、庇護は得られる」
「それなら、議会に残ってりゃいいんじゃねぇか? それか、オリンピア辺りとつるむって手もある」
確かに、オリンピア・シティと渡りを付けることができるのなら考えられなくも無いが……それにしても、敵対組織と手を組むというのはリスクが高過ぎる。よほど追い詰められた状況でもなければ、真面目に検討する気にもなれないのではないか?
「難しいところね」
「ま、どれもこれも推測の域を出ねぇけどな」
それが、一番の問題だった。

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