戻る Episode3 "Befor a storm."
  Act5 "Battle in a shop."

「じゃあ、D.B.の居所はわからないんだ?」
「そうだな。悪いが、他を当ってくれ」
そう言って、いかつい風貌の男――サイバースペースのアヴァタールだから、それが真の姿とは限らないが――は、リーファの許を離れ別の話の輪の中に加わった。
「う〜、なかなか収穫がないんだよ……」
途方にくれて、呟くリーファ。話がまとまった後すぐにネットに潜り込んだのだが、どうにも成果が挙がらなかった。
ネットダイバーも、万能ではない。
確かに、他の人種に比べれば圧倒的にサイバースペースでの行動力に優れてはいるが、逆に言えばそれだけだ。ネタとなる情報が転がっていなければ、どうしようもない。
尋常の事態であれば、まだ手の打ちようがある。機密情報や保護された個人情報に対するアタックは、ネットダイバーにとっては日常茶飯事といってもいい。だが、今回に限っては相手が悪いとしか言いようが無かった。
ネットダイバー・フクロウの情報操作は、ほとんど完璧と言ってよかった。
D.B.に関する最近の動向は完全に隠蔽されている。もしくは、厄介極まりないサイバートラップが掛けられているか、だ。
リーファは何度かそういった攻撃的な防衛プログラムを引き当ててしまい、危ういところで何とか逃げ延びたり、あるいはどうにかトラップを突破した挙句、何ら役に立たないゴミのような情報に行き着いたりした。
今では、そういった常套手段による問題解決は、ほとんど諦めている。
となると、地道に断片的な情報を掻き集めていくか、あるいは搦め手を使うかということになるのだが……
トラブルシューター・ネットのブロード・フォーラムに張り付いて既に実時間で1時間。延々と待ち続けてはいるものの、めぼしい情報にはありつけない。リーファは、いいかげん我慢の限界に達しようとしていた。
何しろ、退屈を何よりも嫌う性格だ。D.B.を追おうと決心したのも、理由は「面白そうだから」の一言に尽きる。それが、こんな退屈極まりない状態に置かれていたのでは、細かな事情はさておき癇癪も起こそうというもの。
「あー、もう! しょうがない、買ってくるんだよ」
腹立たしげに自分に宣言して、リーファは立ち上がった。
買う、というのは、この場合他のネットダイバーから情報を買ってくるという意味だ。ネットダイバーとしては自分の無力を宣言するようなものだし、今回の場合情報料が報酬を上回るような事態にもなりかねないので、リーファとしては不機嫌にならざるを得ない。
しかし、このまま手をこまねいているよりは遥かにマシだ。
不平を述べ立てる自分の心にそう言い聞かせ、リーファは知り合いのネットダイバーのコミュニティへと向かった。
暗闇をベースに、要所要所をイエローのラインアートで飾りつけた安っぽい雰囲気。
それが、ネットダイバー・コウモリの主催するハッカーコミュニティ「バットマン」の外観だ。個人主義・秘密主義で知られるハッカーの中にあって、コウモリは比較的オープンな性格でリーファのような部外者にも時折便宜を図ってくれる。もちろん、それ相応の対価は要るのだが。
「ハロー。コウモリさん、いる?」
呼び掛けつつ、エントランス・スペースへ。答えは、すぐに返ってきた。
「月夜に悪魔と踊ったことはあるかい?」
「悪魔は無いけどケルトの妖精なら」
これは、合言葉のようなもの。コミュニティの外観同様安っぽくていいかげんなものだが、人によって全く違う合言葉が用意されている。だから、相手にとっては誰が訪問してきたのかすぐにわかるという仕組みだ。
「OK、ハニーボマー。随分遅れての御登場じゃあないか」
含み笑いを漏らしつつ、悪趣味な黒ずくめの男が舞い降りた。昔日合衆国で人気を誇ったヒーローのスキンを被せた、コウモリのアヴァタールだ。もっとも、本人かどうかはわからない。
「何? お祭りでもやってたの?」
遅れての御登場、などと言うからには、何か面白いイベントでもやっていたのだろうか。だとすれば、惜しいことをしたものだ。
「行進に合わせた血祭りが少し。あんな大きな事件があったんだ、お前さんなんか真っ先にすっ飛んでくると思ったんだがな」
なるほど、血の行進事件はこちらでも話題になっていたらしい。それをお祭り騒ぎにしてしまう辺り、さすがと言うべきか、何と言うべきか。
「ちょっと、アッチの世界が大変だったんだよ。直で巻き込まれたりしちゃったんだもん」
「そりゃ災難……おっと、お前さんには幸運か」
さりげなく随分と失礼なことを口走り、コウモリは続けて訊いた。
「で、そんな愉快な現実を蹴ってここに来たからには、ロクでもない用事だな?」
「酷い言い方なんだよ。大した用事じゃないもん」
少しだけ膨れるリーファを眺め口元を綻ばせるコウモリ。彼女との会話は、コウモリにとって不思議と可笑しな娯楽だった。
「大したことかそうでないかは、こっちが判断するさ。正直、お前さんの価値観はオレより歪んでるからな」
「それも、酷い言い方だもん」
コウモリの人の悪さには、リーファも慣れている。いいかげん膨れっ面を浮かべるのは止めにして、本題に入ることにした。
「まあ、いいや。実は、D.B.っていうトラブルシューターの行方を追ってるんだよ」
「D.B.?」
コウモリは、腕組みをして軽く唸った。
「少し前に、少しだけ話題になったな。何でも火事場泥棒、じゃない、誘拐をしでかしたとかいって」
「そそそ。ボク、それに巻き込まれてたんだよ。で、目下追跡中なんだもん」
概要を了解したコウモリは、軽く笑ってリーファに応じる。
「そりゃまた、愉快な事件に巻き込まれたもんだ。で、D.B.の居所を知りたいんだな?」
「うん。どうも、腕利きのダイバーがD.B.についてるみたいでさ、なかなか足取りを掴めないんだよ……何とかなる?」
「ま、やってみるがな」
リーファが敵わない相手となると、少々厄介か? 要件自体は、大したものではないのだが。
そう思いつつ、コウモリはとりあえず訊くべきことを訊いた。
「報酬はどうする? 金か、情報か」
「う〜ん……」
唸りつつ、リーファは少々考えを巡らせた。金でカタをつけると、存外高くつくかもしれない。それよりは……
「情報でいける? アンチD.B.同盟みたいなのがあって、動いてるんだけど」
「おいおい」
コウモリは、さすがに苦笑を隠せなかった。リーファが言っているのは、自分たちのことではないか。
「そこで仲間を売るかね。まあ、モノとしちゃトントンだが」
どうせ、こっちの動きはあらかたフクロウにキャッチされてしまうだろうし。ここで無駄遣いをする必要は無い。
心の中ではそう考えつつ、リーファは答える。
「とりあえず、ボクがD.B.まで辿り着ければオッケだよ。その辺は考えて売ってくんない? 後でレポートするからさ」
「OK、身内に声を掛けてみよう。正直、結果は保証できんがね」
肩をすくめ、コウモリはリーファの提示した条件を承諾した。
リーファは、情報が来るまで待つのも悪くない、と思いはしたが、とりあえずコウモリに退去を告げる。
「ん。それじゃ、リアルタイムで1時間後くらいにまた来るもん。ガワにご飯食べさせなきゃいけないし」
ガワというのは、実際の身体を指すネットダイバーの隠語だ。実時間で1時間以上も身体を放置するのは、ネットダイバーとしてはあまり誉められた行動ではない。さすがに、リーファも自分の身体のことが気になり始めていたのだ。
「了解した。では1時間後に」
コウモリの応答を背に聞きつつ、リーファは現実へと精神を引き戻した。


『ノイジィ・ララバイよりD.B.――オレに借りを作りたいか?』
補修――と言っても、タンクを丸ごと交換しただけだが――の終わったトライクを走らせ光輝の店に向かっていたD.B.の許に、同業者からのそんな通信が入った。
借りを作りたいか、というからには、何かしらこちらに利のある情報を掴んだ、ということだろう。考えている振りをするため少しだけ遅らせてから、D.B.はわかりきった答えを返す。
「おう、頼まぁ。代価はモノ次第だけどな」
『そりゃ、そうだ』
ノイジィ・ララバイという奇矯な通り名で呼ばれている同業者は、単刀直入に言った。
『お前さん、狙われてるぜ』
「んなこたぁ百も承知だよ。つまんねーネタなら聞かねぇぞ」
『待ちなって。確実に、お前さんの動きを捉えてる連中が1コだけある。聞いとくか?』
今度は、本当に少しだけ迷ってから、D.B.は答えた。
「OK、借りとくぜ。幾らだ?」
『ネタとしちゃイマイチなんでな、5000でいい』
「取引成立だ。どこのどいつだよ?」
『同業者のジョルジオ・ベルルスコーニ』
その名を聞いて、D.B.は少し眩暈がした。脅威かどうか、と問われれば、それなりに、という答えになるのだろうが、眩暈の原因は別にある。
「あのロリコンオカマか。イヤなヤツに目ぇつけられたな」
『それから、ネットダイバーが一人。ハニーボマーだ』
「そこそこ腕がいいってルーキーじゃなかったか、そいつ?」
『らしいな。あと、東洋人のガキが一人』
D.B.の脳裏に、特定の人物――ワタルだが――の姿がくっきりと浮かぶ。
あの坊や、そこまでして俺と遣り合いたいのか? 老婆心だが、ジョルジオなんぞと組むのはどうかと思うぞ。
『アウター・サヴェッジが二人。以上だ』
「結構な戦力じゃねーの。もっと俺に貸しを作りたいヤツはいねーのか?」
『そこまではなぁ。正直、ガキを攫ったロリコン野郎に手ぇ貸そうなんて酔狂なのは、あんまりいねぇんじゃないか?』
「誰がロリコンだ、誰が。こちとら義理と人情と実益のためにやってるだけだ」
仏頂面で言葉を返すD.B.。ジョルジオの同類と思われてるとは、何とも傷付く現実である。
『んで、そのガキはどこの重要人物だ? どうせ、いわく付きなんだろ』
「義理だっつったろ。世間のしがらみってヤツよ」
さすがにこの件に関してはD.B.も嘘をついたが、相手が信用してくれたかどうかは実のところ怪しい。まあ、こればかりは日頃からトラブルシューターとしては奇怪な行動をとっているという、あまり芳しくない自分の評判を頼りにするしかないだろう。
『ま、どうでもいいがな。じゃ、払いの方はよろしく頼むぜ』
その言葉を最後に、通信はプツリと切られた。
――さてさて、どうも益々ヤヤコシイ話になってきたねぇ。
胸の中で呟いて、D.B.は今後の行動について考えを巡らせ始めた。


騒乱の夜を無事に乗り切った――五月蝿い連中をまとめて叩き出した、とも言うが――怜樹は、一人端末の前で少々遅いランチをつまんでいた。
眠い目をこすりつつも午前の診察を終え、そして今日の午後はオフという予定だ。
「クライノーワ・ティリバシュ。人工神経工学の権威、ミハイル・ティリバシュの一人娘、ですか……どこかで聞いた名だとは、思っていたのですが」
呟きつつ、ドクターネットから引き出してきた情報の細目に目を通す。
ミハイル・ティリバシュとは、何度か学会で会ったことがある。あまり印象に残るような人物ではなかったが、それほど嫌な印象はない。恐らく、怜樹と同じ程度には良識を持った技師だったということだろう。
「消息不明?」
情報の末尾に付け加えられた一文を、怜樹は声に出した。
読み返しても、間違いはない。
オリンピア・シティに居住していたが、半年前にシティを出て郊外にラボを開設。
その後空白の期間が続き、先週最新の学会発表を土壇場でキャンセルしている。
そして、消息不明。
BBSから、彼に関する情報を検索してみる。
どうやら、件の発表は相当革新的なものとして期待されていたようだ。
ただ、その内容については、人工神経関連のもの、としかわからない。革新的、という言葉も、ドクター・ティリバシュ曰く、であるようだ。
その発表を行わず姿を消したことに関して、何らかの事件や事故を憶測する書き込みもあれば、誹謗中傷の類まである。
もしかして、アオとレイはとんでもない事に巻き込まれつつあるのではないか?
そう思わないでもなかったが、いかんせん彼らはもう動き出した後だ。
結局、このことに関しては今のところどうにもならない、と結論付け、怜樹は端末の接続を切った。
オフの間に、出掛けておきたいところがあったからだ。
この街は、日に日に良くない状況に陥りつつある。それは、怜樹でなくとも感じ取っていることだろう。
そうなったとき、結局のところ自分の身は自分自身で守るしかない。多少我が意に反しても、武器ぐらいは用意しておくべきなのだろう。
怜樹が行き付けである水神宮・レオ・光輝の店を訪れようと思い立ったのは、そのためだった。いつもは手に入りにくいサイバーパーツの手配などを頼んでいるのだが、彼女の店には武器も置いてあったはずだから。
もっとも、怜樹はそのお陰で更に頭の痛い事態に巻き込まれることになる。神ならぬ身の怜樹には、その時点では知る由もなかったことだが。


ウェイトリィは、個人的な装備を整えるために街へと繰り出していた。
必要最低限のものは軍から支給されるとはいえ、戦士たるもの己の使う道具には最大限の注意と対価を支払うべきである。本当によい道具は、今も昔も自腹を切って入手するしかない。その努力を怠るのも個人の自由だが、後々悔やむことになる前に手を打っておくのはプロとして当然のことだとウェイトリィは思う。
もっとも、勤務時間までには結構な時間があったから、その間の暇潰しも兼ねではあったのだが。
規模としては小さなものだが、品揃えが良く多少は評判となっているネオ・フリスコ系の雑貨屋へ。雑貨とはいっても、ここで取り扱っているものはマッチから無反動砲まで実に幅広いのであるが。
「いらっしゃいませ」
背の高い金髪の男に、そう声を掛けられた。店番なのだろうが、それにしては実によく鍛えられた体つきで、肩に提げたホルスターから覗く大口径拳銃が威圧的な印象を与える。どちらかといえば、用心棒と言う方が正しいのではないだろうか? 物腰は穏やかで、脚に対して礼を失するような振る舞いも無いが。
「こんにちわ。幾つか欲しい物があるんだけど」
そう前置きして、ウェイトリィは要りようの品を並べ立てた。
ライトマシンガンにサーベル、グレネード……ちょっと、一般市民が購入するには物騒な代物が大半であったため、さすがに店員が眉をしかめた。
「こちらの品は、どういった目的でご購入でしょうか? 当店では、店主の方針で武器類販売の際には用途を明確にして頂くようになっているのですが」
「もちろん、シティの正義を守るためだよ」
言いつつ、ウェイトリィは軍の認識カードを示して見せる。
「結構です」
納得したように頷き、店員が一旦奥へと下がり、すぐにサーベルと防具一式を携えて戻ってくる。
「あとは、マシンガンとグレネードですね。保管庫が別になっておりますので、もう少々お待ち下さい」
そして、店員はもう一度バックヤードへと消えた。
この時点では、ウェイトリィは数分後に起こる大騒動を予期することすら出来なかった。


その頃、反D.B.同盟の一行は、リーファが探り当てたD.B.の居所に終結していた。
「マジにここか……? もう少し、こう、マシな襲撃ポイントは無いのか」
呆然と呟くレイに、リーファは得意そうに答えた。
「もう、ここ以外無い、って感じだよ。何しろ、相手は武装トライクで移動してるんだもん。待ち伏せしようにも、リスクが高過ぎるんだよ。ここなら、絶対にトライクは降りるし、トラップだって仕掛けられないもん」
「そりゃ、これから買い物しようって人様の店にトラップ仕掛けられるようなトンデモ野郎はいねぇと思うが」
レイは、俯き加減に続ける。
「怒るだろうなぁ、光輝の姉ちゃん……」
「大義のためだ、仕方ないさ」
決然とした表情でそう答えるアオ。
しかし、レイは嘆息せずにいられなかった。
幾らなんでも、ワケアリのアウターサヴェッジの身でありながら色々と物資を購入させてもらっている、割と感謝すべき得意先を襲撃することになろうとは。
レイが頭を抱えつつ弁明の言葉を捜しているところに、やや押し殺した感じのリーファの声が響いた。
「現れたもん!」
「蒼いライダースーツ……D.B.に間違いないわねん。隣に居るのがクライノーワかな? ここからじゃ、ちょっと顔が見えないけど」
確認するようなジョルジオの言葉に、アオが頷く。
「年恰好は、情報通りだ。にしても、何で歩きなんだ?」
「トライクは、別の場所に隠してるんだろう。貴重品だからな」
アオの疑問に答えつつ、レイはMP5サブマシンガンに初弾を装填する。
「なあ、店に入る前にどうにかできないのか?」
レイとしては、やはり光輝の店に被害を与えるのは極力避けたい。
一応問い掛けてみるが、返ってきたのは否定の言葉だった。
「それは難しいかな? 逃げられるのがオチだと思うわよん」
確かに相手の退路を断てるのなら、それにこしたことはない。
屋内であれば、逃げる先は裏口程度のもの。正面戦力を整えるため裏にまで人を配置しているような余裕はないが、その辺りはリーファが上手くセキュリティを乗っ取ってくれるはずだ。しかも光輝の店は、主の趣味で非電子系の鍵の類も充実している。そう簡単には、裏口から逃亡などという真似は出来ないだろう。
「サッサと行こうぜ。今度こそ、ブチのめしてやる!」
「まあ、少し待ってよ」
やたら意気盛んなワタルを、ジョルジオが制する。
「五分だけ待って、気が緩んだ辺りでゴーよん」
「みんな、わかってると思うけど絶対D.B.以外には当てるんじゃないぞ」
これまでも再三告げた注意を口にしつつ、アオもレイとお揃いのMP5に弾を込めた。


「ちわっす。出来てるかい、マスター?」
砕けた物言いで尋ねるD.B.に、光輝はにこやかに微笑みつつ応じた。
「いらっしゃいませ。御注文の品でしたら、すぐにもお引渡し出来ますわ」
「そりゃいいね。イロイロあって急ぎの身だ。特に今日はいつお客さんが来るかわかんねぇからな、早速もらってくよ」
お客さん、というのは、まさか額面通りの顧客のことではあるまい。
狙われている、ということか。
ならば、早々にCAMを引き渡し、退散してもらった方がよい。
クライノーワのことが気にならないといえば嘘になるが、この店を犠牲にしてまで彼女を庇ってやる義理はないはずだった。それに、いざ荒事となれば光輝はキッドに頼るより他ない。正直、自身の身を守るだけでも精一杯だろう。そんな事態に陥るならば、ここは専門家のD.B.に任せておくべきだろう。
「では、奥へどうぞ」
内心の思いはおくびにも出さず、光輝は二人を先導してバックヤードへと向かった。
と、その時だ。
「いらっしゃい……って、何ですか、アオさん、レイさん!」
キッドの、彼らしくもなく大いに慌てた声に振り向き、さすがの光輝も驚愕し、混乱した。
つい今しがた、脳裏によぎった不安。
つまり、襲撃者だ。
それだけなら、光輝もそれほど取り乱しはしなかっただろう。
だが、その襲撃者の中に見知った顔――アウターサヴェッジとはいえお得意様のアオとレイのコンビ――がいたとなると、話はまた異なる。
「な……! 何事ですの!?」
思わず呆然と突っ立ってしまった光輝の身体を、何者かが強引に手繰り寄せた。
キッドだ。
彼は、たった今本職に戻ったのだ。
そう理解した時には、19世紀末イングランド産の巨大で頑丈な棚――光輝御自慢の逸品のひとつだ――の奥に押し込まれていた。
とはいえ、おそらく侵入者の銃口は、彼と光輝に向けられることはあるまい。
そして、予想に違わぬ内容の声が上がった。
「D.B.! クライノーワを返してもらうわよぉっ!」
叫びつつ、ジョルジオは凝然としているD.B.目掛けて22LR弾を叩き込む。
が、D.B.は一瞬早く奥のカウンターに身を躍らせ、その銃弾をやり過ごした。
「ちっ! ノイジィの野郎が言ってた追っ手ちゃんかよ!」
悪態をつきつつ、D.B.は右手にシグ・ザウエル、左手にコンバットナイフを取る。
先方が動く気配に、牽制のつもりで二発撃つ。
が、それに対する応射は過激なものだった。
ガガガガガッ! と耳障りな音を立て、カウンターの端が砕け散る。
アオの放った、9mmパラベラム弾のご一行様だ。
「くっはぁーっ! サブマシンガンまで持ち出すかねぇ!」
ぼやきつつ、D.B.は僅かに潜伏位置を変える。
しかし、その程度でどうにかなるような状況でない事は明白だった。
襲撃者は、三人以上。
このままでは、ジリ貧だ。
やむなく、D.B.は声を張り上げた。
「おい、お前ら! どこの誰に頼まれたか知らんが、こっちに付け! こっちなら、一人頭10000出してやれるぞ!」
金目当ての連中なら、少しは心が揺らぐかもしれない。
「断る!」
「ふざけんな! だれが金なんかでっ! このロリコン野郎」
否定的な即答が二つと、誰が吐いたのか深く絶望的な溜息が一つ。
ヤバイ。こいつら、マジで正義の味方気取った阿呆か?
「う〜ん……一応契約があるんだけど。でも、そっちの方が面白そうだよ。連れて行ってくれるんなら、付いてもいいもん」
「裏切りの代償としては、ちょっと安過ぎやしないかしらん? 倍は見てもらわないとねぇ」
肯定的な見解が二つ。
しめた。金で何とかなるかもしれんし、上手く行けば同士討ちだ。
「わかった! それで手を打つ!」
とりあえず、二人は取り込めたのだろうか? 半信半疑の状態だが、少しは期待してもいいだろう。
「何だと、ジョルジオ! 金なんかで、あんなヤツの言いなりになるつもりか!」
激昂するアオに、ジョルジオは手近な戸棚に身を隠しつつ、いけしゃあしゃあと答えた。
「お金は大切だし。命も大切だし。この状況なら、好判断だと思うわよん」
「くそっ! この業突張り野郎!」
ワタルは、そう叫びつつジョルジオ目掛けて突撃しようとしたが、突き出された銃口を目にして慌てて戸棚の陰に隠れた。
「チッ! とにかく、D.B.だ!」
叫んで、アオはさして広くもない店内をダッシュで駆けた。
「おい、アオ! 無茶はするな!」
怒鳴りつつも、レイはMP5を乱射してD.B.を牽制。この混戦では、まずはアオとレイ本人の安全の確保が第一だ。アオが止まらない以上、ワタルがジョルジオを抑えてくれている間にケリを付けなければならない。
「食らえ!」
漸くカウンター内部を見渡せる位置に着いたアオは、振り向きざまMP5のトリガーを引き絞る。
対するD.B.は、左腕で頭部をガードしつつ、右手のシグ・ザウエルを一発だけ撃った。
アオの放った銃弾は、恐らく十を下らなかったはずだが、うち二発だけがD.B.の左右の脚を捉えた。
耐弾の強化ライダースーツとはいえ、さすがにこの距離からの9mmパラベラム弾を無効化することは出来ない。
弾丸は、D.B.の両足を紙のように貫き、木製の床を突き破る。
一方、D.B.の放った弾も、恐るべき正確さでアオの左肩を貫いていた。
堪らずバランスを崩し、転倒するアオ。
――相打ち? いや、こっちにはまだ、レイがいる!
アオが激痛に堪えつつそう思った時、新たな闖入者が飛び込んできた。
「白昼堂々騒ぎを起こすとは、いい度胸だ! 防衛機動軍の名において、誅殺してくれる!」
片手にサーベル、片手に拳銃という装備の男が、レイの脇から飛び出る。
男が名乗りの通り防衛機動軍の人間かどうか判別は付け難かったが、手にしている銃は確かに軍の正式拳銃であったし、鬼のような形相と言動から考えて侵入者を生かしておく気が毛頭ないことも理解できた。
「クッ! 何て間の悪い!」
ぼやきつつ、レイも左手でコンバットナイフを抜き防戦に備える。
レイのMP5は固定ストックタイプ。こう近付かれすぎては、あまりに扱い辛い代物であったから。


ワタルは、焦燥感を隠すことが出来なかった。
まさか、ここに来てD.B.の甘言に乗る馬鹿がいるとは。
馬鹿には違いないが、ジョルジオは強敵だ。射撃もそれなりに上手いし、何といってもトラブルシューターとして場数を踏んできた経験がある。
先刻から間合いを詰めようと機会を窺ってはいるのだが、その都度22LR弾によって出鼻をくじかれていた。
どうする?
まともに撃ち合っていてはジリ貧だし、かといってこの通路は駆け抜けるには長過ぎ、かつ運任せで銃弾をかいくぐることが出来るほどには長くなかった。
こうしている間にも、D.B.を取り逃がしてしまうかもしれないというのに。
何か、手は無いか?
せめて、このゴツイ木製の陳列棚が何とかなれば……
「ん?」
そこまで考えて、ワタルは妙案に思い至った。
障害物のおかげで身動きを取りにくい。
ならば、逆に障害物を利用して相手の動きを止めることも出来るはずだ。
「よっしゃ、やってみるか!」
自らを奮い立たせるように吐き捨てて、ワタルは戸棚の位置を確認した。
お世辞にも荒事が得意とは言い難いリーファは、D.B.側に寝返りを決めた後、すぐに戸棚の陰に隠れ、さっさと戦いの場から逃れようと機会を窺っていた。爆発物の扱いには多少なり自信があるが、それとて落ち着いて作業が出来るなら、という条件付だ。手榴弾の類を作ることには長けていても、それを用いた戦闘が出来るというわけではない。それは、リーファ自身が誰よりもわきまえていることだ。
とはいえ、この店はさほど広くない。アオたちの方は何やら別のトラブルが起きたようでこちらに向かってくる様子は無いが、とりあえず目の前のワタルをどうにかしなければ動きようが無いだろう。
ジョルジオは上手くワタルの動きを封じていたが、彼を無力化する決め手を欠いているのは明白だった。
「ホント、しつこい子ねぇ」
溜息混じりにジョルジオが呟いたのと、ほぼ同時に。
「よっ! クソッ、バカみたいに重いぜ!」
文句をたれつつ、ワタルは隠れていた戸棚に肩をあて、思い切り押し込んだ。
いかに頑丈であろうと、所詮はただの陳列棚。
荘厳な彫刻が施された、やたら高そうな家具は、少々苦労はしたが傾き、そして自重により隣の棚目掛けて勢い良く倒れ込んだ。
「うわ、無茶するわねぇっ!」
割と意表を突くワタルの行動に、ジョルジオが驚き半分呆れ半分といった感じの声をあげた。
遮蔽物が無くなれば、10メートルに満たない距離のオープンスペースで撃ち合うことになる。そうなれば、ジョルジオが勝つという保証はどこにも無かったし、リーファが流れ弾に当る危険性もグンと増す。
ワタルは、隙無くスタームルガーを構えた。
チャンスは、一度。
絶対に逃してはならない。
しかし。
「ああ、もう! 世話が焼けるんだよ」
文句をたれつつ、リーファは懐から手製の手榴弾を取り出しワタルがいると思われる辺りに放り投げた。
コロリ、とワタルの足許に転がる、拳大ほどの物体。
――手榴弾!?
まさか、こんな場所でそんな物を使われるとは想像していなかったワタルは、慌ててその物体を蹴り返そうとした。
しかし、それがなおのこといけなかった。
「うわっ! くそぉっ、何だこりゃ!」
思わず漏らしたといった按配のワタルの叫びに、リーファは意地悪くほくそえんだ。
突然、足許の物体から勢い良くピンク色のジェルが噴き出し、ワタルの足をすくったのだ。
バランスを崩し倒れ込めば、今度は身体が絡めとられる。ジェルは、容易には身動きが取れないだけの強力な粘着力を持っていた。
粘着手榴弾は、どうやら存分にその効力を発揮してくれたらしい。
「こっちこっち! いつまでも遊んでないで、さっさと来るんだよ」
「あら。粘着手榴弾とは準備がいいじゃない」
「えっへっへー。これも特技なんだよ」
リーファとジョルジオの、何とも気の抜けた会話。
ワタルは、脳天が沸騰しまったのではないか、と思えるほど真っ赤になって激昂した。
「くぅっ! チクショウッ! 男なら、正々堂々正面から来やがれぇっ!」
背後に響くワタルの罵声に、リーファは短く舌を出して答えた。
「ボクは女だもん」
どうにかトリモチから逃れようと足掻くワタルを尻目に、二人の気配はその場から消えて行く。
「バカヤロオォッ! こんなのアリかよぉっ!」
連日の屈辱に、ワタルは叫ばずにはいられなかった。


――クソッ! どうする!?
D.B.の姿は、視界から消えていた。
だが、両足を撃ち抜いたのだ。逃走は困難だろう。
それよりも、レイを助ける方が先だ。
レイを自分の我侭で荒事に巻き込んだ挙句に失うようなことになれば、悔やんでも悔やみきれない。
こうなった以上は、我が身に換えてもレイを助けねば。
「こっちだ! 軍の犬野郎ッ!」
注意を引くために大声で呼ばわり、戸棚の陰からMP5をフルオート斉射する。
常ならば大したことも無いサブマシンガンのリコイルが、撃たれた肩を抉るように響く。
片手で保持していることもあり、マズルジャンプも押さえ切れない。
射軸は三発目あたりで完全にずれてしまい、弾はあらかた見当違いの方向に飛んでいった。
おまけに、D.B.に連射を食らわせた直後だ。
マガジンには十発程度の弾丸しか残っておらず、ほんの数秒で撃ち尽くす。
「つゥッ!」
呻きつつ、アオはMP5を捨て懐のスタームルガーを抜いた。
22LR弾は非力だが、それでも狭い店内でなら充分な威力を持っている。
それに、傷付いた今は反動が弱く扱い易いのも利点だ。
「市民の皮を被った糞どもがッ!」
口汚く罵りつつ、ウェイトリィがアオに銃口を向ける。
アオは、慌てて戸棚の陰に隠れ身を伏せた。
と、その頭上で分厚い木製の戸棚が耳障りな音を立てて砕ける。
45ACPの威力の前には、光輝ご自慢の頑丈なアンティーク家具も充分な遮蔽物にはなってくれないようだ。
背に冷たいものを感じつつ、アオは小さく屈んで戸棚の陰を駆けた。
肩の痛みが頭にも響き、幾らか意識も揺らぐ。
――さっさとケリをつけなきゃ、まずいな。
割と冷静にそう思いつつ、アオは覚悟を決めて戸棚の陰から飛び出した。
「くたばれッ!」
飛びざま、男の腰を狙いダブルタップ。
狙いは僅かに逸れ、一発がウェイトリィの足をかすめるだけに終わる。
――まずい!
思いはしたが、一度飛び出してしまったものはどうにもならない。
痛めた肩から床に落ち、痛みに思わず苦悶する。
「くッ! あァッ……!」
「この暴徒どもめが! 血の制裁をくれてやる。貴様らに似合うのは、鉛弾だけだッ!」
ウェイトリィの45口径の銃口が、倒れ伏すアオの眉間を捉える。
と、そこへ。
「……ッ!」
突然、ウェイトリィは身体を仰け反らせて床に崩れ落ちた。
その向こうには、コンバットナイフを手にしたレイが立っている。
「……無茶すんなよ、バカ野郎が。俺の見せ場を盗ろうなんて考えるから、そんな目にあうんだぜ?」
そう言って斜に構えた笑みを漏らすレイに、アオは痛みに堪えつつウインクをして見せた。
「済まない。毎度世話になる」
「諦めてるよ」
そう答えつつ、レイはアオの手を取り上体を起こした。


ジョルジオとリーファが店の奥に辿り着いた時、D.B.は足を押えつつ脂汗を流していた。
「あらら。大丈夫かしらん? わたしはジョルジオ。せっかく寝返ったんだから、無事でいて欲しいんだけど」
緊張感無く言うジョルジオに、D.B.はニヤリと笑い掛けた。
「寝返り、感謝するぜ。どうしても、ここでクライを連れ戻されるワケにゃあいかなかったんでな」
「面白そうだから、いいんだよ。あ、ボクはリーファね。よろしく! ……で、立てる?」
リーファの問いに、D.B.はかぶりを振った。
「ちぃと、無理っぽいな。あのアオってヤツ、いい腕してやがるよ」
「まあ、それじゃどうしようかしら……?」
ジョルジオが、困ったように呟いたところに、奥から人の気配があった。
振り向けば、深紅の小さなCAMに身を包んだ金髪碧眼の少女が、心配そうにD.B.に視線を向けている。
D.B.は、短く口笛を吹いてから、少女に向けて言った。
「よう、クライ。思った通り、良く似合うぜ」
その手の趣味が無い男でも思わずドキリとしてしまうほどの美少女だ。
もちろん、ジョルジオの感性に訴えかけないわけが無い。
「まあ! あなたがクライノーワ? 写真で見るより、ずっと可愛いわ」
クライノーワは、とりあえずジョルジオに視線を走らせたが、今は彼に対する興味よりもD.B.に対する心配の方が勝っているようだ。すぐにD.B.に視線を転じ、微かな声で訊いた。
「D.B.……大丈夫なの?」
D.B.は、無理をして軽い笑みを浮かべつつ答える。
「もちろん。とりあえず、先に行っといてくれるか? ちっと病院に寄ってから、すぐに追いかけるからさ」
そして、D.B.は、ジョルジオとリーファに視線と言葉を向けた。
「おい、ジョルジオ、リーファ。お前さんたち、クライノーワを連れて脱出しろ」
ベルトからカードポウチを取り外し、ジョルジオに向けて放る。
「500000ある。オリンピアまでの旅費としちゃ、充分だろ?」
「随分、剛毅な話ねぇ。わたしがいうのも何だけど、そこまで信用していいのかしらん?」
「確かに、問題ありなんだが」
自嘲気味の笑みを浮かべ、D.B.は答えた。
「なんせ、このていたらくだ。お前さんたちを信用するしかない」
次いで、D.B.は後頭部に手を当て、そこからコアポート用のコアユニット――恐らく、ダイブコア――を抜き取りリーファに手渡す。
「細かい指示は、コイツに記録されてるアドレスに跳んでフクロウの嬢ちゃんに訊きな。キーワードは『真昼のフクロウはいいカモだ』だ」
それだけ言うと、D.B.はカウンターの壁に背を預け、最後にキーを取り出してジョルジオに差し出した。
「裏にブルーレイン――俺のトライクが停めてある。値段分の働きはしてくれよ」
不安げに傍らに立つクライノーワの頭をひと撫でし、D.B.はせいぜい平気な風を装って別れを告げる。
「じゃあな、クライ。俺が遅刻した時は、お父さんによろしく伝えといてくれ。御自慢の青い眼と一緒に、D.B.の野郎は元気だってな」
そして、リーファにクライノーワを押し付け、早く行け、と顎で促す。
ジョルジオにしてもリーファにしてもわけのわからない状態ではあったが、とにかくここに長居するのは危険過ぎる。
方策は、とりあえず走り出してから考えるより他無いようだった。


ようやく、喧騒が収まる。
店中に立ち込めた硝煙は、中々収まってくれそうになかったが。
「貴様ら……!」
ムクムクと湧き上がって来る怒りに、光輝は思わず日頃の上品な物言いを放棄してしまいそうになる。
「お嬢様!? まだ安全とは……」
やや迫力に欠けるキッドの抗議を無視し、光輝は彼の背を押し退けて戸棚から這い出した。
強く咳払いをして気を落ちつかせ、瞳に獰猛な意思をたぎらせつつキッドに指示を出す。
「損害分の請求書を書きます。代金が今すぐ払えない方は、金目のものを質に置いてってもらいます。以上、手配の程、よろしいですね?」
「い、イエス・サー!」
迫力に圧され、キッドがそう答える。
それを確認した光輝は、とりあえず最初に文句を言わねばならない人物の元へと足を運んだ。
それはもう、荒々しい足取りで。
すぐ近くの棚の向こう、目標人物たちの話し声が聞こえる。
「肩は?」
短い問いに、短い答え。
「貫通してる。止血すれば、問題ないと思う」
「手当てしよう」
なにやら、既に全て事が終わり事後処理に入ろうかという雰囲気のその声に、光輝は暴力への意思を秘めた底知れぬ恐ろしさを感じさせる、しかし静かで丁寧な口調で二人に語りかけた。
「わたくしの店の手当てもお願いできますかしら?」
それを耳にしたアオとレイは顔を見合わせ、事態をどう説明したものか、と頭を抱えた。
「あ〜、つまりだな、悪かった、この通り!」
とりあえず、レイがそう言って手を合わせる。
「よくもまあ、これだけ壊して下さったこと……被害総額がいかほどになるか、お分かり?」
頬を引き攣らせつつ言う光輝に、アオもバツが悪そうに応じた。
「済まない。何とかできる分は、弁償するよ」
「当たり前です!」
ピシャリ、と言い放ち、光輝は二人を睨みつけた。
「白昼堂々、日頃便宜を図って差し上げているわたくしの店を襲撃するなんて、いったいどう言う了見ですの? まったく、情が仇とはこのことですわ!」
「本当に、済まないと思っているよ。でも、俺たちが追ってたD.B.ってヤツを捉えられるポイントがここしかなかったんだ」
いったい、アオは誰にそんな悪知恵を吹き込まれたのか。
襲撃ポイントなら、他に幾らでもあろう。ただ、一番確実なのがこの店だというだけで。
「つまり、わたくしの店の客は撃ち殺してもいい、ということかしら?」
「いや、そういうわけじゃないんだが……」
「では、どういうことですの?」
何とか言葉を返そうとするレイに、冷たい視線を送りつつ問い返す。
いつのまにかアオの姿が消えていたが、まあいい。とりあえず、彼らは二人で一組のようなものだ。
「いや、一応相手は誘拐犯なワケだしな、念には念をってヤツでとりあえず確実に取り押さえてから話は聞いてやろうかと……」
「そういうのは、念の過ぐるは不念、と言いますのよ? おわかり?」
「いや、まあその、オレは止めたんだけどな。ジョルジオってヤツが、どうしてもって……」
光輝の剣幕――と随分時代がかった言い回し――に圧され、タジタジのレイ。
と、光輝の背後、店の入り口の方に人の気配がした。


「……D.B.だな?」
「おう。まーな」
アオが慎重に店の奥へと足を踏み入れたとき、D.B.はだらしなく両足を放り出して壁に背を預けていた。
足の銃創に目を走らせれば、短い時間の間に最低限の止血処理だけは済ませているようだったが、とても歩き回れるような状態ではないことが見て取れる。
銃はホルスターに、ナイフは鞘に収められており、抗戦の意思は無いようだ。
くしゃくしゃの金髪と、深い蒼の瞳が印象的な男だ。年の頃は、三十前後といったところか。もっとも、サイボーグ技術の進んだこのご時世、金さえあれば幾らでも化けられるのだが。
「こちらは大丈夫そうですね。では、私はお嬢様の警護に戻りますので」
危険だということでアオに同行していたキッドが、そう言って背を向けた。
本来ならレイがついてくるべきところだが、レイは光輝に対する弁明のため店先に囚われている。
「ああ」
アオは、短く答え銃を収めた。
遠ざかるキッドの足音を聞きつつ、D.B.に歩み寄る。
「さて、色々と聞かせてもらおうか」
「人にものを尋ねる態度じゃねぇな、そりゃ」
飄々とした態度で言うD.B.の胸倉を掴み、アオは腹立たしげに押し殺した声を出した。
「詰まらないジョークに付き合っているような精神的余裕は無いんだ」
D.B.は、小馬鹿にしたように鼻を鳴らし、芝居がかった口調で答える。
「オーケイ、俺は敗者、お前さんは勝者なんだ。今のところはな。尋問でも拷問でも好きにしな」
アオは、とりあえず怒りを噛み殺して訊く。
「あの娘、クライノーワをどこにやった?」
「さぁてね? 今頃どこにいるのやら。行き先は、ジョルジオとリーファに訊いてくれや」
「お前の目的は?」
「ハッ! ガキじゃあるまいし、いきなり襲撃してきたアホタレに話すわけねーだろ?」
アオは、傍らのカウンターに荒々しくD.B.を叩き付けた。
こう小馬鹿にされて平静でいられるほど、人間が出来ているつもりはない。
「もう少し真面目に返答してもらえるか? あまり強情なら、アウター・サヴェッジ流の訊き方をしなきゃならない」
努めて抑えた声で軽く脅すアオ。
だがD.B.は、苦痛に顔を歪めつつも、無理に笑みを浮かべようと唇の端を引き攣らせて言葉を返す。
「結構な流儀だな、そりゃ。トラブルシューターに効くかどうか、試してみりゃいいさ」
さすがに、脅しは効かないか。結構難儀そうな相手だ。
頭の中の比較的冷静な部分でそう思いながら、アオはD.B.を床に突き飛ばした。
と、気付けば何やら表の方から聞き慣れた声が聞こえてくる。
――どちらにせよ、このまま放っておくわけにはいかないか。
D.B.の足の傷に目を走らせつつ、アオは荒々しく踵を返して店先へと歩を進めた。


「ん?」
店の前まで来たとき、怜樹は軽く首を捻った。
この店は、普段扉を開け放つような不用心な店ではなかったはずだが。
店の中からは、何やら話し声。
誰かの襲撃でも受けたのか、とも思ったが、その割によく通る光輝の声も聞こえる。
とりあえず、危険はないのだろうか、と思いつつ、慎重に店の入り口へと近付く。
と、怜樹としては、あまり想像したくなかった事実がそこにあることに気付かされた。
「ドクター、丁度いいところへ」
怜樹に掛けられた声は店の主である光輝のものではなく、昨晩散々病室で聞かされたものであった。
何やら助けを求めるような目をしていたが、怜樹はレイに荷担する気にもなれず、至極冷静に周囲を見まわしつつ尋ねる。
「一応聞きますが、どういうことですか、レイ」
「まあ、なんだ……D.B.ってヤロウが居たのがここで、な」
「それが、人様の店を無茶苦茶にした理由になると思っていますの? 仏の顔も三度とは申しますけれど、生憎、わたくしはそこまで慈悲深くありませんのよ」
引き攣った笑みを浮かべつつ、注釈を入れる光輝。
場合が場合だけに、笑顔が実に怖い。
「だから、決行したのはジョルジオだって……いや、悪かった! オレたちが悪かったから、とりあえず銃を収めてくれ!」
慌てふためくレイの様子に我に返り、光輝は思わず抜いてしまったSIGのP−220をホルスターに戻した。
さすがに、ここで45口径を撃つのは憚られる。ターゲットの安否――普通、肉片を散らして死ぬが――は、とりあえずおくとしても。
端から見れば馬鹿な遣り取りをしていると、呆れて溜息をついている怜樹に奥から顔を出したアオが声を掛けてきた。
「済まない、ドクター。一人診てやって欲しいんだけど」
「それは、貴方のことですか? それとも、別の怪我人?」
「どちらも。俺は見ての通り肩をやられたし、相手は両足に穴が開いてる。弾は貫通してるし、止血もしたから大丈夫だろうけど」
そのまま、話しつつ怜樹とアオは奥へと消えて行った。
またも一人取り残されることとなったレイは、引き攣った笑顔を浮かべて次の言い分けを考えている様子。
これ以上、不毛な会話を続けるのも馬鹿らしい。
光輝は、ふぅ、と深く溜息をついて、最後に釘をさした。
「とにかく、被害分は即刻支払って頂きますからね。無ければ、身包み剥ぐまでです」
「……わーった。好きにしろい」
力無くうなだれて答えるレイに、光輝は更に彼を落ち込ませるであろう一言を付け加える。
「それと、わたくしが見たところD.B.は言うほど悪人じゃありませんわよ。少なくとも、クライノーワは彼を嫌ってはいませんでしたし、あなた方と同じくらいには正直でしたわ」
それを聞いたレイは、尚のことガックリとうなだれた。
「では、早目に火種になりそうなその軍人さんをどうにかして下さいね。その程度は、罪滅ぼしというものでしょう?」
廃人のように頭をたれているレイにそう言い置いて、光輝は蒙った被害を勘定すべく店内を見歩き始めた。


怜樹は、あちこちに開いている銃弾によるものと思われる小さな穴を眺めつつ一応釘を刺した。
「まったく、無茶にも程があります。それから、よくミス・水神宮に謝っておいたほうがいいですよ」
「わかってる」
本当に、わかっているのだろうか。もう5cmも当り所が違えば、アオは今ここに立っていることも出来なかったというのに。
そう思いつつも、アオを促し次なる患者の許へと案内してもらう。
そこには、蒼い強化ライダースーツを身に纏った、飄々とした様子の男が後ろ手に縛り上げられ転がされていた。年の頃は三十前後、くしゃくしゃの金髪と深く蒼い瞳が印象的だ。
顔よりも、そのスーツに見覚えがある。昨日、路地裏で見掛けたトライクの男に相違なかった。
「貴方がD.B.ですか?」
「ああ。そう呼ばれているな」
「昨日、路地裏でお見かけはしたのですが」
その言葉に、アオは眉をひそめた。
言葉を額面通りに捉えれば、怜樹はD.B.のことを知っていたということになる。
しかも、クライノーワが攫われたその時に、だ。
それならば、何故一言言ってくれなかったのだろう?
そうは思ったが、すぐにそのことについて恨み言を言うのは筋違いだということに気付き、喉まで出掛かった苦情の言葉を呑み込んだ。
性急に突っ走ったのは他ならぬ自分であるし、怜樹がクライノーワ誘拐の現場にいたからといって何が出来たわけでも、また何を知り得たわけでもないだろう。
「そりゃ、災難だったな。謝っといた方がいいかい?」
おどけた調子のD.B.の提案にかぶりを振り、怜樹は尋ねた。
「傷の具合は?」
「それは、専門の先生に見てもらいたいところだな。とりあえず生身に9パラ食らうと、さすがにキツイぜ」
両足に銃創を負っては、そういった余裕振った態度を取ることも辛いだろうに。
そう思いつつ、怜樹はD.B.の足を取る。
さすがにD.B.も顔をしかめるが、構わず傷の状態を確認。
アオが言うように、銃弾は綺麗に貫通している。主要血管の破損もなし。
これなら、消毒と止血で事足りるだろう。
「大事には到っていないようです。運が良い」
「そこに立ってる青年の腕がいいんだろうよ。正直、ここまで簡単にやられるとは思ってなかった」
確かに、殺し合いをしている相手の両足だけを撃ち抜けるアオの技量というものも大したものだろう。
もっとも、そう変なところで敵に誉められても、アオには別段感慨は無い。銃の腕でD.B.に勝ったところで、結局全体としてしくじっていたのでは世話はないというものだ。
溜息混じりに頷いてから、怜樹は、ふと、気になって訊く。
「貴方お得意の50キャリバーは?」
アオは、俄かに血の気が引くのを感じた。
そうだ。
あの時アオの身体を貫いた弾が50キャリバー弾であったなら、上半身は確実に吹き飛んでいただろう。
何故、D.B.はその腕に隠し持つ強力な兵器を使用しなかったのか。
「店ン中で、そんなモン使えるかよ」
そう答えて、D.B.はカラカラと笑った。
なるほど、と怜樹は頷いた。
こちらはこちらで、本気を出していたわけでもないということか。
彼らが形振り構わず戦っていたのなら、今頃この店は吹き飛んでいたかもしれない。
アオは決して個人レベルでもD.B.に勝利したとは言い難いことに気付かざるを得なかった。
アオが相棒を危険に晒してまで後先考えず遮二無二攻め立てたのに対して、D.B.は周囲への影響まで考えた上で行動していたのだ。
その上、結局クライノーワの保護にまで失敗していたのでは、とても勝利とは言えないだろう。
「それで、目的のクライノーワは保護できたんですか?」
アオは、苦虫を噛み潰したような顔で、吐き捨てるように答える。
「いいや、連れ去られたよ。ジョルジオとリーファが、裏切りやがったんだ」
「どういうことですか?」
「どうもこうもない。あの二人は、コイツに買収されて寝返った。その挙句、クライノーワを連れてコイツのトライクで逃げ去った。今、ワタルが追ってるけど、正直期待薄だ」
「結局、骨折り損ということですか」
苦笑しつつ呟いたところへ、どうにか光輝をなだめることに成功したらしいレイがやってきて応じた。
「損も損、大損だぜ、まったく……あのイカレた兵士が乱入してこなけりゃ、何とでもなったろうによ」
「兵士?」
表情を険しくする怜樹に、レイは悪びれず答える。
「ああ。オフでこの店に来てたって兵士がな、いきなり乱入してきたんだよ。ま、スタンしてもらってさっき捨ててきたところだけどな。あのバカがいなけりゃ、実際勝ってたぜ、オレたち」
「軽く仰いますが」
怜樹は、頭を抱えつつ言葉を継いだ。
「防衛機動軍の兵士に手を上げたのは、幾らなんでも問題がありすぎるでしょう。貴方がたは、元よりシティの法の外にあるからいいかもしれませんが、他の人にとっては……」
「ま、そりゃそうだが、今更どうこう言ったってしょうがないさ。なんせ、あちらさんは殺す気で来てたんだ。命があるだけでもめっけもんと思ってもらわないとな」
怜樹は、ごく軽い口調で言うレイを眺めつつ、改めて嘆息した。
誤算に継ぐ誤算。
短慮故の不首尾。
そして、恐らくこの街に吹き荒れるであろう嵐の渦中に、アオたちは踏み込む結果になってしまったのか。
この先どう転ぶにしても、代償は高くつきそうだった。


鬱憤をなみなみと湛えて、ワタルは再び光輝の店を訪れた。
彼がいない間に、店はそれなりに片付けられている。
ワタルは、両足をアオに撃ち抜かれ身動きの取れないD.B.――こんな状態でこの男を殴り倒しても、何の自慢にもならない――はとりあえず捨て置き、新たな屈辱を与えてくれた相手、ジョルジオとリーファを追った。
しかし、どうやらD.B.のトライクを借り受けたらしい二人はさすがに追いきれず、とうとう諦めて戻ってきたのだ。
「よう。どうだった?」
短く問うレイに、ワタルは忌々しげに溜息を吐きつつかぶりを振る。
「まあ、そう落ち込むな。あんだけ目立つトライクだ、幾らでも追いようはあるさ」
恐らくはワタルの徒労を予期していたのだろう、レイはそう言って曖昧に笑った。
「別に落ち込んじゃいねぇよ。ムカツクだけさ」
そうかい、とでも言いたげに肩をすくめるレイの脇をすり抜け、ワタルは捕縛されているD.B.に歩み寄った。
「ちっ! スッキリしねぇぜ」
この後に及んで飄々とした態度を崩さないD.B.に、ワタルは無駄と知りつつ訊いた。
「おい、ロリコン野郎。あの娘をどこにやったんだ?」
D.B.は、さも可笑しげに失笑し、あまり真面目とは思えない調子の軽い声で答える。
「あん? ロリコンってぇのは、お前さんと一緒に来たジョルジオみたいな野郎のことを言うんだぜ。クライの今の居場所なんか、俺に分かりっこねぇだろう」
「ふざけんなよ、こら。てめぇ、自分の立場ってモンがわかってねぇのか?」
「充分わきまえてるとも、青年」
凄んでみせても、暖簾に腕通し。
実に腹立たしい。
「あんな子供を親元から攫って、何になるってんだ」
吐き捨てるように言えば、D.B.が小馬鹿にするように茶々を入れる。
「ああ、ありゃ親じゃない。叔母に当たる人間だぜ」
「屁理屈こねてんじゃねぇ! てめぇ、何も出来ねぇ子供を不幸に……」
カッとして、胸倉を掴みつつ上げた怒鳴り声は、しかしD.B.の静かではあるが凄みのある声に遮られた。
「わかってないみたいだな、ボーヤ」
「ンだとぉ……」
少々気圧されつつも言葉を返そうとするワタルを平然と無視し、D.B.は出来の悪い生徒を諭す教師ような口調で続けた。
「いいか、世の中ってぇのは、概ねにおいて最大多数の最大幸福ってヤツを中心にして動いてる。でもな、そのために不幸になっちまうヤツだっているんだ。そういう連中の、見捨てられた幸せってのをどうにかしてやれんのは、俺たちトラブルシューターだけなんだよ。そのために動いて、何が悪い?」
「どういう意味だ!」
放り出すように荒々しく突き放し、ワタルはそう叫んだ。D.B.の、言葉の意図が見えない。
背中をしたたかに打ったD.B.は、さすがに咳き込みつつ、しかし変わらず癇に障る言いようで応じた。
「さあな。足りねぇ脳味噌で考えてみたらどうだ、シュガー・ボーイ?」
ワタルは、その言葉には答えず、これからどうしたものか、と思案を巡らせた。

  Prev Next