戻る Episode3 "Befor a storm."
  Act7 "Respective next step."

その週末、ウェイトリィはリヒシュタインのオフィスに出頭していた。
あの後、ウェイトリィは道端に倒れているところをパトロールの兵に発見されメディカル・ルームに連れ込まれるという醜態を晒したのであるが、検査のため外出することもままならず復讐どころか調査の機会にすら恵まれていない。
内心、そのことに関して咎められるのではないかと戦々恐々としていたのだが、リヒシュタインの用件は別のところにあるようであった。今は、もう一人の客を待っているところだ。
その客が、ほどなくして現れた。
「203小隊、マクシミリアン少尉、参りました」
奥のデスクに掛けていたリヒシュタインが立ち上がり、鷹揚に頷く。
「ああ、少尉。そう構えてもらわなくてもいい」
マクシミリアンの視線が、ウェイトリィへと向けられる。不気味なほどに、落ち着きのある目だ。
何者か、と思っているマクシミリアンの考えを読んだように、リヒシュタインが互いを紹介した。
「まずは、紹介しておこう。こちらは、マクシミリアン少尉。203小隊をよくまとめている、優秀な士官だ。有り難くも、私に協力を申し出てくれている。こちらは、ウェイトリィ・ウィルバー伍長。私直属の101分隊に所属している。私が最も信頼している部下の一人だ」
紹介を受け、ウェイトリィは微笑混じりに敬礼し、手を差し出した。
「御高名はかねがね耳にしております。今後とも、よろしくお願いします」
「よろしく」
マクシミリアンは怪訝な表情を浮かべつつも手を握り返し、それだけ答えた。
「それで、リヒシュタイン閣下。私たちを引き合わせるためだけに貴公がこのような場を設けるとは思い難いのですが」
マクシミリアンが問えば、リヒシュタインは少しばかり笑みを浮かべつつ頷いた。
「もちろん。それだけではないとも」
そう言って、リヒシュタインは二人に席を促し自らもデスクに納まる。
「実は、現在幾つかの懸案事項を抱えている。その中からひとつずつを、君たちに任せたいと思っていてね」
リヒシュタインの言葉に、ウェイトリィは少しばかり興奮する。
ついに、リヒシュタインは動き始めるのだ。
しかも、それは直命という形をとって自分の前に示されようとしている。
ウェイトリィは、息を呑んでリヒシュタインの言葉を待った。
実力テストを兼ねた作戦の分配と了承したマクシミリアンも、同じく黙って次の言葉を待つ。
「まずは、懸念されている防衛機動軍内反対勢力の焙り出し。場合によっては、実力行使も含む。ただ、事によっては作らなくてもよい敵を作ることにもなりかねん。その点、慎重に動かねばならんし、有事の際の危険度も非常に高い」
やはり、というべきか、軍内部の問題が最初に提示された。
確かに、放置するわけにもいかないし、さりとて軽々しく手を出せば墓穴を掘ることにもなりかねない、難しい問題だ。
「それから、レジスタンスだ。連中が、血の行進事件が軍の謀略であると主張し、一大反抗作戦を企てているという情報がある。我々としては、機先を制してこれを鎮圧。市民の安全を確保すると同時に、軍内部における我々の評価を確たるものとする。但し、相手が『見えざる刃』であることを忘れるな。下手をすれば、手玉に取られて評価を失墜させる事にもなりかねん。無論、生命の危機にも晒されるだろうが」
これも、予測できていたことだ。
ただでさえ軍の揚げ足取りに躍起のレジスタンスが、血の行進事件のような大事件を放置しておくわけがない。
対レジスタンスの作戦である以上相応に自由な行動が出来るだろうが、リヒシュタインの言う通り『見えざる刃』ジンは強敵だ。
「もうひとつ、奇妙な情報がある。人工神経工学の権威、ミハイル・ティリバシュ博士が行方不明になっているという件だ。人探しは本来軍の仕事ではないが、噂によればティリバシュ博士は画期的な人工神経技術を確立し、その秘密と共に失踪したらしい。この技術は、現行のガンドールにある問題点を解消する突破口になるやもしれん。何とか博士の消息を追い、この先進技術を我々の手中に収めたいと思っている。実は、博士の一人娘であるクライノーワ・ティリバシュがブロッサム・シティに居住していたのだが、血の行進事件の混乱に紛れ、何者かに攫われてしまったという。しかも、未だクライノーワを巡っては市井のトラブルシューターどもが争奪戦を繰り広げているという。それはつまり、少女クライノーワの身柄を押える事が、ティリバシュ博士とコンタクトを取る近道だという可能性を示唆している。通常任務とはかけ離れている上に少々投機的な側面もあるが、少女クライノーワの『保護』が第三の作戦だ」
クライノーワ?
ウェイトリィは、己が幾らか動揺するのを感じた。
それは、あの日あの屈辱を受けた店で耳にした名だ。クライノーワを返してもらう、などと口走っていた輩が、確かにいたはず。
これは、個人的にも何らかの縁を感じずにはいられない話ではある。
それに、ガンドールの技術的問題が解消されれば、ウェイトリィにもガンドールとなる道が開かれるかもしれない。それは、実に魅力的な話だ。
問題は、いずれにしても確実性に欠けるというところだ。
マクシミリアンも、少々結果と効果を予測し辛く思い難しい顔をしている。あのガンドールが更に強くなるというのであれば、やってみるだけの価値はあるかもしれないが……投機的、とは、よくぞ表現したものだ。
「最後に、議会の陰謀家どもから流れてきた情報だ。ブロッサム・シティの経済を支えるクナップシュタイン財団が、何やら軍事的な秘密を抱えているらしい。これに関し調査にあたった優秀なエージェントが失踪している。経済を司るべき財団が、我々防衛機動軍を差し置いて軍事的問題に手を出すのは由々しき事態だ。しかしながら、軍として正式に説明を要請出来るほどの確証がなく、どうにも手をつけられないでいる。そこで、密かに財団に探りを入れ、場合によっては件の軍事的秘密とやらを入手してもらいたい。財団が言い逃れ出来ないだけの証拠を得るだけでも構わない。ただ、何分相手が相手だ。あまり派手な動きは出来ないし、失敗した場合軍による身柄の保護が出来ない可能性もある」
これに関しては、二人とも初めて聞いた。
シティ経済の大半を握る財団に喧嘩を売るのは、どう考えても得策ではなかろう。しかし、その軍事的秘密というものが何なのか……それ次第では、敢えて禁忌に触れる価値があるかもしれないが。
「以上、四つの懸案事項がある。君たちには、これらの中からどれかひとつを担当してもらいたい。なお、君たちが選ばなかった作戦は、ガンドール隊もしくは配下の精鋭に処理を担当させる予定だ」
一通りの説明を終えたリヒシュタインは、そう締めて幾分挑発的な視線でマクシミリアンとウェイトリィを見やった。
さて、どうしたものか――


ミハイル・ティリバシュは、薄闇の中で目を覚ました。時刻は宵の口というところらしい。
ゆっくりと、周囲を確認する。
冷たい剥き出しのコンクリートの壁。ガラスなどとうに消え果ている窓枠。幾つかの家具の残骸。
そして彼は、ここがとりあえずの宿と決めた荒野のガソリンスタンド跡であることを思い出した。
傍らに放り出してあったリュックサックを手に取り、中からモバイルPCを引きずり出す。出来るだけ光が漏れないよう注意しながら、電源を入れメールインフォの着信を確認する。幾つかの情報が届けられていたが、そこに彼が切望する知らせはなかった。
「まだなのか、D.B.」
枯れた声でひとりごち、ミハイルは最近とみに白いものが増えた頭をかきむしった。
「このままでは、私は気が触れてしまいそうだ……!」
娘のクライノーワを連れて来てくれるよう依頼したのも自分だし、その間護衛がなくなることを承諾したのも自分だ。D.B.を恨むのは筋違いというものだろう。
しかし、特に訓練されているわけでもないミハイルの身体は、短い逃亡生活の中で恒常的に悲鳴を上げるようになっていた。このままでは早晩力尽き、荒野に骸を晒すか追っ手――かつて彼が所属し、忠誠を誓っていた街の軍隊――に己の身を委ねるかの選択に迫られるだろう。
小型の電動バギーは、もうほとんどのバッテリーセルを食い潰していた。明日か、下手をすると今夜のうちに、移動手段は己の両足だけになってしまうだろう。
だからといって、ここに留まっているわけにもいかない。間違っても、オリンピアの軍事政権に研究成果を渡すことは出来ないのだから。
疲れた身体に鞭を打ち、ミハイルは隠してあるバギーに向かった。
愛する我が子と会う日を夢見ながら。


「どう思う?」
それほど厚くはない書類を相手に放り投げ、”見えざる刃”ジンは訊いた。
「俺は、それなりに信憑性があると踏むが」
「どうだかな」
問い掛けられた相手、ジンの懐刀と呼ばれる女闘士クリスは、僅かに難しい顔をして答える。
「正直言って、財団は軍以上にわかりにくいからね。ま、意図的なリークなんだろうけど、その意図がわからん以上は信憑性もクソもないよ」
彼らが論議しているのは、何の前触れもなく囁かれ始めた、クナップシュタイン財団が何らかの秘密兵器を開発している、という噂についてである。
腕組みしつつため息をつき、ジンは視線を別の人間に声を掛ける。
「シルビアは? 火傷をしない程度に手出し出来ると思うか?」
微妙に眉を寄せ、知恵袋と称される女傑は淡々と言った。
「どうかしら? 私にも彼らの意図は読めないわ。殊に、今の当主に関しては。カール・ロハルト・クナップシュタインは、人格の破綻した天才だものね」
「下手を打つと、リヒシュタインより危ういか……政治的効果は、どう見る?」
大仰に肩をすくめ、シルビアは苦笑する。
「それは、あなたもわかってるのでしょう? 財団が武器を持とうが持つまいが、それほど騒ぎにはならないわ――軍が手出ししない限りは、ね」
「逆に、我々が押さえれば?」
悪戯っぽく言うジンに、クリスが苦言を呈した。
「おいおい、マジかよ。こちとら軍の相手で手一杯だぜ。本当かどうかもわからねぇ噂を追っかけてるような余力は無い」
「でも、ジンの考えにも一理あるわ。我々に有って軍に無い、切り札を持つ事は悪いことじゃない。軍を出し抜いて財団の秘密兵器を手に入れれば、市民も我々の行動力を改めて知ることになるでしょうし」
と、表情を崩さずに言うシルビア。
「もっとも、問題もあるけれど。財団の秘密を狙うということは、財団と事を構えるということ。そのリスクに見合うだけの成果が期待できない限り、私は手出ししない方が賢明だと思う」
「反対票がふたつ、か。で、君はどうだ?」
そう言って、ジンはその場にいるもう一人の人物に目を向けた。
緩やかなローブのような衣装を纏い柔和な笑みを浮かべる女性――諜報部門の重鎮である、”歌姫”ヴァネッサだ。
「私は、ジンに賛成。少なくとも、本腰を入れて調査する価値はあると思うわ」
「2対2か。」
呟いて、ジンは頬杖をついて小さく唸る。
珍しく迷っている様子のジンに、ニコリ、と笑ってヴァネッサが提案した。
「ジン、この件は当面私に任せて頂けない? クリスの言う通り本隊は身動きが取れないでしょうし、シルビアにはもっと大きな視点で考え事をしてもらわないといけないもの。私なら、少しは余裕があるわ」
「ヴァネッサ」
シルビアは、嗜めるように言う。
「軍が揺れている今、あなたこそ軍内部に対する工作に専念すべきだわ。楔は、打てるときに打っておくものよ」
「ご心配なく」
笑顔を崩さず、ヴァネッサは言葉を返した。
「そちらはそちらで、上手くやります。財団の噂話に関しては、同志の手を煩わせるつもりもないわ。私が、空いた時間を使って個人的にあたってみる。これなら、どう?」
ヴァネッサは、柔和で線が細いようでいて、一度こうと言い出したらなかなか我意を曲げない頑固さがある。それに、決して自らに課せられた任務を軽んじるような無責任な手合いでもない。そのことを承知しているシルビアは、やれやれ、とばかりにため息をついて折れた。
「そこまで言うなら」
「決まりだな」
苦笑しつつ、ジンが宣言する。
「クリスは実働部隊を準備。いつでも出られるようにしておいてくれ。シルビアは軍の動向を探って欲しい。状況により、あらゆる作戦展開が予測される。柔軟に頼むぞ。情報工作と財団の動向に関してはヴァネッサに一任する」
「ジンは?」
きょとん、として尋ねるクリス。
「聞きたいか?」
悪戯っ子のような笑みを浮かべて訊き返すジンに、シルビアが咳払いをして釘を刺す。
「危険な真似は控えておいて」
「……仕方ない。クリスとシルビアのサポートに回る」
その様子で、ジンが何を考えていたのかわかったクリスは、呆れ顔で天を仰ぎつつ言う。
「了解。暗殺は卒業したんじゃなかったのか?」
いけしゃあしゃあと、ジンはその言葉に答えた。
「時と場合と相手による」


マジョリー・ミルフィードは、パトロール任務に出ているうちに届けられていた書類の束を投げ出した。
「まったく……悪い事は、続くものね」
ぼやきつつ、たった今放り出した書類にチラリと目をやる。
そこには、オリンピア軍の動向について、とタイトルが記されていた。ご丁寧に、緊急、という判まで押してある。
――一個中隊を動かしている、か。その割に、動きは妙だけれど。
ミルフィードの感覚からすれば、報告書に記されているオリンピア軍の動きはブロッサム・シティ侵攻を目論むようなものではない。さりとて、演習とも思い難いし、ましてアウター・サヴェッジ討伐にも見えなかった。
だからといって、丸っきり無視してしまうわけにもいかないのは確か。一個中隊ともなれば相当の戦力だ。しかも、アウター・サヴェッジなどとは練度も装備も違う。まかり間違って衝突するようなことになれば、どう頑張っても苦戦は必至であろう。
いったい、連中は何をやりたいのか。
それがわからず悶々としていると、扉をノックする音が聞こえた。
「入れ」
声を掛けると、彼女の副官が恭しく敬礼し、入室してきた。
「何か?」
尋ねるミルフィードに、副官は困ったような申し訳無いような微妙な表情で用件を伝えた。
「1103小隊のカリア曹長が面会を求めておいでですが……いかがなさいますか?」
またか。
と、ミルフィードは軽く頭を抱えて天を仰いだ。
血の行進事件以来、反リヒシュタインの旗印を掲げ、影に日向にミルフィードに接触してくる者が後を絶たない。カリア曹長とやらも、そういった手合いの一人だろう。
「別件で戦術検討中だ。お引取り願え」
そう答えると、副官は無言で敬礼し、その旨を客に伝えるべく部屋を出た。
ふう、と、疲れたため息をついていると、もう一度扉がノックされる。
用件は一度で済ませてもらいたいものだ、などと思いつつ、ミルフィードは再度入室を命じた。
敬礼する副官に、さすがに辟易した様子で訊く。
「それで、今度はどこの誰だ?」
「は……自分であります」
答える副官に、ミルフィードは怪訝な顔をして問う。
「貴官がか? まさか、貴官も私にリヒシュタイン大尉と争えと言うのではないだろうな?」
「いえ、自分は少尉の判断に従うまでです。ただ、状況を鑑みるにそろそろ旗色を鮮明にしておくべきではないか、と愚考します」
かぶりを振って、ミルフィードは答えた。
「それでは、駄目だ。リヒシュタインに、粛清の口実を与えているようなものだぞ?」
その言いように、副官は目を輝かせる。
「やはり、少尉もリヒシュタイン殿の暴挙を認めているわけではないのですね?」
「当然だ」
刺すような視線で副官を見やり、ミルフィードは微かな笑みを浮かべた。
「私は、政治的問題に関わりたいとは思っていない。出来るだけ中庸でありたいと思っている……が、相手が独裁者なら、話は別だ」
「それでは――」
色めき立つ副官を、ミルフィードは手で制する。
「慌てるな。たった今、言っただろう? 反リヒシュタインを掲げ群れたところで、奴に粛清の口実を与えるだけだと」
副官から視線を外し、独語するようにミルフィードは続けた。
「方策が必要だ。少なくとも、リヒシュタインが表立って武力行使に訴えることが出来ない程度の方策が」
呟きながら、視線を泳がせる。
ふと、先刻放り出した報告書が目にとまった。
――オリンピア軍、か。
使えるかもしれない。
そう思いつつ、ミルフィードは算段を巡らせ始めた。

  Prev To Be Continue .... Next Episode