戻る Episode3 "Befor a storm."
  Act2 "Clock-Work grief."

エーリッヒ・マイヤーは、慣れない事務作業に没頭していた。
彼は前線下士官であり、机上の仕事など申請書や報告書、時と場合によっては自他いずれのものであるかはともかく始末書やらを書く程度。それも、大抵は端末上から幾つかのキーを押せば済んでしまう類のものばかりである。
しかしながら、防衛機動軍全体を震撼させた血の行進事件、それに続くリヒシュタイン派−反リヒシュタイン派の確執など、大揺れに揺れる軍の状況はマイヤーのような下士官にさえ常ならぬ業務をしいているらしい。
端末に向かい悪戦苦闘する彼の姿は、少なくとも傍目にはそのように捉えられていた。
だが、マイヤーが見た目とは裏腹に優れた知性と判断力を持つことを知る者であれば、彼の様子は少し奇異に映ったかもしれない。そして、彼の作業とその意図するところを知ることになれば、大いに驚くことになったであろう。
つまりマイヤーは、無造作に開かれたモニター上のウインドウやら、そのモニター脇のクリップに留められた定型的な書類やメモに巧みに隠された、本来彼が知ってはならない情報に目を走らせていた。

XGD−08 ガンドール重砲戦仕様
戦術目的 歩兵の高い踏破性とガンドールならではの高火力をもって戦闘地域に
     おいて高速展開、本隊到着・陣地設営までの防衛作戦を的確に支援す
     ること。なお、可能性は低いが万一対空迎撃の必要が発生した場合を
     考慮し、装備火器は充分な弾速を備える対空砲とする。
基本仕様 装甲AY、運動MU、反応RX、及びそれに追随する反射基準クリア
     腕部、脚部、腰部、胴部、胸部、頭部、副脳部のサイバー化
     [訂正]左腕部、左胸部、並びに頭部(眼部含む)の改造中止
        主として技術的問題(適性問題あり?)
     副脳リリースタイムラグ 0.05ms以内
     制御副脳周波 タイプAT・チャネル3−8
被験者  レイ・クリスティーナ・クルステュア・グーラン上級陸兵
試験結果 制御副脳に若干の乱れ、通常作戦行動に対する影響軽微。
     兵装制御機構に欠陥。小型火器の使用に難あり。
     精神安定極めて良好。(制御副脳バランスが良い?)
技術部  副脳制御等不充分。若干の改修を必要と認める。
軍令部  X401配属可。作業急げ。
機密Lv SSS+

ようやく手に入れた最重要機密情報をプライベートな記録カードに手早く記録し、マイヤーはすぐさま端末を切断した。ようやく残業が終わった、とばかりに溜息混じりに背を伸ばす。
実際、大変な難儀だった。レイ・C・C・グーランについて追って行くうちに、まさか最重要機密にまで辿り着こうとは。
ダミーとして散らかしてあった書類を片付けつつ、マイヤーは先刻の情報を反芻した。
わかったことは幾つかある。それも、驚愕すべきことばかりが。
ガンドールがもはや歩兵というより歩く装甲車と表現したほうがよいということ。
防衛作戦を主体にしているとはいえ、多分に攻撃的性格を持つ兵器として開発されていること。
そして、何よりも副脳に絡む記述が気に掛かる。他の添付資料から拾った数値と照らし合わせると、どうにも不吉な結論しか出てこない。
それは、ただでさえ著しく精神を不安定にさせる副脳を複数備えているということであり、それらが本来の脳によるエントリーを必要としないということであり、更に外部からのエントリーを受け付ける機構を持つということだった。
「銃人形とは、よく言ったものだ……」
知らず知らず、呟きが漏れる。
これらの情報が導き出す答えは、彼女は指示された命令を己の意思とは無関係に遂行する究極の戦争機械のひとつであるという事実。リヒシュタインらしい、反吐が出るような計画であり、その成果だということだ。
しかし、である。
だとすれば、疑問に思わずにいられない。
あの時、レイ・C・C・グーランは、何故自分を助けたのか。
彼女だけが虐殺に参加していなかったのは、何故か。
そして何故、彼女の声は、ああも愁いを帯びていたのか……
考えても埒があかない、とばかりにかぶりを振って、マイヤーは席を立った。
証拠は上手く消したつもりだが、たとえそうでもあまり長居はしたくない。


ウェイトリィ・ウィルバーは、少々気落ちしつつカフェの扉をくぐった。
Dr.ヒルマンによる適性試験の結果が、酷いものではなかったが残念ながら不合格だったからだ。経験も技量も申し分無いのだが、いかんせん高度サイバーパーツであるガンドールユニットがもたらす精神的な負荷に堪えられそうに無い、とのことだった。確かに、強くなったはいいが四六時中サイバーサイコの影に怯えていなければならないのでは話にならない。
だが、同時にヒルマンは、これはそう遠くない未来に技術的に解決できる問題だとも言った。ウェイトリィが酷く落ち込まずに済んだのは、その言葉があったからである。
とはいえ、気が沈むんでいるのも事実だ。そのためだろうか、ウェイトリィは衝突して相手が短い悲鳴を上げ手にした食器類を派手に取り落とすまで、給仕の存在に気付かなかった。
「も、申し訳ありません!」
そう言って頻りに頭を下げるウェイトレス。小柄で黒髪、肌は少し黄がかかっており、アジア系の人種であることが窺えた。給仕服の胸に付けられた名札には、リ・メイファと書かれている。中国人だろうか?
「そんなに謝らなくてもいいよ。周りを気にしていない自分も悪いし、誰にでも失敗はあるさ」
どちらかと言えば非は自分の方にあるような気もするし、と心の中で付け足しつつ、ウェイトリィは屈み込み、飛び散った食器の残骸を拾い集める。
「そんな、どうぞそのままに。すぐに片付けますから」
慌てて止めようとするメイファに、ウェイトリィは柔和な笑みを浮かべて応じた。
「構わないさ。それよりも、今から残業なんで濃いコーヒーと軽めの食事を頼むよ」
「あ……は、はい」
あらかた床を片付け終わり席を探すウェイトリィに、メイファが控えめに尋ねる。
「あ、あの、申し訳ありませんがお名前と所属を教えて頂けますか? 服のクリーニング代を……」
「ん?」
ウェイトリィは、メイファの様子に微笑みつつ言った。
「ウェイトリィ・ウィルバー。階級は伍長。所属は101分隊さ。服のことは、気にしなくていいよ。軍服なんて、汚れるためにあるようなもんだ」
特に、屑どもの返り血で汚れた時など心地よいほどだ。
物騒なことを考えるウェイトリィの胸中に気付いた風でもなく、メイファはお辞儀をしつつ改めて謝罪し、服に関しては改めてお伺いします、と言い残し業務へと戻った。
マイヤーが、行動のカモフラージュがてら疲れを癒すためカフェへと足を踏み入れたのは、丁度その頃だった。
とりあえず空いている席を確保して、何となく気になってウェイトリィとメイファの遣り取りを窺った。とりあえず、騒ぎになるようなことはないようだ。
――まあ、特に騒ぎにならなければ良いか。
そう思いつつ、手近なウエイターにコーヒーを注文し、彼らのことを意識から削除する。
考えておきたいことが山ほどある。入手した情報の整理もしなければ。
無意識のうちに唸るような息をついたところで、目の前に人影が立った。
まさか、機密情報へのアクセスがばれたのか? 事が事だけに、思わず身が堅くなる。
「済みません。相席、よろしいですか?」
だが、先方はマイヤーよりも彼の前にある空席に用事があったらしい。
正直、一人になりたい気分ではあったが、ここで断るのも不自然だ。
「どうぞ」
愛想笑いを浮かべつつ、マイヤーはそう答える。しかし、すぐに相手の確認もせず同席を許したことを後悔してしまった。
別に、相手が先ほどウエイトレスと何やら遣り取りしていた若手下士官だからではない。彼の胸元に輝く部隊章を目にしてしまったからである。
101分隊。リヒシュタイン直属の精鋭部隊だ。
「申し送れました。101分隊のウェイトリィ・ウィルパー伍長です」
訊きもしないのに、誇らしげに自らの軍籍を告げる男。幾らか抑えた声で、マイヤーは名乗り返した。
「1106分隊のエーリッヒ・マイヤー伍長です。よろしく」
「第一連隊ですか。では、先月戻られたばかりですね」
「ええ」
防衛機動軍の師団と連隊は、一般的な軍隊で言うところのそれとは異なり、砲兵を除けばそれほど戦力に差があるわけではない。何故このような区分をしているかといえば、単純に序列の問題と任務の違いからである。
主としてシティ防衛の任を担うのが師団。半年交代で発電所を警備する任にあたるのが連隊だ。発電所にいない半年の間も連隊の兵員がシティ防衛に駆り出されることは稀で、貴重な予備戦力として訓練を重ねている時間の方が圧倒的に長い。
マイヤーの所属する第一連隊は、ウェイトリィが言うように一月前に第二連隊に任務を引き継ぎ、シティに戻ってきたばかりである。
「では、良い時に戻ってこられましたね。この変革の時を発電所に引き篭もって過ごすのは、あまりにもったいないというものですから」
「変革?」
動乱の間違いだろう、と胸の内で呟きつつ、マイヤーはさりげなくウェイトリィの風体を観察した。
乱れなく軍服を着こなした、いかにもエリート然とした雰囲気。
にこやかな表情は、しかし穏やかな人格よりも一種の不気味さを感じさせる。
それも、リヒシュタイン直属という彼の立場を知ればこそだろうか。
ウェイトリィはウェイトリィで、彼の言葉の意味を今ひとつ理解できないでいる様子のマイヤーに少しばかり同情を感じていた。きっと、彼は機械のように古い軍律を守るよう言い聞かされ、それを忠実に実行している不器用なタイプの人間なのだろうと思う。
マイヤーの思考などまるで気付かず、ウェイトリィは少々浮かれた調子の声で言う。
「そう、変革ですとも。これはあくまで私の予測ですが、我が軍は数年のうちにリヒシュタイン閣下の目指す、強力で理想的な組織に生まれ変わるでしょう。今は、その黎明とでも言うべき時ですよ」
僅かに顔をしかめ、さすがにマイヤーは苦言を呈した。
「まるで、今の軍が倒れるかのような仰りようですな。失礼ながら、防衛機動軍法第四条第一項に抵触する発言ではないかと思えるのですが」
その言葉を聞いた途端、ウェイトリィの瞳に不穏な輝きが生まれる。
「私に、反逆の意思があるとでも?」
マイヤーは、ウェイトリィ・ウィルバーという人物が、やはり柔和な外見とは裏腹に危険な男であることを確信した。だとすれば、下手に機嫌を損ねるような真似はしない方が良いだろう。
「まさか」
マイヤーは、少々大仰に肩をすくめつつ弁明する。
「自分のように長く下士官をやっていると、軍法を杓子定規に捉える癖がつく。それだけのことです」
「なるほど」
ウェイトリィは、一応納得して頷いた。どうやら見立て通りに堅物の前線下士官のようだ。そのまま捨て置くのも悪くはなかったが、ふと、思い直す。
理想を実現するためには、それ相応の賛同者が要る。特に、彼のような現場の人間には是非とも理解と協力を求めていかねばならないだろう。
然るに、ウェイトリィは軽く頷いてからマイヤーに語り掛けた。
「しかし、マイヤー伍長、よく考えてみるといい。例えば――」
そして、ウェイトリィは憑かれたようにリヒシュタインとその持論である支配の哲学に関してあれこれと語り始める。
正直、それはマイヤーにとって聞くに堪えない暴論でしかなかった。だが、ここで席を蹴ってリヒシュタイン派にマークされるような事態は避けたい。
結局、マイヤーは注文したコーヒーが給仕され、それを飲み干すまでの間、熱病に浮かされたようなウェイトリィの演説に付き合わされた。


レイ・グーランは、複雑な表情で中庭に向かった。心中は、表情よりも更に乱れている。
呼び出しを受けた彼女を待っていたのは、次なる任務の通達ではなかった。事務部に出頭したレイは、ただ彼女に来客があることを告げられ面会場所として指定された中庭に行くよう促されただけであった。
ただそれだけの事だが、今は気が重い。虐殺の渦中に身を置いたあの時から程なく、昔馴染みに会うのは苦痛であった。いったい、どんな顔をして会えば良いのか。
一方で、どうにもし難い鬱屈した思いを抱える今、旧友と会う事はひとつの慰めになるかもしれない、という期待もあった。レイ自身は知る由もないが、ヒルマンが極秘存在のガンドールに一般人の面会を許可したのには、実のところそういう理由がある。
やがて、陽の光に満たされた中庭へと辿り着く。彼女を待つ人物は、中央の噴水の前に佇んでいた。
履き潰した靴にジーンズ、しわの寄ったシャツに裾が擦り切れかかった黒いコート。浮浪者というほどではないが、明らかに下層市民といった感じの、みすぼらしい身なり。
「タクヤ……」
遠慮がちに、レイはそう声を掛ける。
「レイ……?」
レイの名を口にしつつ、タクヤは呆気にとられているようだった。
無理もない。
数ヶ月前、治安センターの霊安室で最後に会った時、彼女はまだ生身の人間であった。それが、曲面装甲に覆われた機械の身体に変わっていれば、誰だって絶句するだろう。
「ええ。お久し振り」
レイは、努めて平静を装った。
「座りましょう。こんなところで何だけど」
そう言って、率先して噴水の淵に腰を掛ける。
「……ああ」
呆然としつつも、タクヤはレイに倣い腰を降ろす。
「それで、どうしたの? わざわざ会いに来てくれるだなんて」
近年疎遠になっていたとはいえ、昔馴染みの気安い口調でレイは尋ねる。本心では、痛ましそうに彼女を見るタクヤの視線が彼女の胸を傷めていたが。
「心配になった、というのでは理由にならないか? あんな事件があった直後だ」
「……そう」
気のない素振りをしつつ、レイはタクヤの視線から逃れるため周囲に目を走らせた。と、建物の影に、こちらを窺う人影が見える。さりげなくビルの屋上に目をやれば、そこにもこちらを窺う兵士の姿。漠然とだが、興味本位という雰囲気ではないように思われた。やはりと言うべきか、複数の兵士に監視されているようだ。


マイヤーは、疲れた顔であてがわれている兵舎へと歩を進めていた。
ウェイトリィの御高説は、きれいサッパリ忘れてしまおう。そうしないと、精神衛生上良くない。
それよりも、レイ・グーランのことだ。
今度非番の時にでも、今度は彼女に関するプライベートな情報でも拾って来るか。そうすれば、何か他にわかることがあるかもしれない。
そのようなことを考えつつ中庭の見える廊下へさしかかった時。
視界に入ってきた光景に、マイヤーは思わず呟きを漏らしてしまう。
「レイ・C・C・グーラン……?」
日溜りの中に、彼女は居た。
技術的問題とやらで改造を免れ得た端正な顔立ち。陽の光を受け煌く長いブロンド。軍属であれほど長い髪の女といえば、他にはミルフィード少尉ぐらいのものだろう。
だが、その下にあるのは柔らかな女性の肌ではなく、鈍い光沢を放つ無骨な機械仕掛けの身体。それでも曲面装甲の緩やかなラインが僅かに女性らしさを感じさせると思うのは、贔屓目というものであろうか。
しかし、より強くマイヤーの目を引いたのは、レイ・グーランよりも彼女の隣に座り話し込んでいるタクヤの姿だった。
――レジスタンスか?
ふと湧き上がる仮定を、マイヤーは自ら一笑に附した。
白昼堂々、軍の中庭に現れるレジスタンスもいるものではなかろう。
何気なく廊下の壁に背を預け、書類の束をチェックする素振りを見せつつ二人の様子を盗み見る。
レイ・グーランもタクヤも、時折笑みさえ浮かべつつ会話しているが、その雰囲気は和やかというには少々重すぎるような気がした。多少距離があり、またガラス越しであるために、会話の内容までは聞き取れない。
散歩にでも出る振りをして、近付けないものか。
そう思いつつ、周囲に視線を走らせる。
中庭の端、向かいのビルの角に不自然な人影を発見し、マイヤーは浅く溜息をついた。
――監視付きか。
考えてみれば、当然だ。騒乱の渦の中心にいる者の一人であるレイ・グーランが、そう自由に行動できるはずもない。ビルの陰に潜む諜報員がリヒシュタインの手の者か、あるいは反リヒシュタインの一派なのかはわからないが、ともかく奴の目に付くような行動は避けるべきだろう。


「……噂は、本当だったんだな」
しばし空虚で当り障りのない世間話をした後、幾ばくか無言の時間をおいて、タクヤはポツリとそう漏らした。
「噂?」
どんな噂か、概ね予想はついている。だが、レイはとりあえず惚けることにした。
レイの思惑を知ってか知らずか、タクヤは声と視線を落として言う。
「ああ。軍には、とんでもない……サイボーグ兵士が配備された、ってね」
途中、言葉を濁したタクヤに、レイは思わず苦笑した。
気を遣ってくれなくてもいい。巷では、そんな綺麗な表現はされていないだろう。
殺人狂のサイバージャンキー。
見境無しの狂戦士。
悪魔に魂を売った気の触れた連中。
リヒシュタインの犬。
そして、貧しく弱き者の敵。
いっそ罵ってくれた方が、百倍マシだった。哀れむような目で見られるよりは。
だから、レイは殊更に冷然とした声で言った。
「そうね。どこの誰にも、負ける気はしないわ」
言いつつ、レイは気が狂ってしまいそうだった。
あらゆる敵に勝利し得る究極の兵士。
いかなる相手にも負けない超戦士。
しかし、勝利は軍という組織の至上命題ではあっても、一人の人間の人生のそれには必ずしも当てはまらない……
戦って、勝って、それでどうするのか? その答えすらも、レイは見出せずにいる。あるいは、その先に何かあるなどと期待するのは、そもそも筋違いなのか。
「レイ……クリスティーナ」
沈痛な面持ちで、タクヤは呼び掛けた。
「戻って来れないのか? 今からでも」
そして、レイは失笑した。
「戻って、どうするの?」
それは、何と空虚な提案だろう?
「この身体で、今更どこへ戻れるというの? 今となっては、私の居場所は戦場にしかないのよ。それを知って、そんなことを言っているのなら、なんて残酷なのかしら」
「レイ……!」
タクヤは、何かに堪えるように辛そうな表情を浮かべ、噛み潰すように言う。
「リチャードは、喜ばない。彼は復讐も、レイが戦いの場に身を置くことも、望まないはずだ」
「それは、あなたの考えだわ。父さんは、もういない」
答えつつ、レイは立ち上がる。
これ以上タクヤと話していては、どうにかなってしまいそうだ。
彼の言葉が恐らくは正しいからこそ、尚更に。
「たとえ天国の父さんがそう考えたとしても、私の人生は私のものよ。私自身で考えて、行動するわ」
ああ。なんと偉そうな口を利くのか、私は。
その目的も見失い、行く末すらも思い描けぬ人生を語る資格など、私にあろうはずもない。
そう思いつつも、レイは呼び止めるタクヤの手を振り払うように踵を返した。
「レイ!」
悲鳴にも聞こえるタクヤの呼び掛けに背を向け、レイは別れを告げた。
「さようなら、タクヤ」
そのまま振り返らず歩き出し、レイは心の中でだけもう一度幼馴染に別れの言葉を呟く。
さようなら、タクヤ。
きっと、永遠に。


レイとタクヤの会談が終わるのを見たマイヤーは、ほんの少しだけ思案した。
レイ・グーランは研究棟へ。タクヤは一瞬だけ彼女を呼び止める気配を見せたが思い止まったようで、何度かかぶりを振って正面ゲートへと続く道に力無く歩み出す。
すぐに結論を出したマイヤーは、もはや不用の書類の束をダストシュートに放り込んでからタクヤの後を追った。
環状道路を越えダウンタウンへ。
タクヤは、少しばかり疲れを感じさせる足取りで、だが迷うことなく下層階級の人々が住むシティ外淵部へと進んでいく。
この辺りになると、かなり詳細にシティの事を知っているマイヤーにも路地の構造を把握することは難しい。元々シティ設立時には街など無かった場所であり区画整備が行き届いているとは言い難いし、何より後ろ暗い連中が種々の摘発を逃れるため故意に複雑怪奇な街並みを形成しているためだ。ここを迷わず歩ける人間は、何らかの犯罪的な行為を生業にする者か、さもなくばここに住んでいる者ぐらいのものだろう。
やがて、タクヤは小さな町工場といった雰囲気の建物に入った。扉の鍵を開けていたところを見ると、彼の住処だろうか。この辺りの御多分に漏れず、表札などというものは無い。
「おい、坊主」
マイヤーは、折良く近くを駆けていた子供に声を掛けた。
まだ十にもならない感じの少年だが、何しろスラムにほど近い環境であるこの場所に住んでいるのだ。そこらの大人より危地の場数は踏んでいるだろうし、それだけに身を守る術に長けているのも道理というもの。
少年は、とりあえず足を止め、何か用か、とでも言いたげにマイヤーをねめつける。マイヤーとは充分に距離をとり、遮蔽物になりそうな物陰近くを離れようとはしない。
ほんの少し、その少年の所作を嘆かわしく思いながらも、マイヤーはこの場所の流儀に従うことにした。
ポケットからコインを一枚取り出し、少年に見せる。
「そこの家には、何をやっている誰が住んでいるんだ?」
取り出した50セント硬貨がマイヤーの求める情報の対価として適当なら、答えてもらえるはずだ。
果たして、少年は簡潔に答えた。
「タクヤ・オオガミの塗装工場さ。あんまり流行ってない」
なるほど、と頷き、マイヤーはコインを少年に放る。隙無く硬貨を受け取り、少年はそのまま路地へと消えた。
互いに、礼も無ければ挨拶も無い。ここは、そういう場所だった。
――塗装工か。しかし、何故こんな場所の塗装工がレイ・グーランと……?
今は忘れ形見とはいえ有力シティ議員の一人娘であるレイ・グーランと、日々を暮らすだけでも一苦労のしがない塗装工。二人を結びつける接点が、マイヤーには見当もつかない。
あるいは当初の疑念通り、あの男、タクヤ・オオガミはレジスタンスの一員で、レイ・グーランに何らかの工作を行っていたのか?
しかし、多寡が塗装工ごときが、そう簡単に防衛機動軍の敷地内に入り込めるとも思えない。レイ・グーランと個人的な繋がりでも無い限りは。
それに、あの時二人は、少々暗い雰囲気ではあったが談笑さえしていた。簡単に言い切ってしまうことは出来ないが、レイ・グーランとタクヤ・オオガミは以前から知り合いだったと考える方が妥当か。
――やれやれ、調べるべきことが増えてしまったな。
そう思いつつ、その場を離れようとした時だ。
路地の向こうから、複数の足音が聞こえた。
マイヤーは、条件反射的に物陰に隠れ様子を窺う。
向こうの辻から姿を現したのは、防衛機動軍の兵士たちだった。
武装は、サブマシンガンとソリッドシューター。屋内戦を意識したいでたちだ。
――何故、こんなところに?
遠目でも判る部隊章を目にして、マイヤーは驚愕の度合いを深めた。
101分隊。
リヒシュタインの精鋭だ。

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