戻る Episode3 "Befor a storm."
  Act1 "Project Gun-Doll."

空虚だった。
部屋も、心も。
ともすれば、考えることそのものを放棄してしまいそうになる。
レイ・グーランは、ほとんど本能的にそれは危険だと思い、必至に余計なことを思い起こして――結果として、自我を保つよう努めていた。
「XGD−8」
誰かが、呟いた。
「何があったのか、説明してくれないかね?」
あれは、いつの頃だっただろう? いいかげんだったけれど、気の良い面白いおじさんが大きな犬を連れてきて。
そう、おじさんの子供のタクヤが、その犬に噛まれて泣いていたっけ。尻尾を思い切り握ったりしたら、そうなることはわかりそうなものなのに。
泣きじゃくるタクヤと気の立った犬をなだめるのは、私の役目。怖かったけれど、お姉さんになったようで少しいい気分だった。父さんに誉めてもらえたのも、嬉しかった。
「XGD−8……」
そのくせ、タクヤは猫に好かれた。彼自身、猫が大好きだった。
かけっこでも、鉄棒でも、私に勝ったことなんてないぐらいひ弱なくせに、降りられない猫を助けようと凄く高い木に攀じ登って、降りる途中で足を滑らせて。
強く腰を打って涙顔だったのに、猫が元気に駆け去るのを見ると笑って。
父さんがタクヤを誉めていたから、少しだけ嫉妬した。
「レイ。レイ・グーラン」
その名で呼ばれ、XGD−8ガンドール重砲戦仕様試験体は、漸く己に語り掛ける人物に虚ろな視線を向けた。
Dr.ヒルマン技術大尉。ガンドール計画の技術部門最高責任者……と言えば聞こえはいいが、実のところ同計画唯一のテクノオフィサーだ。かなり偏屈な人物であり、ガンドールに関する重要な問題は一から十まで己の手で成さねばならないと信仰している。もちろん、その地位にふさわしいだけのスタッフを与えられ、指揮する権限を保有しているのだが、それは彼にとってたいして興味を引かれない余禄に過ぎなかった。
「個体名には反応するか。重傷だな……XGD−8、自分の身に何が起きたか、説明できるかね?」
ヒルマンは、敢えてレイを認識番号で呼び、一連の動作不良――作戦行動中に指揮系統を外れた上、危うくXGD−3と同士討ちを演じかけたこと――に対する説明を求めた。レイは、焦点の定まらない瞳で虚空を眺めつつ、ぼんやりと言葉を紡ぐ。
「市民が……味方が市民を殺害していました。ほとんど無抵抗の市民を。私は……止めなければならないと考えました」
「記録には、市民は暴徒と化していたとある。違うかね?」
「いいえ……市民は、無抵抗でした。ほとんどの市民は」
「暴徒だったのだ」
ヒルマンは、少しきつい口調で言った。
「中央制御装置の判断では、暴徒だったのだ。速やかに鎮圧するよう、行動せねばならなかったのだ」
そうして、ヒルマンは苛立たしげな様子で無意味にさして広くもない室内を歩き回った。
ヒルマンが苛立たしく思うのは、暴徒と化した市民を暴徒と認識しなかったレイの精神的甘さに対してではない。彼が構築した最強の戦闘部隊ガンドールのシステムが正常に機能しなかったからだ。それも、たった一体の被検体だけが。
「しかし、市民は無抵抗でした……」
力無い声で繰り返し反論するレイに、ヒルマンはため息をついた。
「中央制御装置は、暴徒と判断したのだ。端末であるガンドールは、その判断に従わねばならない」
従うように、作られているはずだ。
その言葉を呑み込み、ヒルマンは考える。いったい、システムが誤動作した理由は何か。詰まるところ、彼にとってはそれが問題なのであり、レイ・グーランの兵士としてはあまりに軟弱な精神が問題なのではない。
と、そこまで考えて、ヒルマンは、ふと、思い当たった。
――なるほど。XGD−8は、元より兵士ではない。確か、今回の任務が初めての実戦であったはず。ならば、実戦における精神波の乱れも想定外のものかもしれない。
ヒルマンは、しきりに頷きながらガンドールに装備されている副脳と人工神経のスペック、そしてそのキャパシティを脳裏に浮かべシミュレートする。想定外の事態に何事かと頭を悩ませたが、何のことはない、単なるオーバーフローということか? しかし、予備システムが稼動しなかったのは……まあいい、所詮は予備だ。とりあえず、正常系の動作を安定させる方が先だろう。それにしても、現状これ以上の伝達・通信系の改造は自殺行為と言うべきかもしれない……
「よろしい、XGD−8」
頭の中で種々の可能性を検討しつつ、ヒルマンはレイに告げた。
「少し休みたまえ。その後の指示は、また私かリヒシュタインからすることにしよう」
問題点が明らかになったと思われる以上、ヒルマンがレイを拘束している意味はない。それに、確かに今のレイには精神を落ち着かせるための時間が必要なように思えた。
レイは、無言でヒルマンの言葉に従い、研究と開発の城から退出した。


マクシミリアンは短く溜息をつき、報告を終えたばかりの副官を見やった。
「つまり、トゥウェイン曹長、我が小隊の半数はリヒシュタイン殿に賛同できぬと考えているわけだ」
確認するように問えば、トゥェインは僅かに姿勢を正し、生真面目な声で答える。
「半数、というわけではありません。リヒシュタイン閣下に賛同しないであろうと思われる者は、二人の分隊長です。兵は、正直なところ所謂ノンポリの類だと考えて良いか、と」
「要するに、首をすげ替えればどうにかなる、ということか」
「恐らくは」
マクシミリアンは、ふむ、とひとつ頷き指示を出す。
「いいだろう。反対派の二人を更迭し、信頼のおける下士官を代任に据えろ。工作と人選は任せる」
「では、早速」
そう答え、トゥウェインは敬礼をしてから部屋を出て行った。相変わらず動きに無駄がなく、手早い男だ。
冷遇されてきたサイボーグ手術を受けた兵をまとめる、という案についても、あれこれと理由をつけて小隊に取り込むよう画策してくれている。もっとも、元々サイボーグ手術を受けた兵などほとんどいないから、実効力としては多寡が知れているだろうが。まあ、それでも手を打っておくにこしたことはない。
一人残されたマクシミリアンは、デスクに肘を突き軽く瞑目して考えを巡らせる。
――とりあえず、部隊をまとめる事は出来る、か。後は、武器弾薬の類だな。
副官であるトゥウェイン曹長に関しては、思想的にも能力的にも信用できる。元より、そういう人材であればこそ副官に選んだのだから。とりあえず、下の事は彼に任せておいて問題あるまい。
だが、武器弾薬の手配となると、今回ばかりはトゥウェインの手には余るだろう。
恐らく、防衛機動軍はかつてない混乱期を迎える。リヒシュタイン、反リヒシュタインの各派が入り乱れ、あるいは武力闘争となるかもしれない。そして、その可能性は極めて高い、とマクシミリアンは考えていた。
そうなったとき、トゥウェインのレベルでどうにか出来る尋常の補給ルートは役に立たないだろう。リヒシュタインの援助も期待できないではないが、独自に信頼のおける補給源を確保しておくにこした事はない。当面、弾薬の備蓄だけでも可能な限り行っておく必要があった。
場所の問題もある。
防衛機動軍の装備類は一極集中型で管理されているのだが、マクシミリアンが危惧するような武力闘争に事が及んだ場合、あらゆる装備が整備格納庫に集中保管されているのは大変な問題だ。
上手く整備格納庫を制圧することが出来ればよいが、もしそれが出来なかった場合は一方的に不利な立場に立たされる。充分とは言えぬまでも、必要最低限の装備については独自の保管場所を確保せねばならないだろう。
しばし黙考し、マクシミリアンは席を立った。


マクシミリアンは、小隊長に抜擢されて以来、激務に追われ足が遠のいていた整備格納庫に入った。
各小隊の装備ばかりではなく、車両を含む中隊・大隊レベルの装備品までが一堂に集められた、防衛機動軍の心臓部のひとつだ。それだけに警備は厳重で、任務以外では立ち入るだけでも色々と面倒な手続きやチェックがある。だから、整備兵と当番の巡回担当部隊以外には、それほど多くの者を見かける事はない。
マクシミリアンは、一兵卒の頃からこの場所に出入りしていることが多かった。
出自のはっきりしない彼は周囲から敬遠されがちであったから、同僚から遊びの誘いを受ける事もあまりなかった。自然、一人で過ごす事が多くなるのだが、それほど熱心に打ち込めるほどの趣味は持っていない。唯一、機械いじりだけは性に合っていたので、いつのまにか格納庫に入り浸るようになってしまったのだ。
その頃のつてもあり、マクシミリアンは整備の人間に比較的顔が利く。彼らに言えば、幾らか余分な装備を小隊の備蓄用にまわしてもらえるかもしれない。
場所の問題はおくとして、とりあえず物だけでも確保しておくのが得策だろう。
まずは、自分の小隊に用意されている整備スペースへ。CAMの整備に余念がない整備兵たちに声を掛け、武器弾薬の備蓄状況について確認する。
次いで格納庫を飛び回り、あれこれと理由をつけて武器弾薬の手配を要請。少々強引な印象を持たれたかもしれないが、体面に構っているような場合ではない。努力の甲斐あって、とりあえず小隊が三日間全力で戦闘行動を展開できるだけの物資は確保できた。
一通りの処置を終え、マクシミリアンは一息つく。
――後は、場所か。
こちらについては、また別の方策を考えねばならない。
防衛機動軍の基本的な運用思想として、集中管理と施設の共用というものがある。何しろ、人手も資源も足りないのだ。極力無駄を省き効率的に組織を運用するためには、その思想は実に有用で合理的であり、徹底させる必要があった。
その結果、小隊が独自かつ排他的に利用できる施設などほとんど無い。まさか、これだけの量の物資を小隊長室に詰め込むわけにもいかないだろうし、さりとてそれが各隊共通で使用する整備格納庫に眠っているのでは宝の持ち腐れというものだ。
腕を組んで考え込むマクシミリアン。
その視界の端を、一人の人物が横切った。
小柄で猫背。白衣を纏った、科学者然とした男だ。頭髪は、もうかなり寂しくなってきている。
マクシミリアンは、その人物を知っていた。
つい先日までは知らなかったが、彼の業績を目の当たりにした今となっては、密かに尊敬すらしている。
ガブリエル・ヒルマン。
ガンドールの産みの親とも言うべき、技術大尉だ。
ふと、思いついたマクシミリアンは、ゆったりと歩くヒルマンを少々急ぎ足で追いかけ、背中から声を掛けた。
「ドクター・ヒルマン」
ヒルマンは、唐突に掛けられた言葉に動じた様子も無く、ゆっくりと振り返る。
「何かね? 君は……」
「第203小隊隊長、マクシミリアン少尉です。リヒシュタイン閣下とは、懇意にして頂いております」
その自己紹介で、ヒルマンはマクシミリアンの立場を理解したようだ。
僅かに目を細めつつ笑みを湛え、親しげな様子で頷いた。
「なるほど、それは結構。それで、私に何か用かな?」
「いえ、常々博士とは一度お話をしたいと思っておりまして。御迷惑でしょうか?」
まだヒルマンの人となりを理解できていないこともあり、とりあえずあたり障りの無い言葉を口にする。
ヒルマンは、ふむ、とひとつ頷いて答えた。
「あまり長い時間でなければ、構わんよ。色々と作業は抱えているが、リヒシュタインの友人を無碍にも出来ぬしな」
「はい。有難う御座います」
別に、リヒシュタインとは友人というほど親しい仲でもないが、ここは相手が誤解するままに任せておく。
「しかし、こんなところでは何だな」
「では、幹部サロンにでも」
礼を尽くすつもりでそう提案するが、ヒルマンは幾らか顔をしかめてそれを断った。
「悪いが、ああいう場所は苦手でね。良ければ私のラボででも」
それは、マクシミリアンにしても願ったり叶ったりだ。一も二も無く頷く。
「もちろん、異存などありません。博士のラボにお邪魔できるなど、光栄なことです」
「おだてても紅茶ぐらいしか出ぬがね」
などと応じつつも、ヒルマンはまんざらでもない様子で先に立って歩き始めた。
「それと、マクシミリアン少尉。私には、そう格式ばった口調はしてくれなくともよいよ。私は、自分のことを軍人というより技術屋だと思っておるのでな」
あながちポーズで言っているとも思えないヒルマンの言葉に肩をすくめ、マクシミリアンはヒルマンに合わせ少しばかりゆっくりとした歩調でその背を追った。


「なるほど」
ウェイトリィの話を聞き終わったリヒシュタインは、デスクに肘を突いたまま短く頷いた。
「貴官の言うことはもっともだ。私も、最大の障壁は軍内部にあると踏んでいる」
議題は、物騒極まりないもの――防衛機動軍内部の反対勢力排斥、もっと正確に言えば燻り出しと粛清に関して――だった。この会談が外部に漏れれば、それだけで二人は銃殺刑の対象となるだろう。
もっとも、だからといって萎縮してしまうような二人ではなかったが。
「それでは――」
言いかけたウェイトリィを手で制し、リヒシュタインは苦笑混じりに付け加えた。
「だが、まだ早い。徒に動けば、作らなくてもよい敵を作ることになる」
「ですが、敵が出来てしまってからでは遅いのではありませんか? 戦いは、機先を制したものが勝ちます」
ウェイトリィの反論に、リヒシュタインは再度頷いた。
それは、つまり彼もウェイトリィと同意見だということだ。
「そこは、考えている。とはいえ、軍の全権を掌握していない以上、あまり表立った行動はできん……今のような時期には特に、な」
幾らか不満気に唸るウェイトリィに、リヒシュタインは背筋が寒くなるほどに酷薄な笑みを浮かべて言葉を継ぐ。
「失望してくれるなよ、伍長。私とて、手をこまねいているわけではない。既に、諜報に長ける者を数名動かしてはいる。だが、結果が出るまでには少し時間が掛かる――勢子は放った。狩人は、獲物が現れるまで待てばよいのだ。君には、それを期待している」
「なるほど」
リヒシュタインに負けず劣らず怖気の走る笑みを浮かべ、ウェイトリィは頷いた。
「そう仰るということは、狩りの時間までは、そう遠くないのですね?」
「恐らくは。問題は、赤き盾がどうでるか、だ。私に刃向かうならば、潰せば良し。そうでないのなら、これほど利用価値のある看板も他に無い。できれば、確保しておきたいところだな」
ウェイトリィは、軽く笑って応じる。
「看板ならば、既にあるではありませんか。ガンドールという、この上ない看板が」
「あれも看板には違いないが、今ひとつ一般受けせんからな。それに、未だ幾つかの技術的問題もある」
と、そこまで言ってから、リヒシュタインは不意に気付いたようにウェイトリィに問うた。
「そういえば、貴官はガンドールに志願したいと言っていたか?」
「はい」
一切の淀みもなく、ウェイトリィは即答する。
「そうなれれば、この上ない喜びです。また、ガンドールとなれば一層閣下のお役に立てるものと確信しております」
「ふむ」
少しだけ、リヒシュタインは考え込むような素振りを見せた。だが、それも一瞬のことで、すぐにウェイトリィに向き直って言う。
「では、Dr.ヒルマンの検診を受けてみるか? もっとも、あれは存外人を選ぶらしくてな、結果のほどは保証の限りではないが」
「是非とも、お願いします、閣下」
喜色を満面に浮かべつつ答えるウェイトリィ。リヒシュタインは、鷹揚に頷いて告げた。
「よかろう、話は通しておく。後ほどEブロックのラボへ出頭するといい」
「ありがとうございます」


リヒシュタインに言われた通り、ウェイトリィは一度私室に立ち寄ってからDr.ヒルマンのラボへ出頭しようとEブロックに立ち入った。
Eブロックは、基本的にR&D(研究開発)施設が揃っている、技術屋連中の本陣だ。ウェイトリィのような実戦部隊の人間には、あまり縁がない場所である。
そのためだろう、ウェイトリィは少しばかり道に迷った。少々浮かれ気味で居ても立ってもいられず、約束の刻限までかなり余裕のある時間に部屋を出てしまっていたので、別に深刻な事態にはならなかったが。
少し歩くうちに、レストルームのような場所に辿り着く。隣接する部屋からは微かに断続的な銃声が漏れ聞こえ、ここが訓練や実験の合間に身体を休める場所なのだと知れた。
不意に興味をひかれ、ウェイトリィは足を止めた。施設自体は――隣室の中にはリサーチ用に種々の計器があるのかもしれないが――彼が平常使用している訓練設備と大差なく、さして面白いものでもない。
ウェイトリィが興味を持ったのは、所在無くそこに佇む人物に対してであった。
幾らか躊躇いがちに、ウェイトリィは声を掛ける。
「レイ・グーラン上級陸兵?」
ウェイトリィに語り掛けられた人物、ガンドールの一人であり有力シティ議員の忘れ形見、レイ・C・C・グーランは、見慣れぬ人物の登場に少しばかり怪訝な顔をして応じた。
「はい……あなたは?」
「ウェイトリィ・ウィルバー。階級は伍長。101分隊に所属しています」
階級上はウェイトリィの方が上なのだが、ウェイトリィはレディに対するというよりは優秀な戦士に対する礼節をもって、丁寧に彼女の言葉に答えた。
「伍長、何か御用でしょうか?」
少し重い動作で立ち上がり、型通りに敬礼を捧げるレイ・グーラン。
ウェイトリィは一応彼女の儀礼を受け取り、少し砕けた調子で言った。
「いや、どうぞ楽なままで。特に用件があって声を掛けたわけではありませんから。私は、Dr.ヒルマンの検診を受けに来たのです」
レイ・グーランは、少々驚いた様子で目を見開き、若干の陰りを感じさせる小さな声で応じる。
「そうですか……では、貴方も」
「ええ」
片やウェイトリィは、喜びと期待に胸を躍らせつつ酔いしれるような熱の篭った口調で答えた。
「同じガンドールとして、轡を並べることができれば幸いです。最新鋭の、無敵の戦士。きっと、このシティはより良い方向へ変わるでしょう。リヒシュタイン閣下の指導と、そしてガンドールの力によって。私は、その時に立会い、そして出来得るならば力を振るいたい」
そこまで一息に喋り、ふと我に返ったようにウェイトリィは苦笑を浮かべる。
「もっとも、まずは適性検査に合格せねばならないのでしょうが。何か、よいアドバイスなどありませんかね?」
「そんなもの」
レイ・グーランは、いっそ沈痛とさえ見える面持ちでかぶりを振った。
「わかりません、私には」
澄んだ湖水のように薄い青の瞳でウェイトリィを見詰め、レイ・グーランは問い質すような口調で訊く。
「何故、ガンドールになりたいと?」
「もちろん、シティと防衛機動軍のために」
ウェイトリィは、如何なる躊躇いも見せずにきっぱりと答えた。
「シティに巣食う害悪どもを狩り出すために、私は何一つ惜しまない。努力も、金も、時間も、この身の全て、何一つ。ガンドールとなることは我が意に適い、何よりシティのためでもある」
その口上を聞き、レイ・グーランは顔をしかめる。不快とも憐憫ともとれる、微妙な表情だ。
既に夢見心地のウェイトリィは、彼女の顔色など気にも止めていなかったが。
と、ウェイトリィの弁舌を阻むように館内放送が響いた。その声は、レイ・グーランに出頭を求めている。
「呼集です。伍長、失礼致します」
これ幸いと、席を立つレイ・グーラン。
話の腰を折られたウェイトリィは幾分不満げな表情を浮かべたが、特段非難すべき問題があるわけでもないので、すぐに柔和な笑みを取り戻す。
「ええ。では、いずれまた」
そう言ってレイ・グーランを送り出し、ウェイトリィは彼本来の目的を思い出して、慣れない通路を辿りDr.ヒルマンのラボへ向かった。


「まあ、掛けたまえ。殺風景なところで恐縮だが」
ヒルマンの言葉に従い、マクシミリアンは手近な椅子のひとつに腰を下ろした。何の気無しに、ぐるりと部屋を見渡す。まったく、殺風景、というヒルマンの言い様に偽りは無かった。
随所に走り書きのある夥しい量の書類に埋め尽くされたデスクと数脚の事務用椅子。中央には飾り気の無いテーブルが置かれ、こちらは多少なり片付けられている。壁際を占拠する書架には、大量の専門書と記録ディスク。他には、幾つかの端末があるばかりだった。
ふと、ホワイトボードに書かれている表が目に入る。
稼動表、と簡潔なタイトルが付けられているその表の中に、『要調整』という単語が添えられているものがひとつ。
項目は、『XGD−8』となっていた。
「ドクター・ヒルマン。XGD−8、というのは?」
省略の甚だしい問い掛けに、ヒルマンはごく平然と答える。
「ガンドール試作8号のことだよ、少尉」
「では、再調整というのは……」
「言葉通りだ。XGD−8は、実によく出来た子なのだが」
備え付けのドリンクサーバーからコーヒーを注ぎつつ、ヒルマンは、やはり大した問題ではなさそうな様子で続けた。
「先の実戦試験において、XGD−8だけが作戦指示を離れるという事態に陥ってね。リヒシュタインの方から、クレームがついたのだよ。……どうかね?」
薦められるまま紙コップに入ったコーヒーを受け取りつつ、マクシミリアンは首を捻る。
「作戦に従わなかった、ということでしょうか。それならば、問われるべきはドクター・ヒルマンの技術力ではなく、前線指揮官の指揮能力なのでは?」
「ああ、少尉はガンドールについて詳しくは知らなかったか」
漸く微妙な会話のズレに気付いた様子で頷き、ヒルマンはマグカップを手にマクシミリアンの向かいに座る。
「本来、ガンドールは作戦行動中リンク・コンピュータの優先指示に従い行動するよう作られているのだよ。詳しく話をすると専門的な知識無しにはわからんだろうから、具体的な話は避けるがね。兵士個々人の判断よりも、彼らを集中管理する中央制御装置の指示に従って動くよう作られている」
「それは、つまり……」
言い淀むマクシミリアンを制し、ヒルマンはキッパリと言った。
「兵士個々の感情や認識、意識の全ては無視される。いや、無視と言うと語弊があるかな? 兵士が捉えた認識はリアルタイムでリンク・コンピュータに伝送され、中央制御装置の戦術行動は動的に組み替えられる。兵士の判断は逐一伝達され、より効率的かつ統制の取れた命令としてフィードバックされるのだ」
銃人形、とはよくぞ言ったもの。要するに、ガンドールは戦闘が始まれば兵の意思など考慮せず、ただただ一個の兵器として稼動するということ。そこには、恐怖や緊張などというものが介入するような余地は無いのだろう。恐らくは、兵の良心さえも。
なるほど、そのようなシステムであれば、血の行進事件でガンドールが見せた常識外の戦闘能力にもある程度納得がいく。
「XGD−8は、それが上手く作動しなかった、と」
確認するように問えば、ヒルマンは苦笑しつつ頷いた。
「そういうことかな。原因は調査中だが」
コーヒーを一口含み、飲み干してからヒルマンは続ける。
「恐らく、伝達系のトラブルだろう。予想以上のトラフィック負荷が、回路をフリーズさせたのだろうな。万一リンクが不可能な場合は、内蔵された簡易戦術コンピュータによる制御に切り替わるはずなのだが、そちらも動かなかったらしい」
「有り得るのですか、そのようなことが?」
「考えられなくは無い、としか言えんな。何分、感情を含めた人間の思考情報には未知の部分も多い。人工神経を通る情報の多くは、実際のところ機械では判定できない『ゴミ』がほとんどなのだよ」
「そのゴミのために回路が詰まってしまった、ということですか」
マクシミリアンの言葉に、ヒルマンは再度頷いた。
「予想だがね。XGD−8本体の精神状態が著しく混乱・悪化したと考えれば、ほとんどの説明はつく。XGD−8の被験者が兵として充分に訓練されていなかった、という事情も関連していると思っておるよ」
「XGD−8は、正規の兵ではなかったのですか?」
マクシミリアンは、別の意味で驚きそう訊いた。
幾らなんでも、まともな兵でない者を最新鋭のサイボーグ兵士の被験体に選ぶというのは想像の外だ。
「最低限の訓練は行ったらしいが、素人とそう大差なかったはずだよ。XGD−8では、そういう戦場を知らない人間を兵として即製できるか、という実験も兼ねておったからな」
「その試みは失敗した、というわけだ」
マクシミリアンは、思わず普段の口調でそう呟いた。ヒルマンは、それを咎めるでもなく素直に肯定する。
「そうなるな。結局、相応の訓練を積まねば兵としては使い物にならないばかりか足手まといになる、ということかな。あるいは、人工神経を含む伝送回路が飛躍的な進歩を遂げれば、今回のようなこともなくなるのだろうが」
「では、それがドクターの次なる研究課題ということですな」
マクシミリアンの言葉に、ヒルマンは膝を打つ。
「まさしく、その通りだよ少尉。今は不可能な問題でも、いずれ人は新たな技術によって解決するだろう」
そう言って、マグカップに残ったコーヒーを飲み干し、ヒルマンは半ば陶然とした面持ちで言った。
「全ては技術。技術だ。常闇を打破する技術。それこそが、人を人たらしめる希望であり光。少尉は、そのことを理解している」
「確かに」
マクシミリアンは、頷きつつも別の話題を切り出した。
「ところで、博士。ひとつ相談事があるのですが」
「何かね?」
「実は、少々物資の置き場所に困っておりまして……」
独自にラボを持っている以上、ヒルマンは通常の格納庫とは別に資材倉庫を持っている可能性が高い。元はといえば、そう思い倉庫を間借り出来ないかと相談するつもりで声を掛けたのだ。
「ああ、そんなことかね」
ヒルマンは、皆まで言うなとばかりに軽く笑いつつ言って、マクシミリアンの肩を叩いた。
「私のラボの資材置き場を使うといい。そう広くはないが、君の部隊の装備一式ぐらいなら置けるだろう」
「助かります。何かと、御迷惑をおかけするかもしれませんが」
これで、当面の問題をひとつクリアすることが出来たわけだ。
そう思いつつ、マクシミリアンは暫くヒルマンとの会談を楽しんだ。


常ならばほとんど人の寄り付かないヒルマンのラボも、今日に限って言えば盛況であった。
マクシミリアンと幾らか語らった後には、リヒシュタイン直々に指名のあった有能な兵士――ウェイトリィのガンドール適性試験が控えていた。
「宜しくお願いします、博士」
挨拶するウェイトリィに軽く頷いて、ヒルマンは椅子のひとつに腰掛けるよう促す。
「まあ、掛けたまえ。機械の準備が出来るまで、問診のようなものをしよう。もっとも、大半は無駄話の類だろうが」
そう言って、軽く笑うヒルマン。ウェイトリィも、曖昧な笑みを返しつつ応じる。
「世間話でも、博士のような方から見たものでは自ずから自分などの考えとは異なるものもあるでしょう。良い経験、刺激になります」
「そう言ってくれるとありがたいが」
コーヒーを勧めつつ、ヒルマンは幾らか和やかな調子で続けた。
「しかし、今日は来客の多い日だ」
「自分のほかにも、誰か?」
ガンドール化を望む同志にしてライバルでも訪れたのであろうか。
そう勘繰りつつ、ウェイトリィは何気ないように装ってそう尋ねる。
「いやいや、203小隊のマクシミリアン少尉だよ。リヒシュタインの同志の。彼とは、少し世間話をね」
「そうですか」
と、ウェイトリィ。
「少尉もガンドール候補なのですか?」
「いや、特にそういう話は無かったが。いずれにしても、1小隊を任される幹部士官をガンドール化するなど、有りえん話だと思うがね」
「何か問題でもあるのでしょうか?」
尋ねるウェイトリィに、ヒルマンは少々唸りつつ答えた。
「ガンドールに限らず、サイバー化は人の精神に甚だ大きな負荷を掛ける。部隊の中枢たる指揮官に、サイバーサイコに陥る危険を犯させるわけにはいかん……というのが、リヒシュタインの考えだよ。一般的な認識にも、そう大きな差は無いのではないかな」
言われてみればその通りだ。自らの質問に苦笑しつつ頷くウェイトリィに、ヒルマンは付け加える。
「それに、ガンドールというものは、特殊な設計思想があってね。この意味でも、士官向きではない」
「と、いいますと?」
ヒルマンは、あまり話し過ぎるのもどうか、と、少しだけ躊躇したが、ウェイトリィもリヒシュタインの腹心には違いない、ということを思い出して、彼の好奇心に応じる決意をした。
「ガンドールというのは、単に強力なだけのサイボーグではないのだよ。彼らは、システム全体から見れば端末に過ぎない。あたかも、兵が軍という巨大な組織の目であり耳であり手であり足ではあるが、頭では有り得ないように」
――先刻も、同じような話しをしたな。
そう思いつつ、ヒルマンは長口上に備えコーヒーを一口すする。
「ガンドールは、その上位に中央制御装置と呼ばれるリンク・コンピュータを持つ。名目上は戦術支援用ということになっておるが、この中央制御装置こそが戦術構築の中心となる」
難解かつ複雑なシステムを、どうわかりやすく説明するかと少々考え、ヒルマンは続けた。
「作戦行動中、ガンドールから中央制御装置に絶え間無く戦術情報が送信される。これに対し中央制御装置は戦術行動判断を拘束計算し優先指示を決定、各ガンドールへと送り返す。これにより、ガンドールは隊全体として柔軟かつ的確に行動し、より有効な戦術行動をとることが出来る」
重要な技術的諸問題をとりあえず棚に上げ、そのように説明する。どのみち、細かなことを説明してもウェイトリィには理解できないのだから。
「兵士が捉えた認識をリアルタイムで伝送・解析し、より効率的かつ統制の取れた命令として自動制御でフィードバックする……要するに、指揮系統の完全電子化こそが、ガンドール計画の最も重要な課題であり目的なのだよ」
結論を述べて一息つき、ヒルマンは思い出したように付け加えた。
「もちろん、ガンドール単体でも充分な戦闘・生存能力をもっておるし、緊急時には独立動作できるよう設計はされているのだがね」
「なるほど、概要は理解できたように思います」
そう口にしてから、ふと気付き、ウェイトリィは訊く。
「独立動作できるよう設計はされているのだが、と仰いましたが、何か問題でもあったのですか?」
「先の出動の際にね」
ヒルマンは、幾分困ったように顔をしかめつつ答えた。
「XGD−8が、戦術指揮を離れるという現象が起こってな。恐らく、伝達系のトラブルなのだろうが、目下原因を調査中なのだよ。内蔵された簡易戦術コンピュータによる代替制御への切り替えも、上手くいかなかったらしくてな」
「では、実用には未だ問題ありということなのでしょうか?」
「XGD−8に限って、の話だよ、伍長」
少しばかり落胆した様子のウェイトリィに、ヒルマンは慌てて注釈を入れる。
「XGD−8は、兵士として充分な訓練を受けていなかった。それで、著しく精神状態が混乱したと考えられるのだ。残念ながら、現行の伝達回路は、そのように過剰な情報トラフィックに対して充分なキャパシティを備えているとは言い難い。これは、マクシミリアン少尉にも言ったことだが、人工神経を含む伝達回路の性能が向上すれば回避できる問題だ」
「もしくは、充分に訓練を積んだ兵士を素体とすることによって、ですね」
得心したように、ウェイトリィは頷く。少なくとも、自分はその条件を満たしているはずだ、と思いつつ。
「そういうことになるかな……おっと、準備が出来たようだ。伍長、悪いがあちらの計測室までご足労願えるかな?」
そのヒルマンの提案で興味深い無駄話は終わりとなり、二人は幾つかの試験を行うため席を立った。

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