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仲間と幾つかの気になる事象

葵が来栖川軍統合総司令である綾香から受けた指示は三つある。

第一の目的。
来栖川芹香の魔道書を持ち帰ること。
数ヶ月前ならば、それを「任務」と呼ぶ者を笑い飛ばしたことだろう。
が、混沌の侵攻を目の当たりにすれば、それは極めて重大な使命だと思える。
芹香の魔法が、混沌に対して有効な力であることは、既に実証済みだった。
そうでなければ、葵は今頃こんなところにいることは出来なかっただろう。
第二の目的。
来栖川家にいた者たちの安否を確認すること。
これには周辺地域の住民も含む。
来栖川本邸には地下シェルターが備えられており、そこに人が残っている可能性は十分に考えられる。
生存者がいた場合、可能な限りの者をハワイへ避難させること。
第三の目的。
HMX−13セリオの回収。
混沌の侵攻時に何が起きたのか、それを読み解く手がかりとなるかもしれない。
衛星を通じてデータを交換することも可能ではあるが、混沌の侵攻以降地球上あらゆる地域で電波障害がひどく、量が増えると正常なデータが取得できない可能性もある。
頭部メモリーボックスだけでも回収できれば、混沌に対する今後のアクションに多いに寄与するだろう。

無論、葵一人でハワイからここまで来たわけではないし、これらの理由だけで今のところ安全なハワイを抜け出してきたわけでもない。
より大きな問題として物資の枯渇というものがあり、葵は物資確保のための遠征艦隊に随行して来たのだ。艦隊は、数十キロメートルほど離れた湾岸コンビナートに停泊している。
元来の目的が各種物資の確保であるから、乗組員の大半はそちらの作業に従事している。その本隊を離れる人員は少ない方がいい。
だから、葵はサポートを付けようという綾香の申し出を丁重に辞退し、来栖川邸までやってきたのである。
ほんの少し、ノスタルジックな感情が無かったとも言いきれないが。

大きな扉の前で、葵は一度街へと視線を移した。
文字通り歪んだ街並みと、上空を旋回する数匹の異形の鳥が見て取れる。鳥は今のところ来栖川邸や葵には興味が無いようで、街の上空から離れる様子は無かった。
最後までこちらに無関心でいてくれると助かるのだけれど。
そう思いつつ、葵は扉を押してみる。
かなりの力を加えているつもりだが、まったく動かない。
鍵を確認してみるが、物理的な鍵は開いているようだったし、綾香から借り受けたカードキーはそもそもシステム自体が動作していなかった。
内部から、何らかの方法で固定されている。
そう結論付けると、葵は僅かに興奮を覚えた。
それは、この屋敷の内部に人がいる――あるいは、いた――可能性を示していたからだ。
葵は、CDSに内蔵されている無線で通信を試みる。
呼び出し先は、源五郎より教えてもらったHMX−13セリオのテスト回線だ。
数度コールを送ってみるが、返答は無い。セリオが現在稼動状態に無いのか、あるいは通信できない場所にいるのかはわからない。
一つ言えることは、こうなると内部から扉を開けてもらうという選択肢を消さざるを得ないということだ。
ごくりと唾を飲み込んで、葵は慎重に屋敷の周辺を回りつつ状況を確認した。
予測は出来ていたことだが、扉という扉、窓という窓、すべてが固く閉ざされ封印されている。
二階以上の窓には破られた形跡があるものもあったしバルコニーは無惨に破壊されていたが、見た限り現在は一階同様封印が施されているようだ。
一通り周囲を調べて回ると、葵は裏手の扉のひとつに張りついた。
兼ねてより綾香に聞いていた、最も侵入に適している――昔日は、綾香が屋敷を脱走するのに適していた――勝手口だ。
勝手口などと呼称してはいるが、並の家の玄関程度の造りではある。
葵は、その扉が動かないことをもう一度確認して、シート状の指向性爆薬を要所に張りつけた。
幾らかの優美ささえも醸し出す外観とは裏腹に、この屋敷の壁はそう易々と破れるほど脆くは出来ていない。
僅かに古い時代に増築された場所に、携帯爆薬で切り取れる程度の多少脆い部分があるに過ぎないのだと綾香は言っていた。
爆薬に起爆コードを突き刺し、数メートル離れスイッチを捻る。
バフッ、と低い爆発音と白い煙を残して、爆薬は扉の蝶番の無い三つの辺を焼き切った。
扉に手をかけ、ぐっと押しこむ。
ギィギィと抗議の音を立てながら、扉は僅かに奥へと開いた。
どうやら、内部から板――鉄板を含む――を打ちつけられた上、その前に用途を間違えられた高級家具が積み上げてあったようである。
数センチばかりしか開かない扉に、葵は軽くため息をついた。
いくら葵が小柄だからといって、潜り込めるような隙間ではない。
葵はCDSの腰部コントローラーに指を躍らせ、パワーリミッターをOFFにした。
着用者に対する身体的な負担の高さと制御の厄介さから普段は抑えられているCDSのパワーモジュール出力を最大限に引き出し、もう一度固く閉ざされた扉をこじ開けようと力を込める。
扉が嫌な軋みを上げながら徐々に開き、漸く体がすり抜けられる程度の隙間が出来たところで葵は内部に侵入した。
すぐに、入ってきた扉――既に『元』扉というべきだろうが――を、やはり力ずくで再度封印する。
CDSのパワーを最大限に活用して、扉を押えていた調度品の数々を積み上げる。
そのような作業をしている時だった。
カチリ、と乾いた微かな金属音が耳に入る。
今の葵にとっては、お馴染みの音。
銃の撃鉄を引き起こす音だ。
葵が慌てて振りかえるのと、廊下の先にハンドガンを構えた男が現れたのは、ほとんど同時だった。
「動くな!オレの言葉が理解できるならな!」
一瞬だけ早かった男の方が、鋭く叫びながら葵に銃口を向ける。
その姿を見たとき、葵は状況も忘れて泣きたいという衝動に駆られた。
男は、葵にとって顔馴染だったからだ。
「藤田先輩・・・・!」
藤田浩之。
それが男の名だった。
かつて、ふとした出会いから格闘技の練習に付き合ってもらったりした、昔日葵が敬愛した――好意を持ったと言いなおしてもよい――先輩の一人。
「へ?」
思わず自分の名を呼ばれ、浩之はあっけに取られる。
だが、彼のことを先輩と呼ぶ者など、数えるほどしかいない。
消去法で可能性を潰せば、見事に一人しか思い浮かばないくらいに。
「まさか・・・・葵ちゃん、か?」
「はい!私です」
言いつつCDSのヘルメットを取ろうとすると、警告音が鳴った。NCDが装甲に付着したままだからだ。
葵は、浩之に少し離れていてもらうよう頼んで、NCD洗浄装置を稼動させた。洗浄シャワーなどが使用できない際に、流動粘液で付着したNCDを流し落とす仕組だ。完全にというわけにはいかないが、これでだいたいの抗NCD処置は終わる。
機体洗浄を終えると、葵は浩之に駆け寄り、もどかしく思いつつヘルメットを脱ぎ、頭を下げた。
「お久しぶりです、藤田先輩!」
「お、おう」
軽く手を上げて応じつつも、浩之は驚きを隠せない。
まさか、松原葵とこんな場所でこのような形で再会するとは、まさしく夢にも思っていなかった。
「いったい、どうして・・・・」
浩之が言わずもがなの問いを発しようとした時、屋敷の奥から数名分の足音が聞こえた。
程なくして、向こうの角から三人の女性が顔を見せる。
「浩之ちゃん」
「藤田クン」
「藤田さん」
口々に浩之を案じて名を呼び、駆け寄ってきた。
全員、葵が知っている顔だった。
赤っぽい髪に黄色いリボンの少女は神岸あかり。藤田浩之の幼馴染で、葵の知る限り恋人であったはずだ。
眼鏡が知的な印象を与える少女は保科智子。藤田浩之の同級生で、出身は神戸だったはず。
そして、銀細工のように細く見事なロングヘアの少女は姫川琴音。彼女の姿を目にして、葵は涙腺が緩むのを止められなかった。彼女とは、直接交友があったのだから。
「葵ちゃん!どうして、ここに・・・・」
「琴音ちゃん!よく、無事で・・・・」
僅かな驚きの後、二人は抱き合って再開を祝した。
ふっ、と表情を緩めつつ、浩之はさしあたってのことを提案する。
「とにかく、下に戻ろうぜ。詳しい話はそれからだ」
誰にも異存はなく、彼らは地下シェルターへと葵を案内した。



「フォックス・ベビーよりライオン・マザー。応答願います。こちらフォックス・ベビー、松原葵」
シェルターに案内された葵は、とりあえず本隊に連絡を取っていた。
幸いにもシェルターには僅かに自家発電の電力が残っている。
とは言っても、セリオやマルチといったメイドロボを常時起動させておけるほどの余裕はなかった。
先刻葵の呼びかけにセリオが応答しなかったのも、彼女が稼動状態になかった――サスペンド・モードですらない、完全な休止状態であった――ためである。
しかし、救援が来た以上は、もはや消費電力を気にする必要もない。
備え付けの大型無線を使用して救助を求めた方が、遥かに実利的というものだ。
数回コールすると、電波障害で歪められた声が、スピーカーの向こうから届けられた。
『こちら、ライオン・マザー・・・・聞こえるぞ・・状態・・・・よくはないが。とにかく聞こえる。どうぞ』
「了解。フォックス・ベビーは生存者を確認。残念ながら来栖川会長夫妻は死亡が確認されましたが・・・・生存者輸送のため、車輌の空輸を要請します」
『了解。来栖川翁のことは残念・・・・で・・・人数は?C−10Sの輸送能力にも限界・・・・人数を知らせよ』
葵はちらりと、浩之の方を見た。
慌てて、浩之は指折り数え始める。
「ええっと、来栖川の人が八人だろ?あとあかり、雅史、委員長、理緒ちゃん、琴音ちゃん、矢島に、岡田、松本、吉井、それと子供が二人。で、マルチとセリオも入れて二十一人ってとこか?」
幾らか困ったように笑って、葵は訂正を求めた。
「先輩、自分を入れてませんよ?」
あ、っとバツが悪そうに頭を掻く浩之に苦笑しつつ、葵は報告する。
「現在、私を含めて二十三名。繰り返します、人員は二十三名。装甲輸送車一両で間に合うと思います」
『了解・・・・場所は?』
「現在地は来栖川本邸。NCD装備が不充分です。出来るだけ近くに降ろしてください」
『善処する・・・・他に報告は?』
「魔道書に関してはこれより確認します。人手はありますので、可能な限りのものを持ち出すつもりです。それから、芹香さんの言っていた古書店については、その所在すらもわからない状態です。捜索は困難と判断、調査を打ちきります。以上、報告終わり」
『了解。今後とも・・・・幸運を・・車輌は・・・二時間で手配・・・・OK?』
「OKです。通信を終わります」
無線を切り、葵は浩之に向き直った。
「二時間後には、輸送機が車を投下してくれるはずです。本当は輸送機そのものを使いたいところですけど、滑走路がないから仕方ないですね」
「ああ、助かるぜ。いつまでも、ここに居るってわけにもいかないとこだったしな」
一瞬言い淀んでから、浩之は続けた。
「でも、変わったな、葵ちゃん・・・・本物の軍人みたいだぜ。いや、軍人なんか映画でしか見たことないんだけどさ」
「そう、ですね」
ほんの少し寂しげに微笑んで、葵は答える。
「変わったと思います、自分でも。なにしろ、命がかかってますし」
「だよなぁ・・・・オレたちも、必死だったもんな」
微かにため息をついて、浩之はこの数ヶ月に思いを馳せた。
突然の混沌の侵入。
あかりたちを連れ、来栖川を頼って逃げ延びた必死の逃走。
幾ばくか隠されていた銃器を使っての、ささやかな防戦。
内側から封印した邸内での、外界と隔離された息の詰まるような暮らし。
八方塞の状況の中で、いつも絶望と隣り合わせに生きてきた数ヶ月。
この期間を葵がどのように送ったのか、浩之には知りようもなかったが、いずれにせよ苦難を味わってきたことだろう。
自分たちと同じか、あるいは、それ以上に。
感慨に耽る浩之に、葵が声をかけた。
「先輩、二階を調べるのに、何人か人を出してもらえませんか?」
「調べる?何を調べるんだ?」
「主に、芹香さんの私室です。魔道書と魔法関連の材料や薬品を持ち帰るのも、任務の一つなんです」
「ああ、それじゃ、適当なヤツに声をかけてみる」

魔道書他の魔法関連アイテム捜索・搬出に加わったのは、保科智子を筆頭にセリオ、浩之、それから来栖川家で執事を務めていた北倉という男であった。北倉は三十四歳になる元自衛官で、浩之たちに銃の使い方その他戦い方を教えてくれた人物だ。
葵も参加を望んだのだが、脱出の際に存分に働いてもらわねばならないから今は休むように、と浩之に説き伏せられて、シェルターで仮眠を取っている。
作業としては、智子が要領よく指示を出し、セリオが魔道書の類を探り出す。そして、それを浩之と北倉が階下へ搬送するという具合に行われた。
一時間を少々過ぎたあたりで、持ち出すべき荷物――芹香の所持する魔道書のほぼ全部と用途不明の材料・薬品の類すべて――の大半は一階のフロアに整然と並べられた。
「これで全部かな?」
数冊の魔道書を抱えながら、北倉が訊く。
「メモにあった分は、それで終わりです」
関西人独特のイントネーションで答えて、智子は更に指示を出した。
「北倉さんは、それを持っていって他のみんなの様子を見といてください。セリオ、アンタは荷物の整理。速やかに積みこめるように、手配しといてや。あと、藤田クン。他に役に立ちそうなモンがないか探すで」
「わかった。それじゃ、これを置いたら念のために武器の類をまとめておくことにするよ」
気さくに答えつつ、北倉は部屋を出ていった。
セリオも、一礼して階下へと降りてゆく。
「んで、委員長。探すって、何を探すんだ?」
智子は、傍らに立つ発想力の貧困な男を見やって、大仰にため息をついた。
「松原さんの話やと、あのバケモンどもには魔法っちゅうのが効くんやろ?せやったら、それっぽいもんを探すんや」
「って言っても、この部屋のもんは大概運び出しちまったぜ」
そう反論する浩之をジロリと睨みつけて、智子は応じる。
「まだ、旦那サンの部屋とかは見てへんやろ?そら、銃とか持ってくる時に武器の類は取ってきたんやろうけど。なんせ、金持ちの家や。他にも怪しげなモンが置いてあっても不思議やない」
多分に偏見の入り混じった意見だが、まあ、この際やれることはやっておくにこしたことはない。
いつかセバスチャンに聞いた話では、芹香が魔法に興味を持ったのは、彼女の母親が欧州旅行の際に入手した魔道書を見てからのことらしい。その経緯からいけば、芹香の母親がオカルトにそれなりの興味を持ち物品を集めていたとしても不思議ではないだろう。
そう思って、浩之は智子の意見に従うことにした。
あちこちを探し回るうちに、幾つかの奇怪な書籍(それがいかなるものか、浩之たちが知る由もなかった)や水晶球(いわくがあるかどうかは、これまたわからない)など、多少の成果があがった。
途中、綾香の私室で下着類が入ったタンスを浩之がひっくり返し、智子のきついツッコミを受けたりしたのはご愛嬌だ。
そのような、どうでもいいことにまで手を広げていたからだろう、浩之は来栖川夫人が使用していたと思われる鏡台を漁っていたときに、興味深いものを幾つか発見した。
台座に収まってもいない宝石類が幾つかと、少々大振りの、刀身が曲がりくねったナイフである。
「なあ、委員長。コレなんか、結構それっぽくないか?」
冷静に考えると意味を掴みにくい日本語でそう言って、浩之は宝石が詰まった袋を智子に渡す。
「メノウに、これは紫水晶やろうな。まあ、言われてみればそんな気もするわ。で、そのナイフは?」
「ん?ああ、変わってるだろ」
そのナイフの特別な価値を、浩之たちが知る道理もない。しかし、それは魔術的な儀式に使われる霊的な力を宿した逸品だった。
見る者が見れば、それがただの刃物ではないことは感じ取ることが出来ただろう。
「まあ、いざって時の護身用にもなるやろうし、とりあえずアンタが持っとき」
「ああ」
軽く答えて、浩之はそのナイフを鞘ごとベルトに差す。
他に、来栖川翁のものと思われる日本刀やサーベルなどの刀剣類を数本見つけたあたりで小一時間ほどが過ぎ、二人は探索を中断して階下へと降りた。

一階ホールには、既に全員が待機していた。
浩之たちがやってきたのを確認して、葵は皆に向き直って説明を始める。
「では、脱出の手順について説明します。もうすぐ、C−10Sオールオーバー艦上輸送機がこの近くに装甲輸送車を投下してくれるはずです。私たちは、この輸送車を使って臨海コンビナートに停泊中の戦闘空母ダンデリオンを目指します」
一旦言葉を切って、葵は緊張した面持ちで付け加えた。
「航空機を使う以上、混沌の魔物にこちらの動きを察知されることは覚悟してください。本来なら、輸送機そのもので迅速に戦線を離脱するか、あるいはヘリを使いたいところなんですけど、ここには滑走路がありませんし現在ヘリは別任務に割かれていますので、このような危険を犯すことになります」
「まあ、仕方ないさ。連中に襲われるのも、初めてってわけでもねーしな。なんとかなるだろ」
葵の緊張をほぐそうととしてか、ことさら軽い調子で浩之が茶々を入れた。
苦笑しつつ、北倉が口を挟む。
「とはいえ、まったく考えなしというわけにもいかんだろうな。装甲輸送車の運転は私がやろう。昔取った杵柄で、慣れている」
「そうだな。その分、葵ちゃんは化物どもに気をつけてくれよ。もちろん、オレも手を貸すけど、正直自信がねーし」
困ったような表情をしつつも、葵はその提案を受け入れた。実際、混沌の怪物と戦闘状態に入ったとなると、運転席に縛られずに済むのは確かに有り難い。
「では、その方針で。皆さんにはNCD装備がありませんので、輸送車が投下され次第私が取ってきます。玄関に付けますから、そこで北倉さんと運転を交代しましょう。湾岸コンビナートまでの道は?」
「わかってる。以前とそう変化がないんなら、大丈夫だろう」
北倉の答えにうなずいて、葵は説明を続けた。
「輸送車をつけたら、申し訳ありませんが、皆さんでここにある物資を積み込んでください。それが終わったら、皆さんを乗せてすぐに出発します。輸送車落着から五分以内に出発できるよう、努力願います」
そう言っている間に、甲高いジェットエンジンの咆哮と、レシプロエンジンのややくぐもった低い爆音が響き始める。
「来ました!」
若干興奮気味に言って、葵は先刻封印を解き外を覗けるようにした窓に張りついた。
まだ点のようにしか見えないが、複数の航空機が飛来するのが見える。
「C−10Sだけじゃない?この音は、ダイバー1。しかも、複数」
「ダイバー1?」
怪訝そうに尋ねる浩之に、葵は説明を加えた。
「F/T−1ダイバー1。艦上急降下戦闘爆撃機です」
「ということは、航空支援を受けられるってことかな?」
北倉の問いに、葵は頭を振った。
「そうかもしれませんが、あまり期待はしないで下さい。混沌に対しては、航空機はそれほど効果的な戦力じゃないんです。ともかく、装甲輸送車を取ってきます。皆さんは、脱出の準備を。それと、このANBCBT錠剤を、一錠づつ舐め溶かしておいてください。気休めですが、抗NCDの効果があります」
そう言って腰のポーチから錠剤パックの束を取り出して浩之に渡し、葵は対混沌ライフルを抱えて玄関の大扉から外へと駆け出した。
「雅史、矢島、いざって時は、いつでも援護に入れるようにしとくぜ」
「うん、わかったよ、浩之」
「まあ、女の子一人に任せっきりってわけにもいかないだろうしな」
浩之は、来栖川翁のコレクションの一つであったワルサーP−38自動拳銃、雅史と矢島は、これまた来栖川翁の持ち物であった猟銃を手にして扉に張り付く。
少々超法規的な手段で、やはり来栖川翁が所持していたシグ・ザウエルP220自動拳銃を腰に、64式小銃を手にした北倉は、なかなかどうして、葵にしても浩之たちにしても手際がよい、などと思いつつ窓に張り付いて外の様子をうかがった。
航空機は既にかなりの近くまで接近している。
中型の輸送機が一機、小型のジェット戦闘機が四機。それなりの戦力だ。
もっとも、これが人間相手の戦争であればな、と北倉は心の中で付け加えた。
その視界の端には、航空機に接近する十体あまりの黒い飛行物が捉えられていた。

『カンガルーよりフォックス・ベビーへ。聞こえるか?現在状況を知らせよ』
「こちらフォックス・ベビー。感度良好!来栖川邸正門付近にて待機中。救助対象は邸内一階にて待機中」
『了解。これより投下作戦に移る。高度500より投下予定。視界は良好、必ず五百メートル以内に落としてやる。ダッシュで拾ってくれ。ウルフ・チームが敵さんに波状攻撃をかける予定。わかっているとは思うが期待はするな』
「了解。資材人員の回収があります。五分だけもたせてください」
『努力はするが保証はしかねる。カンガルーは装甲輸送車投下後、戦線を急速離脱する。クラブ・ウルフはカンガルーに随伴、護衛しつつ離脱の予定。残り三機で、出来る範囲のことはやる』
「はい。無理はなさらないように」
上空の輸送隊との交信を終え、葵は周囲に注意を払いつつKM−18AC対混沌コマンドライフルを腰溜めにして慎重に身構えた。
ダイバー1の編隊が敵を引きつけてくれるはずだが、万一の備えが出来ないようでは生き残ることはできない。
輸送車投下までは隠密をもって、その後は迅速をもって事にあたるべきだ。
今はまだ、静かに備える時。焦りは禁物である。
自然と震える体を、深く息を吸い込んで抑える。
この震えはパワーの源。
かつて浩之が言ったように、葵は自分自身にそう言い聞かせる。
C−10Sオールオーバー艦上輸送機の巨体が、葵の頭上を過ぎ去た。
その白亜の機体に数匹の魔物が取り付いているのを見て取り、葵の心臓が鼓動を早める。
更に数秒が過ぎて、オールオーバーがその尾部から鉄の塊を吐き出し、空に純白の落下傘が開く。
ちょうど、葵から見て風上。
輸送隊は、無理をおして葵たちにとってベストな状況を作ろうと努力してくれている。その意思を無駄にすることは出来ない。
葵は、門の陰から飛び出し、輸送車の落下予測地点へと駆け出した。
C−10Sに取り付いていた魔物の一匹が、よく目立つ落下傘目掛けて飛来するのが見える。
(距離は!?)
自ら心中で発した問に答える間もなく、葵はライフルを構えて上空に向け発砲した。
初弾は、外れ。
次弾も、当った様子は無い。
焦るな、と自分に言い聞かせて放った三射目が、漸く魔物の翼を捉えた。
当りさえすれば、対混沌ライフルの効果は絶大だ。
魔法的処置が施された銃から発射される、やはり魔法的な処置を施した弾丸は、容易に混沌の魔物をバラバラにする。
奇怪な叫びを上げ、片翼を失いそれ以上滞空出来なくなった魔物が、地上に向けて落下する。
「いけない!」
その落下位置を確認して、葵は短く叫んだ。
それほどの間を置かずに、魔物は屋敷の屋根に二度バウンドして正面扉の前に落ちる。
放置は出来ない。
だが、葵の位置から撃てば、もし外した場合に屋敷に弾が当たる。手にしているKM−18ACの威力では、壁はともかく扉は貫通する。内部に待機する人々の安全を考えれば、この位置からは撃てない。もっと射程が短く威力の小さな武器を用いるか、あるいは射線をずらす必要性があった。
しかし、単純に目の前の魔物だけを考えていてよい状況でもない。
魔物が上げた叫びは他の魔物の注意を喚起したであろうし、葵たちが必要に応じて十分な時間と量の航空支援が受けられるわけでもなかった。
装甲輸送車の降着点に駆け込み、降着作業を行う必要性もある。そのまま落ちるに任せていては、無理な方向から落着し破損、あるいは横転する可能性があるためだ。並の乗用車ならばともかく、装甲化された大型車輌を引き起こすには、葵のCDSのパワーゲインは不足していると言わざるを得ない。
だが、やはり目の前の敵を放置し、浩之たちを危険に晒すわけにはいかなかった。
葵はKM−18ACの安全装置をロック、左腰部のマウントに固定して、右腿のマウントからP−99改対混沌ピストルを引き抜く。
(接近戦で速やかに魔物を排除するしかない)
その判断は、葵の甘さの表れだろう。
冷静に考えれば、ほぼ唯一の脱出手段である装甲輸送車の確保以上に重要な行動目標は無いはずだ。
ここで目の前の敵を排除し浩之たちの安全を確保しても、そのために装甲輸送車を失う、あるいはその確保に想定外の時間がかかるような事があれば、彼らは皆、より大きな危険に晒されることになる。
そのことを、的確に認識している者もいた。
ガシャンッ!
盛大な音を立てて、来栖川邸の大きな窓の一つが崩れ落ちた。
そして、そこから身を乗り出した北倉は、64式小銃を肩に構えて一斉射した。
十数発の弾丸が轟音と共に吐き出され、うち数発が玄関先の魔物にヒットする。
64式小銃は、軍用銃の大勢が高速軽量の5.56mm弾に移行する以前の設計思想で開発された銃だ。そのため、突撃銃・狙撃銃どっちつかずの性能と特性を持っており、使用されている7.62mm弾には近距離から撃てば人間を文字通り吹き飛ばすほどの威力がある。
混沌の魔物といえど、そう容易に物理法則を捻じ曲げることは出来ない。
たまらず数メートルほど弾き飛ばされ、ごっそりと身を削られた魔物は、数回地面にバウンドしてそのまま動かなくなった。
「装甲車を!」
短く叫ぶ北倉に、拳銃片手に駆け出そうとしたまま固まっていた葵は、ハッと我に返りうなずいて別の方向へと駆け出した。
正面扉前の浩之たちも、僅かに扉を開いて外の様子をうかがい臨戦体勢にある。
浩之たちとて、この数ヶ月何の困難も無く生き延びてきたわけではない。
葵は、自分一人が戦えるかのように錯覚していたことを恥じた。
同時に、今自分が成さねばならないことを再認識する。
とにかく、脱出手段の確保が最優先だ。
危険を冒してここまでそれを届けてくれた仲間たちのためにも、これから救出しなければならない新たな仲間たちのためにも。

とっさの判断で窓を叩き割り魔物への攻撃を敢行した北倉を、浩之は、さすがだ、と思った。
実のところ、鍵穴から外をうかがっていた浩之も魔物が扉を隔てたすぐそこに落ちてきたことはわかっていたのだが、突然だったということもあり対応に窮してしまったのだ。
64式小銃のマガジンに弾を詰めている――見本品として来栖川翁に贈られたものなので、残念ながら予備弾倉までは用意されていなかった――北倉を眺めつつ、浩之は軍事的な訓練を受けている者の強さを感じていた。
全体の状況を正確に捉え、的確に判断し、迅速に行動する。
口で言うのは簡単だが、実践するとなれば話は別だ。
少なくとも、その場その場で適切な行動が取れるようにならなくては。
そう思いつつ、浩之は腰のホルスターに放り込んである予備マガジンに何となく手をやった。
「熱ッ!」
と、不意に異様な熱を感じて手を引っ込める。
「どうかした、浩之?」
どうにも緊張感のない声で、雅史が尋ねる。幼い頃から一緒にいる親友だが、浩之にも今一つ掴めない部分がある男だ。
この事態にこれだけ平静でいられるというのは、ある種才能ではないだろうか、などと場違いなことを考えつつ、浩之は簡単に答えた。
「いや、なんか、熱かったんでな」
「熱かった?」
矢島は、怪訝そうな顔で浩之に説明を求めた。矢島は矢島で、かつての級友である浩之の性格を掴みかねている部分がある。まして、その浩之と更に性格の読めない雅史の会話の意味となると、わけがわからない場合も多い。
「ああ、腰の辺りに・・・・」
答えつつ、浩之は手に触れた熱の正体を探ろうと自分の腰に視線と手を向けた。
すぐに、その熱源が先刻回収した奇妙なナイフであることに気付く。
先ほどは不意のことだったので思わず声を上げてしまったが、それほどの熱ではない。人肌よりも少々熱い程度のものだ。
「こいつ、だな」
鞘から引き抜いて、波打つ刃をかざす。
薄暗いホールなのでわかったことだが、僅かに発光すらしているようだ。
「クリスナイフ・・・・」
囁くような声に、浩之は振り向く。その先には、色素の薄い透けるような長髪の少女、姫川琴音が立っていた。
「知ってるのか、琴音ちゃん?」
浩之の問いに、琴音は怯えるように胸の前で手を組んで、ぽそぽそと答える。
「はい・・・・魔法的な、儀式用のナイフだったと思います。以前、何かの本で読んだような気がします」
「魔法、儀式、か」
そう呟き返して、浩之は幾らか辛そうな顔をした。
琴音は、超能力――厳密には所謂念動力、サイコキネシス――の使い手だ。
その事実は、ごく限られた者しか知らない。
暴走した超能力が招いた誤解と偏見がどれほど彼女を苦しめたか、それを知っている者となれば更に少数だ。
少々の偶然と浩之のお節介がなければ、当の本人もそれが念動力であることに気付かなかっただろう。
それ以前に彼女がどう思われていたかと言うと、『不幸の予知』専門の予知能力者――口さがない連中に言わせれば疫病神あるいは霊媒女――というものだった。
今では、それなりに念動力をコントロールすることも出来る――依然不安定という感は否めない――が、彼女の力が誤解されていた頃には、それこそ必死で彼女が周囲にもたらしている不幸を抑えようと努力していたはずだ。琴音がオカルト関係の知識を得る契機といえば、その辺りに動因を求められるのではないだろうか。
浩之にはそういった事情がわかるだけに、単純に彼女の意外な知識を歓迎することも出来ない。
それに、当面このナイフの効用について追求する必要性も無いはずだ。
そう思って、浩之はそれ以上の詮索はしないことにした。魔法的な問題は、ハワイで葵たちの帰りを待つという芹香に任せておいてもよいだろう。
「おっと。そろそろ、車が降りてくるぜ。みんな、脱出の準備をしといてくれよ」
幾らかわざとらしくそう言って、浩之は扉の隙間から外の様子をうかがった。

「すごい精度。輸送隊に感謝しないと」
装甲輸送車の降着姿勢を整えつつ、葵は輸送隊の技量に舌を巻いていた。
正面玄関から百メートルも離れていない位置だ。無論、多少の幸運もあるのだろうが、ほとんどベストといってもよい場所に装甲輸送車はゆっくりと降着した。
葵は、急いで装甲輸送車に取りつき、降下用のパラシュートを切り離す。それを打ち捨てると、操縦席に滑り込んだ。
キーを回すと、ディーゼルエンジンが重い唸りを上げる。状態は良好、破損も無いようだ。
慌てず、しかし急いで正面玄関へと回る。
玄関が屋根付きのロータリーになっているのは都合がよかった。NCDを付着・吸飲する可能性を、多少なり軽減してくれる。
やや乱暴な運転で装甲輸送車を玄関に横付けし、葵は運転席から飛び出す。
ほぼ同時に玄関の扉が開け放たれ、浩之たちが顔を見せる。
葵は、輸送車の後部ハッチを開放しつつ指示した。
「車内のボックスから抗NCDマスクを取り出して着用してください。全員分あるはずです。それから、すぐに物資の搬入を。私は周囲の警戒に入ります」
「おう。こっちは任せてくれ」
浩之は車内に飛び込み、内部を確認する。
救難ボックスと思われる金属製の箱が二つ。サブマシンガンと思しきものが壁に四丁。他には、壁に沿ってパイプが折り畳んである。引き出せば簡易的なシートになるのだろう。
とりあえずボックスを開けると、中にはガスマスクと防弾チョッキを組み合せたような装備が詰めこんであった。
これが葵の言う抗NCDマスクだと了解した浩之は、それを数着掴んですぐ外に待機していた雅史に手渡す。
「こいつをみんなに。着込んだヤツから、荷物を運び込んでくれ!」
「ちょい待ち!北倉さんには、すぐに運転席に行ってもらい」
浩之の言葉を聞きつけた智子が、邸内から彼の指示を訂正する。
「藤田くん、アンタとセリオは松原さんのサポートや。一人の目で見張るには、範囲が広すぎるで」
なるほど、と納得した浩之は、輸送車の壁にかけてあったサブマシンガンを掴んで飛び降りた。
やってきたセリオに、抗NCDマスクを着用しつつ訊く。
「セリオは、周囲の警戒を頼む。迎撃はオレたちに任せろ。やれるか?」
「――はい。サテライト・サービスより警備プログラムをダウンロードします・・・・回線異常。アクセスは中断されました。基本機能による代替プログラムを起動・・・・起動終了。周囲状況の監視に入ります」
サテライト・サービスが使えないのでは、セリオは本来の十分の一も機能を活用することが出来ない。
まして、メイドロボはもとより戦闘用に作られているわけでもない。
セリオに銃を渡さなかったのも、彼女のプログラムが銃器の使用を許可していないことを知っているからだ。
浩之は少々不安を感じたが、それでもセリオの目は彼などよりよほど確かである。
こと警戒監視という部分に関しては、彼女の機能をアテにしても良いだろう。
「先輩。ここは私に任せて搬入を――」
「いや」
葵の抗議を、浩之は手を上げて遮る。
「委員長の言う通り、葵ちゃん一人じゃキツイだろ?全体の状況を見るってことに関しちゃ、委員長のウデを信頼していいぜ」
そんな会話が交わされるうちにも、物資の搬入は迅速に始まり、行われている。
陣頭で指示を飛ばすのは、委員長と呼ばれる保科智子だ。浩之の説明を受けるまでもなく、彼女の手際の良さが際立っているのはわかる。
その様子を見て、葵は軽くため息をついて浩之に答えた。
「わかりました。それじゃ、よろしくお願いします」
「おう」
短く答え、浩之は車輌前部に移動した。
葵は後方の警戒に専念し、セリオは車輌側面に立ち、その優れたセンサーで周囲の状況を精密監視する。
少し離れた上空では、三機の戦闘機が遠目には豆粒のようにしか見えない怪物を相手にドッグ・ファイトを繰り広げていた。
輸送機のプロペラ音は次第に遠ざかり、戦場から離脱しつつあることが窺える。
ややあって、セリオが声をあげた。
「――後方上空、建築物の上に生物と思われる動作音あり。御確認を提案します」
「来たかっ!」
そう叫んで自らに気合を入れ、浩之は屋根の上を視認できる位置まで駆け出した。
葵も、浩之とは異なる方角、相互にサポートできる位置に移動する。
一瞬、物資搬入を行っているメンバーの警護が気になったが、智子の指示によるものか、雅史と矢島が抜かりなく浩之と葵が抜けた位置へと移動して猟銃を構えていた。
浩之の言う通り、全体の指示は智子に任せておいて間違いはないようだ。
それよりも、今は目の前の敵である。
屋敷の方向からくるということは、輸送機に取りついていた連中がこちらへ向かってきたということだろう。
輸送機の追撃を断念したのか、あるいは当初の目的を達成してしまったのか、それが気にならないではなかったが、とにかく迎撃しなければならない。
適当な位置まで走りつつ、首を巡らせて敵を確認する。
すぐに、ロータリーのルーフに蠢く影を捉えることができた。
「二匹!」
まずいな、と思いつつ葵は振り返った。
正直言って、葵は浩之のことを戦力と考えてはいない。
正確に言えば、自分の受けてきた訓練に沿った戦闘行動を取れるとは思っていない。
多少なり混沌に対抗しうる武器を持ち相応に戦ってはくれるだろうが、刻々と変わる局面毎に葵の期待する援護なり攻勢なりをかけてくれるとは思えないのだ。
案の定、浩之は葵にとってあまり歓迎できない行動をとった。
「このっ!」
ガガガガッ!
短い叫びと共に、浩之の銃が一斉射される。
迂闊ッ!
内心舌打ちをしつつ、葵はライフルを構えた。
浩之の行動には、二点ほどまずい部分がある。
一つは、葵が射撃体勢に入る前に攻撃を仕掛けたこと。
一気に十字砲火を浴びせるチャンスであっただけに、あと二秒だけ待てなかったのか、という思いを禁じえない。
まあ、こちらに関しては大きな問題ではない。
素早く敵の出鼻をくじくというプラスの意味合いもあるし、これから葵が射撃を開始すれば敵を十字砲火に晒すことはできる。
問題はもう一点。
間合いが近すぎるのだ。
浩之と、魔物どもの。
ただでさえ、混沌の魔物と尋常な人間の運動能力には大きな開きがある。まして、敵は二匹でかつ飛行能力を持つタイプの魔物だ。
これでは、一気に間合いを詰められ格闘戦に持ちこんでくれと言っているようなものである。
CDSを着込んだ葵であれば、それもまた望むところであったろう。
だが、浩之の装備は魔物の鋭い爪を弾くようには設計されていなかったし、浩之自身格闘を得意としているわけでもない。
バスッバスッバスッ!
葵は照準を合わせるのももどかしく、三点バーストで魔物へ発砲する。
残念ながら、命中はしない。
葵の腕がどうこうという問題ではなく、いかに軽量高速の5.56mm弾を使用して反動を抑えているとはいえ、軍用ライフルというものは照準もせずにそう易々と当たってくれるほど都合の良い武器ではないのだ。
とにかく、これで少しでも魔物どもの注意を引くことができれば、多少なり浩之の危険を軽減できるだろう。
その葵の目論みは、半分だけ功を奏した。
二匹の魔物のうち一匹が、葵目掛けて飛びかかってきたのだ。
バスッバスッバスッ!
葵は、接近する魔物に対してもう一度だけ三点バースト射撃を行う。
それが、射撃戦の限界距離だ。
これ以上の接近を許せばライフルを取りまわせるような距離ではなくなるし、流れ弾が作業中の皆に当たる危険性も出てくる。
「外した!」
呟いて、葵は対混沌ライフルを投げ捨て、格闘用のクローを左右の腕から引き出した。
残念ながら、格闘戦で敵を排除するしかないようである。
考える間もなく、十数メートルの距離を飛来した魔物の爪が弧を描いて葵に襲いかかった。
「くっ!」
十分にスピードの乗った斬撃を、葵は左腕でブロックする。
ガリガリと装甲を削る嫌な音が響き、最新鋭のマグネット・アクト・モーターが空転する静かな唸りが耳を打つ。
なんとか、堪えた。
「セイッ!」
そのまま腰を捻り、葵は右正拳を繰り出す。
駆け引きも何もない、まっすぐな拳だ。拳の前に、鋼鉄をも削り取る超高張メタルブレードが突き出てはいるが。
ひらりと、魔物はその一撃をかわし側面へ回る。
葵も、その動きに追随し左のジャブで牽制した。
それが牽制とわきまえているのか、魔物は大きくは動かず少しだけ葵と間合いを取った。
こと戦闘に関する限り混沌の魔物は本能的なセンスを持っているらしく、意外にも格闘のセオリーが通じたりするのだから不思議だ。
葵は、スッと、魔物と装甲車の間に入るように位置を調整した。
これで、右腿にある拳銃の使用も――それを引き抜く余裕さえあれば――可能である。
だが、当たるか当たらぬかわからない拳銃よりは、葵はこのまま格闘で仕留める方を選んだ。
左右に牽制を混ぜつつ、慎重に間合いを測る。
正面からの攻撃はブロックし、左右からの攻めはインサイド・パリィでしのぐ。
「ヤッ!」
ほんの数秒の攻防の後葵が繰り出した左正拳を、魔物は大きく後ろへ跳ねてかわす。
それこそが、葵が待っていた瞬間であった。
「行け!」
突き出した左拳を、グイッと内側へ捻る。
バシュッ!
左腕に装着された三本の格闘クローが、勢い良く射出された。
吐き出された鋼鉄の爪は、微妙に拡散しつつ直進、うち二つが魔物の身体に突き刺さった。
葵のCDS『YS−1ケンプファー』が備える隠し武器のひとつ、クロー・シューターだ。
ワイヤーで繋がれた格闘用クローを射出するという単純な武装だが、格闘戦からいきなり使用すれば意外なほど効果がある。
葵が拳を戻すと、クローに接続されたワイヤーが勢い良く引き戻される。
上空へ逃れようとしていた魔物は、バランスを崩しつつ引き寄せられた。
そこへ、一歩踏み込み。
「ハァッ!」
震脚から渾身の右拳。
グシャリ、と嫌な音を立ててつつ、魔物の頭部が打ち抜かれる。
断末魔の痙攣。
生命力溢れる混沌の魔物も、さすがにそれ以上はピクリとも動かなくなった。
「先輩は!?」
勝利の余韻に浸る間もなく、葵は浩之の姿を求めた。
すぐに、呆然と立ち尽くす浩之が目に入る。
その足元には、崩れ落ちた魔物が横たわり、浩之の手には微かに陽炎のような揺らぎを見せるナイフが握られていた。
すぐには危険はないと判断した葵は、魔物の身体からクローを引き抜き、ライフルを拾ってから浩之に駆け寄った。
「先輩!」
声をかける葵に、浩之はハッと気がついたように向き直る。
「よう、葵ちゃん。無事だったか?」
幾らか苦笑しつつ、葵は答えた。
「はい。先輩も、怪我とかありませんか?」
「ああ、それは大丈夫だけどな・・・・」
歯切れの悪い浩之の言葉に、葵は怪訝そうに訊き直す。
「何か、あったんですか?」
「まあ、なんていうか、スゲェよ、このナイフ」
答えつつ、浩之は足元に転がる魔物の死体を指し示す。
それを見た葵は、さすがに息を呑んだ。
魔物の肩から腰にかけて、袈裟懸けに醜い傷痕がある。
斬られた、というよりは、焼かれた、という表現が適切なようにも見える傷痕。
「これは!」
「無我夢中でコイツを振りまわしてるうちに、いつのまにか」
そう言いつつ、浩之はしげしげと手にするクリス・ナイフを眺める。
「なにか、いわくのあるものなんでしょうか?」
「わかんねー・・・・」
俄かには信じられない、とでも言いたげな葵の疑問に、浩之も答えられない。
詳しいことは、ハワイの来栖川芹香に訊かねばわからないだろう。
彼女とて、この力について納得のいく説明ができるかどうか。
そう思っているところへ、輸送車の方から声がかけられた。
「藤田クン!松原さん!こっちはOKや!」
智子の声に、自分たちが置かれている状況を思い出した二人は、顔を見合わせてうなずき、装甲輸送車へと駆け出した。
「フォックス・ベビーよりウルフ・チームへ!これより脱出します。一分後に離脱を!」
上空の戦闘機隊へ通信を送りつつ、葵はNCD洗浄を済ませ輸送車へ駆け込んだ。



臨海コンビナートでは、かつての喧騒ほどではないにせよ、慌しく蠢く人や物に溢れていた。
回収すべき物資は山ほどある。
医療品、電子パーツ、化学燃料、生活物資・・・・およそありとあらゆるものを可能な限り運び出さねばならない。
たったひとつ、想定通りには手に入らなかったものもある――それは、人、だ。
周囲に残る混沌の爪痕が、ここも決して無事ではなかったことを示している。
これまで立ち寄った、あらゆる場所がそうであったように。
事前情報では多少なり期待された、生存者の救助という部分に関してはほとんど成果をあげることができていない。
だから、艦隊指令である来栖川綾香は今回の報告に相当な喜びを感じていた。
「報告します。フォックス・ベビーは作戦目標である魔道書、及び藤田浩之他救助対象者二十二名の確保に成功。多少の抵抗を受けつつも脱出に成功し、こちらへ向かっております。到着は約六時間後になる見込み。救助した人員の中には多少の衰弱が認められる者もいますが、命に別状がある者は居ません。以上です」
満足そうにうなずき、綾香はため息をついた。
「了解。葵は、上手くやったようね。それにしても、浩之がいたなんて。ずいぶんと懐かしく感じるもんだわ」
いつになくご満悦の美貌の司令官に、報告者は少しだけ軽口を叩いてみる。
「コンビナート及び中央研究所からの物資搬入も、あと半日ほどで終了する見込みです。どうやら、本作戦も予想されたほどの困難はなかったようですな」
「それは、どうかしら?喜ぶのは真珠湾に到着してからにした方が無難ね」
綾香は慎重だった。
混沌どもがどれほど危険で悪戯好きな相手であるか、相応に理解しているつもりだ。
このまま、何事もなく終わるとは思えない・・・・
「ファルコンアイを発進させて。葵が報告してきたほどの規模の混沌の拠点が、我々を黙って見過ごしてくれるとも思えないわ」


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