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恐慌戦士〜フィアフルソルジャー〜 ――7.仲間

「ったく、ムチャしやがるぜ、あんにゃろうは!」
士魂号の頭部に括り付けられた遠隔カメラから送られてくる映像を食い入るように覗きつつ、伍長は大いに興奮した様子でそう感想を漏らした。
「じゃけんど、当てたっちゃけんスゴかこつたい。あれなあれで、よかとばい」
ニヤニヤと笑みを浮かべつつそう言う整備長に、伍長はわざとらしく胸の辺りを押えつつ応じる。
「何がいいもんですかい。あんなん見せられた日にゃあ、俺らの寿命が縮みまさぁ」
「一端ン男ちゃあな、道具ン使い方ば、よう知っちょっとばい。素人ン使えんごつとも、どげんかこげんかして使うったい。やけん、強かと」
「はぁ……」
苦笑しつつも諭すように語られる整備長の言葉に今ひとつ納得いかない風の言葉を返し、伍長はモニターに視線を戻した。そこには、彼のお気に入りのパイロットと愛機が薙ぎ倒すキメラの群れが今は映し出されている。
さすがに、幾らか被弾しているようだ。あれだけの敵に囲まれているのだから無理もない。
今すぐに、すっ飛んで行って直してやりたいという欲求に苛まれつつ、伍長は歯噛みしながら事態の推移を見守った。
その映像にはやる気持ちを抑える努力をせねばならなかったのは、無論伍長ばかりではない。
偵察車に揺られ全軍の指揮を執る大尉も、その隣で各所に指示を与えつつ出撃の時を待ち受ける軍曹も、視線は滝川機から送られてくる映像に囚われがちだった。
「歯痒いな、軍曹」
「まったくです」
言葉少なに悶々とした思いを吐露し合い、二人は息を呑んで滝川の戦いを見守る。
荒れ狂う暴風に晒されたかのように、次々と打ち倒されてゆくキメラども。映像は、2秒以上同じ場所を映す事はない。次から次へと標的を変え、撃破したと思った瞬間には次の攻撃に移っている。
無人の野を征くがごとく縦横無尽に戦場を駆け、並み居る敵を悉く打ち倒す機械仕掛けの侍。その戦い振りに、大尉たちは驚嘆せずにいられなかった。
士魂号の性能もあろう。
だが、敵中深く無理矢理に斬り込み、援軍の当てもなく孤軍奮闘するなど、やはり並みの人間にできることではない。
それができる者を何と呼ぶか、二人は知っていた。
「我々は、あの戦士の勇戦に報いねばならない。成功と、勝利をもって」
「同感です」
決意を述べつつ、大尉はライトタイガーから送られてくる別視点の映像に目を走らせる。
戦場は、滝川の目論見通り動きつつあった。
「先行する中尉のライトタイガーに伝達! 神楽作戦を最終フェーズに移行する」
「了解! 最終フェーズに移行します」
復唱し、軍曹は無線を手に取った。
木立に身を潜め出番を待つ中尉のライトタイガーに向け、手短に作戦を伝える。
「ライトタイガー了解。これより、敵戦線に対し強行突破を敢行する」
通信を受けた中尉は、そう答えてから前方を見据え目を凝らした。
前面に展開していた幻獣どもは、鬼気迫る奮闘を続ける滝川の士魂号に惹かれるかのごとく、右手の丘陵へと移動している。
ミノタウロスやゴルゴーンの姿は、もう無い。出遅れたキメラが数体と、極端に足の遅いスキュラが一体、こちらに側面を見せているだけで、他に敵の姿は見えなかった。
「重MAT照準。目標、前方のスキュラ!」
「了解! 重MAT照準よし」
「撃て!」
号令に応じ、ライトタイガーが砲塔脇に抱える二本の発射管から、ジャイアントバズーカを凌駕する威力を秘めた巨大なミサイルが、轟音と閃光の尾を引きつつ宙へと躍り出る。騎魂号のミサイルランチャーと同様の有線誘導型で、命中精度にも優れる逸品だ。海岸線にあっては水棲型幻獣の迎撃にも用いられるという必殺の鉄槌は、超高速で這う蛇のように僅かに揺れつつ空を渡り、威容を誇る空中要塞に吸い込まれるように突き刺さった。
ゴゥッ、と雷鳴のごとき轟音。宙に咲く焔の華が、陽光さえも遮り周囲を照らす。
さしものスキュラも、巨大な身体を半ばほどまで空中で吹き飛ばされ、残った部分も急激に浮遊力を失い地へ墜ちる。攻撃性を追い求め極端なまでに肥大化した体躯は、地にあってその自重を支えることさえ出来ない。自らを圧し潰しつつ、消滅。
「命中! 目標撃破!」
「よし!」
興奮気味の報告に深く頷き、中尉は視線を走らせた。その先には、慌ててこちらへ向き直りつつあるキメラの姿があった。
残り2、いや3か。
スキュラに比べれば、まだしも組し易い相手ではあるが、それでも車輌で戦うには相当の覚悟がいる。
だが、それも滝川がおかれている状況に比べれば、何ほどのことがあろう。
「前方のキメラを叩く。操縦手、全速前進。砲手は適時砲撃を開始。歩兵隊、いつでも降車できるよう控え」
手際良く指示を与え、中尉はチラリと滝川機から送られてくる映像に視線を走らせた。当然だが、あちらはあちらで苦戦している様子。
今から救援に向かえば、幾らかは力になれるかもしれない。しかし、それが許されないことは論ずるまでも無いこと。
軽くかぶりを振り、中尉は目の前の敵に集中することにした。
いずれにしても、この残兵を屠らねば道は開けない。


「畜生ッ、キリがねぇ!」
滝川は、そう喚き散らしつつ右にステップを踏み、振り下ろされたミノタウロスの巨腕から逃れた。跳んだ先に、キメラからのレーザー照射。前のめりに短くダッシュ、ミノタウロスの脇をすり抜け、どうにか被弾を避ける。
これ以上の被弾は、致命傷になりかねない。巧みに立ち回り被害を抑えてはいたが、十重二十重に囲まれた状況下にあって無傷でいられるはずもない。
キメラの群れを蹂躙している間はよかった。だが、そこへミノタウロスが駆けつけると、状況が一変した。同じ乱戦でも、接近戦に向かないキメラを相手にするのと格闘戦に特化されたミノタウロスと遣り合うのとでは雲泥の差がある。
威嚇するように発生管を膨らませ、怒号を上げて突進するミノタウロス。
滝川は、半身になり盾をかざしつつ、正面から待ち受ける。
が、その構えは見せ掛けだけで、あともう半歩で接触、という危ういタイミングで左足を軸にクルリと一回転。ミノタウロスの足をかけつつ、回転の勢いを載せて大太刀を横薙ぎに振るう。撫で斬りに叩き付けられた刃は、しかし分厚い表皮に阻まれ、もうひとつ有効なダメージを与えることが出来ない。
それでも、その一体をいなし地を舐めさせたが、そのすぐ後ろに別のミノタウロスが控えていた。
連中も馬鹿ではない。時間差攻撃でも狙ってきたのだろう。
「くっ!」
短く唸り、滝川は碌にねらいも定めぬまま右手のジャイアントアサルト改を一射。カンだけを頼りに放たれた弾丸は、どうにか巨獣の腹を捉え、一瞬だけその足を止めることに成功する。
と、僅かに揺らぐミノタウロスの向こうに、更に一体の影が見えた。念には念を、とばかりに、三段構えの作戦らしい。
ならば、と、滝川は多目的結晶を通して瞬間的に優先行動指示を叩き込んだ。
士魂号は、低く腰を落としたかと思うと、小刻みな足さばきで一瞬にして猛烈なダッシュ機動に入る。
腰溜めに超硬度大太刀を構えたまま突進。そのまま突き抜けよとばかりに、切っ先を前面のミノタウロスに突き立てる。
さすがに、士魂号自体がミノタウロスの表皮を食い破り向こう側へ抜けるようなことは無かった。だが、充分な速度と破壊的な質量を載せた刃は軽々と巨獣の身体を貫き、それでも止まらず体当たりを食らわせる格好となった士魂号と串刺しにされたミノタウロスをもろともに、その背後に迫っていたもう一匹のミノタウロスへと激突。強靭な胸部を抉り、どす黒い血にまみれた白刃が背を破って顔を出す。滝川は、団子を刺す串のようにミノタウロスの身体にめり込んだ刃を引き抜くのに、少し苦労しなければならなかった。
ミノタウロスの胸に行儀悪く足を引っ掛けつつ、右手のジャイアントアサルトで周囲に展開したゴルゴーンとキメラを牽制。牽制ではあるが、当てるつもりで撃っている。ただ、照準に時間を掛けていないだけのことだ。
一発、二発。
銃口をキメラに向け、トリガーを引き絞る。
ドゥン、と重い音を響かせ撃ち出された砲弾は、二発目でキメラの身体の左半分を吹き飛ばした。
それを確認し、滝川は士魂号に素早く身体を捻らせた。思った通り、反対側面に展開するゴルゴーンが生体ミサイルの射撃体勢に入っている。
委細構わず、滝川は砲撃を実行した。
今度は相手の手前に着弾。さすがに、この状況、この照準精度で百発百中とはいかない。
しかし、眼前に撃ち込むことによってゴルゴーンを怯ませることはできた。その隙に、未だ左手の超硬度大太刀に突き刺さったままのミノタウロスの胸板を蹴り抜き、強引に引き剥がす。
間髪入れず、機を180度反転。
やはりというべきか、先ほど地を舐めさせてやったミノタウロスが、怒りを感じさせる不気味な唸りを上げつつ立ち上がろうとしていた。
距離、およそ20メートル。ジャイアントアサルト改の砲弾を消費するのはもったいない。
短い跳躍で、今まさに立ち上がらんとしているミノタウロスの直近に跳び込む。
起上がろうとしている巨獣の首が、ちょうど士魂号の腰辺りにあった。その首を、超硬度大太刀を振りかぶった士魂号が、さながら介錯するように背後から叩き落す。
と、そこで彼方に巨大な爆発。
遠距離光学モニターで様子を見れば、戦場正面に位置していたスキュラが、まさに墜落するところであった。
「中尉! ライトタイガーが動いたのかよ」
滝川は、その攻勢を、いささか早い、と判断した。もう少し時間をくれれば、重MATなど使うことも無く済むよう、幻獣どもを完全に引きつけられたのに。
だが、軽くかぶりを振って、滝川は考えを訂正した。
その少しの時間の間に、こちらが致命的なダメージを受けないとも限らない。実際、滝川は奮戦しつつも次第に追い込まれていた。ライトタイガーの攻勢によって、一時的にでも滝川が相手取る幻獣たちの注意が別の方向に向いたとき、胸中に、助かった、という感情が広がったのも事実である。
ありていに言えば、滝川は限界だと司令部が判断したのだ。そして、その判断は恐らく正しい。
では何故、まだ早い、などと思ったのだろう。
その疑念への答えは、すぐに見つけ出すことが出来た。現実の動きとなって。
悠然と旋回を始めるスキュラ。その主眼は、彼方のライトタイガーへと向けられようとしている。
更に、奥に位置するもう一体のスキュラは、一刻も早く戦場を突破せんと驀進するトラックの列を標的に定めたようだ。
乱戦にもつれ込み撃つに撃てない滝川機を狙うよりは、周囲に味方が展開していない目標を狙い撃ちにした方がよいと判断したのだろう。
まずい。
遠いが、射程距離内だ。
思うが早いか、舌打ちをしつつ士魂号をスキュラに向けた。
「冗談じゃねぇッ!」
背後の様子も確認せず、空中要塞に向けて一直線に突進する。なりふり構わず全速力で駆けているはずなのに、彼我の距離は果てしなく遠く思われ、時は進むことを拒否しているかのように長く感じられた。
「邪魔だァッ!」
進行方向に位置していたキメラを、駆け抜けざま一刀両断に斬り伏せる。その間も足は決して休めず、ひたすらに地を叩く。
グワン、と、何かが機体に当たる音。強烈な加速Gに加え、被弾の衝撃がコックピットを揺らす。
激流に弄ばれるような無茶苦茶な揺れに歯を食いしばって堪え、必死に機体姿勢を立て直す。その操縦は淀みなく、パイロットならば誰もが唸る神業の域にまで達していた。
漸くジャイアントアサルト改の射程距離にまで辿り着いたところで、横合いからミノタウロスが飛び出した。
「クソッ! こんな時に!」
歯噛みしつつ、滝川は超硬度大太刀を構える。さすがに、間近に迫ったミノタウロスを無視することは出来ない。
兎にも角にも、一刻も早くこの巨獣を突破しスキュラに一撃食らわせねばならない。お前の敵はここにいる、と、宣言してやらねばならない。
「このォッ!」
叫びつつ、滝川は真正面から力任せに大太刀を叩きつけた。
だが、それは焦りが生んだ滝川のミスだ。
士魂号には、正面からミノタウロスを押し切れるほどのパワーはない。
左の巨腕でその一撃を受け止めたミノタウロスは、大太刀が食い込む腕の激痛に狂おしく吼えつつ、槌のごとき右腕を士魂号に繰り出した。
強烈極まりないフックが士魂号に迫る。
「!!」
何故そんな無茶なことを考えたのか、滝川本人にも理解できなかった。
だが、身体は考えるよりも早く動き、そして現実にもたらされたのは信じ難い結果。
瞬間、防御が間に合わないと悟った滝川は、体をかわし大太刀で弾く代わりに、左足で地を蹴り士魂号を軽く跳躍させた。右足を膝が腹につくまで折り、同時に身を捻る。
唸りを上げて迫る、丸太のような巨腕。その先端が、妙にはっきりと見えた。
そのままの姿勢で、右の踵でその破滅的な威力を秘めた拳を受け止める。いや、その上に乗ったのかもしれない。ミクロン単位で測らねばならないほどの一瞬、士魂号はミノタウロスの拳の上で静止していたのではないだろうか。
その瞬間、迷わず蹴り抜く。
ミノタウロスの拳の勢いに己の脚力を乗じて、士魂号は、飛んだ。
「ウォォォォォッ!」
ほとんど一直線に、上空のスキュラ目掛けて飛んでいく。
まるで、自分が砲弾になったみたいだ。
愚にもつかないことを考えつつ、滝川は超硬度大太刀を構え衝撃に備える。
巨大な空中要塞が、一瞬ごとに視界の中で膨らむ。グロテスクな真紅の瞳は、必殺の長距離レーザーを今まさに放たんと、淡い輝きを漏らしつつあった。
「やらせるかよォォォッ!」
輝きが破滅の光束となるよりも一瞬早く、切っ先がその瞳を捉えた。
もちろん、それで士魂号の勢いが止まるはずもない。刀身はバターにナイフを突き刺すように易々とスキュラの体内へと消え、それを固定する左腕も吸い込まれるように仇敵の中に埋もれ、胸部を空中要塞に叩きつけて、漸く士魂号は凶悪極まりない直線運動から解放された。
激痛に身をよじり、その動きのため未だ体内にある大太刀と士魂号の腕に更に傷を広げられるスキュラ。
のたうつように高度を乱高下し、フラリと傾いたかと思うと、士魂号もろとも阿蘇の大地目掛けて滑るように落下していった。
主眼を抉られ、もはやその身を保つことが出来なかったのだ。
堪らないのは、士魂号のコックピットにあった滝川である。
最初の衝突で、一瞬気を失った。スキュラの断末魔によって乱暴に揺り起こされ、気が付けば地面がすぐそこに迫っていた。
慌てて対処しようとしたが、もはや受身がどうこうというレベルの問題ではない。
もう一度、今度は地面との衝突による激しい衝撃に見舞われる。上手くスキュラがクッションになってくれたのは幸いだったが、それでも意識が一瞬飛んだ。
――これは、もう、奇跡だよな。
自分が生きているのも奇跡なら、士魂号に未だ立ち上がる力が残っているのもそうだろう。さすがに、無事とは到底言えない惨憺たる状態ではあったが。
肘から先を失った士魂号の左腕が、力無くダラリと垂れ下がる。緊急制御バルブが、人工血液の流出を避けるため左腕への血液供給を断ったのだ。
右足は、半ば破壊されていた。あんな無茶をやらかせば、当然の結果だ。それでも、短い時間ならばまだ走ることも跳ぶこともできそうだった。大幅に機動力が落ちるのは否めないが、まだ、戦える。
コックピット正面が広範囲に抉り取られ、計器類が火花を散らす。滝川が空いている右手でその傷口を押し広げれば、外の様子をモニターによらず見て取れた。
――ここにあと一撃食らえば、終わりだな。
ふと、かつて善行に閉所恐怖症を指摘された時に、コックピットハッチを開放していれば平気だ、と強がった事を思い出す。
そんな場違いなことを考えている自分が可笑しく、少し笑みが浮かんだ。
――へへっ。ホント、平気なんだぜ、委員長。
この状態では、走れば猛烈な風に晒されるだろう。滝川は一度ヘッドセットを外し、愛用のゴーグルを引き降ろして、しっかりと固定。
「これぐらい、どうってことねぇって!」
そう叫んで、滝川は意識を現実へと引き戻した。
あと一匹!
あのスキュラだけは、何としても墜とさねば!
残る一体のスキュラ目掛けて移動しつつ、手早く周囲を確認。
幻獣の大半は、先程の突撃で置き去りにしてきてしまったらしい。
だが、進路にはスキュラを護衛するかのごとく一体のミノタウロスが立ち塞がっていた。
鈍重なミノタウロス一体、平常ならばかわしてしまうことも出来るだろう。しかし、今は士魂号の状態と差し迫った時間の問題がある。
やはり、突破するより他ないか。
とはいえ、どうやって?
同じ手は、使えない。
あのアクロバットは、偶然と幸運が重なり合って可能となった魔術のようなものだ。それらの諸条件に恵まれ、先刻と同じような状況が目の前に生まれたとしても、もう脚が持たない。士魂号の脚には、もう一度ミノタウロスの振るう豪腕を蹴りつけ無事でいられるような耐久力は残っていないだろう。
行く手を遮り、ミノタウロスが迫る。
どうする?
弾丸は、一発でも多く残しておかねばならない。それは、スキュラを墜とすために是非とも必要だ。もはや、士魂号には空中要塞が浮かぶ場所まで跳躍するだけの力は残っていないだろうから。
しかし、両脚にはもはや鋭い蹴りを放つだけの余力は無く、左腕の大太刀も無い。
何か、手は無いのか?
怯ませるだけでもいい。
ミノタウロスを、進路から排除する手は!
「……ある! あるぞ!」
ふと気付き、滝川は己のあまりの無謀さに引き攣った笑みを浮かべた。
だが、無謀であろうが何であろうが、実際それしか手はない。
不気味な雄叫びを上げ、ミノタウロスが突進してきた。
いいぞ。
そのまま突っ込んで来い。
士魂号が、腰を落とし誘うように体を開いて見せる。
侮蔑されている、とでも感じたのだろうか、陸の王者は益々猛り狂い士魂号へと飛び掛ってきた。
「勝負だッ!」
一声叫び、滝川はミノタウロスに負けじと士魂号を猛然とダッシュさせる。
左肩を突き出し、ショルダータックルの体勢。
そのまま、守ることなど考えていないかのような勢いで思い切りよく突っ込んだ。
ガッ!
短く、耳障りな衝突音を立て、士魂号が肩口からミノタウロスの胸板にぶつかる。
しかし、力比べならばミノタウロスの十八番だ。一瞬体勢を崩しかけたがすぐに持ち直し、その恐るべき膂力で士魂号に一撃をくれる。
最初の衝突のために未だ意識の揺れていた滝川には、その破滅の鉄槌をかわすことができなかっただろう。たとえ、かわす気があったとしても。
ガンッ、と重い衝突音。間をおかずに金属が引き裂かれる耳障りな音が響き、士魂号の機体が再び揺られる。
その瞬間、ヘッドセットディスプレイが光を失った。遠隔カメラユニットもろとも、頭部が吹き飛んだのだ。これで、士魂号はほとんど全ての外部モニターを失った事になる。
しかし、委細構ってはいられなかった。
この瞬間。
ここで決めねば、跳び込んだ意味が無い。
「食らえぇぇぇっ!!」
怒号を上げ、滝川はレバーを引いた。
それは、この改造士魂号独特の機構のひとつ。
火薬式圧搾整流器の作動レバーだった。
ドゥンッ、ドゥンッ、ドゥンッ!
ミノタウロスの胸板に押し当てられた左上腕から、くぐもった爆音が断続的に響く。
士魂号に取り付けられた強固な人工筋肉を無理矢理圧迫し膨大な量の人工血液を瞬間的に絞り出す、世にも乱暴な起動システム。
排莢・排ガスの口をミノタウロスの堅牢な外皮に塞がれ、その強烈な爆発圧が行き場を失い荒れ狂う。
士魂号の左腕をあっさりと噛み砕き、巨獣の胸をザクロのように叩き割り、爆風は両者を地に叩き伏せた。
それを予期しコックピットの中で防護姿勢をとっていた滝川は、何とか意識を失わずに済んだ。すぐにも、行動を起こすことが出来るだろう。
予想外に強烈な爆発だった。もとより動いていなかった士魂号の左腕は完全に破壊され、被害はコックピットにまで及んでいる。もう少し爆発圧が高かったなら、どうなっていたことか。それを考えると、ぞっとしないでもない。
滝川は、士魂号を立ち上がらせつつ役立たずになったヘッドセットを脱ぎ捨て、不快感にニ・三度首を振った。
どうやら、額が割れたようだ。
生暖かいものが、頬を伝い首へと滴り落ちているのがわかる。
不思議と、痛みは無かった。ただ、顔の左半分に、痺れるような感覚があるだけだ。
滝川は、愛用している安物のゴーグルに感謝した。これがあるお蔭で、前面がほとんど開放状態になったコックピットに渦巻く風の中でも目を開けていられるし、その目に血が入り込み視界を失うような事態に陥らずに済んでいる。
そして士魂号。
こんなにボロボロになってまで、なお立ち上がってくれる俺の相棒。
思えば、俺は怯えてばかりの不出来な相棒だった。
ちょっとはマシな戦いを出来るようになったかと思えば、こんな無茶ばかりやらせている。
さぞかし苦労しただろう。文句のひとつも、言いたいだろう。
色々あるだろうが、もう少しだけ付き合ってくれ。
ゴールは、たぶん、もうすぐそこだ。
心の中で呟きつつ、滝川は士魂号のものではなく己の目でスキュラの姿を探す。
いた。
前方、距離はおおよそ500メートル。士魂号なら、ひと駆けだ。
だが、頭部を失ったため照準のしようがない。それはつまり、正確な照準が必要無い距離まで近付かねばならないということ。
この状況におけるそれは、自殺と何らかわりないだろう。
「行くぜ……これで最後だ!」
だが、もはや微塵も臆することなく、滝川は士魂号を突進させた。
脚部の不調をものともせず、士魂号と滝川は風を纏って死地へと駆ける。
もっとも、滝川は既に生きるとか死ぬとかいうことを考えてはいない。それを考えたところでどうなるものでもないし、考える必要性自体あまり感じなかった。
俺は今、俺の全てをもって戦っている。
俺はたった一人だが、それが全てじゃない。
俺を鍛えてくれた人の力と技が、俺を支えてくれた人の努力の結晶が、勝利を願ってくれる守るべき人々の願いが、想いの全てが、俺と機械仕掛けの相棒の身体に詰まっている。
全部ここにある。
全部だ。
それだけで、充分だった。
急速に近付く、巨大な影。
今まさに、身を守る術すら持たぬ人々の列に破滅の光を投げ掛けんとする悪魔。
空中要塞スキュラの威容は、既に天蓋となり滝川のほとんど直上にあった。
そして、最後の一歩。
スキュラの直下に滑り込むと同時に、滝川はジャイアントアサルト改を天上目掛け、高く高く突き上げた。
「うおぉぉぉーーーっ!」
猛然と、ジャイアントアサルト改をフルオートで乱射する。頭上は全部的だ。外しようが無い。あとは、この砲弾が空中要塞に致命傷を与えてくれることを期待するばかりだ。
同時に、スキュラが投下した強烈な生体爆弾が、文字通り雨霰と士魂号に降り注ぐ。その強酸はたちまち士魂号の身を包み、既に立っているのも不思議なほどの破損を受けていた脚部を完全に破壊。幻獣たちに深刻に過ぎる被害を与えた仇敵を、遂に地に打ち据える。
そして、グラリ、と、宙に浮く影が揺れた。
何度か痙攣するように蠢き、ついに堪え切れず大きく揺らいで重力の顎に囚われる。
強大な力を誇る空中要塞は、残骸となり倒れ伏す士魂号のすぐ脇に墜ち、その幻の身体を急速に崩壊させていった。
――悪運が強ぇよな、俺も。
その様子を見ながら、滝川は心の中でそう呟いた。
呟きつつ、自身の身体をチェックする。あれだけ無茶をやらかしておいて、頭部の裂傷と数限りない打撲を除いては、これという傷も無かった。骨も無事だ。
次いで、9mm機関拳銃とカトラスが両脚のマウントに納まっている事を確認し、全損した士魂号のコックピットから這い出る。
外から愛機の残骸を眺め、滝川は改めて自分が生きていることを、奇跡だ、と思った。
かろうじて原型を留めているのは、腰から上の右半身だけ。他は無惨に破壊し尽くされ見る影もない。
「済まねぇ……いや、ありがとう、な。相棒」
逝ってしまった愛機に向け、寂しげな声でそう告げる。
だが、ここはまだ戦場の真っ只中。感傷に浸っている暇はない。
滝川の耳に、怒りを押し殺した低い唸り声が届く。
そして、地を揺らす巨大な足音。
わかってはいたことだが、先方は酷くタフで意気盛んらしい。


5121小隊は、珍しく混乱に支配されていた。
戦線を展開し前進を始めたはいいが、彼らが戦場に近付くまでの間に幻獣どもの反応が次々と消えてゆくのだ。一斉に消えてしまったというのなら非実体化だろうと思われるが、戦力的にもそれは有り得ないだろう。やはり、ののみが捉えた通り、友軍が戦闘中である、と考えた方が筋は通る。
暫くそのまま進み、漸く霊子レーダーが戦場の全容を捉えることに成功する。
「前方10キロメートル、友軍戦力を確認! コールIDは……!」
絶句する瀬戸口に代わり、ののみがあらん限りの声を振り絞って叫んだ。
「うわーっ、うわーっ! ようちゃんなのよ!」
「滝川君が?」
俄かには信じ難い報告に、善行は視線を隠すことも忘れ呆然と呟く。
「非常識だ……あれから一週間も経つんですよ」
「ですが、現に滝川機のコールIDです。間違いありません」
努めて冷静にと声を抑えつつも、隠しきれない興奮を交えて瀬戸口が報告する。
「可能性としては……」
幾つかの、恐らくは瀬戸口たちにとって愉快ではない仮定を述べようとしていた矢先、ののみが悲鳴を上げた。何事か、とモニターを確認した瀬戸口は、緊迫した声で告げる。
「滝川機、大破! 滝川は……降車しました! 多目的結晶、照合。間違いありません! 司令、滝川の奴、生きてたんですよ!」
「そんな、馬鹿な」
善行は、心底驚き、そして呆れた顔で、そう呟いた。5121が知らぬ間に機体だけが回収され他の部隊が使用していたのではないかとも思っていたが、多目的結晶のID照合までパスしてしまったとなると、その理屈も通らない。
「滝川は現在、ミノタウロスと交戦中。他、幻獣の残存部隊あり。自衛軍もいる……その後ろの奴は、輸送車か? 司令、作戦指示を!」
矢継ぎ早に状況を報告し、瀬戸口が善行を促す。ののみに至っては、善行の指示を待つこともなく小隊共通回線でまくし立てていた。
「みんな、はやくいってあげて! ようちゃんがたいへんなのよ!」
皆まで聞かず、速水機から返信が入る。
「こちら速水。アサルトブースター展開準備よし。突撃します。茜君、後詰めよろしく!」
「おい! 来須!」
若宮は、リテルゴルロケットを吹かして空を駆けゆく同僚に叫んだ。
「俺の可憐は足が遅いんだぞ、こら! 一匹ぐらい、残しておいてくれよ!」
瀬戸口は、僅かに苦笑を浮かべつつ、善行に声をかけた。
「壬生屋機、最大戦速で前線に移動中。……司令、これはもう、止められませんよ」
「茜機より指揮車。北斜面に展開、要請あり次第突撃する。……許可はまだか?」
駄目押しのように入った茜からの通信を耳にして、善行は短くため息をついた。
瀬戸口の言う通り、誰も彼もが自分の言葉に耳を貸すつもりはない様子。
こうなっては、司令官にできることなど多寡が知れている。
「……この場は不問に附しましょう」
溜息混じりにそう言ってから、一転、表情を引き締め、もはや形骸に過ぎないであろう指令を与えた。
「突撃行軍歌斉唱。総員、ガンパレード! 一匹たりとて、生かして返すな!」


振り下ろされるミノタウロスの拳を走ってかわし、滝川は振り向きざま9mm機関拳銃をフルオートで斉射した。
目標が巨大であるだけに全弾命中。
しかし、人間相手には充分な殺傷力を持つ9mmパラベラム弾も、この陸の王者には欠片ほどの効果も無いようだ。
「くっそぉ……こんなところで、退けるかよ」
まだ、トラックの列は戦場を脱していない。特に、目の前のミノタウロスはここで止めねばすぐにも民間人たちの側面を突くだろう。
いや、このミノタウロスを止めるだけでは終われない。スキュラを撃破するために捨て置いた幻獣どもの数は、10を下らない。連中の始末は、ライトタイガー一機には荷が重いだろう。
士魂号を失い、もはや一歩兵に過ぎない身となったが、それでも滝川は戦いを止めようとは考えなかった。
弾丸を撃ち尽くした9mm機関拳銃を放り出し、残された最後の武器であるカトラスの柄を両手でしっかりと握り締める。
「俺は退かねぇぞ! 俺にだって、色々背負ってるモンがあるんだッ!」
自分には、来須のように戦うことは出来ないだろう。着用しているウォードレスの違いもあるが、それ以前に滝川は歩兵としての戦いを教科書レベルの基本しかわきまえていないのだから。
だが、一分一秒でも幻獣の足を止めるため、死力を尽くして戦うしかない。中隊には、その僅かな時間が必要なのだ。
突撃せんと身構えたところに、再びミノタウロスの拳が繰り出される。
「うおっ!?」
咄嗟に飛び退き、かわしたつもりだったが、拳に纏われた強烈な突風に滝川の体が崩された。
慌ててバランスをとろうと足を踏み出すが、間に合わず無様に顔から転倒。立ち上がらねば、と身をよじるが、高熱でもあるように感覚がおぼつかない。
蓄積した疲労が、滝川から戦う力を奪いつつあった。カトラスを杖に立ち上がろうと力を入れるが、腰を浮かせたところでバランスを崩し尻餅をつく。
三度、ミノタウロスが拳を振り上げる様子が、スローモーションのようにゆっくりと感じられた。あざ笑うかのような唸りも、酷く遠く聞こえる。
ここまで、か……?
「畜生ォォォォォッ!」
滝川は、己の不甲斐なさに絶叫を上げた。
まさに、その時。
ガッ!
矢のように跳び込んできた小さな影が、ミノタウロスの頭部をしたたかに打ち据えた。
次いで、今度は巨大な、そして見慣れた影が地を揺らし、見事なまでの太刀さばきで巨獣を袈裟懸けに斬り伏せる。
そして頭上からは、優しい丸みのある、聞き慣れた、しかし酷く懐かしい友の声。
「滝川君! 無事!?」
ハートに矢の、見慣れたパーソナルエンブレムが目に入った。目頭が熱くなる。
「まったく、無茶をする。考え無しに行動する奴とわかってはいたが、まさかここまでとはな……だが、そなたの勇戦、この目に焼き付けた」
不遜な響きの、お馴染みの声。その声が、こんなに好意的に掛けられたのは初めてのような気がする。
そして、空から舞い降りたのは、敬愛してやまない人物。彼は、滝川のすぐ側に降り立つと、軽く肩を叩き、言葉少なに微笑んだ。
「……よくやった」
胸に、何とも言えぬ感慨が浮かぶ。
絶体絶命の危地に、思ってもいない仲間の助け。
この思いを、どう表現したらいいのだろう。
「先輩……みんな!」
滝川は、ボロボロと落涙しつつ、それだけ言うのがやっとだった。
「後は任せて! 来須さん、滝川君をお願いします」
来須が短く頷くと、速水の騎魂号は踵を返して駆け出した。
その先を遠く眺めれば、滝川の付け焼刃とは比べ物にならない力強さでミノタウロスと切り結ぶ、二刀流の士魂号が目に入る。その奥に、誰が乗っているのか的確な砲撃でゴルゴーンを撃ち砕く二番機の姿も見えた。
瞬く間に、あれほど手を焼いた幻獣どもが消えて行く。
その様子は、ほとんど魔術か何かのように思えた。
なるほど、と滝川は苦い笑みを浮かべた。中隊での、自身の扱われ方を思い起こしつつ。
中隊のみんなは、俺が速水たちを見るのと同じような感覚で、俺を見ていたのかもしれない。
あいつらの戦いを見たからには、大尉たちも俺を買かぶっていたと知るだろう。
まあ、どうでもいい。
とにかく助かったんだ。
俺も、みんなも……。
取り止めの無い事を頭に浮かべながら、滝川の意識はゆっくりと闇に飲まれた。
来須は何も語らず、ただ優しく溜息をついてから、眠りこけた滝川を抱えて仲間の許へと歩み始める。
戦闘は、既に終息しようとしていた。


1999年4月8日、阿蘇戦区における戦闘。
幻獣側被害、スキュラ他多数。霊子走査の結果、90%の幻獣を駆逐と判断。
人類側被害、士魂号M型1。但し、戦力外扱いであったため書類上の被害なし。
付記。宮崎より避難の民間人223名、及び護衛の第8師団普通科中隊を保護。
戦いは、一応の完結を見せた。