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恐慌戦士〜フィアフルソルジャー〜 ――6.覚悟

「斥候隊より報告! 前方、外輪山沿いに幻獣、既に実体化!」
「殿の第四分隊からも通信が入っています! 後方に幻獣実体化の兆しあり、速やかに行軍されたし。以上です!」
矢継ぎ早に告げられる報告に、軍曹は渋い顔で、うぅむ、と唸った。
「前門の虎、後門の狼、ですな。いかがなさいますか、大尉」
問われた大尉は、深いため息をひとつつき、簡潔に答える。
「どうもこうも無い。包囲されるのであれば、喰い破って道を開くだけだ」
「確かに。我らも戦場を駆ける者、牙ある限り喰らい付くだけですか」
軍曹の言葉には取りたてて応じず、大尉は多目的リング越しに大声で整備を呼ばわった。
「伍長! 十翼長の士魂号はどうだ」
「今しがた応急補修が終わったとこでさぁ! これから照準調整です」
突貫作業で士魂号の整備・補給を行う手を休めず、伍長は大尉の大声に負けじと怒鳴り返す。その傍らでは、給水パックを片手に休息とも言えぬ休息を取る滝川が愛機共々トレーラーに揺られていた。
士魂号による戦闘行動は、傍から見ているほど簡単なものではない。第六世代の強靭な肉体をもってしても士魂号の無茶苦茶な機動行動によるGは耐え難いものであったし、それを緩和するための薬物の投与は容赦なくパイロットの体力を奪い去る。基本的に、連戦は御法度だ。もちろん、基本的には、であり、実際の戦場では連戦を余儀なくされる場合もままある。
士魂号の専用トレーラーに、たとえ民間から徴用したものであっても例外無くパイロットキャビンが備え付けられているのには、そういった理由があった。戦闘の合間の僅かな休息時間を極限まで有効に使い、可能な限りパイロットの体力を回復させる必要性があるためだ。本来的には、決してパイロットに特別待遇気分を味わってもらうために設置されているのではない。
高千穂での戦闘はごく短い時間のものだったが、それでも滝川の体力をごっそりと奪い去っていた。元々、滝川は兵としてそれほどタフというわけでもない。中隊が使用しているトレーラーは戦車搬送用のものであったから、パイロットキャビンなどという贅沢な設備は無かった。膝を抱えて座り込み出来るだけ体力の回復に努めてはいるが、どれほどの効果があるのかは怪しいものだ。
そういった事情を知ってか知らずか、大尉はにべもなく命令を下した。
「それは闘いながらやらせろ。士魂号、発進。先行するライトタイガーと連携し、前方の幻獣勢力を駆逐せよ!」
「ンな無茶な! 今の士魂号は、パイロットの腕でどうこうできるほどカンタンな機体じゃねぇんですよ」
すかさず伍長が言葉を返すが、それが受け入れられる類の抗議でないことは明白だ。多目的結晶で会話を聞いていた滝川は、ヨロヨロと立ち上がり少々危うげな足取りで愛機に歩み寄った。
「行きますよ、伍長。あとひとふんばりなんだ、やってみせます」
「かぁー! ったくもう、ラインオフィサーってぇのは、どうしてこう、どいつもこいつも無茶したがるかねぇ! 戦場の真ン中で機体が止まってからじゃあ、遅いんだぜ?」
油まみれの手で己の額をピシャリと叩き、大仰に天を仰ぐ伍長。その様子が可笑しくて、滝川の顔に、疲れたものではあったが、少しだけ笑みが浮ぶ。
「へへ……それは無いでしょ。伍長の腕を信じてますよ」
「今度は誉め殺しかい?」
ため息混じりに呟いてかぶりを振り、伍長は顔を引き締めて滝川の肩をつかみ、その瞳を真っ直ぐに覗き込みながら続ける。
「しゃあねぇ、行ってこいや。壊してもなんとかしてやっからよ、死ぬんじゃねぇぞ!」
たとえ士魂号が破損する――士魂号の場合、何の破損も無く戻ってくることの方が珍しいが――ことがあっても、もう伍長の整備を受けることはないだろう。勝ち残れば、5121へ戻る。さもなくば、野辺に屍を晒す。いずれにせよ、この慌ただしい戦闘の狭間の応急整備が、滝川機が伍長から受ける最後の餞別なのだ。
それがわかっていても、伍長の言葉は頼もしく、また嬉しくもあった。俺がヘマをしでかしても、何とかしてくれる人がいる。この士魂号で戦うのは、俺一人じゃない。理屈ではなく、そう思えるのだ。それは、百万の援軍よりも滝川を勇気づける。
「了解。滝川十翼長、出撃します!」
滝川は挙手の敬礼を捧げてそう答え、異形の人型戦車の、そのまた異形となった、誇らしき愛機のコックピットへと駆け登った。


「マジかよ……」
覚悟を決めて飛び出した戦場を一瞥し、しかし滝川はそう唸らずにはいられなかった。
スキュラ、ミノタウロス、ゴルゴーン。よくぞここまで集めたもの、と妙な感心をしてしまうほど、敵の布陣は重厚だった。これだけの戦力と出くわしたのは、あの霧の夜の地獄の大釜以来である。
しかも、あの時と違い滝川機以外に人型戦車はいない。ウォードレス装備のスカウトも、民間人を乗せたトラックの護衛先導にあたっており、基本的に戦列には加わらない。
唯一の僚機であるライトタイガーは高性能とはいえ装甲車。士魂号L短砲身ほど打たれ強くもないし火力にも劣る。砲塔脇に抱える2発の重MATは強力だが、逆に言えばそれだけだ。相手が小型幻獣であれば左右と後部に都合7つのガンポートを備える死角の無い構造も大いに役立つだろうが、中型幻獣が相手となるとあまり有効とは言えないだろう。
「十翼長、右前方に斬り込めるか?」
そのライトタイガーから、中尉が呼び掛けた。この車両には、元ロングノーズの操縦士、砲手の他に、車長として中尉が、そして搭乗歩兵要員としては門川に引き続き中尉が指揮することになった第二分隊が搭乗している。
「はい。何とかやってみます」
息を呑みつつそう答える滝川。中尉は、冷静な声で指示を出す。
「無理はするな、と言いたいところだが、それこそ無理な注文か。第一優先は民間人を引き連れた本隊の退路確保だ。正面は、我々で何とか切り開く。十翼長は敵右翼集団に攻勢を掛け、出来るだけこちらから引き離してくれ」
見たところ幻獣の戦力は右翼に集中しており、なるほどもっともな作戦ではある。しかし、だからといって敵正面が手薄というわけでもない。宙空に幾つか浮かぶ巨大な影は、間違いなくスキュラだろう。うち一体は、進路正面に位置していた。
「正面のスキュラは?」
「何とかする。そのための重MATだ」
滝川の問いに淡々と答え、中尉は軽く笑みを漏らす。
「他人の心配をしている場合ではないだろう。そのスキュラを、十翼長は3体も受け持たねばならんのだ」
「でも、士魂号と装甲車じゃあ、足回りが違います。ヤツの正面に捉えられたら……」
「確かにな」
快速とはいえ装軌装甲車では、正面に浮かぶスキュラの射線をかわすことは困難だろう。理屈屋の中尉とて、いや、理屈屋であればこそ、その事実を認めないわけにはいかなかった。しかし、だからといって戦術を変更するほどの余裕も無い。
「前面装甲は増加してある。一撃程度なら、持ちこたえられよう」
滝川は、少しばかり無い知恵を絞って考えてから、中尉に提案した。
「やっぱり、俺が先行しますよ。敵正面に突っ込んで右翼に跳びますから、援護をお願いします」
「やれるのか?」
中尉は、僅かに首を捻り吟味してから、そう訊き返す。確かに、滝川が陽動を兼ねて正面を扼してくれれば作戦の遂行は幾らか容易になるが。
「やります」
キッパリとそう答える滝川に、中尉は軽くため息をついてみせた。
「私が訊いているのは、意思の問題ではなく技術的な部分なのだが……まあ、いい。十翼長がそう言うのなら、やれるのだろう。作戦を修正。滝川案を採用し、士魂号M型による正面強襲、急速展開を敢行する。十翼長、頼んだぞ」
「了解!」
滝川は、嬉々として勢いよくそう応える。直後に飛び込まねばならない困難を思えば喜んでいる場合ではないのだが、自分の戦術を、力量を、認めてもらえたことが何となく嬉しい。
「士魂号、滝川! 敵正面に突撃します!」
気合いを入れるようにそう宣言し、滝川は士魂号に地を蹴らせた。
爪先が大地をえぐり、装備重量10トンにならんとする鉄と生体部品の塊が宙に踊る。出来損ないの不細工な人形は、しかしその姿からは想像も出来ない疾風の速さをもって、一直線に山肌を駆け抜けた。
その身に纏う風は戦場の風、顎に輝くは噛み砕く牙。手にする煌きは闇を断つ刃にして、捧げ持つは焔吐く死の大筒。
戦いの中から、戦うために生まれ出たが故に、戦いの中にだけ存在を許される、それは機械仕掛けの人形。
だが魂は、その魂だけは作り物ではない。なればこそ、異形の巨人は侍たりえる。
スピリット・オブ・サムライ。
全高8メートル超の機械が侍なのではない。魂こそが侍なのだ。
正面、ミノタウロスとゴルゴーンの一団。まともに飛び込めば、蜂の巣になるのがおちだ。
慎重に間合いとタイミングを計りつつ、滝川は左右に不規則なジャンプ軌道をとる。右に、左に、後ろに、前に、微妙に射線をずらし、決して狙いを絞らせなかった。
たった一機の人型戦車が、三十からの中型幻獣の群れを、踊るように翻弄する。それは、昔日砲火に追われていた頃の滝川からは想像も出来ない流れるような動作。
「世に最強の戦士を舞踏と呼び習わすのは、中々言いえて妙かもしれんな」
滝川機の様子を間近に見守る中尉は、思わずどうでもいい類の唸りを上げてから、操縦手に声を掛けた。
「行軍停止。十翼長の展開を待つ」
その指示に、分隊長席に控える曹長が異論を挟んだ。
「お言葉ですが、幻獣は十翼長の動きに動揺しています。このまま、十翼長の後背を抑え支援すべきではありませんか?」
門川の戦い以来、年下の滝川に深く敬服している曹長としては、滝川一人を危地に追いやり自分は指をくわえて見ているだけというのが歯痒くて仕方が無いのだろう。
だが、中尉はゆっくりとかぶりを振り、スッと前方を指差しつつ言葉を返す。
「敵の配置をよく見ろ。意図的にかどうかはわからんが、明らかな雁行陣。このまま中央突破を計れば、突出した敵右翼部隊による側面からの集中砲火を浴びるのは必定。今、十翼長の士魂号M型がその憂き目に遭っていないのは、機体の性能と十翼長の腕があればこそだ」
何も言い返せぬ様子の曹長を一瞥し、中尉は滝川機に視線を転じた。見れば、今にも敵中央部隊と接触せんとしている。
「歩兵には歩兵の、人型戦車には人型戦車の、そして車輌には車輌の戦い方がある。現在我々が手にしている強力な正面火力を有効に活用できる瞬間まで、黙って控えるのも兵の務めだ」
そう諭され、曹長は渋々引き下がる。その様子に苦笑を漏らしつつ、中尉は滝川の動きに注意を向けた。
滝川がライトタイガー内部の様子を垣間見ることが出来ていたのなら、人物的な好き嫌いは別として、中尉の見解に賛同しただろう。実際正面に突っ込んでみると、幻獣右翼部隊の圧力は相当なものだった。その上、正面に迫った相手も、決して気を抜けるような手合いではない。
「おらっ!」
掛け声と共に、正面に迫ったミノタウロスの胸に左手の大太刀を突き出す。
フェイントの類だったが、ミノタウロスとて、そういつもいつも引っ掛かってくれるわけでもない。巨獣は、その魁偉に似つかわしくない冷静な判断で身を退いて大太刀の刃をかわし、お返しとばかりに槌のような右腕を士魂号目掛けて振り下ろした。
ミノタウロスの動作は、訓練を積んだ人間のように細やかなものではない。格闘技にあるようなフェイントやコンビネーション、打突の微妙な匙加減など、彼らの戦術の中には無いと断言してよい。代わりにあるのが、獣の乱暴さ。己の体躯を十二分に活用する、ただそれだけの単純な力である。
だが、単純だから対処が容易、というわけでもない。人間が素手で野獣と正面から向き合い勝ち抜くのが困難であるのと同様、たとえ士魂号でもミノタウロスと正面から遣り合えばパワー負けもするし、機体状態によっては攻防のスピードでも若干劣る。そもそも、士魂号の持ち味は二足歩行という特異な移動手段に由来する機動力なのだから、これはある意味仕方が無い。士魂号は、ミノタウロスと正面から殴り合うために開発された兵器ではないのだ。
とはいえ、現実問題としてその猛獣と正面からぶつからねばならないケースも多々ある。そのような場合、頼りになるのは士魂号のもうひとつの特性。瞬間の判断よりも一連の連続行動を優先することが出来る思考能力。すなわち、パイロットの技量だ。
「そこだ!」
滝川は、ミノタウロスのように攻撃を避けるため後退する代わりに、士魂号の体を開きつつ半身になり、暴力的な破壊力を秘めた巨腕に沿うように大太刀の刃を滑らせた。紙一重より少しはマシ、といった案配で拳をかわし、カウンターで無防備な脇腹に斬りつける。そこは、稼動範囲の関係上か、強力な防御能力を誇るミノタウロスの表皮が薄い部分のひとつだ。剃刀でバターを切るようにスッパリと、とはいかなかったが、彼我の激突する勢いを乗せた切っ先はミノタウロスの表皮を切り裂き肉を喰い破る。巨獣のドス黒い体液が強固な肉体の内圧に押し出され噴水のように飛沫を上げる。
苦悶に身をよじるミノタウロス。その暴風のごとく無茶苦茶な動きに捕らわれぬよう、滝川は今度こそ機体を退いた。すぐさま、少しだけ右手に進路を変えつつ前方に短いジャンプ。突進の機会をうかがっていたゴルゴーンの脇に降り立つ。
と、先刻退いた場所に、遠距離から数束のレーザー照射。右手に列を成すキメラか、あるいは宙に浮くスキュラのものだろう。覚悟はしていたことだが、やはり敵の前衛部隊から少しでも離れると遠距離砲撃が雨霰と撃ち込まれる。
「さて、どうするよ?」
自問してみるが、この状況で採りうる方策など元より限られている。
速水ほどの腕と複座型の装備があるのなら、混戦に持ち込むのもよかろう。だが、生憎滝川には群がる幻獣どもを薙ぎ払う誘導ミサイルもなければ、それを撃ち出すまで敵の直中で機体を守り切るだけの技量も無い。
ならば、機動戦。結局、いつも通りの戦法だ。
いつもと違うのは、行く先が既に決められていること。ゴールは、恐るべき生体砲台の居並ぶ右手の丘陵。そこが、彼の人生の終焉の地にならないという保証は、どこにもない。
苦い唾を飲み下しつつ目の前のゴルゴーンに軽く斬り付けてから、滝川は右前方に跳んだ。敵中央部隊の懐に飛び込んだような形だ。
足下にキメラ。空中で身を捻り、鋭く蹴りを繰り出す。
短く低い跳躍の勢いを乗せた爪先は、キメラの二つの頭をまとめて吹き飛ばした。運悪く刈り取られた頭部に中に制御脳の存在するものがあったのか、甲殻に包まれたレーザー砲台は前のめりに崩れ落ち、そのまま幻へと還ってゆく。
駆けつけたミノタウロスと軽く一合交え、戦場右手にバックジャンプ。跳びながら、右手に固定されているジャイアントアサルト改を一射。確かにミノタウロスの胸板に突き刺さるはずだった砲弾は、しかし右上方に逸れあらぬ方へと飛び去っていった。
「何だよ、この照準は!?」
驚くやら呆れるやらで、思わずそう叫んでしまう滝川。なるほど、伍長が出撃を渋った理由がわかるような気がする。
だが、その伍長が気を利かせて初弾に詰めていてくれた曳光弾のおかげで、漠然とだが射軸のずれは認識できた。後は、手動でうまく照準を補正できるかどうかだ。
着地と同時に、もう一射。今度は何とか的を外さず、ミノタウロスの肩口に着弾する。
「も少し左かよ、っとぉっ!?」
補正の具合を確認する呟きに続けて驚きの叫びを上げつつ、滝川は危ういところで生体ミサイルの至近弾を避け左手に跳んだ。続いて、前方上空から情け容赦無いスキュラの強烈なレーザー。転がるように前方に駆け出し、すんでのところでこれをかわす。
駆け込んだ先に待ち受けるのは、既に突撃準備を整えたゴルゴーン。そして、その後ろから地響きを立てつつ詰め寄るミノタウロス。
「畜生、休む間もねぇ!」
当然と言えば当然の状況に文句をたれつつ、迫るゴルゴーンを紙一重で捌き大太刀で撫で斬りにする。それほど深い傷を負わせることは出来なかったが、動きを止めることは出来た。九十度左に身を捻り後ろに跳ぶ。着地し、僅かに体を流しつつジャイアントアサルトをゴルゴーンに向ける。
だが、敵もそう甘くはないらしい。
「くっ!」
短く唸り、滝川は士魂号を更に後退させた。直後、駆け寄ってきたミノタウロスからの生体ミサイルが、それまで士魂号が立っていた大地に突き刺さる。
未だ掴みきれぬ照準のクセを思えば心許ないが、悠長に構えていられる状況でもない。滝川は手早くサイティング、半ば祈るような気持ちでトリガーを引いた。
都合三発目となる砲弾は、ようやくと言うべきか、滝川の狙い通りに的を射た。即ち、放たれた弾はゴルゴーンの脆弱な首筋を捉え、いかつい頭部を内側から粉々に吹き飛ばしたのである。
「よっしゃ、このカンジだな!」
わざわざ口に出して確認しつつ、滝川は訓練に付き合わされた時に中尉から聞いた言葉を思い出していた。
もちろん銃は充分に整備されていなければならない。だが、それだけでは充分ではない。温度、湿度、風速に風向、弾丸を弄ぶ要素は幾らでもある。炸薬の燃焼が常に一定であるとは限らぬし、僅かずつだが撃つうちに銃身も歪む。多分にアナクロな考え方だが、銃も砲も、それら諸々の要素を感じ取り、指先にまで反映できてはじめて、使いこなせている、と言う。
この後に、君は感性には優れているが動作の端々が云々、というお小言が続いたのだが、まあ、その辺りはいいだろう。滝川は、今の三射で中尉の言葉の意味を漠然とではあるが実感として理解できたように思えた。あれこれ理屈をこね回した挙げ句に最後は感性的な部分に帰結してしまうというのもなんだが、職人的な技量というものは結局そういうものなのかもしれない。
小刻みな歩幅で右手に駆けつつ、身を捻り上体だけをミノタウロスに向け照準。確かめるように一拍間を置いて微妙に射軸をずらしトリガーを引き絞る。
敵腰部に着弾。ミノタウロスは蹴躓いたように足をもつれさせ、バランスを失い轟音を立てつつ地に転がった。そこへ、駆け込んだ士魂号の超硬度大太刀が振るわれ、なまくらの刃で巨獣の首を刎ねる。侍は休む間もなく身を翻し、丘陵地帯に陣取る敵右翼部隊へと向き直った。
「へへ……こりゃ、スゲェ」
漸く明確な全体像が見て取れるようになった敵陣を目にして、滝川は呆然と呟いた。戦場の高揚と多量の興奮剤をもってしても、震えが止められぬのがわかる。
スキュラ3、ゴルゴーン8、ミノタウロスらしき影が6。キメラは、数える気になれないが、20ほども蠢いているだろうか。
血気盛んなミノタウロスが既に駆け出し、こちらに向かってきているのが見える。慌ててそれを追い駆けるゴルゴーン。キメラが隊列を揃え、いっそ見事と誉めたくなるくらい整然と行進する。その後方、上空に浮かぶスキュラは不気味な沈黙を守りつつ、ゆったりと間合いを詰めつつあった。
この大軍団の直中に単機飛び込むなど、自殺行為ではあるまいか。しかも、連中と正面から遣り合うためには、スキュラを筆頭に10を越える中型幻獣に後背を晒さねばならない。
――やれるのかよ?
自問しつつ、滝川は幾ばくか逡巡する。やってやる、と大見得切って見せたはいいが、さすがにこれは手に余るのではなかろうか。しかもこの作戦、少なくとも民間人を乗せたトラックが無事戦場を離脱するまで、リタイヤは決して許されないのだ。
だが、あれこれと迷っている暇は無い。
左手、戦場正面に位置していたゴルゴーンが、矢継ぎ早に生体ミサイルを斉射する。その弾幕に守られつつ、急速に接近するミノタウロス。
小刻みな機動でどうにか攻勢を凌いできたが、それもそろそろ限界のようだ。
もはや、死を覚悟して突撃するしかあるまいか。何処かの誰かの未来のためにと謳い上げる、あの歌の如く。
いや、違う。
見る影も無く変わり果てた、だが何よりも誇らしい愛機。
短い時間ではあるが、軍曹に、中尉に、鍛えられた身体と技。
名も知らぬ少女から受け取った、お守り代わりのしおれた野花。
それらのひとつひとつが、教えてくれる。
仲間、勇気、誇り、そして守るべきもの。
死ぬのは怖い。だが、覚悟は決めてやる。
「やるさ……やってみせる!」
死ぬ覚悟なんて、俺には無理だし似合わない。
俺の覚悟は、戦う覚悟。
戦って、戦って、最後まで戦い抜いて……後のことなんか、わかるわけない。
とにかく俺は、最後まで戦うんだ。
その覚悟なら、決めてやる。
「やってやるぜっ!」
己の怖気を振り払うために雄叫びを上げ、滝川は幻獣どもの大兵団が待ち受ける丘陵目掛け猛然と駆け出した。
狂ったように撃ち出される生体ミサイルが、居並ぶキメラが放つ長距離レーザーが、雨霰と降り注ぐ。
だが、その強酸の槍も無数の光束も、猛進する士魂号が眼前にかざす左腕の盾にすら当らない。
あまりのスピードに照準の調整が追いつかない、という理屈も成り立たなくはなかろうが、本質的な理由は別のところにあった。
そもそも、いかに高速であろうとも、直線運動を行う標的を狙うのは、それほど難しいものではない。ごく基本的な照準能力があれば充分、更にちょっとした想像力があれば完璧であろう。つまり、予測線上に火力を集中させれば、いとも簡単に足を止め、目標を撃破できるはずである。
しかし、現実は常識を裏切る結果しか示していなかった。
鬼気迫る勢いで迫る士魂号に気圧されていたのでは、苛烈な砲撃も無為に等しい。明瞭な発声器官を持たぬが故に唸る程度のことしかできないが、幻獣に口があれば彼らは悲鳴を上げていたことだろう。
それは、戦いが決して技量と火力のみで片付けられるものではないという、そのひとつの証明であった。
たった一機の人型を何故墜とせぬのか。
動揺が信じ難い現実を生み、有り得ぬはずの現実が更なる動揺を呼ぶ。
パニックに陥った集団ほど、脆いものはない。
「ぅおらぁっ!」
たちまち前衛のミノタウロスの集団に迫った滝川は、短く叫び士魂号に地を蹴らせた。標準の六割増という凶悪な脚部人工筋肉が生み出す暴力的なパワーは重装甲型に迫る自重を持つ機体を軽々と宙に躍らせ、助走となった突撃の勢いともろともにミノタウロスの胸板に叩き付ける。いかに強固な外殻とて、これだけの衝撃に耐えられるはずもない。繰り出された士魂号の踵は、柔らかな果実を押し潰すように巨獣の装甲を砕き、肉を裂き、骨格をもへし折った。
「いくぜぇ、オラァッ!」
仰向けに倒れたミノタウロスを踏みつけたままの格好で、大太刀を横薙ぎに振り抜く。渾身の斬撃は旋風をまとい、直近で慌てふためく別のミノタウロスの左腕と脇腹をザックリと斬り裂いた。
数歩よろめき、地に伏すミノタウロス。
その最期を見届ける暇も無く、滝川は更に別のミノタウロスにジャイアントアサルト改の銃口を向ける。
彼我の距離は、10メートルに満たない超近距離。この距離ならば、照準補正に神経を使うまでもない。迷わずトリガーを引き絞れば、醜怪な頭部が弾け跳ぶがごとく粉々に砕け散った。
たちまち三体の巨獣を屠った滝川は、残るミノタウロスには目もくれず、その背後に控えるゴルゴーン、更には隊列を為すキメラの群れに目標を定めた。この手の長距離砲戦型幻獣は、車輌にとって厄介極まりない存在だ。
再び疾風の速さで迫る士魂号に、ゴルゴーンは滅茶苦茶なミサイル砲撃で応じた。狙いも何もあったものではなく、ただただ無数の生体ミサイルを吐き出すだけの、論ずるにも足りない攻撃だ。対する滝川は、慌てることなく、また突撃の勢いを殺すことも無く、駆けながらジャイアントアサルト改で応射。首尾良く一体の前足を吹き飛ばし、事実上無効化する。
だが、更にキメラの砲撃が加わり始めると、その余裕を保つことは出来なかった。
「クソッ! 奥の連中が、邪魔でしょうがねぇ!」
悪態をつきつつ、レーザーの射線から逃れる。だが、逃れた先も他の幻獣の射界の中。降り注ぐ生体ミサイルの雨を避けるため、滝川は僅かに後退せざるを得なかった。
前から、左右から、無数の砲門が士魂号を狙う。矢継ぎ早に回避行動を強要され、さすがにこれ以上無謀な突撃を敢行するのは厳しかった。
とはいえ、手をこまねいているわけにもいかない。迷えば、状況は不利になるばかりだ。
「どこか無いのか! 道は!」
急速に膨らむ焦燥を感じつつ、滝川は必死で突破口を捜し視線を走らせた。
正面、ゴルゴーンの集団。
右手前方、多数のキメラ。宙にはスキュラが一体。
左手前方、やはりキメラがひしめくが、右手よりは層が薄い。但し、空に浮かぶスキュラは二体だ
後方は論外だ。今更退くつもりも無いし、捨て置いたミノタウロスとスキュラを含む戦場正面集団が控えている。そもそも、連中を誘い主戦場を中隊の進路から引き離すのが戦術的な目的なのだ。
迷ううちに、幻獣たちの動きが幾らか落ち着きを取り戻す。的確に射線を相互補完し滝川を追い込み、背後に展開する形となったミノタウロスたちは拙攻を避けじわじわとにじり寄る。
足許に、生体ミサイルが着弾。
驚く暇も無く、キメラのレーザーが擦過する。
背後を映し出すサブモニターには、迫るミノタウロスの影。
「畜生ッ! こうなりゃ、イチかバチかだ!」
カッと目を見開いてそう叫び、滝川はただひとつ残された危険な突破口へと機体を跳び込ませた。
ゴルゴーンが放つ生体ミサイルの弾幕。その僅かな途切れ目に合わせ、渾身の力を込め地を蹴り抜く。
火線の集中する地獄の直中から、滝川の士魂号は高々と宙に身を躍らせ空を駆ける。その先には、なおも砲撃を続けるゴルゴーンの集団。
ジャイアントアサルト改を一射、二射。碌に狙いを定める余裕もなく、牽制以外のものにはなり得ない。
「間に合えぇーーーっ!」
叫びを上げ、鋭く跳び蹴りを繰り出す。狙いは、ゴルゴーンの背部ミサイル射出口。一歩間違えば、吐き出されたばかりの生体ミサイルと正面衝突だ。
瞼が開くように、ゴルゴーンの背にある射出口が開くのが見えた。
薄い蓋幕を押し退け、せり上がる奇怪な生体ミサイル。
「うおぉぉぉっ!」
間一髪、士魂号の踵がゴルゴーンの身体を捉えた。湧き出した生体ミサイルを体内へと押し戻し、そのまま背を蹴り抜く。
既に発射体勢に入っていた生体ミサイルが、ゴルゴーンの体内で強酸を撒き散らす。腰骨を砕かれ満足に身動きも取れぬまま、ゴルゴーンは絶叫にも似た唸りを上げ苦悶にのたうった。
その断末魔を尻目に、滝川は更に奥へと士魂号を駆け出させる。ミサイルごと蹴り抜いた反動で左脚部にレッドアラートが灯っていたが、構っている暇は無い。ともかく、あの目障りなレーザー砲台どもを何とか黙らせねば。
キメラに関しては、大した障害にはなるまい。あれだけ密集しているところへ斬り込めば、レーザーか、あるいは長い尾か、幾らかの反撃も食らうだろう。だが、その程度ならば伍長の整備してくれたこの機体が受けとめてくれるはずだ。
問題は、悠然と宙に浮くスキュラ。
この距離からのジャイアントアサルトでは、さほど有効なダメージは望めない。
背に負う120mm榴弾砲ならば、火力としては申し分無かろう。しかし、この兵器は立ち止まり膝をつかねば使えない。
では、どうするか?
「簡単なこった!」
頭に叩き込んだ120mm砲の取り付け角を反芻する。
身体で覚えた士魂号の姿勢傾斜を思い起こす。
目に焼き付けた榴弾砲の弾道曲線を中空になぞる。
あと少し。
ダッシュの体勢。
強力だが、使えない兵器がある。ならば、使えるように工夫すればいいだけのこと。
僅かに深く士魂号の機体を倒し込み、その瞬間、滝川は迷わずトリガーを引いた。
ゴゥッ、と轟音が唸り、同時に衝撃が機体と滝川の意識を揺らす。腰部から脚部にかけてのシステムモニターが、想定外の過負荷に一斉に悲鳴を上げる。
己の頬を張って、揺れる視界を無理に叩き直す。
そして滝川は、ニヤリ、と笑った。
ヘッドセットディスプレイに映し出される、己が脳裏に描いた通りの結果に満足したように。
「よっしゃぁっ! 覚悟しろよ、てめぇら!」
自信に溢れた雄叫びを上げ、滝川は墜落したスキュラの周囲で右往左往するキメラの群れに躍り掛かった。


「前方、幻獣勢力を確認。極めて大規模。総数40以上、うち四体はスキュラタイプと思われます」
「えっとね、ミノタウロスとゴルゴーンがあわせて18なのよ。どっちがどれだけかは、まだわかんないの」
「他、キメラが十体前後。霊子感受状態が悪く、現段階ではこれ以上のことはわかりません」
瀬戸口とののみから交互にもたらされる報告を聞き終え、善行は少しばかり唸りつつ呟いた。
「明らかな対戦車配置ですね……」
事前に生徒会連合本部より入手していた戦地の情報とは、少しばかり違う。阿蘇戦区の幻獣戦力は、既に大火力を誇る自衛軍を壊走させていることもあり、典型的な占領配置タイプにシフトしているとのことだった。それが事実であれば、鈍重な中型幻獣よりも動きの良い小型幻獣の方が多く実体化しているはずなのだが。まるで、戦車部隊が来襲することを事前に予期していたかのような、極端かつ重厚な布陣だ。あるいは、現状捉えている敵に倍する小型幻獣がいて、その姿を捉え切れていないだけか。もしそうなら、それこそ地獄の大釜以上の大戦力である。
だからといって、ここまで来て二の足を踏んでいるわけにもいかない。兵は神速を貴ぶ。敵に時間を与えることは、戦略術における禁忌の一つだ。まして、5121小隊は曲がりなりにも精鋭部隊。強力で強固な敵戦力を突き崩し、戦略上の突破口を開くのが務めである。
自らを納得させるために、ふむ、とひとつ頷き、善行は指示を与えた。
「小隊停止。士魂号各機、降車せよ。隊列を編成次第、小隊前進」
「はっ! 小隊停止! 士魂号、降車オペレーション入れ!」
若宮が復唱し、小隊が慌ただしく動き始める。
搬送トレーラーが野戦整備配置に展開され、士魂号をリフトアップ。原を中心とする随伴整備兵が急ピッチで機体の最終調整を行う間にパイロットが士魂号に搭乗、多目的結晶を接続し起動オペレーションに入る。
兵装の確認、安全装置解除、戦場状態の概要報告、オペレーターとのリンク。すべての作業は五分以内に完了され、臨戦態勢へと移行されねばならない。ある意味、部隊全体が最も忙しい時間だ。
「司令」
その忙しい最中、瀬戸口がオペレーターシートに着いたまま善行に呼び掛けた。その表情には、僅かに困惑の色がある。
「何か?」
善行は、その様子をチラリと一瞥し、淡々とした声で瀬戸口を促す。
「いえ、ののみが……」
歯切れ悪く言い淀む瀬戸口の言葉を遮り、ののみがどうにか状況を正確に伝えようと懸命な調子でまくしたてた。
「あのね、なんかね、たたかってるひとがいるのよ。でもね、すごいむこうこうのほうなの。ここからじゃ、よくみえないのよ」
その言葉を聞き、さすがの善行も眉を寄せる。
自衛軍の守備部隊は、先週撤退――事実上の壊走――したばかり。住民は泣く泣く土地を捨て、全員北熊本駐屯地に収容されたという。航空自衛軍は制空権の維持がやっとだとのことであったし、他の友軍が出るとも聞いていない。
「まさか。友軍はいないはずですが」
そう答えつつも、善行は心中頻りに首を捻っていた。ののみが嘘をつくとも思えないし、極端な悪天候や混戦でもない限り、彼女の同調能力をもってすれば戦況を見誤ることも無いだろう。少なくとも、戦いが行われているのかいないのか、その程度の判断を誤るようなことはあるまい。
となると、やはり戦闘は行われている?
だが、誰が?
何故?
考えをまとめきれぬうちに、慣れぬ実戦オペレーションで少々もたついていた茜機から報告が入った。
「こちら二番機茜。戦闘準備よし」
「整備長より司令。士魂号全機展開完了。作戦指示をどうぞ」
次いで報告された原の言葉に頷き、善行は作戦開始を告げた。
「5121小隊、善行より各員。状況開始。小隊前進」