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恐慌戦士〜フィアフルソルジャー〜 ――5.突破

「イッチ、イッチ、イッチニィッ!」
「そぉれぇ……」
いったい何を食っていればこんな大声が出るのか、と問いたくなるような軍曹の掛け声に、滝川は切れ切れの息で唱和する。
ちなみに、二人はランニング中。自衛軍流の掛け声を響かせ、急拵えの陣地の周囲をもう何度回ったことだろうか。時折、作業の合間に一息入れる整備兵や幻獣相手にはあまり意味の無い歩哨に立つ者から、頑張れよ、程々にな、などと、無責任な声援が送られている。もっとも、周囲の視線など軍曹は一向に気にしていなかったし、滝川にはそれを気にしているような余裕も無かったが。
どうにか門川で合流した中隊は、そこから西進し北方に陣地を張っていた。早急に今後の策を練らねばならないが、そのためにはとりあえず情報の収集が不可欠だ。それに、命に関わる可能性は低いとはいえ、第二分隊は中尉を含め2名の重傷者を出している。更に、民間人の体力を回復させる時間も必要だ。これらの事情により、中隊は一旦停止し斥候を放ちつつ次の行動に備えていた。
とはいえ、このような状況で実戦班員に出来ることなど限られている。わけても戦車兵である滝川は、士魂号の修理が終わるまではこれといってやることが無い。その時間を無駄に過ごすのもなんだから、という理由をつけられ、滝川は軍曹直々にしごかれていた、というわけである。
とりあえず走り込みには満足したらしく、軍曹は歩速を駆け足から早足に落とし、暫く進んでから停止した。
「これぐらいにしておきましょうか。いざという時、疲れ果てていて銃も取れないようでは本末転倒というものですしな」
もう充分疲れ果てているんだけど。
そう抗議したいような気もしたが、とりあえず滝川は何も言わなかった。正確に言えば、息が切れて言葉も出なかったのだが。
「では、自分は司令部に戻っておりますので」
そう告げて敬礼する軍曹に、滝川は形ばかりの敬礼を返す。
「ふへぇ……」
駆け去る軍曹を眺めながら、滝川は情けない声を上げて、ドカリ、とその場に座り込んだ。近くに停めてあった装甲車が作る日陰まで這いずって移動し、車輛側面を保護するスカートに寄り掛かる。
と、その頭上から気さくな調子で声が掛けられた。
「よう、十翼長。だいぶ、絞られたみてぇだな」
仰ぎ見れば、装甲車の上から伍長が顔を覗かせている。手にはスパナを握っており、何やら整備中だった様子。
「死ぬかと思いました……」
漸く息が落ち着いてきた滝川は、それでもなお深い疲労を感じさせる声でそう応じる。
「かっかっか。幻獣よりも怖いもの、情深女と鬼軍曹、ってか?」
笑いながら装甲車を飛び降り、伍長は続けた。
「まあ、兵隊さんの通過儀礼みてぇなモンだな。ウチの軍曹はレンジャー徽章持ってる猛者だからよ、ちぃと他のトコよか厳しいかもしんねぇが」
とりあえず、5121とは比べ物にならない厳しさだったことは確かだ。
「はぁ……」
げっそりとした顔で嘆息する滝川に、伍長は苦笑を漏らす。
「とりあえず、そこどいた方がいいと思うぜ。今から、コイツの試運転だからよ」
言いつつ、伍長は装甲車を軽く小突いた。
「わかりました……うへぇ、身体がだりぃ」
ぼやきつつも立ち上がり、滝川は伍長の隣に移動する。それを確認してから、伍長は大声で指示を出す。
「おーっし、エンジン始動! 爆発したら、ゴメンなぁー!」
装甲車の方から幾らか笑い声が返って来て、すぐにエンジンが掛けられた。ディーゼルの重い音を響かせ、エンジンは快調に回っているようだ。
「足回りも見といてくれや!」
その伍長の言葉に反応するように、装甲車がキャタピラ音を響かせソロリソロリと動き出す。その様子を見ながら、滝川は何の気無しに尋ねた。
「これって、ホントに装甲車なんですか?」
旋回砲塔に少々小振りではあるがスマートな砲を載せ、その脇には重MATが付属。小型ながら、スタイル的には戦車に酷似している。軍曹に、装甲車だ、と聞いていなければ、軽戦車だと思い込んでいただろう。
「おう。89式戦闘装甲車、愛称は……確かライトタイガーだったか? 自衛軍の誇る高性能ヴィークルだ。戦車と違ってエンジンが前方左側面に付いてるし、後部にゃ歩兵要員乗せるスペースもある」
自分が整備する物には愛着があるのだろう、伍長は何か得意げに解説を続ける。
「対空戦車と同形式の35mm機関砲に重MAT2発、あと7.62mm機関銃と分隊長込みで7人分の歩兵用ガンポートを装備。あらゆる幻獣に対して有効な戦闘能力を持ってる。最高時速は70キロメートル。結構速いぜ。装軌装甲車としちゃあ、破格の性能だな。もっとも、お値段の方も破格で、コレ1輛で74式戦車2輛買っておつりが来る」
「戦車2輛……」
滝川は、あんぐりと口をあけて臨時陣地を駆け回り機動確認をするライトタイガーを眺めた。よくぞ、そんな高価なものが手に入ったものだ。
この車輛は、延岡強襲作戦の戦利品のひとつ。搭載するためのスペースが輸送船に無かったのか、地下ハンガーに放置されていたそうだ。思わぬ拾い物である。
代わりといっては何だが、中隊はロングノーズを失っていた。追随する幻獣の目を欺くため、爆破放棄してきたとのこと。随分ともったいないような気もするが、人命には代え難い。それに、現在中隊が置かれている状況を考えれば、鈍重に過ぎるロングノーズが無くなったのは、かえって好都合と言えなくも無かった。彼らの主目的は可及的速やかに戦線を離脱することであって、幻獣支配地域に対する攻勢ではないのだから。
「ところで、さっき士魂号の整備が終わったんだけどよ、見に来るかい?」
さらりと告げられた伍長の言葉に、滝川は疲れも忘れて即答した。
「行きます、行きます! 俺の士魂号、直りましたか!?」
伍長は、わざとらしく肩をすくめ口笛など鳴らして訊き返す。
「そりゃまた、ひでぇ言い様だな。俺たちの腕を信じてないだろ?」
「そんなこと無いです! 早く、見せてくださいよ」
ニヤニヤ笑う伍長に真剣な面持ちで答えて、滝川は半ば伍長を引っ張るような感じで士魂号用の仮設ハンガーへと向かった。
「うわぁ……」
そして、滝川は絶句した。
「何か、士魂号に見えなくなってきましたね……」
伍長が、滝川の反応に抗議を示す。
「だぁっ! そう渋い顔するもんじゃねぇよ。しょうがねぇだろ、モノが無ぇんだから」
それは、わかっている。わかってはいるが。
「しかし、これは、また……」
滝川は、思わず唸ってしまうのを止め得なかった。そこに屹立する巨人は、彼の知っている士魂号とはあまりにかけ離れたものであったから。
「あー、聞きたそうな顔してるんで、一応説明しとこうか」
頭をかきながら、伍長が説明を加える。
「まず左手だが、指関節も手首も完全にオシャカだったんでな、大太刀を無理矢理溶接した。ついでと言っちゃナンだが、第二小隊の連中が気ぃ利かせて持ってきてくれた戦車用の補修装甲をぶった切って作った盾も付けといてやった。不細工だけどよ、コイツは強力だぜ。なんせ、74式の105mm砲を弾いちまう。んで次だが、銃を片手で持たなきゃならんようになったんで、右手も完全固定、ライフルの支持架だと思ってもらって差し支えねぇ。お陰で弾倉交換出来なくなったからよ、マガジン三つくっつけて大容量マグにしといた。装弾数はちぃと増えて、薬室込みで全20発。ま、こんだけありゃ大抵足りるとは思うんだけどな」
チラリと、滝川を見る。ショックを隠せない感じだった顔が引き締まり、伍長の説明にいちいち頷いている様子。頭の中では、既にこの機体での戦い方を組み立てているのだろう。
コイツ、いい顔になったな。
そんなことを思いつつ、伍長は説明を続けた。
「飛び道具が1コきりってぇのもチィと不安だったんで、背中に120mm榴弾砲付けといたぜ。この先どっちに行っても山だ、歩兵が持ってても運用に苦労しそうだしな。曲射砲撃のやり方は、後で教えてやる。もっとも、照準は似非特科の連中に教えてもらった方がいいだろうがよ。頭に括り付けてンのは、自動映像転送システム。要するに遠隔カメラだ。ただし、本隊にとっては、だけどな。さほど邪魔になるもんでもなし、付けといてくれや。一応、81榴での支援砲撃ンときは着弾観測にも使うつもりなんだからよ。あと装甲関係なんだが、足回りは可動範囲の問題で、どうしても普通の戦車用は付けられなくってな、例によってキャタピラ括り付けてある。あんまし、アテにすんな」
うーん、と唸る滝川に、ニヤリと笑って伍長が訊く。
「どうだい、士魂号M型宮崎エディションは?」
「これだけ武装付けると、機動力がかなり落ちるんじゃないですか?」
機動力にものを言わせる性質の士魂号にとって、それは死活問題だ。正直言って、火力はある程度のレベルがあれば贅沢は言わない。だが、機動力を殺されることは、士魂号の利点を封じられることに等しい。
滝川の心配を余所に、伍長は軽く笑って言った。
「骨格に影響与えねぇ範囲で、ありったけの人工筋肉を張りつけてやったからな、問題無いはずだぜ。もっとも、乗り心地は保証しねぇけどよ」
「それは、我慢しますよ。試運転、いいですか?」
伍長は、滝川の頭をくしゃくしゃにかき撫でながら答える。
「おう、見てやってくれや。頼りにしてるぜ、十翼長」


「延岡の突破は困難だ。かといって、南方に戻るわけにも行かない。東は日向灘、船が無いのではどうにもならん。となれば、残るは西。この内、北郷へ向かう街道は寸断されていることが斥候の調査により確認された。となると、残るはこのまま神話街道を西進、高千穂を抜けて熊本を目指す道しかない」
幹部を集めての作戦会議の冒頭、大尉はそう告げて周囲を見渡した。
第一小隊の隊長が、それに反応し手を上げる。
「神話街道の安全は確認されたのでしょうか。あそこは、十号線と違って橋やトンネルが多数存在しますが」
「少なくとも、青雲橋が落ちていないことまでは。その先は、正直言ってわからんな」
そう答えてから、大尉は滝川に視線を転じた。
「十翼長、君の記憶では、どうだ?」
いきなり話を振られた滝川は、少々戸惑いつつも懸命に記憶を手繰る。しかし、もとより記憶力のいい方ではないし、そもそもの問題として彼はどこをどう迷ってここに来たのかすらわからないのだ。
「ええっと、士魂号には、道はあんまり関係無いんで……」
それだけしか答えられないのも、何となく恥ずかしい。
自衛軍の前線会議は、5121の方針会議とは雰囲気からして違った。ピリリとした緊張が漂い、決定の一つ一つが己の生死に関わるような、真剣な重苦しさがある。
会議参加者は、大尉を筆頭に作戦参謀である中尉、第一・第二普通科小隊、特科小隊、整備小隊の各小隊長、特殊戦車小隊の隊長――隊員はいないのだが――ということになっている滝川の7名。それから、投票権は無いが下士官代表という形で諮問を受ける軍曹が臨席していた。
「しかし、一度も幻獣からの攻撃は受けていない。そうだろう?」
大尉の問いに、滝川は頷く。
「はい。影も形も見えませんでした」
「となると、未だ大規模な破壊が行われていない可能性も高い。個人的には、他の道を進むより良いように思えるが?」
大尉の意見に、一同は考え込むように唸った。各々に、幾つかの選択肢を思い浮かべ戦術を検討しているに違いない。
延岡強襲作戦『野分』は一応成功した。中隊は当面の行動に充分な物資を手に入れることが出来たし、威力偵察という目的も達成した。主に滝川の活躍――正式な作戦であればシルバーソードが獲れるほどのものだ――により、幻獣にそれなりの被害を与えることができたのも事実ではある。
しかしながら、やはり成功という言葉の前に、一応、と付けざるを得ないだろう。それは、別段自走型の重榴弾砲を失ったからでも、中尉を含め2名の重傷者を出したからでも、まして結果として第二分隊を救うことになったとはいえ命令違反を犯した滝川がこっぴどく怒られたからでもない。作戦の成果がほとんど次に活かされない類のものでしかなかったからだ。
まず物資だが、食料・医療品の類は結構な量が手に入ったのだが、武器に関してはそうはいかなかった。ライトタイガーなどは、例外である。殊に、電力供給が切れていたため人工筋肉や人工血液といったウォードレス部品が軒並み冷蔵庫の中で腐っていたのが痛い。どうにか使えそうな部分は持ち帰ったのだが、それも整備小隊の選別を経れば十分の一程度の量に減ってしまった。そもそも、ウォードレスのベースとなる接続服が手に入らなかったのでは補修資材にしか使えない。挙句、それらも盛大に破損してしまった士魂号の修理に使い果たしてしまうようでは、骨折り損というものだ。まあ、弾薬はそこそこ手に入ったのだが。
延岡に展開している幻獣勢力が思いのほか強大であったことも、方針の転換を検討させる要因となった。滝川の陽動によりミノタウロス、ゴルゴーンといった強力な幻獣をかなりの数討ち倒したが、それでもなお強襲部隊は虎の子のロングノーズを放棄せざるを得ないほどの幻獣に追い返されたのだ。スキュラがいなかったことこそ僥倖、と言うべき分厚い布陣である。中尉の見立てでは、来るべき大分攻略に備えて勢力の集結を計っているのではないか、とのことだが。
ともかくも、冒頭大尉が述べたように、延岡を突破し大分へ抜けるという戦略は非常な困難を伴うことが立証されてしまった。となると、やはり西進し熊本を目指すのが次善の策なのだが。
「高千穂を抜けるってことは、阿蘇に行くってことですよね? あそこは、熊本でも最悪の激戦区だからなぁ……」
おずおずと、滝川がそう述べる。滝川にしてみれば、この戦力で阿蘇に進入するというのも自殺行為のように思えてならない。
大尉は、頷きつつも静かに反論した。
「しかし、阿蘇なら多少なり味方の援護も期待できるだろう。上手くいけば、だが。欠片ほども援軍を期待できん延岡よりはマシだ」
「原則として、大尉の意見に賛同いたします。しかしながら」
それまで沈黙を守っていた中尉が発言する。
「私が懸念するのは、その阿蘇に到るまでの道程です。地勢から考え、日之影や高千穂に幻獣がいないとは思えない。そして、これらの地域で戦闘が発生した場合、山間部という地形が問題。まず間違い無く、非武装トラックの長大で無防備な隊列を敵に晒すことになる。そうなると、ウォードレス部隊とライトタイガーはこの護衛に回さざるを得ない。突破作戦を敢行するための有効戦力は、十翼長の士魂号一機ということになりますが?」
要するに、またも士魂号におんぶに抱っこ、中隊の命運を滝川一人の力量に委ねる形になってしまうことを憂えているのだ。軍隊というのは基本的に集団の運用によって作戦を遂行する組織であり、優れた個人に命運を委ねるような動きは忌避される。
「そこだな、問題は」
痛いところを突かれた、といった按配の表情を浮かべ、大尉は滝川に問い掛けた。
「近代軍組織の思想から外れることは承知の上で訊く。やれるか、十翼長?」
「やるしかないんでしょ?」
間髪入れず訊き返し、滝川は苦笑した。どうにも、こちらに来て以来選択の余地が無い状態で答えの決まりきった問い掛けを受けることが多い。
「だったら、やりますよ。その方が、生き残る目は高いんでしょ?」
ニヤリと笑い、大尉は一同を見回す。
「と、いうことだ。他に意見は?」
軽く唸る者、肩をすくめる者、苦笑を浮かべる者。反応は様々だったが、反論は無かった。
「では、決まりだ」
大尉が言うと、一同が頷く。中尉も、こうなることはわかっていたのだろう、澄ました顔で頷いている。
続けて、中尉が各隊の配置について色々と説明を始めるが、それに関しては滝川の出る幕などなかった。ロングノーズを失いライトタイガーを得たのに伴い幾人か隊員の異動が発表されたり、作戦に際しての細かな配置が議論されたりしているが、結局滝川が最前線で突出するという事実に変わりは無いのだから。
他、幾つかの報告と連絡があり、大尉が作戦会議の終了を告げた。
「では、解散しよう。なお、本作戦の作戦名を『神楽』とする。各自、準備に取り掛かってくれ」
さて、それじゃ士魂号の様子でも見に行くかな。
などと思いつつ席を立った滝川を、中尉が呼び止めた。
「十翼長、少しいいかね?」
「はい?」
怪訝な顔で振り返る滝川に、中尉は松葉杖を突いたまま軽く肩をすくめて見せる。
「何しろこのていたらくでな、時間を持て余している。そこで、だ。射撃の手ほどきでもしてやろう」
「ええっ!?」
滝川は、素っ頓狂な声をあげた。正直言って、中尉は苦手だ。それは滝川に限ったことではないらしく、周囲の声を聞いている限り隊員のほとんどが彼に苦手意識を持ているらしかったが。どうも、あからさまに士官風を吹かしている辺りが嫌われている要因らしい。言っていることが至極真っ当であるのも、この際悪い方向に作用しているようだ。
その中尉が、突然訓練に誘って来るなど、何の冗談か、もとい、どういう風の吹き回しかと考えあぐねてしまう。だいたい、中尉と二人で訓練となると、どうにも気まずい雰囲気になってしまいそうだ。
滝川の思いを余所に、軍曹が笑みを浮かべつつ言う。
「ほう、それは良い機会です。中尉は、毎年射撃演舞会の師団代表に選ばれるほどの方ですからな。十翼長も、大いに得るところがあるでしょう」
口には出さぬが、とほほ、と肩を落とす滝川。
どうにも、逃げられない様子だ。仕方なく、付いて来い、と天幕を出る中尉の後をトボトボと追った。
その様子を眺めつつ、大尉が心底驚いたような調子で呟いた。
「これは、珍しいものを見たな。あの中尉が……」
常日頃、素人に教えても意味が無い、と自らの技術を秘す傾向にある中尉が、わざわざこの時間の無い時に他人を訓練に誘うとは。中尉の性質をよく知る大尉としては、驚くべき出来事だ。
「認められたのでしょう。十翼長を」
さらりとそれだけ言って、軍曹は天幕を後にした。


「うへぇ……」
滝川は、またもへたばってライトタイガーの側面装甲に背を預けていた。強烈なリコイルの簡易狙撃銃を数限りなく撃ち続けたため、ストックをあてていた肩がズキズキと痛む。
中尉が、これほどのシゴキ魔だとは知らなかった。射撃姿勢が悪い、距離目測が甘い、風を読めていない、と、あれこれ注意を与え、その都度指摘点が改まるまで問答無用で撃たせる。銃の腕というものは、ある程度までは撃った銃弾の数に比例するものだ、とのことであったが、それにしても密度が濃過ぎではなかろうか。
まあ、おかげで確かに銃の腕は上がったように思う。訓練後半、銃弾が面白いように的に吸い込まれる様など、ある種の快感すら覚えたほどだ。サイティングのカンに関しては素晴らしい、と誉められたのは正直嬉しかったし。その後十倍以上の難癖を述べ立てられるというオマケは付いたが。
疲れ果て、ぼんやりと夕焼けを眺める。
明日は、朝から進軍開始だ。一日かけて、熊本を目指す。途中幻獣との交戦が無ければ、問題無く熊本市街まで辿り着ける距離ではある。
だが、そこへ到るまでには、日之影、高千穂、そして激戦区の阿蘇が横たわっている。状況が知れない日之影、高千穂も不気味ではあったが、勝負は高森に入ってから、いかにして阿蘇を突破するかに掛かっているだろう。
長い一日になりそうだ。そして、その一日が終われば、滝川は晴れて5121へ復帰できるはず。
5121か。アイツら、どうしてるかな?
埒も無いことを考えていると、滝川の顔へ不意に影が落ちた。
「あの……」
「あン?」
気が付くと、目の前に少女が立っていた。まだ子供、ちょうどののみと同じぐらいの年頃か。中尉か軍曹か、あるいは大尉辺りだろうと思っていた滝川は、思わず虚を突かれる。
何故民間人の子供などに声を掛けられたのか理解できず目を瞬かせていると、おずおずと少女の手が差し出された。
「あげる」
小さな、野花の花束。子供らしい、可愛いプレゼントだ。
なるほど、俺を励まそうとしているのか。
そう理解すると、何だか嬉しいような、気恥ずかしいような気がして、滝川は照れ笑いを浮かべた。
「ん?ああ、サンキュ」
「これもあげる」
今度は、栄養剤の入った給水パックを差し出してくる。民間人に渡されている食料物資は、最低限のものでしかないはず。その中から遣り繰りして滝川のためにと持ってきてくれたのだと思うと、無性にありがたくて涙が出そうになる。
「いや、それはいいや。お前の分だろ?」
喉はカラカラだったが、滝川は少女の申し出を辞退した。必要以上この子に負担を掛けるのは気が引けたし、気持ちだけで充分に癒されたように思ったからだ。
「うん……」
少々不満気な顔で手を引っ込めてから、少女は遠慮がちに言った。
「あの、頑張ってね」
「了解! 任せときなって」
滝川は、跳ね起きるように立ち上がってそう言うと、少女の頭を撫でてトラックへ戻るよう言ってから、身体を休めるため寝床へと向かった。


「前方、幻獣の反応あり! 実体化まで20分、コールナンバーV3!」
士魂号のコックピットでその知らせを聞いた滝川は、やはり来たか、と身を固くした。
中隊は、先刻日之影を通過。僅かに幻獣実体化の兆しが見られたが、実体化まで2時間以上とのことであったため捨て置いて全速で高千穂へと向かった。
途中、幾つかの橋梁とトンネルを抜け、どうにか高千穂へ。高千穂市街地まであと僅かとなったところで、斥候からのV3コールだ。
「十翼長、士魂号起動! 行けるか?」
「士魂号、ホット・スタンバイ済み! いつでもどうぞ!」
大尉からの要請に、滝川が怒鳴るように答える。
「よし。中隊は、このままライトタイガーを先導に高千穂を抜ける。十翼長は高千穂市街へ進入、幻獣実体化後五分だけ時間を稼いでから撤退しろ。その後、ポイントB7Aで落ち合うぞ!」
「了解! 総合公園前で降ろしてください」
総合公園前の交差点で士魂号を降ろし、中隊はそのまま僅かに西進した後北へ。そして、滝川は少しだけ南に下りて高千穂市街へ。
中尉が想定した作戦通りだ。むっすりとした気難しい人物だが、善行もかくやという切れ者振りは、さすがと言う他ない。
「おっし! 行ってこいや、十翼長。阿蘇もあるんだからよ、出来るだけ壊すんじゃねーぞ!」
伍長の言葉に送り出され、滝川は一人隊を離れた。
少々心細さを感じつつも、臆せず市街地へと歩を進める。
いかにも山間の田舎町といった風情。高層建築物は無いが地形自体の高低差がかなりあり、立体的な機動も可能と思える。
「幻獣実体化まで30秒!」
本隊から、無線でそう報告がある。
「まずは、コイツからかな?」
自問するように言いつつ、滝川は士魂号に膝を突かせた。背に負う120mm榴弾砲、とてもではないが立射は不可能だ。見通しのよい丘の上に陣取り、前傾姿勢をとる。ミサイル撃つ時の複座型みたいだな、などと思いつつ、滝川はモニター越しに目を凝らした。
じわり、と染み出すように空気が揺らぐ。何度見ても怖気が走るのを拭えない、幻獣の実体化だ。
とりあえず、狙いはあの揺らぎの地点だ。相手の正体はまだ知れないが、手早く初撃を与えておくにこしたことは無い。
「すこし、東風か……」
呟いて、若干狙いを補正する。コックピットの中では湿度まで感じ取れないが、この状況ならさほど影響は無いだろう。
揺らぎが影となり、影が確かな輪郭を備え始める。それは、幻獣が最も無防備な姿を晒す瞬間。
「行けっ!」
叱咤するように短く叫び、滝川は砲のトリガーを引いた。
轟音が響き、士魂号の背に結わえ付けられた120mm榴弾砲が火を吹く。その反動に、士魂号のボディが大きく揺らぐ。必ずしっかりと膝を突いて使え、と教えられた理由がわかろうというものだ。
心持ち射線をずらして放たれた120mm榴弾は、大きく弧を描きつつ風に流され、見事に実体化直後の幻獣どもの頭上に落下した。
ジャイアントバズーカもかくや、という強烈な爆発がゴルゴーンを呑み、盛大な爆風が周辺に展開していた小型幻獣をまとめて吹き飛ばす。
「よっしゃ、上々だぜ!」
だが、ここで止まることは許されない。大尉は五分だけ持たせろと言ったが、それでは不充分だろう。敵に追撃の機会を与えるような戦力を残してはならない。実態は、制限時間付きの殲滅作戦のようなものだ。
「お次は、どこだ」
呟きつつ、周囲を確認する。
ゴルゴーンかミノタウロスと思われる大きな影が3つ、きたかぜゾンビと思しき宙に浮く影が同じく3つ。それと、ゴブリン・リーダーに率いられた小型幻獣らしき影もある。長大な射程を誇るキメラや空中要塞のスキュラが見当たらないのは幸いだが、戦力的にはかなりのものだ。
「へへっ。五分で、どこまで落とせるかな?」
ともすれば弱気になりそうな自分を励ますため、無理に不敵な笑みを浮かべてみる。
ふと、昨日プレゼントされた可憐な花束が視界の端に映った。お守り代わりにと持ち込んでいたものだ。
「やらなきゃなぁ、やっぱ、マズイっしょ」
守るべきものがある。この一挙手一投足に、あの子たちの安全がかかっているのだ。
歯を噛み締めて頷き己の意思を確認すると、滝川は士魂号に地を蹴らせた。
回り込みつつ、中型幻獣の集団へと迫る。
小型幻獣は、当面無視。
どうせ、連中には中隊を追撃するだけの力は無い。
「ミノすけ2、ゴルが1かい!」
確認するように叫び、右手のジャイアントアサルトを一射。迫るゴルゴーンに一撃を加える。
左手へ跳び退く。そこへ、駆けつけたきたかぜゾンビのロケット弾。
右前方へ跳び込み、ゴルゴーンに肉薄。跳び込みざま大太刀を横薙ぎに一閃する。
ゴルゴーンの顔面をザックリと引き裂き、すかさずバックステップ。
振り上げた拳を打ち下ろすべき対象が眼前から消え戸惑うミノタウロスに、至近距離からのジャイアントアサルトの一撃。
きたかぜゾンビからのロケット弾。かわす余裕が無い。
「くっ!」
呻きながら、やむを得ず急拵えの盾をかざす。上手く装甲で受け止めることが出来、ロケット弾は虚しく弾け飛んだ。
受け止めたとはいえ衝撃に揺らぐ士魂号を、無理に右手へとジャンプさせる。それで、危ういところでミノタウロスの生体ミサイルをかわすことが出来た。
「こりゃ、たまら、ねぇ!」
噛み締めるようにぼやき、ジャイアントアサルトできたかぜゾンビを狙う。
一射、二射。砲弾がヘリを模した歪な幻獣に突き刺さり、空中で四散させた。
と、目の前にミノタウロス。
「うおっ!?」
咄嗟に、左腕の盾をかざす。
グワン、と全身を揺さぶられる衝撃が走り、一瞬意識が揺らぐ。何とか槌のごとき拳を受け止めたが、衝撃までは完全に殺せていないのだ。他の幻獣の兵器には無い、純粋に物理的な破壊力を追求されたこの攻撃の恐ろしいところである。
「くそっ、くたばれっ!」
だが滝川は、臆せずミノタウロスを押し返し、無防備な腹部にジャイアントアサルトの砲弾を叩き込んだ。
轟音が空気を引き裂き、恐るべき威力を秘めた火の槍がミノタウロスの固い表皮を貫く。よろめくようにニ・三歩後ずさり、陸の王者はズシンと地響きを立てつつ巨大な体躯を地に横たえた。
残る一体のミノタウロスの射線を巧みに避け、滝川はきたかぜゾンビを狙う。
流れるような動き。2回だけ、立て続けに響く轟音。
一発も外すことなく、僅か2発の砲弾で滝川は目標を仕留めた。
「へっ! どうするよ、ミノすけちゃん?」
興奮した声で、嘲るように問い掛けてみる。
幻獣がその問いに答えるはずもないが、戦意は失っていないようだった。むしろ、赤い瞳に怨嗟の暗い光を灯し、猛然と士魂号に突進する。
「上等だぜっ! 来いよぉっ!」
叫んで、僅かにバックステップ。微妙に間合いを外し拳をかわしつつ、ジャイアントアサルトのトリガーを引く。
肩口に砲弾を受け体勢を崩すミノタウロスに、滝川はすかさず袈裟懸けに大太刀を叩き込んだ。刃は、胸の半ばほどまで食い込んで止まり、気色の悪い体液が噴き出す。
ピーン、と、多目的結晶が気の抜けた音を立てた。幻獣実体化より、五分が経過した合図だ。
「交戦終了……!」
身を捻り大太刀を引き抜く。ミノタウロスがスローモーションのようにゆっくりと崩れ落ち、大地を鳴らした。
「士魂号滝川より本隊。交戦終了、合流ポイントへ向かいます」
「了解した。十翼長、奮戦を称える」
それだけの通信を交わし、滝川は逃げ惑う小型幻獣を捨て置いて高千穂を後にした。
1時間後、中隊は高千穂突破に成功。
地獄の大釜と壁一枚を隔てた阿蘇外輪山地帯へと到達した。


時間は、少し遡る。
茜大介は、不機嫌な表情を隠そうともせずに、要請に従い小隊隊長室に出頭した。
「それで、何の用だい?」
声まで不機嫌そうに、上官に向けた発言としてはあまりに不作法な態度で訊く。
「すみませんね、こんな時間に」
5121小隊司令善行忠孝は、茜の態度を特に気にした風でもなく、また一向に悪びれた様子もなくそう答えて、茜に椅子を勧めた。
時刻は、既に深夜零時を回っている。幾ら慢性的に時間に追われる実戦部隊とはいえ、この時間まで動き回っている者は少ない。
デスクワークに追われる善行、整備の城を預かる原、それに、先日二番機パイロットに志願した茜ぐらいのものだ。茜とて、一番機、三番機に比べ遅れている二番機の調整という火急の用件でもなければ、こんな時間まで仕事に掛かり切りでいようとは思わない。
「フン……訊きたいことがあるなら、さっさと言え。無駄に夜更かしするような趣味はないんだ」
憎まれ口を叩く茜に、善行は片手で眼鏡の位置を直しつつ訊いた。
「確かに、健康管理も重要な仕事ですからね。では、単刀直入に訊きますが、二番機の状態はどうです?」
「そうだな」
少しだけ首を捻り、茜は答える。
「悪くない……と今朝までなら言っただろうな」
「ほう、それはつまり?」
敢えて茜の口から言わせようとする善行の態度に苛立ちを感じつつ、茜は不機嫌を音にしたような声で言う。
「完璧だよ。これ以上は、調整してもあまり意味はないな」
「結構」
善行は頷き、椅子を回して身体ごと横を向き、壁に掛けてある九州中部戦域図に視線を走らせた。
「そろそろ頃合ですか」
「待て……どう言う意味だ」
善行の態度に不穏なものを感じたのか、茜は椅子を蹴って発言の真意を問う。
善行は、何の気負いもない様子で事も無げに答えた。
「先の戦いで特別戦区の幻獣勢力を削ぐことには成功した……次は、その外堀ですよ。順序は、普通と逆ですがね」
「貴様……!」
茜は、思わず善行に詰め寄る。
善行は、阿蘇特別戦区の戦いが小隊に何をもたらしたのか覚えていないのか?
人型戦車は全機全損、スカウト1名が病院送り、小隊戦力の実働戦力は指揮車と来須のみというていたらく。それが、阿蘇特別戦区における一戦の結果だ。しかも、滝川の行方は今もって知れず生存は絶望的。それを、成功した、と言える神経が理解できない。
善行は、いささかも動じることが無い様子で、チラリ、と茜に視線を送り、冷ややかに宣言した。
「せっかくですから、先に伝えておきましょうか。5121小隊の守備担当地域を阿蘇戦区に変更します」
今にも飛びかかってきそうな形相の茜に、善行は薄ら笑いすら浮かべて見せる。
「明日は、出撃があるでしょう。早く帰って、ゆっくりと休息を取ってください」
この男には、何を言っても暖簾に腕通しなのだろう。
そう理解した茜は、退去の言葉も無く小隊長室を立ち去った。
そして翌日。
善行は兵員を召集、阿蘇戦区の幻獣支配地域に対する攻略作戦を発令した。