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恐慌戦士〜フィアフルソルジャー〜 ――4.勇戦

頼りになるものなど、そう多くない。
磨き上げた己の感覚。この際、他の何よりも頼りになる。
前時代的とはいえ一応は全員に行き渡っているナイトスコープ。ウォードレスのヘルメットに仕込まれているものに比べれば重くかさばる上に精度にも疑問が残るが、無いよりは遥かにマシだ。
しかし、肝心要の手にする武器が良くない。工夫次第で敵は倒せる、と言う者もいるが、現実問題として多寡だか7.62mm口径の簡易狙撃銃でどうやって中型幻獣に立ち向かえというのか。この口径の弾では、中型幻獣を一撃で仕留めることは、まず不可能。とはいえ、7.62mm強装弾は発射反動が激しいためマズルジャンプを抑えることが難しく、連射には適さない。
――最悪の状況だな。
中尉は、声には出さずそう独りごちた。
曹長による民間人の脱出が成ったことは、不幸中の幸いか。もっとも、本来の指揮官である曹長を欠くためか、第二分隊の士気は低い。あるいは、曹長が提案したように彼ではなく中尉が民間人の誘導にあたった方がよかったのかもしれない。少なくとも、分隊の士気を落とせしむるような結果にはならなかったはずだ。
自らの人望の無さに苦い笑みを浮かべつつ、中尉はかぶりを振った。
今更そんな詰まらないことを考えていても仕方が無い。成さねばならぬのは、この門川を死守することだ。極めて困難ではあるが、門川を放棄することは出来ない。この地を失うことは延岡強襲に向かった本隊が挟撃を受けるということであり、更には北方へ退避した民間人が本隊と分断されてしまうということ。それだけは、是が非でも避けねばならない。
自身を含めた手持ちの戦力は、警備部隊にも劣る装備しか持たぬ歩兵7名。まともに交戦すれば、鎧袖一触の憂き目を見ることは確実だ。
だが、時間稼ぎならば出来る。
2名ずつ組ませて展開、相互に連携しつつ敵を翻弄すれば、しばらくは持ちこたえることが出来るだろう。それが出来なくなった時は、各自散開してゲリラ戦に移行する。小なりといえ生者ある限り、幻獣が戦いをやめることはあるまい。生きている限り、戦っている限り、連中をこの場所に引きつけておくことは可能なのだ。どれほどの時間持ちこたえることが出来るかは、中尉にも見当がつかなかったが。
いずれにせよ、やるしかない。
その上で生き残れるかどうかは、運命を司る気まぐれな誰かが決めることだ。


「どういうことなんだよっ!?」
ほとんど詰問といった調子の声で怒鳴りつつ、滝川は曹長に詰め寄った。
その剣幕に圧されたように少々どもりつつ、曹長は事情を説明した。
要約すれば、こうだ。
『野分』作戦開始後、後方に控える第二分隊のレーダーが幻獣の影を捉えた。どこから湧いて出たものか判然としないが、中尉の見解によれば先の日向市突破作戦『橘』――滝川が中隊と遭遇した戦いだ――において討ち漏らした勢力の追撃隊だろうとのことだ。
相手の素性がどうであれ、それが敵であり、分隊と民間人を放置してはおかないだろうということは確かである。幾らか考えた後、中尉は曹長に対して簡潔に指示を与えた。
民間人を避難させよ。分隊は中尉が預かり、門川にて徹底交戦する、と。
無論、曹長はその指令に反対した。第二分隊の戦力でまともな戦闘行動など期待できるものではなかったし、何よりも、第二分隊の指揮官は曹長だ。この分隊の指揮に関しては中尉よりも遥かに上手くやってのけるだけの自信もあったし、部下を死地に残して戦場を離れるなど納得できようはずもない。
せめて、曹長と中尉の役どころを交換してくれるよう頼み込んだが、中尉は頑として首を縦に振らなかった。
残留部隊を預かったのは中尉であり、下士官はその命に服さねばならない。
民間人の避難誘導という作戦行動を行う以上、兵に命令できる人間がそれに従事せねばならない。
そして、中尉がこの地を離れることは、大尉の命令に反する。
中尉は、にべもない口調で曹長にそう言って聞かせ、最後には、議論している時間は無い、と曹長を突き放した。
納得は出来なかったが、まさか民間人を放り出して門川に残るわけにもいかない。やむなく、曹長は中尉の指示に従い、隊員一名と共に民間人を誘導し門川を離れた。そして、どうにか北方に辿り着き滝川と合流した、というわけである。
「十翼長、民間人をお願いします」
一通りの説明を終えた曹長は、少しばかり思い詰めた面持ちでそう言った。
「何? どういう意味だよ」
怪訝な顔で訊き返す滝川に、曹長は敬礼しつつ答える。
「小官らは、これより原隊に復帰するため門川へ向かいます」
滝川は、カッと、頭に血が昇るのを感じた。
「冗談じゃねぇ!」
気付けば、そう怒鳴っていた。
「行くなら、俺だ! 俺じゃなきゃ、意味無いだろ!」
感情が先行して、脳が認識する前に言葉が出ている感じだ。実際、理屈など放り出してしまっている。手が出ないだけ、滝川にしては分別ある行動と言うべきかもしれない。
「しかし!」
自分には軍人としての死に場所も与えてもらえぬのか。
曹長は、そんな思いを胸に、見ようによっては泣き出しそうな顔で滝川に食い下がる。
だが、滝川は吐き捨てるように、きっぱりと言った。
「歩兵が二人ぽっち戻って、どうなるってんだよ。士魂号が行かなきゃ、助けにはならねぇだろ」
言葉にしてから、滝川は頷く。
そうだ、それが一番じゃないか。
こんな単純なこと、どうして俺は真っ先に考え付かなかったんだろう?
「ですが、民間人は!」
曹長とて、必死だ。ここで滝川に民間人を放り出されては、何のために後ろ髪引かれる思いで門川を後にしたのか分からなくなるではないか。
だが、滝川は士魂号のコックピットによじ登りつつ、事も無げに応じる。
「悪ぃけど、このままガードしといてくれよ。そうだ、俺の後を付いて来てくれればいいや。ここまで、幻獣は出なかったんだろ?」
「確かに、その通りですが……」
もはや唖然とする他は無く、曹長は口篭もった。
民間人を連れて、危険地域に戻れだと?
正気の沙汰ではない。やはり、士官とはいえ学兵か。
「だったら、決まりだぜ。大丈夫、俺、負けねぇから」
コックピットに潜り込む前に曹長を見下ろしつつそう言って、滝川は、ニカリ、と笑った。震えを抑えるように額に手をやり、バンダナをずり下げて押さえるような形で視線を隠しつつ、決然とした声で問う。
「負けられねぇだろ?」
曹長は言葉も無く、撃たれたように立ち尽くした。唇が、自然にわななく。
滝川の行動は、戦術の常道からは完全に外れている。論外だ。不確定の、しかも非常に困難と思える勝利を前提に行動を決めるなど、軍人としてあってはならないことだ。
だが、その言葉には、何故かは分からない、確かな説得力があった。決して負けられぬ、その決意だけで既に勝っている。そんな響きがあった。
思えば、自分は感傷に浸っていただけなのかもしれない。自分が門川に戻ると言ったのは、敗北を前提として、せめて部下たちと共に死せんと望んでのことだった。
それに比べ、滝川はどうか。彼は、あくまで勝利を求め戦場に赴こうとしている。
勝利を求める、それをやめた時、決して勝利は得られない。そこには、無残な敗北が転がるだけだ。単純なことだが、それは真理。
自分は、共に死すという覚悟を決めたつもりで、その実仲間たちを見捨ててはいなかったか?
己がとろうとした行動は、自身の命と共に戦友を見捨てることではないのか?
滝川は、それをきっぱりと否定したのだ。彼の胸の内にどのような思いがあるのかまではわからないが、己を哀れみ死すよりも信じて共に立ち向かえと言ったのだ。
そう理解したとき、曹長は知らず直立不動の姿勢をとり、コックピットに消える滝川に敬礼を捧げていた。
「……了解! 民間人を保護誘導しつつ、十翼長を追随します」
負けない。このパイロットならば、絶対に負けない。
士魂号は傷付いていたし、砲弾も尽きてはいたが、それでも彼が負けることは無い。
兵にそう思わせる、それが士官の器というものだろうか。
多寡が学兵?
笑わせるな。
彼より強い兵は、そうはいない。
戦術の常道?
糞食らえだ。
理屈で勝てるなら、今頃学者様の天下さ。
信じればいい。
信じて銃を取れば、必ず勝てる。


中尉は、路地を駆けつつ進退極まっていた。
やはり、自分にこの分隊の指揮は無理だったのだろうか?
Bチームの連絡が、途絶えた。弾を撃ち尽くしてしまった、という交信を最後に、だ。
早まって特攻でもしたか、あるいはそうするまでも無く幻獣に引き裂かれてしまったか。
いずれにせよ、残るAチーム、Cチームに動揺が走っているのは否めない。落ち着いて目の前の敵に対処せよと言い聞かせてはいるのだが。
「チッ!」
短い舌打ちをして、中尉は手近なブロック塀の影に滑り込んだ。
路地の向こうにはゴブリン・リーダー。下手をすれば、ウォードレスを着ていても手痛い一撃を食らいかねない相手。まして今の装備では、出来るだけまともな交戦は避けたい。では、どんな相手とならまともに遣り合えるのか、と訊かれれば返答に窮するが。
危ういところだった。中尉が気付くのとほぼ同時に向こうもこちらを認識したらしく、無限に涌き出る悪夢のような手斧を投げつけんと構えを取ったところまで見えていた。
素早く周囲を確認。後背には、一応まだ安全と思われる路地が続いている。
一度退くか。
まるで、バックアップ無しのポイントマンだ。敵を見付けたところで、何も出来ず逃げるだけ。まったくもってジリ貧、突破口は欠片も見当たらない。
延々と続く緊張状態と、先の見えぬプレッシャーで、精神が押し潰されそうになる。相応に負けることを前提にした訓練を積んでいる士官の自分がそうなのだ、勝つことしか教えられていない兵卒にとっては、たまったものではないだろう。
ともかく、敵に生存者ありを確認させることは出来た。一旦転進して再度機を窺うべし、だな。
そう思い踵を返そうとした瞬間、左手の多目的リングが淡い輝きを放った。それは、粘着テープで頭部に張りつけられている接続ケーブルを介し、脳内に響く声として伝わる。
『こちらAチーム。間も無くBチームの展開ポイントに到着する。Cチーム、援護を』
――あの馬鹿どもは!
思い切りそう怒鳴りつけたいという衝動をどうにか抑え、中尉はギリリと歯を噛み鳴らした。
敵戦力を分散させるのがこちらの狙いなのに、少ない戦力を集中させてどうするか。一点突破してどうにかなる状況ならば、それもよかろう。だが、今はいかに耐え忍ぶかが戦術の要となる時だ。これは、一種の陽動。逃げるが勝ちの、負け戦。そんなことも、わからないのか。それとも、わかりたくないのか?
気持ちはわからないでもない。戦友を見捨てろなどという命令、はいそうですかと受け入れられる方がどうかしている。
だが今、勝利のために、その冷酷さは是非とも必要なのだ。いずれ我が隊が勝つために、今は非情な敗北を受け入れねばならない時。
それがわからぬのか?
お前たちは、勝ちたくはないのか?
「Aチーム、Cチーム、独断行動は慎め! 今は、各個に持ちこたえるのが……!!」
中尉の指示は、そこで押し殺した悲鳴となって途切れた。
左足太腿に、深々と突き刺さったグロテスクな刃物。鈍い刃と確かな重量を備えた、しかし幻のトマホーク。
しまった。
ついカッとして、すぐ近くにコイツがいることを失念してしまった。
標的の足を奪ったゴブリン・リーダーが、ゴブリン類特有の甲高くおぞましい鳴き声を漏らしつつにじり寄る。どうやら、このような場合にでもあの忌々しい習性を放棄するつもりは無いらしい。
左足を見る。
幸か不幸か、主要血管は破れていないようだ。失血死するには、多少時間が掛かるだろう。とはいえ、動けないことに変わりは無い。
兵の信任を得られなかった、無様な士官の末路。奴の贄として最期を迎えるのも、私には相応しいのかもしれない。
「Aチーム、Cチーム――」
だが、私は最後まで士官として振舞おう。彼らが、私の言葉を受け入れるか否かは別として。
「ゴブリン・リーダーに捕捉された。経戦不能。最後に命ずる。あらゆる死を乗り越え生き延びろ。いずれ来る勝利のために。なお、ゴブリン・リーダーの習性は各自認識していることと思う。以後、私の言葉は全て無視するよう」
それだけ告げて、中尉は接続ケーブルを引き剥がした。何事か返信があったようだが、今更聞く必要は無いだろう。
では、せめて一撃食らわせておくか。
そう思い、震える手で簡易狙撃銃を構える。
その時。
一陣の風が吹いた。
そう感じたときには、目の前に迫っていたゴブリン・リーダーの姿は宙にあった。その異形の体躯からは体液が噴き出しており、深刻な外傷を負っていることがわかる。恐らくは、致命傷だろう。
そして、かの怪物の代わりにもうひとつの異形が中尉の傍にあった。天空まで突き抜けるように斬り上げた太刀を引き戻し、中尉を見下ろす異形の人型戦車。
「士魂号M型……馬鹿な、何故?」
中尉は、足の痛みも忘れ呆然と呟いた。次いで、頭に血が昇る感覚があり、それは叫びとなる。
「十翼長! 何故ここにいる。民間人は、どうしたのだ!」
私の命令は、無視されるためにあるのか?
そう、ぼやきたくもなろうというものだ。
しかし、士魂号がその問いに答えることは無く、ただ己の存在を誇示するかのように夜戦用のアクティブライトがギラリと輝かせ、ねめつけるかのごとく周囲の状況を確認するだけ。
よく考えると、つい先ほど通信用の接続ケーブルを引き剥がしたばかりだった。これでは、滝川が返答をよこしても聞き取ることが出来ない。
中尉は、苦虫を噛み潰したような表情でケーブルを手繰り寄せ、改めて滝川に通信を送った。
「十翼長、どういうつもりだ!」
「中尉、敵は!」
緊張した声で、滝川がそう訊き返す。
中尉は、怒りやら何やら様々な感情が入り乱れる顔で数回口をパクパクと蠢かせてから、咳払いをひとつして絞り出すような声でとりあえず答えた。
「ゴブリン、ヒトウバンが大勢を占める編成だ。ミノタウロスとゴルゴーン、それからきたかぜゾンビ、少なくとも1ずつを確認している。他のチームからの連絡では、キメラも数体出ているらしい」
「わかりました。すぐ片をつけます。Aチーム、Cチーム、中尉は無事だ! 手当ては任せる!」
「ちょっと待て、十翼長! 私の質問……」
「話は後です!」
それで通信を打ち切り、滝川は士魂号をダッシュさせた。まずは、散開したチームと中尉を結ぶライン上の安全確保だ。
士魂号が駆け去った後には、怒っていいものか、驚いていいものか、あるいは他のどんな表情を浮かべればいいのか、判断を付けかねポカンと口を開ける中尉が残されるばかりだった。


駆ける。
延岡とは違い門川にはこれといった高層建築物は無い。幻獣に破壊された家屋のなれの果てとおぼしき瓦礫の類も、士魂号の身を隠すことはおろか踏み台にすることも出来そうに無いものばかり。歩兵の視点では随所に遮蔽物があるのであろうが、士魂号にとってはオープンスペースだ。
その地形が、今はありがたかった。現在使用できる兵装は右手に握る超硬度大太刀一振り。となれば、士魂号軽装甲仕様が採れる戦術など決まりきっている。
疾風の速さを活かしての、ヒット・アンド・アウェイ。それが全て。
この平坦な地形は、その戦術に実によく適合している。見通しが良く敵の位置を把握し易いのも利点だ。
前方に、蠢く小さな影の群れ。ゴブリンとヒトウバンの混成部隊だ。奥の辻からは、第二分隊の隊員たちによるものと思われる散発的な射撃が行われている。
「小うるさいんだよ、お前ら!」
滝川は一気に間合いを詰め、地を舐めるように大太刀を薙いだ。
背後から直撃を受け、絶命した挙句宙に放り出される者。
荒れ狂う剣風に巻かれ、近くの壁に叩き付けられて動きを止める者。
路傍の雑草でも刈り取るような士魂号の一挙動で、幾つもの異形の命が霧散する。
仕留め損ねたゴブリンを、巨大な足で踏み潰す。ヒトウバンは、左の裏拳で叩き伏せた。狂ったように飛び掛かって来るゴブリンに、引き戻した大太刀を突き立てる。
第二分隊を悩ませていた雑兵どもは、それこそあっという間に幻に還って行った。
少し離れたところで賞賛の、あるいは礼の叫びをあげる第二分隊の兵士たち。その様子を視界の端に捉えつつも、滝川の意識は次なる標的へと向けられていた。
小山のような影がふたつ。ゴルゴーンか?
ならば、正面強襲は出来ない。真正面から突っ込めば、生体ミサイルのいい的だ。
射線から逃れるため、滝川はとりあえず右へ跳ぶ。
と、着地点のすぐ側に蠢く影。
「うわっ!」
滝川は、目を剥いて叫びつつ、咄嗟に大太刀を右側面に振う。
しかし、剣技に長ける壬生屋であればいざ知らず、もとより接近戦を得手とはしていない滝川の、それも半ば衝動的な動きだ。まともに命中しようはずも無い。ガッ、と耳障りな不協和音を立てて、相手に命中したのは刃ではなく硬化テクタイト製の肘部装甲だった。
予測外の衝撃に、士魂号の上体が泳ぐ。
「くぅっ!」
唸りつつ、滝川は何とか体勢を立て直そうと優先行動指示を叩き込み、不意に思い付いて慌ててそれをキャンセルした。めまぐるしく変更される機動指示にシステムが追いつかず、士魂号はそのままバランスを失い背から地面に倒れ込む。
と、士魂号のセンサー・アイが眩い閃光を捉え、一瞬だけ保護フィルターが掛かり視界を失う。
高出力レーザーだ。あのまま体勢を立て直していれば、至近距離で直撃を受けるところだった。
保護フィルターの効果が切れ、漸く相手の正体が見て取れる。攻撃手段を長距離レーザーに特化した、歩くレーザー砲台キメラ。
「ンにゃろぉっ!」
気合を入れるように叫び、滝川は地を背にしたまま左足を蹴り上げた。上手く主眼の下あたりを爪先で蹴り上げる形になり、キメラがよろめく。
起き上がりざま、大太刀を真っ直ぐに突き出す。切先はキメラの主眼を貫き、甲殻を破り背へと抜けた。
グラリと傾き地に伏すキメラを横目に、滝川は大慌てで立ち上がり、すぐさま前方にジャンプ。案の定、間髪入れずそれまで士魂号が倒れていた地点に数発のミサイルが降って来る。
オープンスペースでの機動戦は、息をつく暇さえ無い。立ち止まるということは、イコール敵弾の的になるということだ。滝川は、とりあえず士魂号を駆け出させ、駆けつつ改めてゴルゴーンの位置を探った。
そうこうしながら、ふと、考える。
何故、あの時わざと倒れ込むような判断が出来たのだろう?
どうして、ミサイルが飛んで来るとわかったのだろう?
これが、速水だというのなら、わかる。速水のカンの鋭さは、並大抵じゃない。
敬愛する来須の所作であれば、理屈抜きに納得できただろう。やっぱり、この人は凄い、と。
だが、自分にそれほどの力があったか?
剣を取っては壬生屋に及ばず、得意の銃も速水に劣る。兵としての力量を測れば、来須や若宮に勝るところなど何も無い。それが滝川陽平であったはずだ。
自らの、あまりに不可解で的確に過ぎる行動を怪訝に思いつつも、滝川は側面へ回り込みゴルゴーンに迫る。
あれ?
そういえば、俺はどうして怖くないのだろう?
こんなに近くに、敵がいるのに。
そこまで思い至ったところで、滝川は意識を目の前の事象に引き戻した。もう、目標は目と鼻の先だ。
そのまま跳び掛かれば超硬度大太刀の有効距離であったが、敢えて一度右に跳び回り込む。数瞬遅れて、ゴルゴーンが飛び跳ねるように向きを変えた。あのまま突撃していれば、丁度真正面に捉えられていたところだ。
そのような挙動の駆け引きが出来ている、それを疑問に思う暇も無く、滝川は今度こそ無防備な側面を晒すゴルゴーンに躍り掛かった。
正面に飛び込んだ勢いをそのまま切先に乗せ、鋭くひと突き。陸の王者ミノタウロスに勝るとも劣らないゴルゴーンの外皮も、数トンの重量物が激突する衝撃をほんの僅かな点に集中させた、その威力には抗するべくも無い。ズブリと嫌な感触が士魂号の機体越しに伝わり、大太刀は吸い込まれるようにゴルゴーンの体躯を貫いた。
間を置かず大太刀を引き抜き、返す刃で腹から背へと斬り上げる。ゴルゴーンは堪らず地に転がり、激痛に身悶え怨嗟の咆哮を上げる。そのおぞましき悲鳴も長くは続かず、尻すぼみに消えてゆく。そして、後を追うようにその存在自体が消えてしまう。
その様子を確認する前に、滝川は体勢を整えて滑るように右に移動し、もう一体のゴルゴーンの背後を取った。田代辺りが見れば、上手く摺り足で間合いを調整している、と唸ったところであろう。が、今の滝川には、何故そのような機動をしたのか、あるいはそれが出来たのか、考えているような余裕も無い。ただ、なんとなくそのように動くべきだと思い、それが出来てしまっただけのことだ。
ゴルゴーンが、苦し紛れなのだろう、馬よろしく後ろ足で士魂号を蹴りつける。それを易々とかわし、滝川は大太刀を大上段に振りかぶってから、全身全霊を込めゴルゴーンの背に刃を叩きつけた。滝川の不甲斐無さを見るに見かねた若宮が、半ば強引に教え込んだ無骨な剣技だ。まさか、この技が役に立つ日がこようとは、その時の滝川には思いもよらなかったのだが。ともかく、その威力は若宮に聞かされた通り凄まじく、一撃でゴルゴーンの命脈を絶つに充分なものであった。
ゴルゴーン2体、沈黙。
先刻中尉に聞いた敵の編成から考えると、これでかなり劣勢を挽回できたはずだ。
もう、充分か――
そんな甘いことを考えているところへ、突然光条が走り、士魂号が衝撃に揺られた。
「く、くそっ! どこだ!?」
滝川は、ついつい油断してしまった己の迂闊さを呪いつつ、慌てて機体状況と周囲を確認する。
右腰部、イエローアラート。行動に問題は無いが、機動性能の低下が懸念される。
敵は――いた。右後方、月明かりに照らされたキメラらしきものの影がふたつ。
とにかく、立ち止まっているのはまずい。
戦術を組み立てる前に、とりあえずキメラの射線から逃れるため、踵を返しキメラの右手に士魂号を走らせる。
と、左手に小高い山のような影。
――ミノタウロス!
まずい。挟まれている。
幻獣とて、馬鹿ではない。必要とあらば、相互に連携し挟撃を仕掛ける程度の戦術は採る。
慌てて、右手に逃れようと確認すれば、月光を遮るかのごとく宙に浮かぶ影。
「マジかよぉ!?」
きたかぜゾンビ。砲を持たない今は、最も出会いたくない敵のひとつだ。
――どうする?
自問するうちに、左手から生体ミサイル。無理にダッシュさせ、どうにかかわす。もっとも、無理な機動であったためか、右足にイエローアラート。いいかげん、機体に蓄積された細々としたダメージの影響が出始めているのかもしれない。
右手、きたかぜゾンビのロケット弾。何も、武装までヘリの真似をせずともよいものだろうが。右手前方に跳び込むようにジャンプし、何とかやり過ごす。今度は、左足にオートリペアマーク。そろそろ、こちらも限界らしい。
正面にキメラが2体。左にミノタウロス、右にきたかぜゾンビ。
互いに射線をフォローし合い、意地でも士魂号を逃さぬ構えだ。後ろに退こうにも、追撃をかわしきれるだけの自信は無い。
ここまでか?
いや、ダメだ!
じゃあ、どうする!?
「ちっくしょおっ!」
あれこれ迷う間もあらばこそ、滝川はほとんど衝動的に正面のキメラに向かって全力疾走を開始していた。
正面突破。それしかない。
疾風のごとき、士魂号の全力疾走。その勢いと速度に、もとより鈍重なミノタウロスはもちろん、機動力に秀でるきたかぜゾンビも追随することが出来ない。だが、正面に士魂号を捉えていたキメラにとっては、単に的が近付いてきてくれているというだけのこと。このまま痛撃を与え相手の足を止めれば、何の問題も無い。
2体のキメラは、駆け寄る士魂号に狙い澄ましたレーザーの一撃を立て続けに斉射した。いかに機動戦闘に優れる士魂号とはいえ、全力疾走中に回避機動が取れるほど便利には出来ていない。
放たれたレーザーが、士魂号の右足と左肩に綺麗に突き刺さった。右足太腿の装甲が吹き飛び、左肩のキャタピラ装甲が砕け散る。士魂号の全身に、骨格までバラバラになりそうな衝撃が走り、同様に耐え難い衝撃に揺られた滝川の意識が一瞬だけ遠のく。
だが、士魂号は止まらなかった。
「くそ! くそ! くっそぉーーーっ! 止まれるかよぉっ!」
涙混じりに悲鳴のような雄叫びを上げつつ、滝川は遮二無二キメラ目掛けて突っ込む。
動揺したように、キメラが半歩退いた。
「食らえっ!」
上体を左に捻り、勢いをつけて大太刀を一閃。キメラの1体目掛け、袈裟懸けに斬り降ろす。さほど鋭くは無いはずの刃は、しかしキメラの甲殻をスッパリと両断し、大地にまで食い込んだ。
懐に飛び込まれては、キメラにはそれほど有効な攻撃手段は無い。丸太のような尾部を士魂号に振り下ろすが、それも無駄な足掻きの類。滝川は、敢えてそれを避けず、左腕でがっしりと受け止めた。左腕にレッドアラートが点くが、どのみち武器は右手の大太刀だけだ。問題無い。
斬り返し、とは少し違うが、受けた左腕で押し返しキメラの体勢を崩して側面から大太刀を振う。
まずは目障りな尾部を斬り落とし、返す刃で体格の割には頼り無い脚を薙ぐ。無様に地を舐めるキメラの背に、逆手に持ち替えた大太刀で地に縫い付けるようなひと突き。ビクリ、ビクリと二三度痙攣し、キメラはその動きを止めた。
大太刀を抜き取り、飛び退く。
そこへ、やはりというべきか、足の速いきたかぜゾンビが駆けつけざま放ったロケット弾の一撃。
滝川は、もうそれを、危ういところだった、とは思わなかった。理屈がどうなっているのかは、わからない。だが、今の回避行動は、当然そうなるだろう、という予測に基づいての行動だ。
風を感じろ、と来須は言った。
今、自分は戦場の風を捉えることが出来ているのかもしれない。
それ以外に、この異常な感覚を説明する術を思い付かない。
そうでないにしても、とりあえずはどうでもいい話だ。
重要なのは、今、戦って、勝たねばならないということ。そしてそのための力が、この手にあるということ。
目前のきたかぜゾンビを捨て置き、滝川は士魂号を再度駆けさせた。途端に、脚部のアラートが五月蝿く鳴り響く。
「もうちっと、辛抱してくれよ、相棒!」
気遣うようにそう言い聞かせ、今だ健在のミノタウロスに駆け寄る。きたかぜゾンビには手が出ないが、ミノタウロスならば攻撃は届く。
悪鬼のような顔つき、槌のごとき両腕。背に負うミサイルも凶悪な、陸の王者ミノタウロス。その威圧感は、何度対峙しても慣れるものではない。
滝川は、士魂号を右半身に構えさせ、身を守るように超硬度大太刀を慎重に構えた。壬生屋のような、正統的な剣術の構えではなく、むしろナイフ・コンバットの体勢に近い形だ。
低く狂おしい唸りを上げつつ、ミノタウロスが突進する。連中の常として、多少の攻撃は分厚い表皮で凌ぐ腹積もりだろう。
――俺、震えてないな。
場違いな感慨を胸中に浮かべつつ、滝川はタイミングと間合いを見計らう。
背後に回頭中のきたかぜゾンビが控える以上、あまり時間は掛けられない。ミノタウロスの突進は、今回ばかりは滝川にとって願ったり叶ったりといったところだった。
狂獣の巨大な右腕が振り上げられ、そして振り下ろされる。
「ここだっ!」
短く叫び、滝川は上体だけを残し右足を半歩退く。同時に、右腕の挙動だけでミノタウロスの顔面目掛けて速さだけの突きを放つ。それは、致命的な結果を与えることは出来ないフェイントの類であったが、ミノタウロスはまんまと引っかかった。振り下ろした右腕を置いたまま、上体を反らすように体勢を崩してしまったのだ。
それが、非常によくない体勢であることは、ミノタウロスにもわかるのだろう。慌てて拳を引き戻し体勢を立て直そうと半歩退く。
それこそ、滝川が狙っていた瞬間だ。
「よっしゃぁっ!」
掛け声も鋭く、裂帛の気合をもって、滝川はミノタウロスの左膝に矢のような蹴りを叩き込む。武術的な綺麗な蹴りではなく、所謂ケンカキックの類だ。
体重を掛けた軸足の膝に、全体重を掛けた正面からの蹴り。それも、重心を移動させようとしていたところに食らった一撃だ。いかなミノタウロスとはいえ、堪えられようはずも無い。ミシリと嫌な音が響き、ミノタウロスはもんどりうって倒れ込んだ。
「くたばれっ!」
滝川は間を置かず跳び掛かり、大太刀を逆手にミノタウロスの胸に突き立てる。地上最強の幻獣もただで消えるつもりは無いらしく、必死で槌のごとき両腕を振う。そのうちの一撃に右足を捉えられ、丁度ミノタウロスの上に膝を落とすような形で士魂号が半ば崩れ落ちる。
「しつこいっ!」
幾らかの焦りを感じつつも、滝川は冷静に大太刀を引き抜き、巨獣の無防備な頭部に再度突き立てた。
地獄の底から聞こえるような唸りを響かせつつ、ミノタウロスの動きが止まる。
だが、どうにか士魂号を立ち上がらせつつ、滝川も己と士魂号が限界であることを悟らざるを得なかった。
右足の状態は立っているのがやっとという酷い有様。加えて、腰部バランサーが破損したらしく、とても走れそうに無い。
その上、残る敵は厄介極まりない相手。
サウンドセンサーにローター音を捉えつつ、滝川は力無い笑みを浮かべる。
「ちっくしょお……ここまでかよ。すまねぇ、相棒」
こんな場所に捨てて行かねばならないことを士魂号に詫び、脱出オペレーションに入ろうとした、まさにその時。
宙にあったきたかぜゾンビが、いきなり火を吹いた。ほとんど間を置かず、重い砲撃音。
何事か、と呆気にとられている間にも砲撃は二度三度と続き、きたかぜゾンビを吹き飛ばす。
「十翼長、無事か」
「その声は、大尉!」
滝川は、驚きと安堵の混じった声でそう応えた。距離が近いためか、無線ではなく多目的リング――滝川だけは多目的結晶だが――による短距離同調通信だ。すぐに、向こうから安堵したような声が返ってくる。
「とりあえず、生きているようだな。お互い色々と報告もあるだろうが、まずは落ち合おう。中尉がいた場所、と言ってわかるか?」
「はい、わかります」
大尉が戻って来たということは、とりあえず作戦が終了したということ。当面、目に見える範囲に敵影も無い。
滝川は、漸く人心地ついたように深くため息をつき、気になっていたことを尋ねた。
「ところで、中尉の容態は……被害は?」
その問いに、苦笑混じりに大尉が答える。
「気になる気持ちはわからんでもないが、詳しくは合流してからだ。とりあえず死者は無い」
「本当ですか!」
喜色を隠せない口調で聞き返す滝川に、大尉は呆れたように応じた。
「君の命令無視のおかげでな。とにかく、早く帰って来い」
「了解。合流します!」
全てを守り抜いた。
ただそれだけの事実が、飛び上がるほど嬉しい。
滝川は、先刻までの緊張も恐怖も、そしてそれらを越えた先の己自身も忘れ、自然笑みを浮かべ鼻歌など響かせながら、ふらつく士魂号をなだめつつ集結地点に向かった。