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恐慌戦士〜フィアフルソルジャー〜 ――2.作戦

今ひとつ要領を得ない滝川の説明を、幾ばくかの質問を交えつつ辛抱強く聞いた後、作戦参謀である中尉が滝川に問い質した。
「要するに、自分の部隊とはぐれてしまった、と?」
さすがに、そうズバリと言われると恥ずかしいものがある。滝川は、少々赤くなりつつ頷いた。
「ええと、まあ、そんなところです」
中尉は、心底呆れたようにため息をつく。
「まったく、どこをどう間違えば宮崎まで迷い出て来るのだ」
返す言葉も無く、滝川は俯いて小さくなった。まったく、何でこんなことになったのか、自分でも不思議なくらいだ。
半日余りの安らかな眠りから覚めた滝川は、接触した自衛軍部隊の幹部との会談に引き出された。状況が状況ナだけに、当然だろう。むしろ、滝川が目覚めるまで放っておいてくれただけでも、優しい心遣いというものだ。
会談といっても、部隊長である大尉と作戦参謀である中尉、それから滝川の三名だけで互いに関して情報交換をしている程度のものだ。この隊の士官としては、ここにいる二人の他に四名の少尉がいるとのことだが、配下の各小隊の指揮に忙殺され、この場には顔を見せていない。
情報を交換によって滝川に理解できたことは、彼らが先日陥落した宮崎の陸上自衛軍混成中隊であり、逃げ遅れた民間人を護衛しつつ撤退の途にあるということぐらいだった。部隊の細かな所属や名前も聞いたのだが、そもそも自衛軍の組織とは一線を画する学兵である滝川が知るはずも無い。大規模作戦の主力を務める戦略小隊であれば自衛軍と共同で戦線を構築することもあるだろうが、5121小隊は独自判断で各地を転戦する遊撃小隊なのだからなおさらである。
そういうわけで、中尉は渋い表情で頭を抱え、あれこれ注釈を入れながら会話をせねばならなかった。熊本に学兵が大量投入されていることは聞き及んでいたが、仮にも戦場に立つ者がここまで何も知らないとは。
「原隊に復帰しようという意思は無かったのか?」
言外に、脱走兵ではないのか、という疑いを匂わせる中尉を、大尉が軽く手を上げて制する。
「中尉、この際その辺の事情はいいだろう。ともかく、十翼長の現状ははっきりした。その上で、我々が問わねばならないことはひとつだ」
一旦言葉を切って、大尉は滝川に向き直った。
「十翼長、君は原隊に復帰せねばならない。それは、わかるな?」
もとより、滝川に脱走の意思など無い。滝川は、即座に答える。
「はい。俺だって、早く熊本に帰りたいです」
軽く頷き、大尉が更に問う。
「結構。それでは、現在君が置かれている状況が、単独行動を行うには非常な危険を伴うということも理解できるな?」
この言葉には、二つの意味がある。単機幻獣の支配地域を行くという行動に伴う物理的な危険がひとつ。下手に一人で動き回れば、滝川の行動が敵前逃亡や脱走の類ではなかったことを証言する者がいなくなるということがひとつ。
滝川は、後者の意味合いには気付くこともなく、ただ前者の理由だけを思い浮かべつつ答えた。
「はい。俺一人じゃキツイってのは、わかってるつもりです」
「そして、これはこちらの事情だが、我々は何としても民間人を守り抜き、宮崎を脱出せねばならん。しかしながら、見ての通り装備にも事欠き極めて厳しい状態にあると言わざるを得ない」
一呼吸置いて、大尉は本題を切り出した。
「君と士魂号の力を貸して欲しい。代りと言ってはなんだが、万一君が軍法会議に問われた場合、我々が君の無実を証言しよう」
滝川は、憤りすら浮かべつつ応じる。軍法会議云々という話が出ること自体理解できなかったが、何にせよ取引めいた条件を提示されたのが気に食わない。
「別に……そんな条件持ち出さなくったって、俺はあんたたちを置いていこうなんて考えちゃいないし、置いてかれるのだって嫌だよ」
正規の軍人、しかも上官にあたる大尉に向かって「あんた」呼ばわりも無礼極まりない――というより、懲罰の対象――というものだ。中尉が、神経質そうな眦を上げ、叱責を飛ばそうと口が開きかけるが、大尉は笑みさえ浮かべて中尉を制した。それどころか、大尉は年齢的にも階級的にも自分より下である滝川に頭を下げる。
「すまん。学兵とはいえ、一端の戦士に向かって言うことではなかったな。言い直させてもらおう。我々を助けてもらいたい」
そう下手に出られると、滝川としても気恥ずかしいやら申し訳ないやらである。滝川は慌てて席を立ち、酷く狼狽しながら言った。
「い、いや、そんな謝られるようなことじゃ……」
それから表情を曇らせ、呟くように付け加える。
「助けるって言っても、士魂号が動くかどうかだってわかんねぇし」
それは大きな問題だった。士魂号さえあれば、それなりの働きをすることも出来よう。しかし、士魂号から降りた滝川は、少々銃の腕が良いだけの少年に過ぎない。このまま士魂号が動かなかった時のことを考えると、改めて自分の無力さを痛感させられる。
「そちらに関しては、無理でも整備班にやらせる。心配するな、うちの整備は優秀だ」
厳粛な顔で頷きそう言って、大尉はなおも沈んだ様子の滝川に提案した。
「心配なら、ひとつ確かめに行くか?」
「あ、うん。俺も、少しならわかると思うし」
相棒の様子が気にならないと言えば嘘になる。滝川は、一も二も無く頷いた。
「では、軍曹に案内させましょう」
中尉が、表にいるはずの軍曹を呼びに出ようと席を立つ。だが、大尉も同時に立ち上がり、気さくな調子で中尉の手配を断った。
「いや。俺も熊本ご自慢の新兵器をよく見てみたい。俺が案内しよう」
「しかし……」
司令官が、そう細々と動き回るべきではない。案内のような些事は、せいぜい下士官あたりに任せておけばよいのだ。
そう言いたげな中尉に肩をすくめてみせ、大尉は滝川を伴って臨時の司令室であり会談の場ともなっていた天幕を出つつ中尉に指示を与える。
「中尉は、兵装と各隊兵員のチェックを頼む。民間人の様子も、よく見ておいてくれ」
「了解」
命令とあれば仕方がない。渋い表情で敬礼し、中尉は同行を天幕の外までに留め、肩を並べて歩く大尉と滝川を見送った。
彼らが充分に離れたと思えるあたりで中尉はため息をつき、傍らに直立不動の姿勢で控える軍曹に語り掛ける。
「大尉は、あの少年に入れ込み過ぎだ……そうは思わないかね、軍曹?」
「はい、いいえ。十翼長には、それだけの器量があると見込んでのことと思われます」
軍曹は、微塵も姿勢を崩さぬまま、そう答えた。生来のものか訓練の賜物か、非常によく通る大きな声であったから、殊更にきっぱりと断言したように聞こえる。
「つまり、君も大尉と同意見というわけか」
顎に手を当て眉を寄せ、中尉は思案顔で軍曹に問う。軍曹は、思考が介在する余地などなかったのではないか、と思えるほど即座に答える。
「はい」
中尉は、大仰にかぶりを振りつつ、嘆くように言葉を漏らした。
「私は、どうかと思うよ。彼の素性を第三者に確認できないという意味もあるが、何よりも、戦場に年端もいかぬ者を駆りたてるのは、どうかと思う。滝川十翼長に、最前線で戦って死ねと言う権利は、我々には無いのではないか、とね」
幾らか芝居めいた雰囲気さえ漂わせる中尉に、軍曹は生真面目を絵に描いたような真顔で言葉を返す。
「はい、いいえ。それは、権利ではありません。義務であり、責任であります」
「子供に死ねと言うことがか」
不快感を隠せぬ様子で問い質す中尉に、軍曹は短く、しかしきっぱりと頷いた。
「はい。それが士官というものであります。戦地に出る以上、少年も老人もありません。戦って死ぬのに、年齢制限はありません」
道義の問題はともかく、軍隊としては正論だ。幹部候補生学校出身の中尉にとって、この手の杓子定規に正論を振りかざす前線下士官は、特に苦手とするところであった。軍曹にしても、中尉のように現場で融通を利かせることと軍令を反故にすることの区別がつかない士官は、非常に扱い辛い存在である。
どちらがどれだけ相手を嫌な奴だと思ったのかは判然としなかったが、ともかく、中尉は苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てるように言った。
「そうは言うがね、話を聞いてわかったが、あの子は素人同然だ。戦い方どころか、軍人としての規律もなっていない。いつから、我々はロクに敬礼も出来ない半人前以下を兵士と呼ぶようになったのかね?」
「はい。その点に関しては自分も中尉と同意見であります。しかしながら……」
僅かに間を置いて、軍曹は中尉に睨みつけるような視線を送りつつ続ける。
「結局、滝川十翼長は踏み止まりました。最後には雄々しく剣を振りかざしました。あれを見て奮わぬ男はおりません。戦士としては、合格であります」
中尉とて、幾らか戦場の現実からは浮いている感はあれど、そう肝の小さい男ではない。鼻を鳴らしつつ軍曹の視線を受け流し、小言でも述べ立てるような口調で言い返す。
「私は、技量の問題を言っている。蛮勇だけでは、兵は務まらないだろう。まして、彼は一応士官。それ相応の節度と能力を備えて然るべきだ」
「はい。同感であります」
特に納得した風でもなく同意を示し、軍曹は少しだけ唇を歪め不遜な笑みを浮かべた。
「そのために、自分のような者がおります」
軍曹の瞳に、肉食獣の煌きが混じる。こうなった軍曹は、色々な意味で厄介な相手だ。
言葉の真意を問い質したいという欲求もあったが、結局中尉はそれ以上の議論を断念した。


整備小隊の許へ赴く道すがら、滝川は部隊の戦力に関して聞かされていた。正確に言えば、落ち着き無くキョロキョロと辺りを見まわしつつ問い掛ける滝川に、大尉が苦笑しながら答え、解説を加えていたのだが。
「うわ……あれは、何スか?」
戦車なのだろうが、滝川には見慣れない形だ。キャタピラを履いた不恰好な鉄の箱から長大な砲身が伸びている様は、士魂号L型やモコスとは雰囲気自体が違う。
「99式自走155mm榴弾砲、通称ロングノーズだ。その名の通り自力走行で砲撃ポイントに展開、曲射砲支援を行う目的で開発された。一応、最新式だな。特科の連中が置いていってくれた、というより半壊状態で遺棄していったのを修理して使わせてもらっている。脇にある砲は120mm迫撃砲、通称ヘビーハンマー。こいつは、元々我が隊の装備だ。牽引砲だが、そこそこ機動力も威力もあるので重宝する」
大尉が指差す方を見れば、一対二輪の車輪に小振りで短い鉄の筒が載っているような、剥き出しの野戦砲が目に入る。大尉は機動力があると言ったが、それも、野戦砲としては、という意味に相違ない。とてもではないが、幻獣の動きに追随できる代物とは思えなかった。
「今見たのが、特科隊だ。正式な特科の連中はいないんだがな。ロングノーズ1輌にヘビーハンマーが2門、それから少々火力は劣るが81mm迫撃砲L16ハンマーが2門、計5門の砲をまとめて1小隊で扱うのでそう呼んでいる」
「特科?」
聞き慣れない言葉に、滝川が首を傾げる。その様子を見て、大尉は説明を加えた。どうも、学兵の間で使われている言葉と自衛軍のそれとでは、少々異なっているようだったから。
「大口径の野戦砲を専門に扱う部隊、要するに砲兵だ。面倒な話だが、色々と政治的な歴史と経緯があってな、自衛軍では直接的に戦闘を連想させる呼称は極力避けられている。歩兵のことを普通科と言ったりな。まあ、最近では世論もそれほど厳しくはないし、師団レベルで付ける呼称と部隊レベルでつける呼称が食い違っていたりして、厳密なものではないんだが」
多寡だか5門の砲を特科と呼ばねばならない現状に少々表情を曇らせつつ、大尉は続けた。
「他に、普通科小隊が二つと整備小隊が一つ。普通科はそれぞれ二つの分隊からなり、うち第二小隊麾下の第三分隊にだけウォードレスが残存している。他は、先日君が見た通りの有様だ。それが我が隊の全て」
改めて聞かされると、どうにも希望の持ちようがない部隊状況ではある。滝川は、どう反応してよいものか考えあぐね、複雑な表情で沈黙した。
大尉は、滝川の肩を叩きつつ、暗くなった雰囲気を吹き飛ばすように、からりとした声で笑い掛ける。
「都城を出てからこっち、一人の戦死者も出していないのは奇跡だな。日向市突破作戦の時は、さすがに駄目かと覚悟したものだが……そこへ現れた救世主が、君だ。我々は、どうも剣の女神に悪運を授かっているらしい」
そうこうするうちに、二人の前方に大型トレーラーと、その上に横たわる士魂号の姿が見えた。周囲では、整備小隊の隊員たちだろう、野戦服に身を包んだ兵士たちがせわしなく動き回っている。
心持ち歩みを速めつつトレーラーへ。二人の姿に気付き敬礼する兵士たちに軽く敬礼を返しつつ、大尉はトレーラーの荷台に向けてよく通る大きな声で呼びかけた。
「どうだ、整備長。何とかなりそうか?」
呼びかけに応じ、少々頭髪が寂しくなった感のある四十がらみの男が荷台から飛び降り、手の油を拭きつつこちらに向かってくる。背はさほど高くないが、肉厚で体格はいい。
「戦車よか、ウォードレスに近かごたぁる。ウォードレス担当ん若かとば中心に、やらせとぉとこたい。ブラックボックスん多かごつ、苦労しちょるごたぁが」
えらく訛りの強い言葉で言ってから、整備長は不安顔の滝川に気付きニヤリと笑い付け加えた。
「あんたがパイロットな。そげん心配せんでん、どげんかしちゃぁけん」
「はい。よろしくお願いします!」
真面目くさった表情でそう応え頭を下げる滝川に苦笑しつつ、整備長はトレーラーに向けてがなりたてる。
「伍長! パイロットさんが来てくれよったげな。何か聞いとくこたぁなかや?」
その声に、長身でひょろりとした相貌の兵士がトレーラーに横たわる士魂号の影から顔を覗かせ、パッとにこやかな笑みを浮かべた。
「おぉ、いいところに来てくれたなぁ。悪ィけど、コイツのオペレーションを一通り教えてくれるか。ウォードレス用のパーツ使って一応補修したつもりだけどよ、動かし方がわからねぇ」
荷台の上から語り掛ける伍長に、滝川は幾らか困惑したような表情を浮かべて答える。
「ええっと、接続は普通の戦車とかわんないはずですけど……」
そこまで言ったところで、隣にいる大尉が左手首にはめているリングをかざしながら注釈を入れた。
「コイツだよ、十翼長。我々は、多目的結晶の埋め込み手術を受けていない。こちらで使われているのは、主に多目的リングだ」
それを聞いて、滝川は、なるほど、と頷いた。そういえば、熊本以外の県では多目的結晶は一般的ではなく、多目的リングという代物が使われていると聞いたことがある。多目的結晶の埋め込み手術は、制御に熟練を要する上に絶えず強烈なGに晒される戦闘機のパイロットぐらいしか受けていないはずだ。となれば、制御に多目的結晶を使用する士魂号を自衛軍の兵士たちが動かせないのも道理である。
「じゃあ、俺ちょっと動かしてみます」
言うが早いか、滝川はトレーラーに駆け寄った。正直、あれだけ傷付いていた士魂号がどうなったのか気になってしょうがない。
大尉が下から伍長に多目的結晶云々の話をしているのを耳にしながらトレーラーによじ登る。荷台には、キャタピラにこびりついた土塊が転がっており、この車輛が元々ロングノーズの運搬に使用されていたらしいことが見て取れた。
「よう、パイロットさん、よろしくな。一応、俺が担当整備ってことになる」
などと言いつつ出迎えた伍長が差し出す手を握り返し、滝川は落ち着きのない様子で言う。
「よろしくお願いします。それで、コイツを動かしてみたいんですけど」
「オッケー、十翼長。リフトアップしてやっから、ちぃと待ちな」
軽薄な調子でそう答え、伍長は周囲にいた兵士たちにリフトアップを指示した。兵たちは、さすがに正規の軍人、訓練が行き届いていると言うべきか、機敏に立ち回り手際よく士魂号を備え付けのクレーンで吊り下げにかかる。
「うわ……こりゃ、いったい」
漸く全容が見て取れるようになった士魂号を眺め、滝川は唖然とした。右半身はさほどの損壊は無かったらしく士魂号軽装甲仕様らしい凛としたシルエットを保っているが、左半身は見る影も無い。左右非対称の不恰好な姿に、さすがに言葉も無かった。
言いたいことはよくわかる、とばかりにウンウンと頷き、伍長が説明を加える。
「人工筋肉と人工血液、それとバクテリア燃料に関しちゃあ、残り少ないウォードレスのものを都合することでどうにかなったんだがよ。装甲はさすがに修復のしようがねぇ。とりあえず、戦車の補修用キャタピラをぶら下げて代用にしてある。幾らかの効果は期待できるはずだぜ」
伍長の言葉通り、士魂号の左腰には袴か腰蓑のようにキャタピラが何枚かぶら下がっていた。何とかなったと言ってはいるが、左太股に張り付けられた人工筋肉は見た目も不恰好で、どうにもバランスがよくないように思えた。左肩にも展開式増加装甲よろしくキャタピラが取り付けられており、不出来な武者鎧を思わせるようなスタイルである。端的に言って、この小隊の整備兵たちが人型戦車に慣れていないことがありありと見て取れる出来だった。
奇異なのは、左上腕の装甲が四角い箱のようなものに取り替えられている点だ。滝川の記憶では、左腕には損傷は無かったはずなのだが。
「そう渋い顔しなさんな。こちとら手探りで仕上げたんだからよ」
苦笑混じりにそう言って、伍長は絶句する滝川を促す。
「まあ、試運転してみてくれや」
ため息をつきつつコックピットへ足を向け、数歩進んでから、ふと気付いて滝川は伍長に問い掛けた。
「えっと、起動するときコンプレッサーで人工血液に流れを作んなきゃならないはずなんスけど……」
「ああ、やっぱそうなのか。ウォードレスっぽかったんで、たぶんそうだろうとは思ってたけどよ」
驚いた風でもなくそう応じ、伍長は悪戯めいた笑みを浮かべた。
「じゃあ、アレが役に立つわけだ」
「アレ?」
わけがわからず鸚鵡返しに問う滝川に、伍長は士魂号の左腕を指しながら答える。
「左腕にボックスが付いてるだろ。アレだよ。アイツで、無理矢理起動をかける」
今ひとつ納得できなかったが、とりあえず準備をしてくれ、と言う伍長の言葉に従い滝川はコックピットへ向かう。そして、いざ起動するという段になってとんでもない事実を聞かされることとなった。
圧搾整流器の代りは、実に壮絶な代物だった。
士魂号の左腕に結わえ付けられた、滝川が奇異に感じた箱こそが起動装置だったのだが、機械と言うのも烏滸がましい。簡単に言うと、それは台座に圧迫用の鉄板を取り付けた万力の出来損ないのようなもので、狙撃銃用の弾丸を改造した火薬カートリッジを一定間隔で連続して撃発し人工筋肉を圧迫、内部の人工血液を無理矢理絞り出して起動時血液流量を確保するという無茶なものだ。伍長によれば、ベトナム防衛作戦あたりでアメリカ軍が使った航空機起動用の炸薬式エアコンプレッサーと、前大戦でドイツ軍の空母に装備されていた火薬式カタパルトから着想を得ているという。ちなみに、前者は航空機のジェットエンジンに苛烈な負荷を掛け耐用年数を大幅に減じる結果を招き、後者に到ってはまともに動作した記録が無いという、ありがたい注釈も添えて頂けたのだが。
軽い眩暈すら感じつつも、まさか大幅に出力が足りないウォードレス用の圧搾整流器を転用することも出来ず、滝川は渋々このシステムに納得するより無かった。
ドン、ドン、ドン、と、くぐもった重い爆発音が響き、機体が揺れる。それだけで、滝川は泣きたくなるぐらい不安になった。さすがにコックピットを飛び出るのは堪えたが、思わず背部ハッチを開放して震えつつ大きなため息をつく。
「どうした、パイロットさん!?」
見咎めた伍長が、怪訝そうな顔で叫ぶ。
まさか、このまま閉じ込められるのが怖いんです、とも言えず、滝川は伍長に負けない大声で応えた。
「何でも無いです! 士魂号、クールからホット!」
そう、何でも無い。このくらい、何でも無いんだ。
震える身体にそう言い聞かせつつ、滝川は士魂号の起動処理に集中するよう心掛けた。そうしている限り、暗闇の恐怖を忘れることが出来る。もっとも、今はハッチを開放しているので、あの恐怖を煽る心細さは感じずにいられるのだが。
驚いたことに、伍長考案の炸薬式圧搾整流器は実に見事に稼動していた。最初の衝撃とそれに伴う一時的な左腕のレッドアラートはともかく、他の点では計器類に異常は見られない。平常通りの、士魂号の起動と何ら変化は無かった。コックピット・ハッチの開放を咎められない分、5121小隊における通常の起動処理より気楽なくらいだ。
制御システムに起動処理を指示し、小一時間ほどの待ち時間に。その間を利用して、滝川は伍長に起動処理に伴う警告やら、細かな作業手順やらを説明した。滝川自身は、さほど整備に詳しいわけではなかったが、普段整備班の連中がどう動いているかを説明するだけで伍長には事足りたようである。
そして、いよいよリフトオフ。
軋みを上げつつ、士魂号は自力で地に立った。一瞬、バランスを失い機体がぐらついたが、驚くほどスムーズに反応する。左足の過剰な人工筋肉は、間に合わせのキャタピラ装甲による重量増加とバランス配分の変化に対応するものだったらしい。多少の違和感があるのは否めないが、慣れてしまえばどうということは無いだろうと感じる。
「どうだ、十翼長!」
さすがに心配そうな表情で足許から問い掛ける伍長に、滝川は内心舌を巻きながら答えた。
「左足の血流量がちょっと多いみたいです。ストリームバルブを少し閉めてもらえますか」
それだけだ。その他には、何ら不都合は無い。少しだけ機体が重いような気がしないでもないが、標準装甲仕様ほど鈍重なわけでもない。
作業用のゴンドラに乗って士魂号の左足ストリームバルブを調整する伍長を眺めつつ、滝川は改めて彼ら自衛軍の力量に感嘆する。
プロなのだ、彼らは。
組織は硬直化しているかもしれないし、装備は幻獣に抗すべきものではないかもしれない。しかし、最前線に立つ彼らは自分たちのような間に合わせの兵隊ではなく、各々の分野において確かな力量と経験を備え、いかなる状況においてもその能力をフルに発揮する術をわきまえている、本物のプロなのだ。
ほどなく士魂号の調整は終わり、滝川は整備長と伍長、整備小隊の面々に謝辞を述べて、大尉と共にその場を立ち去った。士魂号の状態は、完璧とまではいかぬまでも充分実戦に耐えられるレベルにまで回復している。これならば、何とか次の戦いでも力を振るうことが出来るかもしれない。
士魂号の状態と、いずれ起こるであろう次なる戦い。果たして、今度も上手く勝ち抜くことが出きるのか。
プロ集団である自衛軍の部隊。碌な装備を持たぬばかりに、自分のような半人前に半ば命運を委ねねばならない彼らの胸中はいかがなものであろう。
守らねばならない民間人。これほど間近に守護すべき者を持つのは初めてだ。敗戦は、ほぼ直接的に彼らの死を意味する。自分には過大な責任だ。
滝川の胸中に様々な思いが交錯し、何とは無しに無言で大尉と肩を並べ歩く。
「十翼長」
しばらく歩いたところで、不意に大尉が真顔で滝川に問い掛けた。
「これだけの戦力で、幻獣の大部隊に強襲を掛けると言ったら、どう思う?」
「えっ!?」
滝川は、さすがに耳を疑う。幾ら戦場のプロが揃っているとはいっても、この隊の戦力を見る限り防戦にも事欠くというのが率直な感想だ。
冗談でしょう、と返す間も無く、大尉は右前方に視線を向けつつ言葉を継ぐ。軍隊の常ではあるが、相手に否定的な言葉を吐かせてやるつもりはないらしい。
「どう行くにしても、このままでは物資が足りない。何しろ、保護している民間人の食い扶持も持たねばならないのでね」
大尉の視線の先には、民間人が思い思いに身を休めるトラック群があった。73式大型トラックが4輌、民間から徴用した4トンから8トンクラスの種々雑多なトラックが9輌、しめて13輌の輸送車に、百人を超える人々が寝起きしているのだという。
「いずれにせよ我々は北進し大分を目指している。そうなれば、多少の迂回は当然考えているが、地勢上どうしても延岡を突破せねばならない」
返す言葉も無く沈黙する滝川のことなどお構い無しといった調子で、大尉はサラリと厄介極まりないプランを打ち明けた。
「それに先立ち、威力偵察の意味も含め延岡を強襲するつもりだ。あそこなら、まだ物資が残されている地下倉庫が存在するはず。それに、幻獣どもに延岡を狙う抵抗勢力があると思わせることが出来れば、その後の迂回作戦も幾らか楽になるだろう。実に、理に適った作戦だ。だが、我々に正面決戦を挑むほどの戦力が無いのも事実……幻獣の目を欺く必要がある」
そこで一旦言葉を切り、大尉は滝川の様子を窺った。
困惑したような、唖然としたような、微妙な表情を浮かべる滝川。
その瞳を見据え、大尉は断固たる口調で言った。
「そこで、君の士魂号だ。8メートルを超す巨体、幻獣に決して遅れをとらぬ高機動力。囮にはピッタリだと思わんかね?」
滝川はしばし言葉に窮した。たった一機で、どれほどいるかもわからない幻獣の一大勢力を相手取り、どこまで無事でいられるというのか。正直言って、無茶を通り越して無謀としか思えない。
だが、大尉の射抜くような視線には、有無を言わせぬ圧力があった。そこには、彼の信念すらも込められているのではなかろうか。
「……やるしか、ないんですよね」
結局、滝川はそう答えるより他無かった。
「そう。その通りだ」
顔をしかめながらも頷く滝川に、大尉は満足げに、静かに笑い掛けた。


まだ僅かに陽の温もりの名残を大地に感じる頃合、薄闇に紛れつつ行軍する。もっとも、士魂号はもとより無限軌道輪駆動のロングノーズやその他の車輛が立てる音を消すことは出来ていないのだから、隠密性など端から無いも同然であったが。
中隊は、民間人とその護衛にあたる普通科第二分隊(第一小隊麾下)を残し門川を出立。
特科小隊とその直援にあたる第一分隊(第一小隊麾下)は延岡郊外の土々呂にて停止、支援砲撃を担当する。
唯一のウォードレス部隊である第三分隊――それでも、ウォードレス装備の兵は僅か四名であるが――を含む普通科第二小隊が闇夜に紛れ前進。HMV(高機動車)疾風の速度を活かし目標となる地下倉庫に突入、物資を確保し速やかに撤退する。
それが、作戦の概要だった。
滝川の役目は、中型幻獣に対する囮である。突入部隊に先んじて西部より延岡に侵入、幻獣の注意を引きミノタウロス、ゴルゴーン、可能であればキメラ級の中型幻獣を引き付け、北方方面へ取って返す。恐らくは、最も苛烈な攻撃を受けるであろう役どころだ。
「聞こえるか、十翼長」
無線から飛び込んで来た大尉の言葉に、滝川は緊張を隠せない上擦った声で答える。
「はい。感度良好です」
作戦に先立ち、士魂号には若干性能の良い軍用無線が設置されていた。単機囮を引き受けるため、何らかの連絡手段が無ければ不自由するだろうという、至極もっともな見解に従って増設されたものだ。背部にアンテナが立っているのを見た時は、複座型の電子戦仕様でもなかろうに、などと思ったものだが、実際使う段になるといつでも味方と連絡が取れるという安心感があった。
「厳しい作戦だが、頼む。作戦の成否は、十翼長の双肩に掛かっていると思ってくれ」
わざわざプレッシャーを掛けないで欲しいものだ、などと思いつつ、滝川は精一杯の強がりを言ってみせる。
「了解。デカイのは、全部引き受けます」
「よし。その意気だ」
そう応じて、大尉は殊更豪快に笑う。会話を聞く兵たちの士気が多少なり上がるのであれば、わざとらしいポーズでもやっておいて損は無い。
ややあって、大尉は腕時計の針を確認し、傍らの軍曹に声を掛けた。
「1930。軍曹、号令を出せ。延岡強襲作戦『野分』発動」
ビシリと敬礼を決め、軍曹は四海に轟くかのごとき、ありったけの息を絞り出したかのような大声で全軍に号令を伝えた。
「1930、『野分』作戦発動! 各員、死力をもって奮闘せよ! 『野分』発動!」