戻る

恐慌戦士〜フィアフルソルジャー〜 ――プロローグ.失踪

「滝川君の消息は、まだ掴めませんか?」
平静を装った涼やかな声で訊く善行に、瀬戸口は多くの者にとって平常の彼からは想像できない真剣な表情で答える。
「反応はありません。良くも悪くも」
顔には疲労と憔悴が、瞳には非難の色が、ありありと浮かんでいた。
まだ、早かったのだ。最悪の激戦区、阿蘇特別戦区に手を出すには、彼ら5121小隊は未熟過ぎた。
聞こえよがしに舌打ちし、瀬戸口は昨夜の戦いを思い起こす。
阿蘇での戦いは、単純に幻獣と戦火を交えるというだけでは済まない難しさがある。山間部に入れば地勢的な難しさがあるし、今だ避難勧告に応じていない住民があちこちに点在しているという事情もある。天候の問題は、そういった種々の問題の中でもとりわけ厄介だった。
深夜の霧。その劣悪な環境下で5121小隊は善戦し、数体のスキュラを含む幻獣の一大勢力を退けた。
もちろん、被害もある。懸命な誘導にも関わらず、部隊は結局濃霧によって分断された。
敵も同じこととはいえ、突然スキュラと鉢合わせる羽目になった若宮などは悲惨もいいところだった。超人的としか言い様が無いカンで救援に駆けつけた来須のおかげで命に関わるような負傷こそ無かったが、しばらくはメディカルマシンとデートする日々が続くだろう。一昔前ならば看護婦との間にラブロマンスのひとつも生まれるかと期待が持てたものだが、高度に機械化された現代医療の最前線では少々望み薄だ。
壬生屋の一番機は例によって大破。今日も、無線機越しに原の嘆息を聞くことになった。聞き間違いでなければ、田代の舌打ちも混じっていたように思う。遠坂はいつもの調子だったし、岩田の考えが読めるようなら人生何の苦労も無いが。ともかく、当の壬生屋は怪我ひとつ無く、これまたお馴染みの脱出直後にだけ見せる神妙な顔つきで後方まで戻ってきた。面白くないので、それを目にしてホッとしている自分には気付かなかったことにしておく。
三番機の被害も相当なものだった。なんとか戦闘終了まで自力で動いていたが、トレーラーの脇に膝をついたっきり雲とも寸とも言わない。どうやら、オーバーヒートで人工筋肉が焼け付いたらしく、コックピットから現れた速水と芝村は煤だらけで憮然とした表情を浮かべていた。担当整備の森は目を丸くして、何故この状態で動けていたのか、としきりに首を捻っていたし、原はといえば本日二機目の廃棄処分決定に天を仰いで頭を抱えていた。
最悪だったのは、二番機だ。戦闘半ばに位置を見失って以来、杳として消息が知れない。その時滝川機をサーチしていたのはののみだったが、とりあえず撃破信号は受け取っていないとのことだ。
各装備の回収が行われている間に、滝川機の捜索が行われた。来須が疲れた身体に鞭打ち戦場を跳び回り、手の空いていた新井木と茜もブツクサ言いながら懸命に草千里を駆けまわる。ののみはサーチ・ミスの責任を感じてか、指揮車にこもってレーダーとにらめっこ。そんな必死の捜索にも関わらず、成果といえば僅かに彼のものと思われるジャイアントアサルトのマガジンがひとつ見つかっただけ。仮に撃破されていたとしても、普通は複数設置された発信機で位置を特定できるはずなのだが。
こうなると、完膚なきまでに叩き潰されたか、あるいは戦場から離脱してしまったか、ということになる。出来れば後者であって欲しいところだが、幾ら小心者の滝川でも銃殺刑覚悟で敵前逃亡の愚を犯すことはあるまい。とはいえ、霧が晴れてから既に数時間。どこかで迷子になっていたのなら、もうそろそろ顔を見せてもいい頃だ。
瀬戸口は大仰にため息をつき、ようよう落ち着きを取り戻しつつある周囲を見渡した。
二番機を除く各機の回収と応急処置も終わり、撤収命令を待つばかり。常ならば原が壬生屋に小言をたれている姿や、にこやかに談笑する速見と舞、それに新井木と争うように来須にまとわりつく、威勢だけは一人前の滝川を目にすることが出来るのだが。
誰も皆、疲労困憊。今日ばかりは、重く沈んだ空気が部隊を支配している。敵を退けたとはいえ、とても勝ち戦とは言えない雰囲気が漂っていた。
いや、ただ一人。
善行忠孝。ヤツだけは、この結果にも満足しているのではないか。少なくとも、納得のいく結果だと思っているのではないだろうか。
瀬戸口は、軽蔑してやまない、やり手の部隊司令に視線を向ける。その能面のような表情からは、彼の心中は窺い知れなかった。
瀬戸口の視線に気付いた善行は、丁度よいとばかりに彼に告げた。
「撤収命令を。迷子のことは、警察に任せましょう」
滝川が脱走したのであれば憲兵に任せる、そうでなければ消息不明で戦死と同じ。いずれにせよ、5121が彼を失ったという事実には変わりが無い。善行の頭の中では、そう結論付けられたのだろう。
そのように受け取った瀬戸口は、仏頂面で投げ遣りに復唱した。
「5121小隊、撤収。各員、速やかに駐屯基地に移動せよ。繰り返す。5121撤収」
その言葉を耳にした小隊の面々は、疲れた表情で重い腰を上げる。色々あったが、今日のところは終わりだ。今更、何をどう足掻いても結果が変わるわけではない。今必要なのは、明日戦うための力を取り戻すために、しばしの休息をとることだ。まずは、ねぐらに戻らなくては始まらない。
トレーラーに用意されているパイロット・キャビンに乗り込む前に、速水はもう一度先刻までの戦場を振り返った。今にも、底抜けに明るい親友の馬鹿笑いが聞こえてくるような気さえするのに。
友の安否を気遣い、速水は思わずポツリと呟いた。
「滝川君、無事だといいね……」
一足先にキャビンに潜り込んでいた舞が、そんな速水に常と変わらぬ凛とした視線を送りつつ言う。
「信じろ。今は、それしか出来ぬ」
名残惜しそうにタラップで止まっている速水に手を差し伸べつつ、少しだけ相好を崩して続けた。
「私も、信じるということを覚えた。私以外の誰かを」
舞の手を取りつつ、速水はようやく微笑を浮かべる。
「そうだね。それは、いいことだと思うよ」
「誰が、こうしたと思っておるのだ。たわけ……」
少々頬を赤らめ、舞はそっぽを向いた。