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翼持つ騎士と翼無き戦士 ――エピローグ.まっすぐに

夏の風が吹き抜ける。
日差しは肌を焼くほど強かったが、あまり気にはならない。渓谷という地勢のおかげだろうか。
爽やかな一日ではあったが、心はむしろ重い。
森精華は、ささやかな花束を朽ち果てた巨人の許に手向けた。
人工筋肉は腐り果て、安物の塗料で施されていた紅蓮の化粧もほとんど剥がれ落ちてしまっている。
軍令部は、破壊された騎翼号の回収を行わなかった。もとより爆破処分されるはずだった機体を回収する必要は無い、ということだそうだ。穿った見方をすれば、芝村にとっては制御ブロックの秘密さえ明るみに出ないのであればどうでもいい、ということなのだろうが。
お陰で、しばらくの間はこの墓標が消えることは無い。もっとも、その姿は既に半ば以上が生い茂る草木に隠されていたが。
もうじき、夏が終わる。
そうすれば、この場所を訪れることも叶うまい。恐らく、次の夏までは。
宮崎は、未だ幻獣の勢力下。いずれ奪回作戦が行われるのかもしれないが、現在の重点制圧目標は福岡だ。原の便りによれば、善行は再び熊本に舞い戻るらしい。今度は、海兵自衛軍の一大戦力を引き連れて。そして、絢爛舞踏速水厚志も共に。
森は、軍への継続志願をしなかった。戦う気力が萎えたわけではない。事実、自然休戦期終了に先駆けて呼び掛けられた熊本守護自警防衛隊の募集には既に応じている。あのまま5121にいることは、どうにもいたたまれなかっただけだ。
狩谷の凶行は、表沙汰になることはなかった。彼は軍籍を外れ事故死したことになっており、真実を知る者には緘口令が厳命され影に日向に芝村からの圧力が掛けられている。森とて例外ではなかったが、とりあえずのところ舞は約束通り森の安全を確保してくれているらしい。芝村に仇なさぬうちは、という注釈が付くのだろうが。
芝村の内部で自分がどう喧伝されているか、森は知っていた。絢爛舞踏に致命打を与えた功労者。それが、舞と速水が森を保護する理由として一族の者に言い触れている建前だ。芝村は、受けた恩義は忘れぬのだ、と。
何が恩義なものか。
森は、そう思う。何の考えも無しに、むしろ外れてくれと願いつつ放った弾が、取り返しのつかない結果を招いた。皮肉以外の何物でもない。
あの時、あの一撃がなかったら、狩谷は今も生きていたのだろうか。野辺に骸を晒すこと無く、翼持つ騎士と時を過ごしていたのだろうか。それは、果たして幸せなビジョンであったのか。
物言わぬ巨人の抜け殻を前に、森はしばし無意味な仮定に思いを馳せる。一度も見たことの無い、抜けるような笑顔をこぼす狩谷が、何故だか目に浮かんだ。
どのくらい時間がたったのか、ふと人の気配を感じ、森はゆっくりと振り向いた。
そこには、歳の頃三十前後といった感じの、自衛軍の制服を着た男が花束を片手にたたずんでいた。
「失礼。邪魔をしてしまったかな?」
「いえ……」
気安い調子で掛けられた声に、森は若干警戒しながら道を空ける。
男は、森と彼女が捧げた花束を交互に見比べつつ尋ねた。
「お参りかい?」
この男は、いったい何者だろうか。あるいは、未だ芝村が狩谷と騎翼号に触れるものを嫌い潜ませている、間諜のようなものかもしれない。
「そのようなものです」
とりあえず、無難にそう答える。
男は、幾ばくかの驚きを含ませつつ言った。
「では、君は5121の……」
だが、途中で言葉を切り、ひとつため息を吐いた。
「いや、訊くべきではなかったな。忘れてくれ」
「隠すほどのことじゃありません」
「だが、ここで出会ったことは、語らない方がいいだろうな」
心持ち翳りのある表情でそう言う男に、森は少しだけ迷ってから答えた。
「……かもしれません」
男は、落ち着いた色合いの花束を騎士の骸に捧げ、しばらく瞑目した。そして踵を返し、その場に佇む森に会釈して歩み始める。
「もし、君が翼持つ騎士と翼無き戦士の物語を知っているのなら」
森の横を通り過ぎる時、男は小さな声で言った。
「弔ってやってくれ。ほんの少しずつ選択を間違えた、哀れな二人を」
幾らか寂しげなその言葉に、森は、何故だかわからないまま訊く。
「それが、彼らの罪ですか」
そして、これが罰なのか。もしそうなら、この世に希望などありはしない。
森は、過ちを許さぬ世界に希望を見出すことなど出来ない、と思った。
深いため息を吐きつつ、男はかぶりを振る。
「さあね。私は法には疎いし、哲学は皆目理解できない」
それだけ言って、男は墓所を離れた。


ちょっとした外出から戻った沢村を出迎えたのは、情感に欠ける顔立ちの部下だった。
「沢村大尉」
「何かあったか?」
表情を変えぬまま、部下は沢村に幾つかの文句を言う。沢村の不意な外出のため、処理や決裁が滞っている案件があったのだ、と。手際よく要点を伝え、部下は最後に尋ねた。
「例の被検体ですが、名称はいかがなさいますか?」
「おいおい」
力の無い苦笑を交えつつ、沢村は部下に訂正を求める。
「せめて、あの子の名前をどうしよう、と言ってくれないか。被検体だの、名称だの、仮にも命を取り扱うには、あまりに味気ない言葉じゃないか」
「はあ……」
沢村の提案は部下の心情に訴えることは出来なかったらしく、困った顔で上官を眺めるだけだった。軽くかぶりを振り、沢村はとりあえず部下の問いに答えることにする。
「まあ、いい。そうだな……うん、「さいか」にしよう。祭りに、夏、で「さい・か」だ。あの子にふさわしい、いい名前だろう?」
「他と被ることはないかと思われますが」
「本当に、味気ない男だな、君は。感想のひとつも言ってみたらどうだね?」
軽く苦言を呈しつつも、沢村はそれが無理な注文であることを誰よりも理解していた。
年齢固定・定型限定記憶型クローン『ヘクサEZ』。彼らは、決して成長することは無い。心も、体も。細胞強度の限界が訪れるまで、永遠の日常を繰り返すだけ。生みの親の一人は、他ならぬ沢村だ。
悪魔の称号を、我に。
我が身と、芝村に。
命を軽んずる、全ての同朋に。
「いい名前かどうかはともかく、あの子にはふさわしい名前なんだよ。君には、わからないだろうが」
本当に理解できない、といった風情で、部下は沢村に尋ねる。
「それで、今後の調整ですが」
「詳細は、これから考えよう。方向性は、既にあるんだがね」
まっすぐに。
そう、まっすぐに育ててやろう。
せめて、この子だけは。