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翼持つ騎士と翼無き戦士 ――7.二人の絢爛舞踏・後編

何度目になるか、騎翼号の突きが風を引き裂く。速水は、それに応じて士翼号をバックジャンプさせた。さすがに脚が付いて来ないのか、騎翼号がさらに踏み込んで来る気配は無い。これで、どうにかある程度の間合いを確保できるだろう。大太刀を引き抜くことさえ出来れば、無茶な攻めでダメージの蓄積した騎翼号よりも、未だ充分に余力を残す士翼号の方が有利。速水にしてみれば、結果的にはまずまずといったところだ。
――さすがに驚いた。恐怖すら感じたけれど、結局攻め切れなかったのは残念だったね。
心中そう思う余裕すらも戻りつつある。だが。
「えっ!?」
速水は、素っ頓狂な声を上げた。
足下から、突然の衝撃。士翼号の右脚状態モニターがレッドアラートを告げている。サブモニターで足許を確認した速水は、ギリギリと歯を噛み鳴らした。
「やってくれるね、狩谷君……」
その様子が見えたわけでもなかろうが、狩谷は少しばかり溜飲を下げた表情で呟く。
「奇貨置くべし、だな」
それは、狩谷が用意した単純なトラップだった。ジャイアントアサルトの砲弾を上に向けて並べているだけの、陳腐なブービートラップだ。その下には尖った岩が配置されており、重量物が上に乗ると撃発する仕組み。対人用のトラップとして聞きかじったものだが、人型戦車にも応用は利いたようである。騎翼号にまで土木作業をさせた甲斐があったというものだ。配置した1マガジン8発分の砲弾が全弾命中するはずもなく効果は完全とは言えないが、士翼号最大の武器――つまり、足――を半ば封じることには成功した。
――このまま士翼号をかわし逃げ切れるか。
無理だ。脚部をやられているのは騎翼号とて同じ。とりあえず移動には問題無いが、機動が制限されるのは彼我とも一緒。まして、向こうには無傷の騎魂号がいる。今のトラップで他にも何かあるのではないかという疑念を速水に抱かせることが出来ていたとしても、状況は五分といったところだ。
やはり、倒さねば。
そう決意するが早いか、狩谷は騎翼号を鋭く士翼号の懐に踏み込ませた。
「いくぞ、速水!」
叫びつつ、閃光の如き袈裟懸けを放つ。速水は、すんでのところで跳び退きこれをかわし、超硬度大太刀を引き抜いた。
僅かにたたらを踏む騎翼号の脳天目掛け神速の唐竹割りを叩き込まれたが、狩谷は危ういところで引き戻された太刀で弾き斬撃から逃れる。がら空きになった士翼号の足許に、軸足を薙ぎ払うような一閃。士翼号は咄嗟に地を蹴り、無傷の左足で騎翼号を蹴りつけた。騎翼号は半身になりつつ僅かに後退し、左肩の増加装甲でその一撃を受け止める。宙に浮く士翼号に変則気味の突きが放たれるが、速水はキックの反動を利して間合いを開く。
速水は、騎翼号の動きに舌を巻いていた。
士翼号と騎翼号は、使用されているフレームや人工筋肉に大きな差は無い。士魂号の軽装甲と重装甲のような関係の機体だ。パワーに差が無い以上、動作スピードは装備重量に応じて優劣が決まるはず。だが、短くも激しい攻防の中で、彼我のスピードの差を感じることは出来なかった。士翼号に倍する重装甲を備えつつ、騎翼号は完全にこちらの動きに追随し、ともすれば凌駕しかねない鋭さを発揮する。
――まずいね。
思いつつ、素早く突きを繰り出し牽制。速くはあったが、内心の動揺を映したかのような甘い攻め手だ。狩谷がそれを見逃すはずも無い。
突き出された大太刀にぶち当たりにいくような勢いで右足を踏み出し、騎翼号の体が反時計回りに一回転。太刀筋を撫でるように士翼号の懐に潜り込みつつ、左手に保持する大太刀が大きな弧を描いて横薙ぎに振るわれる。
踏み込みが鋭い。これはかわせぬと瞬時に悟った速水は、大太刀を引き戻し左手を柄に右手を峰に添えガッシリと斬撃を受け止めた。勢いに圧され、士翼号の傷付いた右脚が悲鳴を上げる。
悲鳴を上げているのは脚だけではない。士翼号自身が、悲鳴を上げ逃げ腰になっていた。
――惰弱な!
速水は、震える愛機に怒りすらも覚えた。親友とはいえ、こういう場面での彼の軟弱さには辟易する。対する騎翼号は、脚部の破損をものともせず烈火の如く攻め立てて来るというのに。
鍔元を噛み合わせつつ、力比べの体勢。士翼号がジリジリと押される。速水としては一旦距離を置きたいところだが、ここで下手に離脱を図れば大太刀の餌食になりかねない。バックステップするにしても、サイドステップするにしても、跳躍する一瞬の隙を狩谷に見せることになる。
身動きが、取れない。手詰まりのまま、ジワジワと押し込まれる。刻々と悪くなる状況。もう後僅かで、致命的に体勢を突き崩されるだろう。
――チェックメイト、かな?
士翼号が移ったわけでもあるまいが、速水の脳裏に気弱な感情が混じる。
狩谷は、コックピットを狙うだろうか。いや、彼の性格と目的を考えれば、狙うのは足だろう。命までは取られぬ可能性も高い。しかし、その場合でも自分は役立たずの烙印を押される。役立たずは、芝村には要らない。ここで負けたとしても全てが終わるわけではないが、汚名を返上するのにどれだけの時間が掛かることか。そのために、どれだけ救えるはずの者を救えない日々が続くのか。
狩谷と彼の行動、そして強さを恨めしく思い、自分の到らなさを呪いつつも、速水は知らず知らず負けた後のことを考え始めていた。その時点で、速水の負けは決まっていたのだ。
本来ならば。
「厚志!」
通信機から僅かに漏れる愛しい人の声に、速水はハッと我に返った。
諦めるわけにはいかない。万策尽きたとしても、諦めるわけにはいかないのだ。あの日、恋人に語った想いを、この国を守ると誓った言葉を、絶対に反故にしてはいけない。ここで諦めるのは、何よりも許し難い裏切りではないか。自身と、彼女に対する。
速水は、再び身体中に気力が満ち来るのを感じつつ、ふと気付いて苦笑した。
――なるほど、恋する者は強い、ということか。
下らないことを思いつつも、速水は絶望的な状況の中でどうにか突破口を求めた。物理的にどうこうできる余地は、ほとんど無い。では、心理戦を仕掛けるか。
汚い手とは知りつつも、速水は苦し紛れに狩谷のプライベートIDをコールする。戦いの前にこちらに通信をよこしたのだ、恐らくは繋がるだろう。
「よくやるね。さすがは翼持つ騎士、騎翼号だ」
狩谷は、僅かに驚きつつも攻める手は休めずに答えた。
「最大の賛辞だ。礼を言う。ついでに退いてくれるのなら、最大限の謝辞を述べたいところだが」
「まさかね」
不敵な笑みすら交えつつ、速水は狩谷の希望を蹴る。
「ただ感心しただけだよ。加藤さんは尽くすタイプだって言ってたけど、どうやら本当みたいだね」
ほんの一瞬、騎翼号の力が緩む。さすがに一気に窮地を脱することは出来なかったが、その間隙を突いて僅かに士翼号が押し返す。
「何を言い出す……」
ハッタリだ。話に脈絡が無い。こちらの動揺を誘うためだけに紡がれている台詞だ。
そうは思いつつも、その言葉は狩谷にとって無視できるものではなかった。乗せられてはいけないし、意識の上では無視しているつもりなのだが、心の深い部分がそれを許さない。
「翼持つ騎士と翼無き戦士は、二人で一人。対になればこそ、これほど強い」
思わせ振りに話を前後させる速水に、狩谷は苛立ちを隠せず叫んだ。
「ああ、そうとも。僕と騎翼号は比翼の鳥、決して別れるものか!」
「それは違うね」
忍び笑いを漏らしつつ、速水は殊更冷ややかに言葉を返した。
「伴侶の翼を奪って飛ぶのは、比翼の鳥じゃないと思うよ。たとえ二人がそれを望んでいたとしてもね」
「何が言いたい!」
半ば激昂しつつ、狩谷が叫ぶ。その気迫に応じてか騎翼号の出力が更に上昇するが、力の掛け方に無駄が出来つつある。速水と士翼号にとっては、むしろ先刻までよりしのぎ易く受け流し易い。
「加藤さんの献身には恐れ入るよ。死してなお、君のために生きている。でもそれは、愚かしいことだと思う。何も気付かない君と同じくらいに」
「勝手なことを……!」
騎翼号の膂力が、なおも上昇する。速水は、今や騎翼号のパワーゲインは士翼号の倍ほどにまで高まっているのではないだろうか、と思った。さすがにこれだけのパワーとなると、少々の無駄があろうとも簡単にはいなせない。再び押し込まれ、追い詰められる。
――もう少し。あと少しの辛抱だからね。
士翼号に言い聞かせつつ、速水は粘り強く救援を待った。
感情が昂ぶっていたせいだろう、狩谷は気付くのが遅れた。それは、彼を甚だまずい状況に追い込む結果となる。
「騎魂号か!」
気付いた時には、騎翼号は騎魂号最大の武器である背部ミサイルランチャーの射程内に捉えられていた。
「厚志、伏せろ!」
言うが早いか、騎魂号の背部ミサイルランチャーが凶悪な口を開く。三対六列の射出口から、次々と有線誘導ミサイルが吐き出される。
こうなっては、士翼号に構ってはいられない。狩谷は、素早く地を蹴り士翼号から離れた。速水もミサイルの直中に飛び込むつもりはないらしく、士翼号からの追撃は無い。
「くそっ!」
舌打ちしつつ、狩谷は矢継ぎ早に騎翼号を操った。多目的結晶からコンマ一秒単位で優先行動指示を叩き込む。
ミサイルの軌道は、見える。明確な意思を持って騎翼号に迫るものは二発だけだ。芝村舞にしては散漫な攻撃だが、それだけ精神的な余裕がないということか。
まさか森が砲手を務めているとは知らぬ狩谷は、多少なり怪訝な顔をしながらも次々と飛来するミサイルに対応した。大半は、かわすまでも無く的を外れていく。
いよいよ、本命の二発。この二発だけは、明確な連携をとって騎翼号に向かっている。右上方から一発、左下方から一発。狩谷は、全神経を集中させミサイルの軌道を読む。有線誘導ミサイルとはいえ、物理法則を無視した動きは不可能。かわせるはずだ。
痛めている左足を軸に三十度反時計回りに身を捻る。直後、右に踏み込み右方向からのミサイルに突っ込むような体勢に。更に腰を落とし、前のめりになりつつ右足で地を蹴り抜けば、ミサイルの死角に入る。
見切る、というのだろう。騎魂号のミサイルが絶対に追随不可能な空間を瞬時に把握し、タイミングを合わせそこへ飛び込む。口で言うのは簡単だが、それをコンマ数秒でやってのけろというのは無茶以外の何物でもない。しかし、それをやってのけてしまうのが絢爛舞踏なのだ。
――かわせる。
狩谷がそう判断した時、思わぬ攻撃が来た。丁度、狩谷が弾き出した移動点を貫く形で、士翼号の超硬度大太刀が投擲されたのだ。1トンを越す重量の鉄塊を投げつけるという行動も無茶だが、何よりも正確に狩谷の行動を見抜いているあたりが恐ろしい。
――どうする!?
問うたところで、どうなるものでもない。まずは、ミサイルをかわさねばならないのは事実。その上で、飛来する大太刀をさばけるか否か。
迷う暇はなかった。狩谷は、予定通りミサイルをかわすためのジャンプ機動に入る。
一発目、通過。
二発目、直近の地面に激突。小型ミサイル故に爆発力がさほど無いのは幸いだ。
そして、投擲された大太刀。まともに受けられるわけが無い。とはいえ、ジャンプでついた勢いを殺すため、コンマ数秒着地点に静止することになる。それからでは、よけられそうにもない。
「ままよ!」
叫びつつ、空中で身を捻る。着地の直前、右足を直下に蹴りつけ不恰好な緊急再ジャンプ。もちろん、こんな動きに対応できるほど騎翼号の関節構造は柔軟には出来ていない。ミシリと嫌な音を立てて、膝関節が半壊する。どうやら、複数ある支持構造の幾つかが駄目になったようだ。
それだけの犠牲を払った甲斐あってか、騎翼号はどうにか大太刀をかわす。右脚部の破損は痛恨だが、これで士翼号の武装は無くなった。騎魂号も、見ればミサイル以外の武装は所持していない様子。これで、かなり優位に立てる。
しかし、そう思えたのも僅かにコンマ数秒のことであった。
背後にレッドアラート。
あまりに稚拙な攻撃であるため捨て置いたミサイルのひとつだ。絢爛舞踏とて、やはり人。立て続けにシビアな回避を行った直後で、その他のことにまで気が回っていなかった。
「しまった!」
悔やむが、遅い。
頼りなげに宙を駆けるミサイルは、吸い込まれるように騎翼号の腰部後方に激突した。
小振りながらも威力充分の爆発が、騎翼号を空中で吹き飛ばす。
「でかした! よくやった、森!」
舞は、騎魂号のコックピットで喝采を上げていた。
実のところ、彼女はミサイルを当てられるとは考えておらず、狩谷の気を逸らせればそれでいいと思っていた。あとは、速水が何とかしてくれるはずだ、と。事実、速水は舞のミサイルに合わせ抜群のタイミングで意表を突く攻撃を行ってくれた。
しかし、その速水の攻撃も、ギリギリのラインで狩谷はかわしてしまった。絢爛舞踏速水厚志と、かつては速水と共に5121小隊二大エースのと称えられた舞との、これ以上無いくらいに息の合った連携攻撃をしのいでしまったのだ。
その狩谷に、半ば偶然とはいえ痛撃を与えた。舞は、森をどれほど誉めても誉め足りぬとさえ思う。
「あ、当った……」
当の森は、むしろ、当ててしまった、とでも言いたげな声で呆然と呟いていた。戦闘のことは素人同然だが、戦車整備に関してはプロの中のプロだ。今のダメージが、騎翼号の戦闘能力を根こそぎ奪ってしまったことはわかる。
森は、端からミサイルを命中させようなどとは思っていなかった。むしろ、このミサイルが当らなければいい、とさえ思っていたのに。気が付けば、狩谷から全てを奪う一撃を食らわせていた。
狩谷を好いてはいないが、森は速水たちよりもむしろ狩谷に共感するところがある。少なくとも、狩谷は森にとって理解できる範囲の人間だった。それも、ハンガーでの不意の邂逅があってからだが。その狩谷に、どうにも腹の底が知れない速水たちの手助けをして、引導を渡そうとしている。学兵として脱走者を撃つのが正しい行動だとわかってはいても、何か取り返しのつかないことをしてしまったような感情が拭えない。
舞は、そんな森の様子を見て興奮を削がれ、少しだけ表情を曇らせた。森の心中は正確にはわからぬが、舞とて人を好く人なのだ。理性と情動、理論と感情が必ずしも一致しないことくらいはわかる。
「そなたには、辛い役どころであったか。だが、そなたの意思は証明された。今後のことは安心するがいい。芝村の敵にならぬ限り、私はそなたを守護すると誓おう」
そんなものは要らない。
そう思いはしたが、森は何も答えなかった。舞が森の意見など求めているとも尊重するとも思えなかったし、何よりも、ヘッドセットディスプレイに映し出された、騎翼号が立ち上がる姿に注意を奪われていたからだ。
ギシギシと嫌な音を立てて、騎翼号は立ち上がった。立ち上がりはしたが、それ以上のことは出来そうにもない。
致命的だった。
致命的な一撃だ。
不測の一撃は、騎翼号の腰部に深々と突き刺さり、主骨格にさえ痛撃を与えていた。もはや、機体バランスを保つだけでも精一杯。この上戦闘行動などとれようはずも無かった。
それよりも。
狩谷自身が負った傷の方が深い。
砕け散った騎翼号の背骨の破片は、装甲の薄いコックピット下部を貫いて狩谷自身の腰骨をも砕いていた。
痛みというよりは、もはや衝撃と言った方がいい。この感触を味わうのは、二度目のことだ。一度目は、すぐに意識を失った。意識を取り戻した時、両の足の自由を取り戻せないことを知った。今回は、薬物と戦闘がもたらす興奮のため気を失うことも出来ない。
「くっ……あぁ……」
唸りつつ、狩谷は地獄の痛みに耐えた。瞬く間に額には脂汗がダラダラと流れ、全身に抑え切れぬ震えと不快感が走る。
結局は、何もかも逆戻りか――いや。
今度は、もうすぐに終わる。何もかも。
もう、僕には離れていく誰かも残されてはいない。今の僕には、五月蝿く付きまとっていた加藤さえもいないではないか。
――加藤。
ずいぶん、懐かしく思える名だ。
何故、今になって速水の口から彼女の名を聞いたのか。速水は、加藤について何を知っているのか。ただのでまかせかもしれない。しかし、彼女の死に芝村が関与していたとしたら?
有り得ぬ話ではない。確かめなくては。
せめて、確かめていかねば。
問うべき相手は、今そこにいる。
騎翼号、済まない。残された僅かな時間、僕の我侭のために使わせてくれ。
どうしても、どうしても知りたい。忘れられないんだ。
「芝村ァッ!」
魂の奥底から絞り出すような鬼気迫る声で、狩谷は問い詰める。
「答えろ、芝村! 加藤は、何故死んだ! 知らないはずは無い! お前らが、知らないはずはないんだ!」
「もちろん」
冷や汗を流しつつも笑みさえ浮かべ、速水は淡々と答えた。
「知っているよ、何もかも。でも、それを告げるつもりはない。もう、君の動揺を誘う必要も無いしね」
その答えに、狩谷は驚きを感じなかった。もはや、疑う余地は無い。加藤の死には、芝村が絡んでいたのだ。ただ、それだけを事実として認識した。
驚きは無かったが、代りに浮かぶ想いもある。
憎悪。
狂おしいほどの憎しみ。
両足が意のままにならなかった頃、この世界が壊れてしまえばいいと感じたこともある。だが、ここまで憎く呪わしいと思ったことは無い。
狩谷は、初めて純粋に殺意を抱いた。
殺してやる。
天国だの、地獄だの、どうでもいい。死んだ後のことまで知るものか。善し悪しなど問うものか。
ただ、僕はお前を許せない。芝村を許せない。
絶望的に。
「芝村ァァァァッ!!」
狩谷は、もはや言葉としては聞き取り辛い咆哮を上げる。
速水機を通して未だ狩谷の声が聞こえてていた森は、その叫びだけで意識が麻痺してしまった。全身が総毛立ち、震えが止まらない。もちろん身体は数センチも動かせないし、そもそも動こうなどという意思すら起きない。ただ、狩谷の絶叫は嗚咽のようにも聞こえる、とだけ感じた。
舞ですら、動けなかった。危うく騎魂号のコントロールを失いかけ、どうにかその場に尻餅をつかせるような形で座り込ませたが、それ以上は何も出来ない。一応、意識ははっきりしているし声も出るのだが、視線はヘッドセットディスプレイに投影される騎翼号に釘付けになっている。
グラリ、と揺れたかと思うと、騎翼号は左右に揺れながらも疾風の如く駆け出した。
「馬鹿な! まだ動けるのか!?」
舞が悲鳴じみた声を上げる。
士翼号のコックピットでは、速水が異口同音に舞と同じ驚愕を漏らし、言いようの無い恐怖に震えていた。恐らく、大型幻獣と単機渡り合う羽目になっても、これほどの恐怖は感じまい。
瞬く間に駆け寄った騎翼号は、袈裟懸けに電光石火の斬撃を繰り出す。速水は、震えつつもその致命的な一撃をバックステップでかわした。恐るべき速さと威力の攻撃だが、太刀筋は直線的で読み易い。飾り気も何も無い、ただただ一撃に全てを賭ける、無骨ながら手に負えない剣だ。たとえ太刀筋を読めても、かわせるかどうかはわからない。それほど、速く剛い剣だった。
剣を振り下ろしたままの姿勢で、騎翼号が頭部だけを士翼号に向ける。
ギラリ、と、騎翼号の一つ目が輝いた。冷静に考えれば、それは夜間戦闘用のアクティブライトが誤動作したに違いなかったが、速水には騎翼号の意思のように思えた。怒りに震える瞳に見えた。
――殺される!
それは、極めて原初的な恐怖。強烈な殺意だけが与える、理屈抜きの戦慄。
騎翼号は既に限界を超えて動き続けている。このような無茶な攻撃、それほど長く続けることは出来ないだろう。それに、騎翼号は両足にダメージを受けている。一目散に逃げ出せば、追い着かれないかもしれない。
だが、もはや速水はそういった冷静な対応を取ることは出来なかった。憑かれたように優先行動指示を入力し、こちらも半ば狂ったように騎翼号に突撃を掛ける。
「厚志!」
舞の声は、激突の轟音に消され速水の耳には届かなかった。
一瞬の静寂。
次いで、ドスン、と重い音を立てて士翼号の左腕が地に転がった。
騎翼号の超硬度大太刀は、士翼号の肩に僅かに食い込み、そこで止まっている。コックピットには、到達していまい。
そして士翼号の右腕は――吸い込まれるように、騎翼号の胸へと消えていた。
狩谷は、激痛に我を取り戻した。
腹が、痛む。
内臓を引き出され、掻き回されているように。
なんだ、実際そうなんじゃないか。
見下ろせば、硬化テクタイト製の蒼碧の指が、コックピットごと己の腹を貫いていた。
終わりだ。
もう後、一分ももつまい。
いっそ大量出血によるショックで死ねない第六世代の頑丈過ぎる身体が疎ましい。
もう何も出来ない。手も足も、動かない。
いや、どんな時でも、両の手足を失っても、たった一つ、歌うことだけは出来る。そう言ったのは、坂上だったか。
でも、僕は違う。
僕には、もう口ずさむべき歌も無い。
「呪われよ!」
ならば、呪おう。結局のところ、僕にはそれが似合いだ。
死んでいった加藤のために、死んでいく己のために、共に散る騎翼号のために。
速水、お前が手前勝手な未来のために歌うのであれば、僕はそのために散らされた命のために呪おう。
「呪われよ、呪われよ! あまねく天と地の、善きものと悪しきもののすべてにかけて、呪われよ、芝村め!」
決して、許すものか。
許しはしない。
狩谷の叫びに応じるかの如く、騎翼号は咆哮を上げた。それは、実際には耐熱限界点を越えた人工筋肉が弾け飛ぶ音であり、それが硬化テクタイトの装甲に反響する唸りでしかない。だが、見守る舞や森の耳には、確かに悲哀と愁嘆をはらませた叫びに聞こえた。
噴き出した人工血液が、未だ冷め遣らぬ猛烈な機体熱に晒され瞬時に蒸発する。
森は、場合もわきまえず、綺麗だ、と思った。
装甲の隙間から噴き出した蒸気が、雲間から差し込む日の光を受け、騎翼号の背に確かな影を形作る。
それは、輝く翼のように見えた。
それも束の間の、僅かに数秒だけの魔術。
翼持つ騎士は、ついに翼を失い、それっきり動かなくなった。
怖気立つ怨嗟の声に底知れぬ恐怖を感じつつも、速水は瞬きひとつせずその最期を看取った。
翼持つ騎士と翼無き戦士の最期を。
目を逸らさない、それが彼らへの最低限の礼儀だった。
渓谷に静寂が戻り、神話の里はその名に相応しい厳かな空気を徐々に取り戻していく。
「無事か、厚志」
ようやく落ち着いた頃合を見計らって、舞は騎魂号を地に座り込む士翼号に寄せてそう尋ねた。身体状態は多目的結晶で確認済みなのだから、無事なのはわかっているのだが。
速水は、平時の人当たりのよい気の抜けた声で答える。
「うん。ちょっと情けない格好だけどね」
舞は、漸く軽い笑みを漏らす。
愛するカダヤは、とりあえず無事。
終わったのだ。全て。
「まったく、無様なものだ。士翼号も、この場に廃棄するか?」
舞の提案を、速水はやんわりと拒否した。
「いや。起こしてくれるかい?」
ここは、戦士と騎士の墓所。
二人の寝所。
余人が荒らすべきではない。
何故だか、そう思えた。