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翼持つ騎士と翼無き戦士 ――6.二人の絢爛舞踏・中編

研ぎ澄まされた感覚は、時に先進技術の粋を極めたシステムを凌駕する。
人型戦車にはもとより広範囲をサーチするレーダーなど搭載されてはいないが、狩谷はそのような機械の助けを借りずとも敵の来訪を察知していた。追ってくるとすれば、速水。それ以外には有り得ない。だとすれば、向こうも気付いていると見た方がいいだろう。
数を頼みに追い立てられたのならば、まだ別の戦法も取りようがあった。自然休戦期に突入したか否か、まだ微妙な季節だ。幻獣勢力が強い地域に逃げ込めば、追っ手も何の考えも無しに突っ込んでくることは出来なくなるだろう。同時に狩谷自身も幻獣との戦闘を考慮しなければならなくなるが、戦車だの航空機だのを相手にするよりは遥かにマシだ。混戦に持ち込めば、充分に勝算はあると踏んでいた。
しかし、相手が速水と5121小隊となると、そうも言っていられない。何しろ、こちらは徒歩行軍。車両を使用できる相手に比べれば、明らかに速度に劣る。確かに高千穂峡は大型戦闘車両の展開に適した地形ではないが、車両の走行自体が不可能というわけではないのだ。
当面補給が無い関係上、あまり機体に無理を強いることが出来ないのもネックだ。補充用の人工血液パックや僅かばかりの予備燃料はあるものの、この先を考えると補給ルートの確立は必須の事項だった。高千穂鉄道沿いに延岡近郊まで歩き、北へ転進して北川へ。そこから、どうにか大分のブラックマーケットに渡りを付ける算段であったが、相手はそこまで待ってはくれないらしい。
――迎え撃つしかないのか。
さすがに、気が重い。
昨日までの戦友たちに銃を向けねばならない。もちろん、相応の覚悟は出来ているつもりだが、実際に黒猫のイグニシアを撃ち抜けるかと問われれば、その時になるまでわからないというのが正直なところだ。
より切実な問題として、速水を相手に勝ち抜けるのかどうかということもある。機体状態は、完全とは言えない。なにしろ、ここまで歩いてきた疲労が溜まっているし、それ以前に連続起動許容時間を遥かにオーバーして動き続けている。誤魔化し誤魔化し機体を休めてはいたのでとりあえず大きな問題は無いが、いつ不調を訴えてもおかしくは無い状態だった。首尾よく速水機を戦闘不能に陥らせたところで、その後逃げおおせるだけの余力が残っているかどうか。
三番機は、壬生屋や芝村には悪いが問題ではない。せいぜいミサイルランチャーの一斉射に気を付けておけば、それほどの脅威にはならないだろう。もっとも、速水との戦いで致命的なダメージを負っていなければ、という前提条件が付くが。
二機掛りで、あるいは予備機を含めた最大五機の編成で攻められた場合。速水機のみと戦う場合と、そう大差無いだろう。戦う前に、少々逃げればいいだけのことだ。騎翼号の足についてくることが出来るのは速水の士翼号のみ。士翼号が他の士魂号と歩調を合わせて行軍してくるのであればそのまま逃げ出せばいい。士翼号だけが突出してくるのであれば好都合、残りの人型戦車を遊兵と化し無効化することが出来る。
結局、問題は速水か。速水を撃ち破らねば先は無い。速水さえ下してしまえば、後はどうにか出来る。
「正念場みたいだな」
覚悟を決めて語り掛ければ、騎翼号はぶるりと武者震いを返す。
頼りは、昨日来感じている、この一体感だけだった。


何故、ああもゆったりとした動作で、あんなに速いんだろう?
森は、騎魂号の後部座席に揺られながら、そんな場違いなことを考えていた。
指揮車の瀬戸口から戦車クラスの金属反応をキャッチした旨が伝えられたのが数分前。これは狩谷に違いあるまいと、速水は即座に士翼号を駆け出させた。
警戒速度で行軍している時にはさほど実感できなかったが、臨戦速度になると士翼号のスピードは到底騎魂号が追いすがることなど出来ないものであるとわかる。それも、機体に無理をさせている風ではない。極々自然に、少々早足で駆けているようにしか見えないのだ。それなのに、性能限界ぎりぎりの速度を保っている騎魂号を尻目に、瞬く間に視界から消えてしまった。
単純に、機体性能の差ではあるまい。舞とて機器制御に関しては群を抜く巧者であるが、速水はそれを遥かに超越するということ。ありていに言えば、速水の行動からは無駄という無駄が徹底的に排除されているのだ。それは個々の動作レベルでは僅かな違いでしかないかもしれないが、一連の行動として比較すれば明らかにアルガナの舞を凌駕する結果をもたらす。
それが、絢爛舞踏ということ。幾百幾万の僅かな差を積み重ね、人にして人ならぬと称せられる人類の規格外。
あくまで補助を担当し直接戦闘には参加しないという舞の方針は、してみると正しいのかもしれない。絢爛舞踏同士の戦いに常人など足手まとい以外の何物にもならないと、確かに実感できる。
「機体が重いな。これでは、観戦するのも間に合わぬかもしれぬ」
舞は、少々苛立ち気味に吐き捨て、次いで森に指示を出した。
「両肩と脚部の資材を切り離せ。後で回収する」
森は、該当個所の生体接着剤にコマンドワードを与えるだけで、言葉では答えなかった。人型戦車の高速機動に慣れない身としては、強烈な振動で舌を噛むのではないかという危れもあったし、何よりも、今口を開けば不用意なことを訊いてしまいそうだったから。
舞が危惧は、半分だけ的中していた。
的中していたのは、狩谷と速水が接触したのが騎魂号がその場に到着する五分も前だったということ。互いに致命的な攻撃力を秘めた絢爛舞踏同士、五分もあれば決着を着けるのは不可能ではない。
そして、的中していなかったのは、戦いの火蓋が即座には切られなかったということだ。


――来たな。
僅かなざわめきから、狩谷は速水の来訪を知った。木々と風と渓流の、自然の音に混じる微かな違和感。並のパイロットであれば自身が駆る機体の音にかき消され聞き逃すような微妙な差異だが、狩谷には士翼号が駆ける姿が手に取るようにわかる。
それは、騎翼号と共に息を潜め身を隠しつつも、先手を取って不意討ちを掛けようとはしない理由のひとつでもあった。速水とて、同じ絢爛舞踏。しかも、狩谷から見ても底が知れない部分がある。不意を討とうにも、近付いただけでこちらの動きを察知されるのがおちだ。今こうして身を潜めていることすら、速水に対しては何の意味も持たないのかもしれない。
だから、狩谷は奇襲を掛ける代りに無線機をオープンした。暗号コードは5121プライベート回線、コールIDは速水のそれだ。
「聞こえるか、速水」
コードパターンを変えられていれば繋がるはずは無いし、速水に応える道理があるわけでもないが――
「聞こえてる。出来過ぎた舞台だね」
速水は、少々の驚きと嘲りを含ませつつ応えた。この後に及んで通信を入れてくる狩谷の甘さと彼が用意した死に場所に、思わず失笑が漏れる。
険峻な渓谷地帯高千穂峡。神話の里と呼ばれる厳かな大地。
そこに、悠久の時を刻み奉られるは天岩戸。人ならぬ者がその身を隠した伝説の岩屋。
狩谷夏樹、速水厚志。
二人の絢爛舞踏。
ついに相見えることになった、人類最強の規格外同士。
戦いの狭間より生まれ出たが故に争わずにはいられぬ、人にして人ならぬ者。
我らが戦う場所としては、なるほど相応しいかもしれない。
そう思いつつ、速水は幾らか楽しげにさえ聞こえる声で言葉を継ぐ。
「天岩戸神社、か。よりにもよって、神前で舞うことになるとは思わなかった」
無線機越しにも嘲笑われているのがわかったが、狩谷は一縷の望みを賭けて辛抱強く語り掛けた。
「速水……無駄とは思うが、頼む。退いてくれないか?」
所詮お払い箱の学兵と人型戦車、消息不明として捨て置いても速水に不利益があるわけでもないはず。ならば、交渉の余地はあるかもしれない。軍規に照らし合わせれば議論の余地など無い提案だが、速水は親芝村派、通常の法など歯牙にも掛けぬ連中の一人だ。名よりも実利を取り、そのためには道理を曲げることも躊躇しない輩。狩谷を討つことに己の命を危険に晒すほどの価値は無いと納得させれば、あるいは退いてくれるかもしれない。狩谷は、軍や芝村に仇なす意思が無いことを、自分が速水と彼に近しい者にとって取るに足らぬ存在であることを、言葉を尽くして語りかけた。
だが、狩谷の言葉に速水が首を縦に振ることは無かった。
「駄目だろうね。君が人類の脅威になるとは思わないけれど、行かせるわけにはいかない」
「僕は、騎翼号と共にありたい。それだけなんだ」
幾らか強い語調で言う狩谷に、速水はにこやかに微笑みつつ答える。
「だろうね。気持ちはわかるよ。僕も、士翼号と別れるのは悲しい」
「速水……」
ならば、見逃してはくれないか。その淡い期待を、狩谷は最後まで口にすることは出来なかった。
速水は、ごく自然な調子で、しかし断固として宣言する。
「僕は、芝村さ。芝村になった。それだけで、君を捨て置くわけにはいかない理由になる」
それは、決別の言葉であり、開戦の狼煙だった。
速水が「芝村として」見逃せぬと言っている以上、もはや交渉の余地は無い。狩谷と戦うことは、芝村にとって何かしら意味があることなのだ。ならば、速水は退くまい。
芝村の事情など知らないし知りたくも無いが、狩谷にも一歩も退く気は無かった。切り開かねば道が無いのであれば、血塗られた軍刀をもって血路を開くのみ。
相反する二つの意思が交差するのなら、そこに争いが起こるのは自明の理だ。闘争が互いの命を賭けたものであったとしても、何の不思議があるだろう。
森とは、わかり合えた。少なくとも、譲り合えた。だが速水とは、そうではない。それだけのことだ。
狩谷は、それほど気落ちはしなかった。もとより望み薄の駆け引き程度の意識しかなかったのだから。
気落ちしている暇もない。もう、戦いは始まっている。
狩谷は、手早く状況を分析した。
山肌に視界を遮られ確認は出来ないが、彼我の相対距離はおよそ2500メートルといったところだろうか。士翼号の武装は不明だが、経験上、速水ならばジャイアントバズーカを持ち出している可能性が高いと思われる。ジャイアントバズーカなら、この距離は充分に射程範囲内だ。迂闊に飛び出せば、出会い頭に強烈な一撃を食らいかねない。
こちらが手にする長射程武器は、有効射程距離1500メートル余りのジャイアントアサルト。とりあえずは、間合いを詰めないことには話にならない。そのためには、障害だらけのこの地勢は有り難かった。
攻めるか、守るか。一般的に言えば、攻めるは難く守るは易い。だが、こちらは単機追われる身、あちらは必要とあらば増援を得られる立場。狩谷にとって長丁場は明らかに不利だ。現に、まだ遠いが士翼号以外に何者か――恐らくは騎魂号――が迫っている気配を感じる。悠長に相手の出方を窺っているわけにもいかなかった。
狩谷は、騎翼号を山肌に沿って静かに歩かせた。少々遠回りしつつ、速水がいると思われる地点へじわじわと近付く。
狩谷に有利があるとすれば、それは時間の有利だ。速水との接触が避けられぬと悟った時から、充分とは言えぬまでも周辺の地形を調べ相応に地の利を得ている。そして、幾ばくかの策を弄する時間もあった。
不意に、騎翼号が県道へ身を躍らせる。そこに射界を遮るものは無い。本来なら、決して出てはならない場所だ。
誘い。
簡単に乗るわけにもいかないが、無視するべきではない。それは仕組まれたフェイントには違いないが、もし僅かでも隙を見出すことが出来れば絶好のチャンスにもなるのだから。だが、この場合はどうしたものか。恐らく、狩谷の行動は威力偵察も兼ねてのものだろう。少々の賭けに出るか、無難にやり過ごすか。
それは速水にとって一瞬の逡巡だったが、結果として芳しからぬ事態をもたらした。速水が軽々しく動くべきではないという結論に達した時、士翼号の優れた自動戦闘システムが視界に動いた影を勝手にジャイアントバズーカのサイトに捉え追っていたのだ。もちろん、一瞬後にはその影は別の山肌に消えている。
思わず、速水は舌打ちした。
さほど大きな動きでは無かったはずだが、今のでこちらの正確な位置を知られたことだろう。即座に、速水はそれまでいた地点を放棄し、他に目を付けていた待機ポイントへジャンプした。
数秒後、つい先ほどまで士翼号が潜んでいた木立にジャイアントアサルトのものと思われる砲撃。二撃目は――無い。一撃目が有効でなければそれ以上は無意味だとわかっているのだろう。つまり、狩谷はあの一瞬で正確に士翼号の居所を突き止めていたということだ。
やはり、侮り難い。わかってはいたことだが。口先では先刻の通信のような軟弱なことを言っていても、いざ戦いとなれば速水と互角かそれ以上の鋭敏さを見せる。それが狩谷夏樹という男だ。
そう思った直後、直近にそびえていた杉の木が狩谷機の砲撃を受け半ばほどから弾け飛ぶ。至近弾ではあったが、命中する軌道ではない。だが、瞬時反応が遅れたがために、士翼号は速水の意に反して大仰な回避行動を取った。慌てて速水は次なるポイントへと士翼号を跳躍させる。
――まただ。まったく、士翼号、君は御し難い。
それは、速水以外には誰も知らない、恋人の舞にさえ漏らしたことの無い、士翼号の弱点だった。
余裕をもって戦っているうちはいいが、一度シビアな局面に立たされると、士翼号は勝手に身を守り、勝手に敵を狙う。結構なことなのではないかと言う向きもあろうが、一流を超えた戦士にとっては大きなお世話である場合も多い。直近弾ではあるがかわす必要の無い弾をよけ、狙うことは出来るが撃つことは出来ない敵を追う。パイロットの制御である程度は無効化することも出来るが、先行して優先行動指示を与えていない場合にはこれを防ぐ手段は無い。それは、ギリギリのラインで隠密行動が取れないということを示していた。肉を斬らせて骨を断つという戦法が困難であることを表していた。相手を圧倒できるだけの強さがある場合はよいが、今回のように互角以上の手練を相手にする場合には処置に困る。優れた自動戦闘機能があるが故の欠点だ。
勝手に動くという点では狩谷の騎翼号とて同じはず。少なくとも、勝吏を通じて得た技術者の報告ではそうなっていた。しかし、それではあの騎翼号の動きは何か。遮蔽物の無い県道に姿を晒した時、士翼号や騎翼号の判断ロジックから考えれば即座に移動を開始するはずだ。それなのに、騎翼号は敢えて士翼号が照準を合わせることが出来、かつ、砲撃は出来ないギリギリの瞬間までその場で停止していた。狩谷がそのように操ったのではあろうが、それにしても動きに淀みが無さ過ぎる。まるで、騎翼号自身がそれを画策し、望んでいるかのように。
――まあ、君は元々臆病だったからね。あの子は、そういえば度胸が据わっていた。
その差が出ているということか。それだけで済ませてしまうのも、少しばかり腑に落ちないように思うのだが。
そんな詮索よりも、今は目の前の戦いを勝ち抜くことに注力せねばならない。芝村として、離反者を、そして人型戦車の秘密を、決して放置はできぬのだ。それに、これからは芝村の中でも強い発言力を身に付けねばならない。世界を意のままに守る芝村を、己の意のままに操るためには。身の回りで起こった不始末を片付けられないようでは軽くも見られよう。絢爛舞踏を狩れば、もはやこの力を疑われることはあるまい。是非とも自ら戦い、そして勝たねばならぬのだ。
とはいえ、士翼号がこのていたらくでは狙撃戦は不可能か。それに、どうやら地の利はあちらにあると考えた方がいい。二度目の砲撃が、よい証拠だ。狩谷は、最初の地点から下がるとすればここしかない、という場所を狙ってきたのだろう。ならば、機動戦に持ち込むべきか。機動力ならば、士翼号に分がある。ジャイアントバズーカという重い武器を抱えていてさえ、足回りは騎翼号を凌駕するはずだ。
そう結論付けた速水は、木々の狭間から飛び出した。
もう止まることは出来ないし、そうするつもりも無い。
もちろん、それはすぐに狩谷の察知するところとなる。
「動いたか」
呻くように言葉を絞り出す。このまま抑え付け、隙を見て逃げることは出来ないかとも考えていたが、やはりそれほど甘くは無いようだ。速水が動いたのなら、こちらも動くしかない。
そう判断すると、すぐに地を蹴った。起伏が激しいだけにジャンプ以外の運動は不可能に近い。とはいえ、大きく跳躍するなどもっての外だ。滞空時間は、長くて一秒。それ以上は、わざわざ的になりにいくようなもの。小刻みに短いジャンプを繰り返し、どうにか相手の隙を見つけなくては。
「いたか!」
右側面。速水もこちらに気付いたようだ。手にしたジャイアントバズーカが、素早くこちらに向けられる。それに応じる形で、狩谷は右前方に跳びつつ上半身をひねり、士翼号をジャイアントアサルトの射界に捉えた。そうはさせじと、速水が左に跳躍。騎翼号は、速水機を中心に円を描くように移動し、一旦山陰に消える。
山肌に半身を隠しつつ顔を出し、狩谷は士翼号を狙う。左右に回避運動をとる士翼号目掛け、予測線上に一射。だが、速水は狩谷の予測通りに動きはせず、無駄弾に終わる。ジャイアントアサルトのマズルフラッシュに向けて、士翼号の照準が合わせられた。狩谷はすぐに機体を翻し、その射線上から一目散に退散する。
どうにも、ジリ貧だ。
狩谷は焦りを感じ始めていた。
やはり、高速機動に入った士翼号を捉えることは困難だ。予測線上を砲撃するにしても、相手があの速水ともなれば簡単には動きを読めない。首尾よく砲撃が命中しても、ジャイアントアサルトは火力が低い。命中個所が非装甲部でなければ、それほど有効なダメージにはならないだろう。
これに対し、士翼号が持つジャイアントバズーカは一撃必殺の兵器。直撃出来ずとも至近弾を食らわせれば、相応のダメージを期待できる。大口径榴弾は貫通力こそ通常の砲に及ばぬが、その効果範囲の広さと爆発圧は並大抵のものではない。人型戦車というナイーブな機体にとっては実に厄介な兵器だ。装弾数が一発であるが故に使いどころは考えねばならないが、速水に限ってそれを見誤るとも思えない。
「どうする?」
狩谷は、自身と騎翼号に問い掛けるように呟いた。
手許の計器類のうち幾つかは、既にレッドゾーンを示している。人型戦車は、元よりそう長く戦っていられるような兵器ではない。動けば動いた分人工筋肉の細胞は劣化し千切れ飛んでしまうし、バクテリア燃料を食らえば人工血液はみるみる不純化していく。高熱は生体部品を容赦無く苛むし、僅かずつとはいえフレームの合金を膨張させ酷い時には変形させてしまう。まして、速水の士翼号に対応してのシビアな機動戦を行っているのだ、機体の負担は想像を絶するものであろう。
これ以上戦いを長引かせても不利になる一方。それはわかっているのだが、ではどうやって状況を打開するのかと問われれば返答に窮する。一発も撃っていない速水にじわじわと追い詰められているのが現実なのだから。
いや、一発も撃っていないからこそ、速水は狩谷を追い詰めることが出来ているのだ。速水がジャイアントバズーカという切り札を保持している限り、一撃で撃破されるかもしれぬという恐怖が圧力となり狩谷を抑え付ける。何とか、速水に撃たせるしかない。だが、あの速水が無駄弾など撃つか?
――誘うか。しかし、どうやって?
動き回りつつ突破口を捜し求めるが、焦りが募るばかり。逡巡するうちに、狩谷は岩戸川の縁にまで追いやられてしまった。
舞の駆る騎魂号が戦場の端に到着したのは、そんな時だった。戦況自体は、少し前からキャッチしている。電子戦仕様ではなくとも他の人型戦車を圧倒する騎魂号の電子兵装の賜物だ。
後部席に揺られている森は、本来はミサイル誘導の為に備え付けてある短距離レーダーを眺めつつ淡々と報告する。一通り状況を報告し、最後に私見を付け加えた。
「速水君が圧してますね。さすがに整備状態の違いや狩谷君の疲労は、無視できるものじゃないってことですか」
森の言葉を、舞は不敵な笑みを浮かべて、きっぱりと否定する。
「違う。結局のところ、一人で絢爛舞踏たる者と、そうでない者との差だ」
舞の言葉の意味は正確にはわからない。速水と狩谷、舞がどちらがどちらを指して言っているつもりなのかも判断は付きかねる。ただ、森は舞の自信が理解できなかった。何故、狩谷が速水に劣ると言い切れるのか。
種々の経緯から狩谷寄りの発言――自分と原のことを考えると避けた方が無難な発言――をしてしまいそうだったので言葉にはしなかったが、森には二人の絢爛舞踏の優劣など簡単には付けられないと思える。特に、先に見た騎翼号の様子を思い起こせば。
戦闘に参加する意思の有無はともかく、騎魂号の到着は戦場に動きを与えた。
狩谷は、ついに賭けに出ねばならない状況に追い込まれたのである。もはや一刻の猶予も無い。
どうする?
何度目になるかわからない自問に、狩谷は今回ばかりは即座に答えた。
「やるしかない!」
語気も鋭く言い放ち、狩谷は山陰から飛び出す。
騎翼号の両の足が大地を蹴り抜く確かな感触。瞬間の浮遊感。着地と同時に降り掛かる強烈なG。数多の戦場で幾度と無く経験した、人型戦車独特の最低の乗り心地。第六世代の強靭な肉体と相応の訓練で培われた慣れをもってしても、意識が揺れるほどの衝撃だ。
着地点で立ち止まることなく、上体を前方に傾がせ即座にダッシュ。無茶苦茶なGを歯を食いしばって耐える。兎にも角にも、スピードが勝負だ。
速水は、壬生屋よろしく正面突撃を敢行する騎翼号を見て、一瞬怪訝な表情を垣間見せた。
無謀だ、あまりにも。
右は急角度の斜面、左は岩戸川へと落ちる崖。士翼号と騎翼号を結ぶライン、狩谷の突撃ルートは、ほとんど一直線にしか進路の取りようが無い、適当な遮蔽物すら見当たらない空間。士翼号が身を隠す山肌だけが、侍と騎士の間に存在する唯一の障壁。確かに、最速の移動力を得ることは出来るだろうが――
「厚志、今到着した」
不意に耳朶を打った通信に、速水は笑みを浮かべた。
――なるほど。焦ったね、狩谷君。
舞との挟撃を恐れたが故の無謀な賭けか。彼女たちは観客に過ぎないというのに。それでも、焦った君の負けだ。あっけない幕切れだけど、案外そういうものかもしれない。
士翼号の自動戦闘機能が騎翼号を確実にサイティングする。速水は、焦らず微妙に照準を調整し、そして、トリガーを引いた。
閃光。
轟音。
そして爆煙。
ジャイアントバズーカは、そういったものまでも他の人型戦車用火器を遥かに凌駕する。その強烈な光からモニターを守るため、センサー・アイの光学保護フィルターが一瞬だけ速水の視界を奪う。
爆音。
正確な着弾は、ガンカメラの記録映像で確認すればよい。盛大なガンスモークが晴れた後には、粉砕された騎翼号の姿が――
「いない!?」
幾らジャイアントバズーカの破壊力をもってしても、全長8メートルからある人型戦車を跡形も無く吹き飛ばすことは不可能。だが、現に騎翼号の姿は無い。しかし――
「厚志、上だ!」
舞の声が耳に届くのと、士翼号の自動回避機能が動作を開始したのは、ほぼ同時だった。
「遅いッ!」
叫びつつ、狩谷は落下の勢いに任せ白刃を振り下ろす。
上空からの奇襲。人型戦車以外の陸戦兵器には不可能な、そして「翼持つ騎士を駆る」と称された狩谷が最も得意とする戦法である。それは速水とてわきまえてはいたが、彼我の距離は優に500メートルはあったはず。幾らなんでも、そこから飛ぶなど想定の範囲外だ。
士翼号の自動戦闘機能とて限界はある。ジャイアントバズーカを発射した直後ともなれば、迎撃どころか回避にも事欠く。
「くっ!」
短く呻きつつ、速水は必死で緊急回避にあたった。どうにか、初太刀をジャイアントバズーカの砲身で受け止めるが、何しろ騎翼号には重力の助勢がある。既に役立たずの砲身はザックリと両断され、士翼号の腕から零れ落ちた。
「左脚レッドアラート、腰部アタッチメント軽度損傷、オートバランサー緊急補正、予備血液循環起動!」
狩谷は、目に入った分の計器異常と自動処置メッセージを読み上げる。ダッシュの勢いと上空へと伸びる大口径榴弾の爆発圧を利して常識外の大ジャンプをやってのけたのだ。当然だが、騎翼号は設計上このような場合に必要となる機体強度など考慮されてはいない。機体に異常が起きない方がおかしいのだ。しかし。
「問題無いッ!」
多少の異常に拘泥している場合ではない。間合いを詰めたこの機を逃せば、少なからずダメージを受けた騎翼号が不利に立たされる。ジャイアントバズーカの爆風でジャイアントアサルトを吹き飛ばされてしまったとあってはなおさらだ。士翼号が反撃に移る前に畳み掛けねばならない。裂帛の気合をもって、狩谷は士翼号に躍り掛かった。
逆袈裟、刃を返しての横薙ぎ、飛び退く士翼号を追い、鋭く踏み込んでの突き。
左脚部、膝の関節が軋みを上げる。
――済まない、踏ん張ってくれ、騎翼号!
胸の奥で詫びつつ励ませば、騎翼号は即座にその想いに応えた。狩谷の意思が乗り移ったかの如く、壊れかけた膝を人工筋肉の圧力で無理に抑え込み、鋭くもうひと突き。切っ先は士翼号の左肩部に食い込み火花を散らし、硬化テクタイトの装甲と肩のペイロードがまとめて吹き飛ばされる。
「!」
声にならない叫びを上げつつ、速水は士翼号を更に後退させた。肩のダメージは、たいしたことは無い。怖いのは、狩谷の気迫であり勢いだ。速水は、本当に久し振りに戦慄を覚えた。凄まじい。狩谷君、確かに君は絢爛舞踏だ。
「化け物か、狩谷め!」
少し離れたところで状況を見守っていた舞は、苛立たしげに吐き捨てた。
「何故、あんな戦いが出来る? 何故、あれほど戦えるのだ?」
噛み潰すように漏らす舞に、森は冷ややかな声で言葉を返す。
「一人で絢爛舞踏たる者と、そうでない者との差、じゃないんですか?」
舞は、ギロリ、と後部席に恨みがましい視線を送ったが、声に出しては何も言わなかった。今の発言は少しまずかったかな、などと考えつつ、森は素知らぬ風でレーダーのモニターにあたる。
本当は、訊きたかった。
――もしも、二人の立場が逆だったら。速水君が、あなたを失ったとしたら。彼は、どうするんでしょうね。
だが、その問いを発するわけにはいかない。だから、森は当面自分に割り当てられた作業に没頭している振りをした。
「森」
忌々しげに鼻を鳴らして、舞は森に要請した。
「ミサイルの準備をせよ。照準システムはわかるな?」
わざとらしくレーダーとにらめっこしていた森が、顔を上げ不服そうに訊き返す。
「絢爛舞踏同士の戦いに手は出さないんじゃなかったんですか?」
「状況が変わった。ここで厚志を失うわけにはいかぬ」
平然と当初の方針を反故にする舞に、森は努めて平静を装いつつ反駁する。
「勘弁して欲しいですね。ミサイル以外、何の武装も持って来てないんですよ。そんな状態で、あの二人の戦いに巻き込まれたくはありません」
武装は要らぬと言ったのは、他ならぬ舞だ。絢爛舞踏に抗する力を持たぬと言ったのも。まして、今騎魂号の最も攻撃的な部分を担う席に着く森は、実戦に関しては素人と大差無い程度の腕しかない。援護射撃など、やるだけ無駄というものではなかろうか。
戦う意思自体、森には皆無だ。ここで狩谷に肩入れするわけにもいかないが、今でも狩谷が望むのなら行かせてやれば良いとも思っている。
だが、舞は煮えたぎる地獄の釜のように歪んだ瞳で森を見据え、彼女の主張を一蹴した。
「その是非を決めるのは、車長である私だ。納得がいかぬなら、軍法会議に提訴するがいい」
軍法会議、という単語を強調した舞の言葉に、森は身を固くする。
舞は、狩谷が脱走した経緯に関して、その正確なところに気付いているのか。相手は芝村だ、有り得ない話ではない。その気になれば、森などいつでも消せる――消すだけの理由もある――ということか。
ここで意地を張れば、自分ばかりか原にも危険が及ぶ。舞の恫喝に、森は渋々頷いた。
「……わかりました。全力は尽くしますけど、結果は期待しないで下さい」
鷹揚に頷き、舞は気休めのように言う。
「そう心配するな。二発は私が受け持つ。その程度なら、機動には影響せぬだろう」
そう言われたところで、森の気は少しも休まらなかったが。