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翼持つ騎士と翼無き戦士 ――5.二人の絢爛舞踏・前編

「爆破処分!?」
一組二組合同のホームルームでその知らせを聞き及んだ刹那、狩谷は席を蹴り常に無く狼狽した声でわめき散らした。
「そんな馬鹿な! 何故、あいつを捨てる必要がある!?」
あまりの剣幕にクラスメートたちが呆然とする。しかし、そのきっかけとなる軍令部通達を告げた坂上は、あくまで冷静だった。
「狩谷君。席に着きなさい」
激昂する狩谷を静かに嗜め、坂上は続ける。
「事情は色々とあるのでしょうが、結局、もはや人型戦車は必要無いということです。テストデータは充分に得られた。そこから、今後開発・投入される新兵器の方向性も出来ている。これからは、より安価に、より安全な兵器を投入できる。そういうことです」
全ての人型戦車の爆破廃棄処分。それが軍令部から申し渡された決定事項だった。士魂号、騎魂号はもちろん、最新型である士翼号、騎翼号とて例外ではない。学兵たちにとっては寝耳に水、その真意を計りかねる処置ではあった。
通常、兵器の爆破処分が行われるのには、大きく分けて三つの理由がある。
ひとつは、その兵器が災害の原因となる場合。ここで言う災害には、放置した場合の一般への被害もあれば、解体に伴う危険性もある。地雷や不発弾の処理に代表される、危ないから壊してしまえ、というものだ。
次に、もはや役に立たない兵器であり、かつ、解体等の処置に費用が掛かり過ぎる場合。爆破した方が安上がりだから、という単純な理由だ。艦や航空機、車両の場合、演習用の標的に転用される場合もある。
最後のひとつが、敵やその他の第三者の手に兵器が渡ることを防ぐ場合。敵中に放棄せざるを得なくなった艦や航空機、車両を破棄する場合だ。この場合、その兵器を使用されないように、という直接的な意味もあれば、兵器に使用されている先進技術が漏洩しないように、という意味もある。
今回の人型戦車爆破指令は、そのどれに照らし合わせても納得のいくものではなかった。完動状態の人型戦車が災害の原因になるわけはないし、敵中に放棄する必要性があるわけでもない。まして、士翼号・騎翼号は最新鋭の機体であり、廃棄する必要性自体が疑わしい。更に言えば、この二機は絢爛舞踏の愛機であり、博物館に飾られるとでもいうのならいざ知らず、不要になったからといって爆破処分されるとは思い難い。常識的に考えれば、資料的な意味も含めて人型戦車各型を最低一機ずつは保存してしかるべきだろう。
そこまで深く考えなくても、熊本を、ひいては日本を、人類を守る最強の盾を、数多の幻獣を斬り倒してきた剣の切っ先を、新兵器の実力もわからぬうちに捨ててしまえとは、あまりに不可解な指令だと思えた。
「騎翼号以上の兵器なんて、ありえない……!」
噛み潰すように抗議する狩谷を、坂上は鋭い視線で一瞥する。
「私が教えたことを忘れましたか?」
淡々と、しかし断固たる口調で、坂上は狩谷の主張を一蹴した。
「強いのは、人型戦車ではない。戦術です。兵器は関係無い」
なおも何か言いたげな狩谷から視線を外し、チラリと善行を見る。
善行にしてもさすがに渋面を隠すことは出来なかったが、命令とあれば頷くより他無い。
「5121小隊、了解しました。手順は、原主任、お任せしていいですか?」
「予備機も含めて六台からの人型戦車があります。手持ちの爆薬では足りないわ」
努めて冷淡な声で、原は答える。日頃から善行に対しては何かと反駁する風のある原だけに、その冷たい口調が議題自体に起因するものか発言者に対するものか、判別は付け難かったが。
「今日中に爆薬を手配。明日、安全地帯に移動して爆破処分。それでよろしいですか?」
善行は、坂上が頷くのを確認してから、いつも通りに眼鏡で表情を隠しつつ答えた。
「結構です。爆薬に関しては、私からも近くの小隊に要請してみましょう」
――さて、どうやって兵の動揺を抑えますかね。
そう思いつつ、善行は坂上に続きを促した。
そして、坂上の口から更に二、三の通達がなされ、善行の心配が杞憂であることが判明する。
1999年5月15日をもって熊本県下の学兵は解散。兵として継続参戦を希望する者は、関東にて行われる再訓練及び再編成に参加すること。そうでない者については、一時金と恩給の権利を与え現地にて退役。無論、正規の自衛軍より編入されていた善行や若宮といった面々は旧命に復することとなるし、絢爛舞踏である速水、狩谷、あるいはアルガナの舞などには継続参戦を強く希望する旨の要請もあったが、それはあくまで例外でしかない。
結局、必要で無くなったのは人型戦車ばかりではなく、命を賭して戦火を潜り抜けた学兵たち自身でもあったのだ。


起重機、上げ。
圧搾整流機、毎秒2リットル。
反応電極、振動モード。
騎翼号、クールからホットへ。
勝手知りたる整備の流れだ、しばらく離れていたからといって忘れるものではない。狩谷は、黙々と、手際良く機器を操作した。隠密性を考慮してハンガー内の灯火は消したままだが、計器類から漏れるほのかな灯りがあれば特に不自由は無い。圧搾整流器の音は消しようが無いが、この際やむを得ない。
――僕は、何をしているのだろう?
薄闇の中、狩谷は自問する。
事実だけを論じるのであれば、答えは簡単だ。
脱走。
それも、軍事機密を携えての離反。
捕えられれば、銃殺は免れ得まい。家族が既に離散しているのは幸いだった。累科が親族に及ぶ心配は、それほど大きくは無いだろう。もっとも、その危険性が高くとも、狩谷は己の行動を再考することなど無かっただろうが。
狩谷が己に問うのは、何故そこまでするのか、という問題だ。
騎翼号を失いたくない。離れたくはない。その想いには、欠片ほどの偽りも無い。
だが、だからといって敢えて死を選ぶような真似をするのは何故か。狩谷の内の冷静な部分が、最大級の警告を発している。
それが躊躇いかといえば、答えはNOだ。
幻獣も敵、人類も敵。頼りになるのは、己の腕と騎翼号。そんな状態で、逃げおおせるとでも思うのか。絢爛舞踏と呼ばれ、慢心しているのではないか。
やはり、答えはNOだ。
いつか望んでいた通り、今も消え得ぬ想いのままに、死を求めるのか。
……答えは、NOだ。
生き延びてみせる。生き延びることが出来る分だけ。途中、矢尽き刀折れるのならば是非も無し。だが、その瞬間までは全力で生き延びる。翼持つ騎士と共に。
狩谷は、己の意思を確認するとハンガー二階へ登った。もうじき、騎士は目覚める。そろそろ荷物を片付けておきたい。
コックピットに荷物を放り込む。量はそれなりにあるが、内容的にはたいしたものではない。掻き集められるだけ掻き集めた保存食と僅かばかりの衣類。幾ばくかの補修資材と多少の工具。携行武器は拳銃ひとつ。ウォードレスはもちろん未着用だが、どのみち騎翼号から降りて戦うつもりなど毛頭無いのだから問題にはなるまい。
最後の荷物。小物の類をまとめた小さな鞄だ。ふと、思い立ってその中からクリアフォルダを取り出す。
そこには、一枚の写真が収まっていた。5121小隊発足当時に撮られた集合写真。それは、昔日の記憶。決して取り戻せぬ日常。
変わってしまった。何もかもが。もしも、得たものと失ったものを秤に掛けることが出来るとしたら、天秤はどちらに傾くだろう?
――無意味な問いだ。
そう思う。得たものも、失ったものも、他の何物とも比べようの無い次元のもの。そんなものを計る天秤などありはしない。もし存在したとしても、それは元より平衡などとれぬように出来ているのだ。狩谷の場合、特に。
何故、行くのか。
その問いに答えられぬまま、ただ行く道だけを確かなものと感じる。写真の中の小さな一点で微笑む少女に視線を落とし、狩谷は自嘲した。
加藤。僕は何度もお前を馬鹿だと言ったが、本当の馬鹿は僕の方かもしれない。己の問いに答えることも出来ず、己の心すら確かには理解できない。
「……!」
狩谷は、胸の内で繰言を述べ立てるのを不意に中断した。恐れていた、しかしある程度は予期していた事態が発生したからだ。
テントの幕が、微かに揺れる気配。風によるものではあるまい。
静かに写真を置き、コックピットから忍び出る。腰のホルスターからゆっくりと9mm拳銃を引き抜き、静かにスライドさせ薬室に初弾を送り込む。
――さて、誰だ?
狩谷は騎翼号の影に隠れつつ、慎重に階下の様子を窺った。


予感のようなものがあった。推測が理論を必要としないのであれば、それは確信と言ってもよかった。
そして森精華は、自分の憶測が全く正しいものであったことを知る。低く唸りを上げるコンプレッサーの音は、その証左に他ならない。
周囲に人影は無かった。当然かもしれない。戦争がひとときの終息を迎えた直後の夜半、繁華街で勝利の美酒に酔う者はあれども、好き好んでハンガーに近付く者はそうおるまい。
なんとなく足音を忍ばせつつ、通い慣れたハンガーテントに歩み寄る。ピタリと閉じられた入り口の幕を僅かにめくり上げ、ハンガー内に滑り込む。隠密行動の心得など無い割には上手く動いているつもりだが、相手が相手だけに気取られていないとは到底思えなかった。
だから、森は不意に突き付けられた凶器にも、とりあえず取り乱さずに済んだ。
「森……」
確認するように呟く狩谷の右手には、黒光りする9mm拳銃が握られていた。わざわざ声を掛けてきたということは、彼にも多少の躊躇いがあると期待できるのだろうか。それとも、単純に銃声が響くのを嫌っての行動か。判別はつけがたかったが、狩谷に一歩も退く気が無いのは問うまでもなくわかった。
森は、浅くため息を吐く。幾つか用意していた言葉も無意味なものであることを、狩谷の目を見た瞬間に悟らずにはいられなかった。
少しだけ間を置いてから、森は感情を押し殺した平坦な口調で尋ねる。
「どうやってリフトオフするつもりですか?」
怪訝な表情を浮かべる狩谷も、彼の手に鈍く光る兇器も意に介さぬ風を装って、静かに歩を進め整備用のコンソールに取り付いた。
「パイロットが乗らなきゃ、リフトオフできませんよ」
「お前……」
唖然とする狩谷に、森は俯き加減に視線を逸らしつつ訊く。
「……行くんでしょう?」
ほんの少し前の昔を思い起こしていただけ。騎翼号に最期の別れを告げていただけ。そう言ってくれれば、どんなに気が楽だったろう。いつものように、人を小馬鹿にしたような皮肉な笑みを浮かべ、憎らしい台詞で否定してくれないものか。
しかし、狩谷はただただ真摯な面持ちで、森の知る限り初めて深々と頭を垂れた。
「……恩に着る。返すあては無いが」
全ては、もう引き返せないところまで来ている。狩谷の言葉と態度にそう見て取った森に、それ以上狩谷を引き止めることなど出来ようはずも無い。狩谷は、誰よりも強く騎翼号を欲し、何よりも深く騎翼号を求めている。その狩谷を、どうやって留め置くことが出来るというのか。
それ以上、何を言う必要も無かったのかもしれない。だが、森は言い訳するように小声で呟いた。
「もしかしたら、出撃したのは大介だったかもしれない。戦場に英雄が立つのは、他が皆倒れてしまうから。そのぐらい、わかってます。だから、先に恩を受けたのは私の方。それに報いてるだけよ……一番、残酷な形で」
表情を曇らせる森に、狩谷は晴れやかな笑みさえ浮かべてかぶりを振る。
彼女が、残酷な形、と言うのは、この先狩谷に用意されている結末が、恐らくは死以外には有り得ないという認識からだろう。確かにそうかもしれないが、それは狩谷にとって思い留まる理由にはならない。
死を拒む気持ちは、とうの昔に失った。ただ生にすがる生き方は、遥かな過去に捨ててきた。
紅蓮の騎士と共に全力で生き、死すときもやはり一緒。それが、今や狩谷がただひとつ望む生き方だった。
「いいさ。同情より、よほどいい。身勝手なやさしさよりも、ずっといい」
自分でも驚くほど柔らかな声でそう言ってから、狩谷はごく自然に付け加える。
「ありがとう」
そう声を掛けて気付いた。
ああ、これだったんだな。
この一言だった。
たったこれだけの一言を、たった一人の人間に掛けることが出来なかった。
気付いたときには、それを告げる機会は永遠に失われていた。
結局は、言えなかった一言が、今も僕を駆り立てている。
もう二度と、失ってから悔やむことの無いように生きろ、と。
「もう会うことも無いだろうし、もし会えば敵味方だけど。礼は言っておく。ありがとう」
狩谷は、己の決意が一層確かなものになるのを感じた。
何故、行くのか。
答えは、見つかった。
失いはしない。最後まで一緒だ。
騎翼号。せめてお前とだけは。
狩谷はコックピットに滑り込み、手早く起動状況を確認した。各計器オールグリーン。少々機体温度が低いが、無茶な高速機動でもしない限りは問題無い。この先長いことを考えれば、丁度良いとも思える。
多目的結晶を接続。
「……?」
そこで、狩谷は違和感を感じた。
今まで、騎翼号と接続するときに微塵ほども違和感を感じることなど無かった。それが、今日に限って妙な引っ掛かりを感じる。他の機体に接続するときのような不快感があるわけではない。ただ、何かしら訴えかけようとしている、強いて言うなら諌めようとしている、そんな感触。
――お前は、僕と共に行くのが嫌なのか?
胸の内に浮かんだ疑念に応じるように、僅かに違和感が薄れる。
――僕にお前と離れて虚しく生きて死ねというのか?
違和感が、揺れる。動揺を確かな感触に変換したように。
――僕は、お前と共にありたい。世界を敵に回してでも。
震えた。
違和感が震え、それが移ったかのように紅蓮の騎士が震えた。センサー・アイに仕込まれているアクティブ・ライトが、ギラリと鋭い閃光を放つ。
暗闇の中に一瞬だけ映った森は、目を剥いて驚愕を示していた。端から見ていても、わかったのだろう。
これが騎士の意思。狩谷とて初めて触れる、騎翼号の本当の魂。
そうか、騎翼号、お前も喜んでくれるか。共にあることを。
狩谷は、かつて無い一体感に歓喜した。それは、単に騎翼号を意のままに操り得るという、これまでの感覚とは根底から異なるものだ。比翼の鳥の如く、互いに必要とし合い、求め合うかのような感触。今まで感じていた情すら、急に薄っぺらなものに思えてしまうほどの衝撃的な認識。
自身の興奮と騎翼号の震えが収まるのを待って、狩谷は多目的結晶越しに階下の森へ要請した。
「リフト・オフを」
森は、息を呑みつつ騎翼号をリフト・オフする。戒めを解かれた騎翼号は、軽い足取りでハンガーテントを出る。
狩谷は、そこでほんの少しの間だけ騎翼号の歩みを止めた。プレハブ校舎、ハンガーテント、安っぽい司令室。5121小隊の隊員として過ごした場所を眺める。
ほんの数秒瞑目し、狩谷は過ぎ去った日々を思った。実に様々な出来事が、この狭く貧相な駐留基地で起こったものだ。忘れ得ぬ痛みと喜びがない交ぜに在る、故郷のような場所。
今は、去らねばならない。恐らくは、永遠に。それが僕の選択だ、後悔はしない。
最後に、気遣わしげに騎翼号を見送る森に小さく頭を下げる。
そして狩谷と騎翼号は、夜の闇と五月の涼風を纏い、静かに、しかし疾風の速さをもって駆け出した。
その様子をぼんやりと眺めつつ、森は崩れ落ちるように腰を下ろした。眠いわけでもないのに、意識は霞が掛かったようにおぼろげで頼りない。それでも、改めて自分の行動を顧みれば、さすがに背筋が寒くなる。
脱走幇助。
重罪だ。
自分は、何をしに来たのか。狩谷を止めるつもりだった?
いや、狩谷を引き留めることなど出来ないと、最初からわかっていたはずだった。もとより、狩谷と森はそれほど深い仲ではない。さほど特別な感情――例えば、恋心――を抱いていたわけでもない。
それなのに、気付けば狩谷の為に敢えて我が身を危険に晒すような真似までしている。森には、何よりも自分自身が理解できなかった。
空が白み、鳥のさえずりが朝を告げても、森はまんじりともせず狩谷と騎翼号が駆け去った方向を眺めつつ膝を抱えていた。


その日、最初にハンガーテントへやって来た人物が原であったことは、森にとって幸いであったろう。
原は、まずハンガーテントの出入り口が不自然に開け放たれていることに疑問を感じた。それからすぐにテントの前に座り込んでいる森に気付き、息が切れない程度に急いで彼女の許へ駆けつける。放心したように眺め返す森の視線に合わせてしゃがみ込み、軽く肩を揺すりつつ声を掛けた。
「森さん……大丈夫?」
何があったのか、と訊きたい気持ちもあったが、とりあえず森の状態を確認する方が先だ。見る限り、どうにも平常の森にある、幾らか肩肘張った強さが欠けているように思える。
「原先輩……」
確かめるように原の名を呟き、森は力無く笑って言葉を継いだ。
「狩谷君、行っちゃいました」
それを聞いた瞬間、原は気が遠くなるのを感じた。森の言葉は非常に短いが、その中にはとても危険な意味が含まれている。
恐らく昨夜、森は狩谷と会っていたのだろう。その上で、狩谷が行ってしまった、というのはどういうことか。これが単純な色恋沙汰であれば、奥様戦隊だ、などと名乗って茶化してしまえるところだが、そうではあるまい。となれば、狩谷が脱走した、という意味である公算が高い。調べればすぐにわかることだが。
それを知りつつ連絡が無かったというのが、なおまずい。脱走の片棒を担いでいたと思われる可能性大だ。
そして、場所がハンガーテントであることを考えると……
原は、慌てて立ち上がりハンガーの中を覗き込んだ。案の定、爆薬設置準備のためリフトアップされていた騎翼号の姿が無い。
全身の血の気が引くのを感じつつ、森のところへ戻る。彼女に、確認しなければならないことが、そして場合によっては言い聞かせねばならないことがある。
「脅されていたの?」
短く問う。ここで頷いてくれれば、まだしも弁護の余地はある。
「……」
しかし、森は言葉無く俯くだけだった。
最悪だ。
今度こそ気を失ってしまうのではないか、と思えるほどの衝撃を受け、原は頭を抱えた。森は、全てを知った上で進んで脱走幇助の罪を犯した可能性が高い。
どうするべきか。原は、ほんの僅かな間だけ逡巡した。
軍務規定に照らし合わせれば、森を逮捕・告発せねばならない。その上で、生徒会連合本部に引き渡すことになるだろう。森は、苛烈な尋問――拷問の可能性も高い――をもって狩谷の行方を訊き出される。その情報が有用であれば、終身刑ぐらいで済むかもしれない。情報が無ければ、あるいは情報に意味が無ければ、銃殺刑は免れ得まい。哀れな末路だが、この処置を怠れば今度は原も罪に問われる。
だが、森は原にとって愛弟子にも近い部下だ。腕は確かだし、口も固い。澄ました風を装っているが情熱は人一倍であるし、何よりも原には無い堅実な感性を持った得難い人物である。ここで失うのは、惜しいのだ。
――言い訳ね。
原は、心の底でそう呟き、それまでの考えを一蹴した。
心は、もう決めてある。迷うことなど無い。どのみち山ほど余計なことを知っている身、今更森の一件を墓まで持って行かねばならない秘密に加えたところで、それほど負担は変わらないだろう。
可愛い後輩を守らねばならない。それは、原にとって何よりも優先して然るべきことだ。
「あなたは、狩谷君に脅された。拳銃を突き付けられて、無理矢理手伝わされた。多目的結晶で連絡を入れるなんてことに気を回すような精神的余裕は無かった……いい? あなたは、脅されたのよ」
噛み砕くように、森に言い含める。後は、原の政治工作で有利に導くしかないだろう。色々と代償は要るかもしれないが、そんなことを理由に躊躇しているような場合ではない。
森は、原の心情を知ってか知らずか、ただ唇を噛んで俯くだけだった。
原の述べ立てたことは、丸きり嘘というわけでもない。拳銃を突き付けられたのは事実だし、狩谷の側に幾らかは脅す意思もあったのだろう。誰かに連絡を取ろうなどということに気が回らなかったのも確かだ。結果として狩谷の脱走を手伝うことになったのは、無理矢理ではなかったが。
「森さん」
「何で……」
重ねて言い含めようとする原の言葉を遮り、森がポツリと漏らした。
「何で、こんなことになっちゃったんでしょうね。止められないと知っていて出向いちゃって、駄目だってわかってて見送って……好きだったわけでも無いのに」
原は、森の瞳を覗き込み、顔をしかめつつ息を呑んだ。
それは、原がよく鏡の中に見出す瞳の色と同じ。湛えられるものは、知らなければよいことを知ってしまった者の懊悩。
――何も、こんなところまで継がなくてよいものを。
そう思いつつ、原は愛すべき後輩を少し強めに胸に押し抱いた。森が語らぬのなら、何を知ったのか問うべきではない。だから、原はただ母のようにやさしく、愛弟子に教えておかねばならないことだけを囁いた。
「辛いのよ。知ることはね、辛いの。知ることは、人を強くするけれど、人を辛くさせるの」
原の言葉に、ピクリと森の肩が揺れる。
言われて、初めて気付いた。
――そう、私は知ってしまった。狩谷君の想いに。そして、恐らくその根底にある、狩谷君も知らない事実に。だから、彼らを行かせたいと願った。自分でも気付かないうちに。
それは、ありもしない免罪符を求めるような行為だったのだろう。彼の望むようにさせれば、決して漏らすことの出来ない、しかも彼にとってはこの上なく重大な、秘密を抱えてしまった自分の胸の負担が、幾らかでも軽くなるという期待があったのではないか。
しかし、結果はどうか。結局のところ、原に迷惑を掛けてしまっただけだ。敬愛する先輩は、それでもなお優しく諭してくれている。その言葉を、無下にすることなど出来ない。
鍵を掛けてしまおう。知ってしまったことの全てを、胸の奥の小箱に仕舞って。たぶん、原がそうしてきたように。きっと、原がそう望むように。
その決意を噛み締めるように、森は小さく頷き、一言だけ答えた。
「……はい」
それを確認した原は、一度深く深呼吸して自分を落ち着かせてから、多目的結晶を通して緊急事態を通報した。


「狩谷君を追うよ」
何の気負いも躊躇いも無くそう言った速水に、瀬戸口がさすがに呆れた声で応じる。
「おいおい。あいつ、どっちに逃げたかもわかりゃしないんだぜ?」
瀬戸口の言葉に、しかし速水はきっぱりと答えた。
「想像はつくよ。山さ。大型の戦闘車両が運用できないような、深い山……僕が彼の立場なら、阿蘇を抜けて高千穂を目指すよ」
速水の推論に、集まった一同は、なるほど、と頷く。
ハンガーテントでは、5121小隊全員が集合し善後策が討議されていた。討議するとは言っても、時間は限られていたし、実のところそう多くの選択肢があるわけでもない。
狩谷と騎翼号を放置するなど、論外だ。どんな手法に訴えかけるにしても、彼を狩り出し討ち取らねばならない。
問題は、その手法だ。5121小隊内部の戦力をもって討つか、準竜師に泣き付いて各地の部隊を動かしてもらうか。
幸い、部隊解散まで三日ほど猶予がある。その間は、5121小隊は独自判断で行動する遊撃部隊として存在しているのであり、勝手に狩谷を追い小隊内部の問題として処理することも可能だ。
芝村準竜師に泣き付けば、狩谷の所在を突き止めるのにもそれほど苦労はしないだろう。人型とはいえ相手は戦車、航空隊による精密爆撃に抗する手段は無いはず。準竜師からは無能者の謗りを受けるかもしれないが、比較的確実な手段と言える。
問題は、相手が仮にも絢爛舞踏であることだ。絢爛舞踏が離反したと知られれば、軍のみならず人類全体の士気に影響しかねない。敢えて絢爛舞踏を相手に討伐戦を繰り広げたいなどと思う者も、そういるとは思い難い。そういう意味では、出来るだけ情報が漏れないよう配慮が必要だ。少なくとも、狩谷を討ち取ってしまうまでは、各軍に動揺を与えぬよう事実を隠蔽する必要がある。さもなくば、第五世代や幻獣共生派あたりに、みすみす付け入る隙を与えることにもなろう。
だが、隠密裏に討つとなると、相手が悪過ぎる。絢爛舞踏と正面から渡り合う度胸がある者など、そうはおるまい。更に能力的に追い着く者となると、もはや皆無と言うべきだろう。
その全ての条件をクリアする者は、一人しかいない。
すなわち、もう一人の絢爛舞踏、速水厚志である。
結局、速水が狩谷を討つのがベストなのだ。先刻の速水の言葉は、一足飛びに結論を述べたに過ぎない。
「舞、悪いけど、三番機で後詰を頼めるかな?」
「ふむ……いいだろう」
本来であれば小隊指揮官である善行の命無く行動するのは御法度となるところだが、今回ばかりは彼も速水の独断に任せ指揮権限を放棄している。速水か舞が手を回したのだろう、準竜師直々にそう命じられては文句の付けようも無い。
ラインオフィサーには、別の考え方もある。何しろ、人類の規格外同士が一戦やらかそうというのだ、常人の判断が通用するわけが無い。ここは、黙って速水に任せておく方が賢明、という認識だ。
ともかく、速水の言葉を受けて壬生屋が頷いた。
「じゃあ、私も準備します」
「いや、壬生屋」
ウォードレスの装着に向かおうと足を踏み出した壬生屋を、舞が止める。
「そなたには悪いが、今回は別の者を乗せたい」
その言葉に不穏なものを感じたのか、原が口を挟んだ。
「どういうこと、芝村さん?」
舞はその問いには答えず、面白くもなさそうに森を眺めつつ言う。
「森。後部席に乗れ。士魂徽章は持っているのだろう?」
「ちょっと待って。何で森さんを……」
食い下がる原に視線を転じ、舞は心底面倒そうに答えた。
「責任というものがある。脅されていたとはいえ、みすみす狩谷を逃がしてしまった責任がな。それに、険しい山を行くのだ。いざという時、優秀な整備士が必要になるかもしれぬ」
舞は、これ以上の議論は無用とばかりに、抗議の声を上げようと口を開きかけた原を無視してヨーコに告げる。
「複座型の武装は要らぬ。代りに、ペイロードには応急処置用の補修資材を」
その指示には、さすがに善行が眉を寄せて苦言を呈した。
「武器も持たずに、ですか? 危険過ぎます」
「たわけ」
だが、舞は幾らか自嘲気味な笑みを浮かべて、きっぱりと断言する。
「私は、それほど自惚れてはおらぬ。どう武装したところで、今の私が狩谷の騎翼号にかなうものか。今、あやつに勝ち得るのは、絢爛舞踏たる厚志ただ一人だ」
その後、原を中心とする面々から幾らかの抗議も出たが、結局完全に無視された形で出撃の準備が進められた。
追撃に掛かる時間が不明ということで、ウォードレスの着用及びスカウトの参戦は見送られた。指揮車は同行するが、あくまで索敵担当、オペレーターの能力以外は期待されていない。士翼号ならびに騎魂号は阿蘇を抜けるまでトレーラーで輸送。以後は臨戦体制で狩谷の駆る騎翼号の捜索にあたる。
完全な一点狙い、速水の予測が外れればそれまでという乱暴な作戦だが、ともかくも準備は速やかに行われ、日が高くなる頃には出撃命令が下された。
5121小隊の、そして人型戦車の、最後の出撃。
まさか、二人の絢爛舞踏が相争うためにその命が下されようとは。
まさか、自分が見送る側ではなく見送られる側にいようとは。
森は、運命の綾というものの不思議を感じずにはいられなかった。結局、絢爛舞踏狩谷に関しては、全てこの目に焼き付けねばならないらしい。
ならば、見届けよう。知ってしまった者として。
彼らの戦いと、その末路を。