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翼持つ騎士と翼無き戦士 ――4.独りぼっちの二人

十二枚翼の速水厚志。
翼無き戦士狩谷夏樹。
二人のアルガナは、今や熊本の、いや、日本全国の、人類という種にとっての英雄だった。
5121小隊にはもう一人、芝村舞というアルガナもいるのだが、彼女の戦果とて二人のそれには大きく溝を開けられている。
すわ絢爛舞踏か――そう噂される二人は、しかし好対照な二人であった。
爽やかで家庭的な速水。無愛想で冷淡な狩谷。
いつも友に囲まれ、賑やかに時を過ごす速水。ただ独り座して、静かに時を過ごす狩谷。
いつもにこやかな笑みを浮かべる、人当たりのよい速水。しかめっ面しく、皮肉な笑みしか浮かべない狩谷。
芝村舞と恋仲であり、既に芝村を名乗ることを許されている速水。表立って反抗こそしないが、芝村への嫌悪を隠そうともしない狩谷。
二人に共通することはたったの三つ。
5121小隊のパイロットであること。
上級万翼長であること。
そして、幻獣狩りのプロの中のプロであること。
速水の駆る蒼碧の士翼号と狩谷の駆る紅蓮の騎翼号が現れるところ、幻獣どもはただの一匹も生き残ることを許されなかった。
それは、人類が得た二柱の守り神であり、希望であった。
いったい、どちらが強いのか。
そう問われた時、速水は笑って答えた。わからないけれど、無意味な質問だよ、と。
そして狩谷は、いつもの皮肉な笑みを浮かべるだけで答えもしなかった。
戦績だけ見れば、狩谷の方が上だ。速水の半分以下の時間でここまでスコアを伸ばしてきた。
だが、狩谷の戦いは良く言えば勇猛果敢、悪く言えば破滅的な印象がある。共に轡を並べる者から見れば、速水の戦いは余裕すら感じさせるゆったりとしたものだった。
出撃の機会の問題もある。狩谷が戦列に加わるようになったのは、5121小隊が最激戦区を渡り歩くようになってから。これに対し、速水は5121が中堅どころの小隊であった頃からのパイロットだ。自然、敵に遭遇する機会自体に差が出る。
どちらが強いのか――
その疑問に回答が与えられるよりも、運命の日が訪れる方が早かった。
速水の駆る士翼号のN.E.P.が幻獣たちを無に返す。その戦果を読み上げる瀬戸口は、ついに来てしまったこの瞬間を、幾ばくかの興奮と共に伝えた。
「速水機、ゴルゴーンを撃破――速水厚志上級万翼長、累積撃破数300!」
直後、最前方で超硬度大太刀を振るう狩谷機のモニターにあたっていたののみが報告する。
「狩谷機、ミノタウロスを撃破――狩谷夏樹上級万翼長、累積撃破数300なの」
ほぼ同時。
5121小隊の二大エースは、人類最強の証である絢爛舞踏章の授章基準とされる累積撃破数300を達成した。
前代未聞の、一度に二人分の絢爛舞踏授章が発表されたのは、翌日のことであった。


「ふぅ……」
ため息をついて、狩谷は騎翼号に寄り掛かった。
祝賀会の席では社交辞令に忙殺され、息を吐く暇も無かった。親が議員などやっていた関係上多少はその手の席を知らないでもなかったが、やはり自分には向いていないと思う。
儀礼的な宴席から解放された後には、クラスメートたちによる心づくしの祝賀パーティーが用意されていた。規模からすれば政府主催のそれとは比べるべくも無いが、共に死線を潜り抜けた仲間たちの手による祝宴だ。嬉しくないはずが無い。
それでも、狩谷は一人になることを選んだ。
どうしようもない孤独感に苛まれることを承知の上で。
会場となった食堂兼調理場から抜け出すのには、さしたる苦労も無かった。最初の十分ほど、おとなしく付き合っておけばいい。人は、自然と速水の方に集まっていくのだから。後は、さりげなく中座するだけでよかった。
狩谷は、独りだった。不慮の事故が彼から地を駆ける自由を奪ってから、ずっと。両足の自由を取り戻した今でも、それは変わっていない。ほんの一時は、違ったのかもしれないが。それも、気の迷いの類。そうでなかったとしても、もはや願っても得られはしない。
孤独。
今となっては、それが似合いのようにも思える。
騎翼号のコックピットに一人座す時だけが、心の休まる時間。
唯一の相棒は、紅蓮の騎士。今では失った見えざる翼に代る天駆ける騎士。
愛しげに、無骨な装甲をひと撫でする。実際、狩谷は騎翼号を愛しく感じていた。変質的な趣味など無かったはずだが。
コックピットに行くか。あの閉ざされた世界だけが、僕に許された安息なのだから。
そう思い、二階へと続く階段に向かおうと騎翼号の足許から通路に出る。
「!」
瞬間、危うく誰かにぶつかりそうになってたたらを踏んだ。大いに驚いた様子で荷物を取り落とした相手を眺め、狩谷はボソリと呟く。
「……森か」
「びっくりした。驚かさないで下さい」
恨みがましく言って、森は地面に転がった缶ジュースを拾い集める。狩谷は、足許に転がってきた二、三本を拾い、それを手渡すついでに尋ねた。
「何をしているんだ?」
「見ての通り、飲み物を取りに来たんです。原先輩に言われて」
言われてみれば、原は人工筋肉や人工血液の保管冷蔵庫を家庭用のそれと同じ用途でも使用していたような気がする。なるほど、と頷いてその場を離れようとする狩谷を、森が呼び止めた。
「あなたこそ、どうしたんですか。こんなところで」
咎めるような視線で狩谷を眺めつつ、森は淡々と続ける。
「主賓がパーティから抜け出して、どうするんです?」
狩谷は足を止め、すっかり板に付いてしまった皮肉げな笑みを浮かべる。
そんなことを、訊いてくれるな。惨めになるだけじゃないか。
そう思いつつも、少々芝居じみた口調で森の問いに答える。
「主賓は、速水さ。僕じゃない」
「あなただって、絢爛舞踏でしょう?」
僅かに顔をしかめる森に、狩谷は失笑すらも漏らしつつ口の中で呟くように言った。
「違うんだ……僕と速水では、全然違う」
幾ばくかの間狩谷をねめつけてから、森は大仰にため息を吐く。彼女にしてみれば、狩谷の偏屈は今に始まったことではないように思える。そして、こういう時の狩谷は梃子でも動かない頑固さを備えていることも知っていた。
「確かに、ちっとも似てませんよね。強いこと以外は」
「強いのは僕じゃない。騎翼号だ」
自嘲気味の狩谷の言葉に、森はゆっくりとかぶりを振る。
「やっぱり、あなたが強いんですよ」
「どういう意味だ?」
怪訝そうに問い質す狩谷に、森は渋々といった口調で答えた。
「騎翼号は異常に扱い辛い、士翼号の方がまだマシだ……大介が、そう言ってたんですけどね。優れた機体の性能を引き出せるのは、優れたパイロットだけです」
茜が士翼号や騎翼号のシミュレーターを使っている姿は、狩谷も何度か目にしたことがある。しかし、扱い辛いとは、どういう意味だろうか。狩谷にとっては、騎翼号ほど扱い易い機体は他に考えられないのだが。
「相性の問題じゃないのか?」
狩谷は、素直に感想を漏らす。対する森は、すこぶる真剣な表情で応じた。
「いっそ、天賦の才っていうのがあるんじゃないですか?」
「天賦の才?」
実に詰まらないジョークを聞いた、とでも言いたげな笑みを浮かべて、狩谷は森の言葉を繰り返した。そして、すぐに苦虫を噛み潰したような顔に転じてボソボソと続ける。
「馬鹿げてる……僕に、パイロットの才能なんて、無い」
その態度にカチンときたのか、森は少々の怒気すら混じった強い調子で言った。
「それじゃ、どうしてパイロットになったんですか。わざわざ委員長まで動かして」
冷静に考えれば、別段才能に欠けるからといってパイロットになってはならないわけではない。むしろ、才能があるからパイロットをやっている、などという人間の方が珍しいぐらいだろう。
そもそも、二人はパイロット云々の話をしていたわけではない。今の森の言葉も、売り言葉に買い言葉の類だ。
別に、答える必要は無い。ここで立ち去れば、多少の不満は述べつつも森は祝賀パーティーへと戻るのだろう。彼女が居るべき場所へ。そして僕は、僕の居るべき場所に行く。それで、問題は無い。
そう思いつつも、狩谷の口を突いて出た言葉は会話を打ち切るものではなかった。
「僕がパイロットになった理由、何だと思う?」
幾らか挑発的な声でそう言ってしまったのは、政府主催の祝賀会で無理に薦められたワインのアルコールが残っていたからだろうか。口調とは裏腹に浮かぶ笑みが自嘲的で皮肉げなのは、それが自分に向けられたものだからだろう。
「どう思う?」
重ねて問う。
森は、困惑した表情で言い淀んだ。
「……わかりません。私には」
意地悪く鼻を鳴らして、狩谷はなおも問う。
「それなら、少し言い直そうか。僕がパイロットになった当初、どう思っていたのか。あるいは、他の皆にどう思われていたと思うか。それでも答えられない?」
森は、狩谷の視線からの逃げ場を求めるように瞳を右往左往させた後、逃れようが無いことを悟りポツリと呟くように答えた。
「……死ぬつもりだと思ってました」
それは、5121小隊隊員の大半が思っていたことだ。今更隠し立てするようなことでもない。面頭向かって口にするのは、さすがに憚られるというだけで。到底愚鈍とは思い難い狩谷のことだ、彼自身もそのことは知っているはず。何故、今更こんなことを言わせるのか。
狩谷は、幾らか満足そうに頷くと、更に語り掛ける。
「生きてるな、僕は」
「はい」
森は、俯き加減に小さく頷く。さっさと話を切り上げて踵を返してしまえば楽なのだろうが、抵抗する意志自体が萎えてしまっている。狩谷の視線には、そう思わせるだけの圧力があった。これが、絢爛舞踏の威風というものか。
「私の見当違いだったんでしょうね」
「じゃあ、今ではどう見える?」
新たな問い。質問の意図はわかりかねたが、それを問い返すことなど出来なかった。今の森は、蛇に睨まれた蛙に等しい。出来ることは、思ったままに正直に答えることだけ。
「楽しそうに見えます……戦うのが楽しいのか、殺すのが楽しいのかはわかりませんけど」
「なるほどね」
狩谷は、薄く笑って森を見据えた。
「正解だ。君の認識は正しいよ。大枠においてはね」
そう、僕は死ぬつもりでいた。今でも、死ぬことに躊躇いなど無い。死を求めて戦い、果たせずに今もここにいる。
しかし――
「ひとつだけ、違うところはある」
それだけは、はっきりさせておきたかった。誤解されたままでも、特に不利益があるわけではない。そこにこだわりを持ち込むのは、稚気の類だろう。それでも、狩谷にとっては極めて重要なことに思えた。
「楽しいんじゃない。嬉しいのさ。戦うことでも、殺すことでもない。騎翼号と、この紅蓮の騎士と共にあることが、堪らなく嬉しいんだ。悲しいかな、その想いは戦場でしか果たせない。それだけのことさ」
その喜びが、僕をこの世界に繋ぎ止めている。この想いだけが、僕にとってたったひとつの真実。
だから、僕は孤独なんだ。どれほど人に囲まれようとも、どれだけもてはやされようとも、僕は独り。当たり前だ。僕は、騎翼号にしか心を許さない。
人は、ただ己の意思によってのみ、独りになる。
だからこそ、救い難く、惨めなのだ。
「狩谷君……」
森は、ここに到って初めて狩谷の瞳に宿る違和感に気付いた。
寂寥。絶望。自分以外の誰かに向けられた、微かな思慕。
加藤の死を伝え聞いたあの日、教室で見たものと寸分違わぬ痛ましい瞳。
どうにもいたたまれず、森は控えめな声で提案した。
「戻りませんか。みんな、待ってます」
「いや」
狩谷は、力無くかぶりを振る。
「済まない。意地悪をした。八つ当りの類だ、気にしないでくれ」
最後に静かに詫びて、狩谷は踵を返した。
森は、呼びとめようかと口を開きかけたが結局声を掛けきれず、コックピットへと向かう狩谷を無言で見送る。
ふと気付けば、騎翼号のセンサー・アイが森を見下ろしていた。それを目にした瞬間、森は息を呑んだ。
なにかしら意思のようなものを感じる、と言えば笑われるだろうか。無機質な一つ目が、妙に生々しく見えた。それは、形状と色さえ異なれど、ついさっき目にしたばかりのものと全く同質の、哀れな瞳。
そうか――
「あなたも、独りなのね……」
呟きかけても、騎翼号は答えない。翼持つ紅蓮の騎士は、人ではないのだから。
いや、常々抱いていた憶測が正しければ――
そこまで考えて、森は深いため息をひとつ吐いた。そこから先のことは考えるな。それは、常日頃余裕の表情で憎まれ口ばかり叩いている義弟が、血色を変えて幾度も忠告してくれたことだ。
結局、何をどうすることも出来ず、森は重い足取りでハンガーテントを後にした。
今のそこは、やはり彼女が居るべき場所ではなかったから。


絢爛舞踏誕生に合わせるかのように、幻獣勢力の抵抗は散発的なものになっていった。
哨戒機及び偵察車による精密走査の結果でも、熊本県下の幻獣反応が目に見えて低下していく。福岡、宮崎、鹿児島からの幻獣流入も途絶えて久しい。
1999年5月10日。
政府は九州中部戦域の幻獣勢力駆逐成功を発表した。
中央高官たちにとっては、予想外の奮戦。
学兵たち自身にとってさえ、思いもよらぬ結末。
人類は、久し振りの、本当に久し振りの戦略的大勝利に沸き返った。
その先に用意されている、更なる一幕も知らずに。