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翼持つ騎士と翼無き戦士 ――2.侍と騎士

「パイロットに、ですか」
淡々と狩谷の言葉をなぞり、善行は目の前に立つ彼の瞳を覗き込んだ。
「確かに、滝川君の穴を埋める必要性はあります。狩谷君はシミュレーターでの成績もいい。しかし」
クイッと眼鏡を押し上げ、善行は言葉を継ぐ。
「皆が、納得しますかね? 私としても、できるだけ現場の意見は尊重するつもりでいますので」
「ですから、こうしてお願いに上がっています」
暗にやめておけと諭す善行を見据え、狩谷は微塵の揺るぎも無い強固な冷たさをもって言った。
「僕がパイロットになることを快く思わない者もいるでしょう。病み上がりの人間が士魂号に乗ることを危惧する者。それから、僕が平静さを失っていると勘違いしている者。そういう者たちは、彼らの身勝手なやさしさをもって僕をパイロットという部署から引き剥がしにかかるでしょうね。たとえ自らの発言力を削ってでも」
微妙な苦笑を浮かべ、善行は頷く。
「では、それが隊の総意ということです。私は、それを無視して士気を落とせしむるような愚行は犯したくありませんよ」
「ですから、こうしてお願いに上がっています」
狩谷は先刻の台詞を繰り返し、善行に詰め寄った。
「どうしてもというのであれば、準竜師と直談判するまでです。ですが、そんなことで発言力を浪費するのは馬鹿げている。事務官がいない現在、発言力はもっと有効に使うべきだ。だから、お願いしている。悪役を引き受けてくれ、と」
しばし、無言で見詰め合う二人。常ならば眼鏡を上手く利用して視線を隠す善行も、身じろぎもせず狩谷の瞳を直視する。
「……わかりました」
やがて折れたのは、善行の方だった。
「明朝、作戦会議を開きます。その場で、君をパイロットに推薦しますよ」
「直接任命して頂いても構わないのですが」
とりあえず目的が達せられるのであれば、と納得した表情を浮かべながらも、狩谷は面倒な手続きを踏もうとする善行の真意を問う。
「まあ、一種のポーズでね。一応は推薦と決議、という形を取らなければ部隊運営の前提条件を覆すことになる」
「なるほど。指揮権限は、絶対ですからね」
それ故に、濫用していると兵に思われるようではいけない、ということか。指揮官という者も、なかなかに色々と考えるものだ。
「そういうことです」
善行は、少し気難しげに眉を寄せて椅子ごと横を向く。
「正直に言うと、二番機パイロットには茜君を考えていたのですが。確かに、戦車に関する技量は狩谷君の方が上でしょうしね。茜君には、事務官兼指揮車運転手を任せることにしますか」
そう告げた善行の顔は、既に冷徹な司令のそれに変わっていた。


翌日の運営会議において、シフトチェンジが決議された。
狩谷夏樹の二番機パイロットへの配置換え。賛成2、反対5。三番機パイロット速水厚志と三番機整備士代表森精華を除き、全ての者が血色を変えて反対したという。委員長の指揮権限により可決。
同時に、茜大介戦士を事務官兼指揮車運転手に配置換え。賛成6、反対1で可決。一人反対票を入れた原は、一言も意見を述べず、ただ善行を睨み付ていたという。
翌日、狩谷夏樹百翼長へ昇進。陳情者は、森精華。何事も無い一日であれば、その珍妙な取り合わせに噂のひとつも立とうかという昇進劇であったが、結局狩谷が皮肉な笑みを浮かべただけにとどまり、そのことが話題に登ることはなかった。
なぜならば、その日の5121小隊には、それよりもずっと重大で驚くべき出来事があったからだ。
ひとつは、速水厚志の一番機パイロットへの異動。電撃的に行なわれたシフトチェンジ、しかもそれが小隊でも群を抜く戦果を上げている速水・芝村コンビの解消を伴うとなると、それはもう様々な噂と憶測を呼んだ。だが、もうひとつのニュースを聞くに及んで、なるほど、と皆が頷くことになる。
「これが、新型か」
若宮はそう呟いて、うぅむ、と唸った。
流麗なフォルム、完璧な人型。その名もウイング・オブ・サムライ――士翼号。
キュイン、と軽やかな音を立て、士翼号のセンサー・アイが眼下に集う5121小隊の面々を見下ろす。
「動いた!?」
驚愕する田辺に、どこから情報を仕入れてきたのか、茜が鼻を鳴らして説明する。
「聞いてなかったのか? 士翼号は自律戦闘が可能だ。独自の判断で行動する……さすがに、人間ほど器用な判断はできないし、先読みなんて真似も不可能のようだけどな。反応速度だけなら、人間より遥かに上のはずだ」
「なるほどなぁ。こりゃ、壬生屋に任せとくってワケにもいかないだろうな」
などと得心したように頷く瀬戸口に、さすがに面白くない壬生屋が食って掛かる。
「なんですって?」
「フフフ、ズバリ、いきなり大破して廃棄処分などと言うことになっちゃったんでは目も当てられないという……」
皆まで言わせず岩田を殴り飛ばし、舞がいつも通りの無愛想な口調で注釈をいれた。
「別に、壬生屋、そなたが悪いというわけではないぞ。もとより、この士翼号は厚志以外には使いこなせぬ。使う意味が無いと言ってもよい」
全然フォローになっていないような気がする舞の言い様に、速水が苦笑を浮かべつつ更なるフォローを入れる。
「メリットが薄いんだよ。元々、壬生屋さんは抜群に反応速度が速いし、正面強襲に熟達しているからね。士翼号は、半自動の高速・軽量型。僕みたいな、ぼんやりしてて遠間から仕掛ける人間の方が向いてるんだ」
そう言われて納得した風でもなかったが、壬生屋は速水の顔を立ててとりあえず矛先を収めた。相変わらずニヤニヤ笑っている瀬戸口を一睨みするのは忘れなかったが。
兎にも角にも動かしてみよう、ということになり、速水がコックピットに向かう。
「……お帰り」
初期起動ということでコックピット周りのモニターにあたっていた原は、呟くようなその一言を聞き逃さなかった。一階で見守っている他の者には、絶対に聞こえてはいまい。原の隣には、やはりモニターにあたっていた舞がいたが、聞こえなかったのか聞こえなかった振りをしているのか、特に平常と変わった表情や行動は示していない。
どうして、こうも余計なことばかり耳に入ってくるのか。とりあえず、原は自分の耳聡さを呪いつつ、速水の言葉を他の様々な思い出してはいけないことを放り込んである領域に閉じ込めた。
普通、戦車にせよ、飛行機にせよ、機種を変えた後は数十時間の機種転換訓練を行わねばならない。機種毎の細かな操作の違いや独特の癖を頭と身体に叩き込まなければならないからだ。機体自体にも個々に微妙な違いがあるから、乗り換える度に習熟訓練も必要になる。時間が無い上に多目的結晶という便利な代物が使用されている昨今、動けば壊れるというくらいナーバスな人型戦車の場合特に、こういう訓練はシミュレーターで済ませてしまうことが多い。俗に、コックピット周りの調整、と言われる作業だ。これを怠っていると、機体はパイロットの思う通りに動いてくれない。それ以前に、どう動くか、動かないか、それをパイロットが判断することすら困難になる。
だが、速水はそういった手順を一切無視して士翼号を起動させた。少しでも戦車について知っている者は皆、機体をコールド・スタンバイからホット・スタンバイに移行させるまでの小一時間ほどの間に最低限の動作シミュレーションをするものと考えていたし、動かすといっても歩いたり銃を構えてみたりというのがせいぜいだろうと思っていた。
速水の行動は、その予測を完全に裏切った。彼は機体が暖まるまでの間ずっと、隣に控える舞や原と談笑していたし、機体に搭乗するといきなり尚敬高校グラウンドに繰り出し、万事完調の士魂号もかくやという見事な演舞を決めて見せた。最初は不安げに見守っていた5121小隊の面々も、さすがはアルガナ、いや、未来の絢爛舞踏、と喝采を上げる。これを見せられては、一番機から降ろされた形になる壬生屋も納得するしかなかった。
最新鋭の、究極の人型戦車士翼号。その配備は、5121小隊の士気を多いに高からしめた。
しかし、その「最新鋭」「究極」という称号は、瞬く間に奪われることとなる。
士翼号到着から遅れること一日、5121小隊は更に新たなる力を手に入れることになった。
その日、到着した人型戦車の名はウイング・オブ・ナイト――騎翼号。士翼号と同じく自律行動が可能な、最新鋭の人型戦車。軽装ですっきりとしたフォルムの士翼号に対し、やや重装――と言っても士魂号の通常装甲程度だが――の、鎧を纏ったかのような無骨なフォルム。後に、士翼号重装型と呼ばれる機体である。士翼号も騎翼号も、それぞれ一機づつしか存在していないのだが。
「これはまた、凄い機体ですね」
あまり面白くなさそうに、遠坂が感想を述べる。実際、騎翼号には何とも形容し難い「凄み」のようなものがあった。
「壊すと厄介そうですね。この装甲の張り具合、士翼号の倍は手間が掛かりますよ」
さほど真剣に危惧している風でもない調子でそう言って、森はリフトアップされた騎翼号を丁寧に観察する。
この機体は、剛いな。それが、第一印象だ。
士翼号にも、確かにそのポテンシャルの高さを窺わせる凛とした鋭さのようなものがある。だが一方で、この機体は打たれ弱い、とも森は評価していた。
騎翼号には、士翼号に感じたような脆さは見受けられない。逆に、触れるだけで切れそうな研ぎ澄まされた印象も無い。代りにあるのが、鈍い凄みだ。
サムライにナイトとは、よく言ったもの。実に言い得て妙なネーミングだと思える。
「さて、どうしましょうか」
原は速水を顧みて言った。
「機体を選ぶ優先権は、エースさんにあるけど?」
「騎翼号は二番機に。狩谷君に充てるのがいいと思いますよ」
速水は、狩谷に視線を投げつつそう答えた。
「僕には、士翼号がある。舞から貰った士翼号が、ね。騎翼号は、狩谷君の機体だよ」
思わせ振りにそう言う速水に、狩谷は怪訝そうな表情で答えた。
「どういう意味だ?」
「まあ、乗ってみればわかるんじゃないかな。少し動かしてみない?」
ハンガー周りに集合していた小隊メンバー――野次馬とも言うが――の間に、微かな緊張が走る。穿った見方をすれば、速水の言葉は挑発ともとれるものだったから。
昨日今日パイロットになった狩谷が、どう転んでも僕と同じ最新型に乗るのか。それならば、僕に並ぶ価値を示して見せてくれ。
そう言っているように聞こえなくも無い。殊に、ここ最近の速水は奇妙に浮いた感じがあったから尚更だ。
「……ああ。やってみよう」
少しだけ考えてから、狩谷はそう答えた。


(――何だ、この機体は?)
コックピットに収まった狩谷は、騎翼号との初接続に戸惑いを禁じ得なかった。違和感があるわけではない。いや、強いて言うなら、やはり違和感と言うべきか。
無いのだ。
欠片ほどの違和感も、精神を人ならぬものに繋ぐ不快感も。
「どう、狩谷君?」
気遣わしげに、原が声を掛けて来る。
「わかりません。これは、どう表現したものか……」
答えようとして、狩谷は口篭もった。まったく、どう表現すればよいのだろう?
それは、それまでシミュレーター代りに使ってきた士魂号や騎魂号、あるいは昨日ものは試しと一回だけ接続してみた士翼号、指揮車や女子高の倉庫で少々使わせてもらったL型短砲身、あらゆる機体と根本的に異なるイメージ。機体の手足を、己のそれとまったく同等に振るうことができるという確かな感触。部品の一つ一つから狩谷のために誂えられたかのような印象すら受ける。そして――
そして、懐かしい気がした。
何があっても手放したくない。
そんな気がした。
――騎翼号は、狩谷君の機体だよ――
速水の言葉が脳裏をよぎる。
実に、その通りだ。速水、君は正しい。
そのことを、僕はどう周囲に伝えればよいのか?
そう思った次の瞬間には、狩谷は結論を口にしていた。
「リフトオフを。出します」
「冗談でしょう?」
狩谷の要請に、原が秀麗な眉を寄せる。
「まだ完全なホットに移行していないわ。機体への影響も考えて頂戴」
「大丈夫です。僕には、それがわかる」
昨日の速水といい、今日の狩谷といい、どうしてこの小隊のパイロット連中は整備班の心臓に悪いことばかりやりたがるのか。原は文句のひとつも、いや十や二十は言ってやりたいと口を開きかける。だが、隣でモニター補助にあたっていた舞が口を出す方が早かった。
「狩谷がいけると言っているのだ。やらせてやるがいい」
「いいかげんにして。パイロットの馬鹿げた意地の張り合いで仕事を増やされちゃ堪らないわ」
とりあえず矛先を舞に転じて食って掛かる原に、舞は腕組みして説教をするような口調で言う。
「狩谷は、厚志と同等か、それ以上の価値を示さねばならぬ。パイロットとして。そうでなければ、狩谷がパイロットであり続けることを納得できない者も出よう」
原は、何か言い返そうとして言葉に詰まった。理屈としては無理があるが、舞の言葉は確かに真実の一面を捉えていたからだ。
かつて、狩谷がハンディキャップを背負っていた頃には、彼が戦車に搭乗することを皆が止める理由は単純でありわかりやすいものだった。ウォードレス着用不能、つまりは戦車損壊時に脱出不能という極めて明確な不利条件があったからだ。
だが、今は違う。今の狩谷は、リテルゴルロケットの使用こそ難しいがウォードレスを着用できる。そもそも戦車兵用のウォードレスには機体レギュレーションの関係上背部ペイロードが存在していないのだから、事実上条件は他の戦車兵と何ら変わりない。
しかし、ここに到っても狩谷が戦車に乗ることに懐疑的、あるいはもっと明確に否定的である者は多い。訊けば幾つか理由が挙げられるだろうが、根本的にはひとつの嫌疑に集約される。つまり、狩谷が精神の安定を欠いているのではないか、ということだ。
狩谷のハンディキャップが解消するのと前後してこの世を去った加藤。加藤が狩谷に入れ込んでいるのは誰の目から見ても明らかであったし、常日頃、迷惑だ、などと言いつつも狩谷の方もまんざらではないように受け取られていた。その加藤を失ったことは、狩谷の精神に大きな傷を刻み付けたのではないかと思われている。事実、加藤の死を告げられた時の狩谷の落ち込み様は、端から見ていても痛ましいものがあった。
翌日には、狩谷は表面上平静をを取り戻していた。しかし、以前にも増して人付き合いは悪くなり、愛想笑いを浮かべることすらも稀になった。これでは、精神の平衡を失っているととられても仕方ない。そのような者を放り込むには、戦場という場所は厳し過ぎる。それが、概ねにおいて大多数の意見が一致するところであった。
狩谷は、戦場に死に場所を求めているのではないか――
その疑いが、彼をラインオフィサーに配置することを皆に躊躇わせている。当面、明らかに善行の指揮権限でパイロット配属となった狩谷を他部署へまわそうとする者はいないだろうが、狩谷の腕や戦い方が危ぶまれれば将来的にもそうとは言い切れない。
結局、狩谷は実力をもって己がパイロットにふさわしいことを証明して見せねばならないのだ。その場が、戦場であるか否かの違いだけ。ならば、今ここでやらせた方がまだしも安全かもしれない。
「……わかったわ」
不承不承、原は頷いた。
「リフトオフ準備!森さんは一階コンソールに。他の人たちは下がって」
原の命を受け、野次馬がぞろぞろと整備用のハンガーテントから出て行く。森は、さすがにそれが無茶な行為だということに気付いたのか怪訝そうな視線を原に送るが、ジッと見詰め返されて眉をしかめつつも一階整備用コンソールに取り付いた。
「狩谷君、いくわよ」
「いつでもどうぞ」
落ち着いた調子の返答に少しばかり不安が和らぐのを感じつつ、原は階下の森に指示する。
「騎翼号、リフトオフ!」
「了解。リフトオフ!」
腰部を挟んでいる空気圧縮式のミッドリフトが左右に開き、僅かに遅れて肩口を固定しているショルダーリフトが解放される。僅かに人工筋肉と強化テクタイト製の装甲が軋む音を立て、騎翼号は自力で地に立った。とりあえずのところ、不安定さは感じられない。その様子に、原は胸を撫で下ろした。人型戦車という乗り物は、とにかく揺らぐことなく直立していることが難しいものなのだ。それがこなせるということは、基本的には動いても問題無いということ。確かに、機体状態に関する狩谷の判断は間違ってはいなかったのだろう。そういえば、パイロット転属以来忘れかけていたことだが、彼は整備兵としても森と並ぶ優秀な人材だった。機体状態については、生半な熟練パイロットよりもよほど信頼のおける判断を下せて不思議ではない。
最初の関門である直立姿勢をクリアした狩谷は、少しの間だけ騎翼号の動きを止める。
――さて、どうしようか?
何か使える小道具は無いか。とりあえず、センサー・アイで周囲を見渡す。
あった。あれにしよう。
狩谷の駆る騎翼号は、何の迷いも無く壬生屋装備のまま放置される形になっていた士魂号重装甲型に歩み寄り、その腰から無造作に超硬度大太刀を抜き取った。
「……嘘でしょう?」
原は、さすがに瞠目する。
派手さがない分わかりにくいが、それは驚異的な動作だった。この狭いハンガー内を何物にも接触することなく歩き、平然と他機の武装を手にする。それは、高度に訓練された人間が充分な情報を持っている状態でも難しい行為だ。周囲のリアクションを見ている限り、原の他にそのことを理解できているのは森ぐらいしかいないようだが。
騎翼号は、そのまま迷うことなく歩を進め女子高のグラウンドに出る。
スッと剣を掲げ、不意に腰を落としたかと思うとグラウンド中央まで一気に跳躍。
半歩踏み出しつつ正面突き。切っ先で大きく弧を描いてから、袈裟懸け。爪先立ちから機体を半回転させつつ、全周囲を横薙ぎ。一度剣を胸元に引き戻し、三銃士の如く眼前に掲げ持ってから流れるような突き、袈裟懸け、逆袈裟、更に突き。
ピタリと機体を静止させると、歓声が上がった。当然だ。狩谷の騎翼号が見せた演舞の流麗さは、決して昨日の速水と士翼号のそれに劣るものでは無かったのだから。
しかし――
もう一手、何か動きが欲しい。
別に衆目に見せ付けるという意味ではなく、もっと何か別の動きをさせてみたい。狩谷は純粋に騎翼号を操ることに喜びを見出していた。
何か、動きは無いか?
考えるうちに、ふと悪戯じみたアイデアが浮かんだ。
――そういえば、昔はよくやったな。
心底楽しげな笑みを浮かべると、狩谷はその光景を脳裏に描いた。地を蹴る感覚、充分にバネを効かせて、飛翔するイメージ。原をはじめ整備班から、また何か言われるかもしれないが、まあいい。
やれる。
判断すると同時に、狩谷はそれを実行に移した。
おおっ!
ひときわ大きな歓声が上がる。
原は、もはや言葉も無かった。原の視界内には見えないが、森も恐らくはそうであろう。人型戦車の限界性能を確かにわきまえている人間なら、誰だってそうであるはず。
初耳だ。もちろん初見だ。
人型戦車が、バック転を決めるなど。
パチパチと拍手が沸き起こる。起こった時にはまばらだった拍手は、たちまち周囲に伝染し渦となって狩谷の騎翼号を取り巻いた。
「さすがだね。僕にも、出来るかな?」
いつも通りの緊張感に欠ける笑みを浮かべつつ感想を漏らす速水に、苦笑気味に舞が応じた。
「まずは、生身で出来るようになってからだな。あれほどの動きともなれば、それ相応に感覚的な修練を積まねばならぬだろう」
「そうだね。練習してみようかな?」
幾らかは本気のように言う速水。舞は、嘆息して嗜める。
「やめておけ、実利が無い。そなたには、他にやらねばならぬことがあるだろう。それこそ、山のように」
「うん。それもそうだ」
ニコリと笑って答えつつ、速水は歓声の中ハンガーへと向かう騎翼号を眺める。
狩谷夏樹。
騎翼号。
どれだけの働きをしてくれるだろう。
その問いに対する答えを導くためには、まだ判断材料が足りない。
速水が確かに言えるのは、彼らがこの戦争を人類有利に導く力のひとつであることには違いない、ということだけだった。