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意図的に仕組まれた遺伝子欠落は、しかし、思いもよらぬ結末を生むことになる。
即ち、幻獣化、である。
第5世代クローンは、かくして人であり人で無い歪な存在となる。
人々が彼らに用意した運命は、過酷であった。
即ち、完全なる排斥、である。
作り物の命。
道具としての生命。
紛い物の、ヒト。
そこに、尋常の人権など存在するはずも無かった。


「5121小隊所属、原素子百翼長だな?」
熊本県下最強の学兵部隊、音に聞こえし5121小隊の、その中でも遣り手と評判の女傑、整備の城を預かる原素子が、あまり友好的には聞こえない口調でそう声を掛けられたのは、山のような仕事が待ち受ける尚敬高校横学兵駐屯地に登校しようとアパートを出た直後のことであった。
「一緒にお茶でも、なんて雰囲気じゃないわね。私に何か?」
不快感も顕に、原はそう応じた。
ただでさえ、朝は低血圧で機嫌が悪い。そもそも、原は他人から命令されるのが嫌いな性質であった。
だから、黒服にサングラスという、いかにも、といった案配の相手のいでたちも、何ら怯む要因にはならなかったのである。
「御同道願いたい」
「正式な要請なら、上長を通して頂戴。そうでないなら、従う理由が無いわ」
黒服の男の有無を言わせぬ口調にも、原は臆せずそう言い返す。それだけでは飽き足らず、何か相手を罵倒する言葉を付け加えようかと口を開きかけたが、さすがに罵詈雑言の類は飲み込んだ。
男の手に握られた、黒光りする短銃を目にしたからだ。
それでも原は持ち前の、軽妙で時に見ている者の心臓に悪い、悪質なウィットで装飾された言葉を吐いた。
「これはまた、随分と熱心ですこと。私なんかに、そこまで入れ込む理由をお伺いしたいわね」
男は、原のその態度にも動じた様子はなく、簡潔かつ婉曲的な言い回しで答える。
「森戦士が待っている」
これには、さすがの原も動揺を隠せなかった。いったい、彼女の愛弟子の身に何が起こったのか。
「ちょっと、それはどういう意味? 森さんに何を……」
色めき立つ原に、男はこれまでと同様感情を押し殺した冷たい口調で、路地に停められている黒塗りのセダンを指して要求した。
「乗れ」
様々な想いが胸中をよぎったが、結局原に出来たことといえば、苦虫を噛み潰したような表情で男の言葉に従うことだけだった。

人形たちの反乱 ――1.拒み得ぬ取引とその周囲

「どういうことでしょう?」
不服というタイトルの絵のモデルとしては申し分の無い表情で、原は忌々しげに訊いた。
「惚けても無駄だ」
彼女の言葉を平然と受け流して言ったのは、いつものように尊大な顔と態度と言葉遣いの芝村勝吏準竜師である。
事態を分析すれば、これは芝村絡みに違いない、と、多少の偏見をもって断定していた原には、この人物の登場はさほど意外ではなかった。だからといって平静でいられるほど、原も人が出来ているわけではなかったが。
「惚けるも何も」
反駁しようとする原を遮って、準竜師が幾分芝居がかった口調で言う。
「お前の部下は、随分と勉強熱心だな。しかし、軍事機密にまで手をつけるのは、いささか行き過ぎというものだ」
どうやら、こちらの言い分を聞くつもりは毛頭無いらしい。そう判断した原は、あからさまに不愉快そうな表情ではあったが口をつぐんだ。それを服従と思ったのか――どうとも思っていない可能性の方が遥かに高いが――準竜師は彼を知る者にはお馴染みの倣岸不遜な笑みを浮かべて言葉を継いだ。
「本来なら、軍法会議の対象だ。無論、お前の監督責任も問わねばならん」
原は、うんざりとした表情で、さっさと本題に入れ、と胸中毒突いた。何を考えているかはわからないが、どうせ真っ当でない取り引きでも持ち出すつもりに違いない。
原の予測は、実に見事に的を射ていた。
「が、お前もお前の部下も、5121ではよくやってくれている。そこで、チャンスをくれてやろう」
「どういう意味でしょう?」
一応は、そう訊いてみる。
「そう構える必要は無い。一種の取引だ」
準竜師は、口の端を引きつらせて――人間の尊厳にかけて、あれを微笑みとは呼びたくない――言った。
「通常任務の他に、もうひとつ任務を引き受けてもらう」
「その任務というのは?」
上官に対する礼儀など彼方へ放り出した刺のある口調で問う原に、準竜師は何故か得意げに答える。
「フッ……学兵とはいえ、お前たちは軍人だ。戦う以外に、任務があるとでも思っているのか?」
原は、少しだけ考える振りをした。
どのみち要求に応じないわけにはいかないのは明白ではあったが。


「先輩!」
不意に開いた扉の向こうに敬愛する原の姿を認めた森精華は、そう叫んで彼女の豊かな胸に飛び込んだ。
原は、とりあえず何も言わず森を抱き止める。よくよく考えれば森の迂闊な行動が原に難儀をもたらしたとも言えるのだが、原は森にその責を問おうとは思わなかった。
憎むべき相手は芝村であると認識していたし、それ以前に今は恨み辛みを述べ立てているような余裕も無いのだから。
ややあって、森は少し高い位置にある原の顔を見上げて訊いた。
「先輩、いったいどうしてここに? もしかして、うちの……」
泣き腫らしていたのだろう、いくらか充血した森の瞳を覗き込みつつ、原は軽くため息を吐く。
「詳しい経緯は省くわよ」
どう説明したものか、と僅かに考えてから、原は口を開いた。
「恐らくはあなたの考えている通り、あなたの好奇心か正義感が芝村の癇に障ったのよ。私は、そのとばっちりを受けたってわけ」
とりあえず端的に事態を説明し、今にも泣きそうな顔で詫び言を紡ごうとする森の唇に人差し指を押し当てて塞ぐ。
今更森に詫びられたところでどうなるものでもないし、何よりも背後に捉えた人の気配が気になったからだ。
「とにかく、連中は私たちを戦いに駆り出したいらしいわ」
「詳しいことは、私から説明しよう」
原の言葉を引き継ぐように、彼女の背後から少し冷たい感じのするテノールが響く。
振り向けば、中肉中背で特にこれといった特徴の無い顔立ちの三十前後とおぼしき男が立っていた。自衛軍の軍服の上に清潔な白衣を羽織っており、一目で技術士官であることが知れる。彼は、感情を窺わせない能面のような表情で原に手を差し出した。
「技術部の沢村だ。長くなるか短く済むかはわからんが、よろしく」
原は、殺意に近い不穏な思いに駆られつつも、その手を握り返す。
「……お久しぶり、と言うべきかしら、沢村大尉。士魂号開発チームでは、お世話になりました」
原は、士魂号の開発チームに居た頃に、この男の姿を何度も見たことがあった。
権威と呼ばれるほど先進的な技術を持ち合わせているわけではないが、クローン工学の実践者としての腕は確か。常人にはこなせないほどの繊細な調整をいともたやすくやってのける、不可思議なテクニックの持ち主。士魂号の制御ユニット作成に関わる微妙な技術的問題の解決にあたっていたのが、この沢村という男であった。士魂号の身体――高精度の人工筋肉モジュールに関わる諸問題を担当したフランソワーズ茜とは、職務柄頻繁に打ち合わせを行っていたのを覚えている。もっとも、あの頃の原は別の――もっとプライベートな問題に心を奪われていて、沢村の人となりまでは詳しく詮索しているような余裕はなかったが。
少しだけ嘲るような笑みを浮かべ、沢村は応じた。
「何、私はあの時は大した事はしていないよ。正直、君の顔もよくは覚えてはいないのだがね……確か、茜女史の小間使いだったかな?」
あからさまな侮蔑の言葉に、原は引きつった笑みを浮かべつつ訂正を求める。
「助手です。一応は」
「それは失礼。あの女性は、助手など必要としているようには見えなかったものでね」
微塵も悪びれた様子もなく言う沢村を、柳眉を幾らか跳ね上げながら原が促す。
「……本題に入っていただけますか?」
「もちろん、構わないとも」
5121の面子ならば大いに恐れおののくであろう原の静かな怒りを気に留めた風もなく受け流し、沢村はおもむろに切り出した。
「さて、まずは君たちが戦うべき相手だ。暗殺型幻獣、と聞いて分かるかね?」
それは、本来なら原のような学兵が知っていてよいことではない。自衛軍上層部と限られた部署の者だけが知る、部外秘の軍事機密である。原の立場では、知っていても知らないと答えなければならない事項のはずだ。
「噂程度には」
だが、原は正直にそう答えた。知らないと突っぱねることも出来たが、この際話は早い方がいい。そもそも、芝村の一族ならば誰がどんな情報に通じているかなど、先刻承知のことだろう。
「ふむ、さすがに耳聡いようだ。知っているなら結構。君たちには、これを殲滅してもらう」
呆れたように嘆息し、原はかぶりを振った。
暗殺型幻獣がどれほどの相手かはわからないが、原も森もテクノオフィサーであり実戦には疎い。そもそも、動員令で半ば強制的に招集された学兵である。促成栽培故の悲しさで、専門分野以外の教練は形ばかりのものでしかなかった。射撃訓練や行軍訓練など、本職の自衛軍兵士ならば誰もがこなしている基礎訓練さえ、まともに受けたことが無いのだ。そんな半端者の技術兵に敵の撃退を命ずるなど、正気の沙汰とは思えない。
「随分簡単に言いますね」
思わず口を突いて出た原の言葉に、沢村はごく平然と応える。
「そう難しく考える必要も無かろう」
呆れたものか、怒ったものか、原は微妙な表情で口を開きかけたが、すんでのところで文句やら呪いやらの汚い言葉を吐くことは思い止まった。ここで沢村の不興を買うのは、あまり冴えたやり方とは言えない。
だから、原は恨み言の代わりに建設的な質問を投げ掛けることにした。言葉に多少の刺が混じってしまうのは、彼女の性格上如何ともし難かったが。
「武器は? まさか、知恵と勇気で戦えとは言わないでしょうね」
「それも重要な要素になるかとは思っているが」
特にふざけた様子も無く言って、沢村は続けた。
「無論、現実的な武装も用意してある。付いてきたまえ」
そう言って踵を返し、さっさと歩き出す。
原は森の手を引き、規則的な足取りで歩む沢村の後を追った。
「先輩……いったい、何がどうなっているんでしょう?」
事態の成り行きに付いていけないのか、呆然とそう尋ねてくる森に、原は少しだけ苛立たしげに鼻を鳴らして答えた。
「さあ? 詳しいことは、これから聞かされるんじゃないかしら。とにかく、さっきも言った通り、私たちは自分たちの命を敵の血で贖わなきゃならないってこと」
「すみません。うち……うちのせいで」
「今は、よしなさい」
森の言葉を毅然とした口調で遮り、原は言葉を継ぐ。
「生き延びたら、言い訳でも泣き言でも聞いてあげるわ。だから、今はよしなさい。考えなきゃならないことは、他にあるはずよ」
それきり二人は言葉を交わさず、沢村の案内に従い、無機質な廊下、吹き晒しの通路、激しい痛みと天井の低さが年代を感じさせるコンクリートのビル、兵士たちの掛け声で訓練場が近いと知れる暗い小道などを黙々と歩いた。
いい加減、どこに連れて行かれるのかと気が気でなくなった頃、比較的新しい、しかしいかにも安普請といった風の巨大な倉庫の前で沢村が足を止めた。
「ここが、君たちの待機場所兼出撃ハンガーになる」
そう言いつつ、沢村は巨大な扉の脇にある小さな通用口から二人を中に通す。
倉庫の内部は、薄暗く静まり返っていた。
屋台骨には太くがっしりとした鉄骨材が使用されていて、取り巻く壁は三重の構造。外から見た時よりも遥かに頑丈で、面積的には幾分狭く感じる。その代わり、床は階段状に最深部で4、5メートルも掘り下げられており、天井までの高さは10メートルにも達しているようだった。
そして、その中央に吊られていたものは。
「複座型……?」
原は、若干の驚きを感じつつ、そう呟いた。
全面を煤色に塗装されてはいるが、それは彼女たちにとっては見慣れた人型戦車、一般には士魂号複座型と呼ばれる騎魂号に他ならない。
「そうだ。但し、これは元実験機。あれこれ弄り回した挙げ句、無茶な耐久テストを潜り抜けてきた老兵だ。カタログスペックが出せるとは思わんことだな」
沢村の言葉に、よくよく見てみれば、確かにその機体は表から見るだけでもかなり傷んでおり、5121では廃棄が検討される寸前にまで来ているように見えた。
「こんなボロで、戦えですって?」
原の抗議に、沢村は微かな苦笑で答える。
「ウォードレスよりは、マシではないかな? それに、優秀な整備士が二人もいるわけだ、色々と対策の採りようもあるだろう。倉庫に転がっているものは、好きに使え」
その仕種はいかにも芝村じみて皮肉げで、原の癇に障った。もっとも、彼女の敵意に満ちた視線も、沢村にはさしたる感情を抱かせることは出来なかったようではあるが。
「当面、君たちが撃破せねばならない相手は、シェイドと呼ばれている。ケルト神話に登場する、闇の精霊だな。その名に相応しく、奴は闇に溶け込んでしまうと噂されている。もっとも、重傷を負った警備兵が死ぬ間際に残した情報だから、どれほどアテになるかはわからん」
沢村は、生真面目な技術者の顔で淡々と説明する。
「重要なのは、シェイドが装甲化されたVIP用セダンを飴のようにグシャグシャに捻じ曲げる程度の膂力を持つという事実だ。類推するに、ミノタウロスと同程度の体躯を持つと考えられる。射出武器の類は確認されていないが、備えがあるかどうかは五分五分といったところか」
難解な証明問題を生徒に講釈する教師のような態度で、沢村は二人の瞳を交互に覗き込みながら言った。
「現在明らかになっている情報は、以上だ。何か質問は?」
沢村の言葉に応じ、原が静かに訊く。
「出撃時期は? 勝手に整備しろって話だけど、解体整備中に出撃なんて言われても困るわ」
「今のところ、夜間、としか言いようがない。夜行性という以外に、連中の性質に関して確証が持てん以上は」
肩をすくめてそう答え、沢村は続けた。
「その前提で、私の見解を述べておこうか? ここ数日、恐らくは3日後の夜まではシェイドの出現は無いだろう」
「その根拠は?」
言わずもがなの原の問い。沢村は軽く顎を摘み、自らの知識を反芻するように慎重な調子で答える。
「第一に、これまで被害にあったのが芝村ないし軍の重要人物ばかりであること。第二に、襲撃は比較的警備が手薄な時を狙ってきているということ……つまり、シェイドは明確な判断基準をもってターゲットを選んでいるということであり、かつ、厳重に警備された軍の施設を襲撃するような強攻策を採らない、あるいは採れないという推論が成り立つ。そして、3日後夜の第八師団参謀総長の健軍駐屯地移送まで、夜間にVIPが動く予定は無い」
「だったら、未来永劫夜間移動なんて危ない真似はよした方がいいんじゃない?」
小馬鹿にしたような笑みを浮かべ、原は言葉を継ぐ。
「それか、人型戦車の一個小隊でも護衛に付けるか。私たちの手腕に期待するよりは、遥かにマシな手に思えるけど?」
「お説ごもっとも。だが、そうもいかない事情がある」
ため息をひとつつき、沢村は原の疑問に答えた。
「我々には、時間も戦力も限られている。軍上層部は、君たちと同様かそれ以上に、時間に追われて活動しているのだ。そういつもいつも、安全な時を見計らって移動するわけにもいかない。それに、戦闘区域以外でも夜間に移動することが危険だ、などと市民に知れてみろ。彼らは容易にパニックに陥るぞ。我々は、既に全く安全ではないのだ、とな」
「真相を知られるわけにはいかない、と?」
うんざりした表情で訊く原に、沢村は軽く頷く。
「そういうことだ。かといって、これ以上暗殺型幻獣をのさばらせるわけにもいかん。VIPの動きを制限され続けては軍組織の運営もままならんし、暗殺という戦術が常に充分リスクに見合うものだと思われている限り、暗殺型幻獣の脅威は無くならないだろうからな」
「済みません、根本的な疑問なんですけど……」
それまで状況に圧倒されて無言だった森が、控え目に発言した。
「それなら、どうして特務部隊を編成するとか、そういう対応を採らないんですか?」
「やっているじゃないか」
クスクスと笑いながら、沢村が答える。
「今、こうして。君たちこそ、その特務部隊だとも」
「そうではなくて、もっと任務に相応しい人員がいるのでは無いか、ということです」
幾らか不機嫌そうに言い返す森に、沢村は笑うのをやめ至極真面目な顔つきで応じた。
「種々の観点から考え、ベストと思える人選をしている。信じる信じないは君たちの勝手だが」
沢村は、ひいては芝村は、どうしても原たちをこの困難な戦いに投入したいのだろう。沢村が、どういう意味でベストの人選と言ったのかはともかくとして。
そう了解した原は、ため息混じりに質問を続けた。
「友軍の援護は受けられるの?」
「今のところ、その予定は無い。状況によっては一定の支援もあり得るが、基本的に単独作戦だと思っておくことだ」
「作戦期間中、5121への勤務は?」
「通常通り、行ってもらう。重要な点だが、本作戦は極秘任務扱いだ。どれだけ親しい者にも、決して漏らしてはならない。この作戦に従事していることも、我々の動きそのものも。君たちは、いつもと変わらず5121の兵士として振るまい、その上で隠密裏に当作戦に従事してもらう」
失笑さえ浮かべて、原は毒づく。
「酷い話ね。そんなハードな二重生活じゃ、身体がもたないわ」
「それは、機密に手を出したペナルティと思って諦めてもらうしかないな。大丈夫。第六世代の身体は、それほどヤワには出来ていない」
――交渉の余地無し、か。
思いつつ、原は忌々しげに鼻を鳴らした。
「了解……すぐ作業に移っていいのかしら?」
「今晩から、な」
頷きつつそう答え、沢村は付け足す。
「とりあえずは、学校ゴッコに付き合ってきたまえ。午後の授業には間に合うだろう」


「森さん!」
背後から掛けられた声に不意を突かれた形になり、森は大いに驚き飛び跳ねるように振り向いた。
そこには、声の主である少年の柔和な笑みがあった。
「速水君……」
森は、今一番会いたい、そして会いたくなかった人物の名を口にした。
「心配したよ。どうしたの、午前中は?」
幾分深刻そうな顔をして、小声でそう訊いてくる速水。それはつまり、森が先日彼に打ち明けた――そして、原を巻き込み芝村の無体に応じねばならない状況を生み出してしまった――懸案に関して、彼が一定以上の不安を持ち森の身を案じていたという意味だ。そのことを、第三者が聞けば他愛ない僚友との日常会話としか思えない言葉の中に滲ませてくるあたり、人の良さそうな外面とは裏腹に速水はソツが無い。
その如才の無さに、昨日までの森ならば、流石は、と感心したことだろう。だが、今置かれている状況下にあっては、彼女の胸中に浮かぶ感情は違っていた。
――結局、この人も芝村なの、か?
色々と思うところはあるが、要約すればそういうことになる。
士魂号の秘密に関する疑念を速水に漏らしたのは、やはり失策であったのか。彼から情報が漏れたのだと仮定すれば、今朝の出来事に関して一応の辻褄は合う。
その一方で、速水の通報を受けるまでもなく、芝村には森の行動などお見通しであったという可能性も否定できない。あるいは、森がそう信じたいだけなのかもしれないが。
事実は、ふたつだけ。
森の企みが芝村に知られてしまったことと、森の話を聞いた速水が彼女の身を案じてくれたこと。
それは、相反するのか、根底で繋がっているのか。どちらの可能性も等しく思え、思考も感情も揺れるばかり。明確な解にたどり着くことはおろか、ひとつところに留まることさえ出来ずにいた。こんな時、多少の偏見混じりでも確固たる自身のスタンスを構築・維持できる原の強さがうらやましい。
「森さん?」
沈黙を怪訝に思ったのだろう、速水が確認するように声を掛けつつ心配げな表情で森の顔を覗き込んだ。
不意に接近する速水の顔。森は思わずのけぞってしまう。もう少しロマンティックな場面であれば、せめて彼女が落ち着いた状態であったなら、それなりにそのシチュエーションを嬉しく思ったのかもしれない。もっとも、こんな行動をとられて落ち着いていられるほど森は場慣れしていなかったし、そういった行動を他意を含めずに捉えられるほど初心でもなかったが。
とりあえず、現実には一歩退いて間抜けな声を出すことしか出来なかった。
「は、はい」
その様子に、速水は顔に浮かべた不安と不思議の色を一層深める。
「本当に、どうしたの? 身体の具合でも、悪いとか」
「大丈夫よ」
ぎこちなく愛想笑いを浮かべつつ、森は答えた。それで速水が納得してくれるかどうかは別問題だが。
もしかしたら、速水は今回の芝村の動きとは無関係なのかもしれない。芝村の眷属であることを許されてはいても、現実問題として速水は一介の戦車兵に過ぎないのだし、芝村が企む全ての事象に通じているわけでもないだろう。何より、彼は昨日森の話を真摯に聞いてくれたのだし、贔屓目かもしれないが瞳には今も曇りはない。
信じたい。
信じて、全てを打ち明けてしまいたい。そうすれば、速水は森たちに力を貸してくれるのではないだろうか? あるいは、原の忌み嫌う芝村としての力を振るい、事態を一気に解決してくれるかもしれない。しかし……
「それより、速水君。昨日の件……」
森がそう切り出すと、速水は少しだけ険しい視線を素早く周囲に走らせる。
「うん、大丈夫」
自分に言い聞かせるように呟き、速水は難しい顔で続けた。
「森さん、やっぱりあの件は……」
とても困難な交渉事に臨むかのような速水の言葉を、努めて平静を装った森の声が遮る。
「中止にしましょう」
森が口にしたのは、その台詞だった。これ以上余人を難儀に巻き込みたいとは思わなかったし、下手をして一層芝村の不興を買うことにでもなれば、それこそ原に申し訳が立たない。
そしてそれ以上に、速水にはこの件を知られたくなかった。彼の忠告を真に受けず陥った醜態を晒したくはない。好意を寄せる相手だからこそ。馬鹿な女だとは、思われたくなかった。
意外な森の発言に、速水は虚を突かれたかのように目をしばたかせた。常日頃から生真面目な頑固者として知られる森が、あれほど強く主張していた我意を一晩で曲げたのだから、狐につままれたような気がしても不思議ではない。しかも、その言いようときたら、食事の後に軽くお茶でも、と誘っているような、極々あっさりとしたものであったから尚更だ。それを訝しく思わない方が、どうかしている。
「森さん……何かあったの?」
速水が、森に問う。口調は柔らかであったが表情は堅く、詰問しているようですらあった。
「それは……」
少しだけ言い淀み、森は思い付きを口走る。
「少し忙しくなるから。その、原さんから特命を受けちゃって……」
幾らか意識して、言い辛そうに声を絞り出す。その効果があったのか、速水は納得と同情と安心と他にも種々の感情が入り混じった複雑な表情で苦笑した。
原と森の関係は、小隊でも周知の事実だ。
整備士養成学校での先輩後輩。
整備主任と副官格の整備士。
エリート技師とその右腕。
そして何より、女帝とお気に入りの側仕え。
いや、いっそもう、歯に衣着せず「暴君と奴隷」だとか「女王様と犬」だとかいう表現でもいい。
原の命に、森は絶対服従。
遺伝子レベルで組み込まれているのではないかと疑われるほど、それは小隊において常識とされていることであった。いや、実際には森とて原に意見することも多々あるし、そもそも原は言い様こそきつめではあるが常識的で的確な判断と命令を下しているに過ぎないのだが。とりあえず、周囲から見た原と森の関係はそのような認識であった。
その当事者にとっては迷惑以外の何物でもない評判が、今回ばかりはよい方向に働いたのだろうか。
「そうなんだ。それじゃ、仕方ないよね」
心持ち嬉しそうに、速水は言った。
「でも、正直ホッとしてるよ。なんだか悪い予感がしてたし」
その予感が現実になっているという事実を速水は知らないのか、あるいは知っていてなお惚けているのか。
いずれにせよ、今の森は速水に合わせておくしかない。
「心配性ですね、本当に。でも、ありがとう」
言葉そのものに偽りはない。嘘でも演技でも、速水が身を案じてくれていることに森は幸せを感じていた。
たとえ、彼に芝村舞という恋人がいたとしても、だ。
森の想いを知ってか知らずか、速水は特徴的な人好きのする笑みを浮かべて応じる。
「そんな、当たり前だよ。僕たち……」
その言葉を遮るように、予鈴が鳴った。すぐに、午後の授業だ。
「授業ですね。それじゃ、また放課後」
これ幸いと、森はある意味彼女らしいそっけなさで告げて、速水の反応も見ずにプレハブ校舎の階段を駆け上がった。
もしかしたら、不審に思われたかもしれない。最近は急速に親密になっていて、多少なり砕けた話し方をしていたから。
しかし、森にはこれ以上速水と二人でいることがいたたまれなかった。惚れた相手を欺くことを仕方が無いと割り切れるほど、彼女は強くない。
後には、あっけにとられたまま立ち尽くす速水が残されるばかりだった。


原の態度は、ある意味森と好対照をなしていた。
尚敬高校に辿り着いた彼女は、教室に寄るそぶりも見せずハンガーテントに引きこもった。授業など受けていられる気分ではなかったし、沢村の言う特殊任務の遂行を強いられる以上今後通常の任務に割ける時間は激減する。ただでさえ滞りがちな整備主任としての任務。それが今後一層の停滞を来たすことであろうことは容易に予測できた。
このような尋常ならざる状況に置かれて言うのも何だが、原にはそれが大層気に食わない。
実際の作業にあたる整備士とは違って、主任の任務は多少放置されてもすぐに現実的な影響が出るわけではない。だから、原はここ一番の整備の山では主任の任務を放り出して整備の実践に手を尽くす場合もしばしばあった。それに前後して、決まって壬生屋に対するお小言が付随するのは、まあ御愛嬌といったところだ。
しかしながら、今回は訳が違う。いつ終わるともしれない二重生活。しかも、その一方は直接的に自身の命に関わる実戦任務である。幾ら第六世代がタフだからといって、そう長く集中力を維持できるとは思えなかった。殊に、どちらかの任務で不測の事態が発生した場合、それに対応する余裕がほとんど無くなるのが痛い。全損した一番機を一晩で突貫修復してしまうような荒業は、そうそう使えなくなるのだ。
それでなくても、整備主任の任務をおろそかにすれば整備の質が低下することは避けられない。それは、急激に顕在化する類の問題ではないが、水面下でジワジワと進行し、大抵の場合気付いた時には手の付けようが無い状態に陥っている。そこから正常な状態に戻すためには、もはや原一人の力ではどうしようもないというのが正直なところだ。
そうして、整備全体が滞るようになり、ひいては部隊から戦死者を出すことにつながる――それは、あまりぞっとしない、しかし、いかにもありえそうな未来予測。
それを恐れている、というのも確かだ。しかし、戦っている以上戦死者が出ることは常に想定している。それが嫌だと駄々をこねるほど、原は子供ではなかった。
例えば整備が手を尽くして完璧な仕事を行ったとしても、そもそもの部品精度の問題は顕在化するまで測り難いものがあるし、パイロットの戦術ミスまでカバーできるわけではない。ある種の不運が、兵士の命を奪うこともあるだろう。有史以来、誤爆や同士討ちで死んだ兵とて特段珍しくもない。
戦場に死が転がっているのは当たり前のことだ。殺し合いをしているのだから。それにいちいち腹を立てても始まらぬし、その全てに対応できるほど原は偉くない。
人は、万能ではあり得ないのだ。
だから、いつか小隊に戦死者が出ても、原は、自分のせいで、などとは言おうとは思わなかったし、むしろそうやって自分を責める整備士が出たときにどう対処するか、という点に意識は向いていた。
全力は尽くす。より正確に言えば、部下たちが継続して全力を尽くせるよう努める。
兵の生と死の問題に関して、結局原はその程度にしか関与できない。
だから、それはいい。
原が気に食わないのは、それ以前の問題である。
自分の能力か注意力、職務意識や責任感が足りぬが故に、整備主任の任務を円滑に遂行できなかった――要は、無能者の烙印を押されること。それが、気に食わない。職業人としての、矜持の問題である。
だから原は、現実的な問題とは別の次元で、意地になって整備主任としての務めを全うしようと躍起になっていた。それを困難にしている原因が憎き芝村であることは、この際彼女の意志を助長こそすれ妨げにはならない。品の無い言い回しをするなら、あんな連中のせいで文句を言われてたまるか、という抵抗意識にすら昇華されていた。
その様子は森とは全く趣を異にしていたが、人目を引く、という点ではほぼ同列であったと言ってよい。
つまり、午前中の無断欠席と併せ、彼女をよく知る善行が首をひねる程度には奇異に映っていた、ということである。
「授業はどうなさったんです、副委員長?」
背後から掛けられた声に、原は振り返りもせずに、森とは全く別の意図で、努めてそっけなく答えた。
「ここでは整備長と呼んでくれないかしら、善行司令」
正確には整備主任だが、原は敢えて自衛軍風の言い回しをする。暗に、軍人としての会話しか認めない、と告げているのだ。
善行は、それを気にとめた風でもなく原の背に歩み寄り、重ねて問い掛けた。
「この時間なら副委員長でしょう。何をしているんです?」
神経質に頬をピクリと震わせ、仕方ないとばかりに原は振り向き善行と向き合う。但し、席は立たない。
軍人としては甚だ問題のある態度だが、なに、相手は学生として話すと言っているのだ、構うものか。
「見ての通り、職務の遂行に全力を傾けているところですが。それが何か?」
いつになく――いや、方向性としてはいつも通りなのだが、程度問題としていつになく――頑なな態度をとる原に、さすがに顔をしかめつつ善行が訊く。
「具体的には?」
「整備基幹プログラムの更新、各機向け管理クラスタのカスタマイズ、人員及び物資管理テーブルの最適化、といったところかしら」
淀み無く答える原に、善行はわざとらしいため息をひとつついてから、なおも問う。
「緊急の作業ですか?」
「緊急でない作業があるの? この国に。この場所に。この小隊に」
小馬鹿にするように応じる原に、さすがに善行も渋面を隠せない。
「極力、授業には出席するよう指示が出ているはずです。まして、貴女方テクノオフィサーにとっては、形ばかりとはいえ戦闘訓練を受けることが出来る貴重な機会です。それを、各要員を指導すべき立場にある副委員長の貴女が放り出すのは感心しない」
吐き出すようにそこまで言って、善行は少しだけ声のトーンを落とす。
「それにね、文化・教養の問題もあります。私は、部下に殺しとその手伝いしか出来ない未来は与えたくない」
「お気遣いありがとうございます」
司令の仮面の下に怒気が渦巻いていることを快く感じながら、原は神妙な顔付きで答えた。
そうしておいてから、不意に唇を歪め、嘲笑うように続ける。
「だったら、貴方は何故ここにいるのかしら?」
「それが司令の任務だからですよ、原主任」
「では、私も整備主任の任務としてここにいる。よもや、整備主任の任務が司令の任務に劣るとは言わせないわよ」
二人の視線は、既に睨み合いのそれになっていた。とてもではないが、こんな様子は部下たちには見せられない。
ほんの少し間を置いて、静かに原が言った。
「戦争をしているのよ。私たちは」
そして、やはり僅かな間を置き、呟くように善行が言う。
「人生を生きています。私たちは」
しばしの間、互いの視線を手繰り合う二人。その不快な均衡を破ったのは、原の方だった。
「緊急なのか、と訊いたわね? ええ、緊急よ。私は立場上も作業上もクリティカル・パスだから。ボトルネックになるわけには、いかないのよ」
嘘ではない。
嘘ではないが、重大な一点には触れていない。
触れるわけにはいかなかった。
「理由をお聞かせ願えますか?」
見透かしているのだろう、善行が更に問う。
これ以上言葉を交わすのは不利と判断した原は、仏頂面で答える。
「後ほど報告書を提出します。無駄な労力だけど。そうしなければ、納得……いえ、信用できないんでしょう? ねえ、芝村さん?」
「……怒りますよ」
幾らかのためらいを含ませつつ言う善行に、原は皮肉な笑みを浮かべた。
裏切者。
どれほどの時を経ても、どれだけの言葉を重ねても、その事実に変わりはない。
所詮、貴方は裏切者。
それを指摘されれば、貴方の仮面はこんなにも脆い。
私を、裏切った、男。
今更何をどう取り繕ったところで、もう戻ることはない。
私の時間も、私の涙も。
だから、私は貴方を許さない。
きっと、いつまでも。
胸に渦巻く昏い思いを冷笑に換え、からかうような口調で原は言った。
「そっくりそのまま、お返しするわ。これ以上邪魔しないで貰えるかしら?」
これは、取り付く島もないな。
そう判断した善行は、深いため息をひとつついて言い渡す。
「明朝0700までに報告書を上げなさい。可能な限り、具体的かつ詳細に。足りないものがあれば、言ってください」
「言って出てくるものなら、幾らでも言うけれど?」
おどけた調子で応じる原に、善行は渋面で答えた。
「手配するよう、努力はします。小隊司令として、最大限のね」
「そう?」
原は、不意に真剣な表情になり、堰を切ったようにまくし立てる。
「じゃ、言うわ。全てよ。人も、物も、時間も、場所も、およそ考えられるものの全て。手配してくださるのかしら?」
「それでは答えになっていない」
「でも、事実よ」
何度目かになる、不愉快な間。
軽くかぶりを振りながら、善行が折れる。
「いいでしょう。最大限の努力を約束します。結果は、残念ながら保証しかねますが。……明日は、授業に出てください」
「最大限の努力を約束するわ。結果は保証しかねるけれど」
「結構です。整備の城が安全でも簡単でもないことぐらいは、私にもわかります」
小馬鹿にしたような原の言葉にそう答え、善行は踵を返した。
彼女がいったい何を抱えているのか、詮のない思案に暮れながら。


深夜。
北熊本駐屯地の外れにある件の倉庫に原たちの姿があった。
正直、朝から常ならぬ事態に巻き込まれ疲労困憊していたが、だからといって早々に部屋へ戻り眠りを貪るわけにもいかない。
暗殺型幻獣シェイドの出現は3日後の夜、と沢村は予言した。その予測が的を射ているなら、あまり時間的余裕は無い。必要とあらば大破した士魂号を半日で戦線に復帰させるだけの技量を持つ二人ではあったが、それは機体の状態を充分に把握していて、かつ相応の物資と人員が用意されていればの話だ。今回の場合、とにもかくにも騎魂号の状態を確認しなければ始まらない。
森は暫くの間、どうにかして芝村から逃げるだとか芝村を告発するだとか考えていたようだが、原から見ればあまりにも現実的ではない意見だ。彼女らは既に常時監視されているであろうし、芝村が過半を牛耳る法廷に芝村を告発するなど無謀以外の何物でもない。そう諭されては、森も口をつぐまざるを得なかった。そもそも、原を抜き差しならない状態に追い込む原因となったのは自分だという負い目もある。そのことに関しては、とりあえず捨て置きなさい、と言われてはいても。
結局、無理を押して規定外勤務に勤しむより他無かったのだ。自身の命が惜しいのならば。
あらかたのチェックを終えた原は、疲労感漂うため息混じりに森に告げた。
「ダメね。複合骨格材の劣化が激しいわ。人工筋肉は、規定の七割で考えて頂戴」
「でも、原先輩。それじゃ、ほとんど装備を持てませんよ」
森は、優秀な整備士の顔で釘を刺す。
騎魂号は、人工筋肉の接合ユニットなど、部品の多くを士魂号と共用する。そのため、そもそも士魂号よりも遥かに重い機体を、士魂号と大差無い量の人工筋肉で支えねばならない。その上、腰背部に張り出した短距離有線誘導ミサイルユニットは、フレームが基本構造と一体化しており取り外し不可能。無理矢理切り落としたところで、機体バランスが大幅に変わってしまうため制御ユニットの補正限界を超え立つこともままならない。軽量化、という観点から見れば、実に調整の難しい機体なのだ。
そこへ来て、人工筋肉を削ぎ落とし出力を落としたのでは、歩き回るのがやっと、という状態になってしまう。三割もの人工筋肉をカットすれば、整備状態にもよるが搭載量はほぼゼロになる。
5121のエース、速水・芝村のアルガナコンビであれば、ミサイルポッドと格闘を頼りに戦い抜くのも不可能ではないかもしれない。だが、戦いに不慣れな原・森コンビでは、彼らのような戦い方は出来ないだろう。
原は、しばし考えてから、かぶりを振りつつ言った。
「仕方ない、装甲を落としましょう」
「そうなると、今度は人工筋肉の接合に問題が」
間髪入れず、森が注意を促す。
人工筋肉の一部は、装甲側に支持構造を持っていたり、あるいは不規則な動作をしないようガイドレールが設けられていたりするのだ。せめて、人工筋肉を束ねることが出来ればよいのだが……
原は、更にしばし黙考し、結論を下した。
「……天幕用のナイロンシートが転がってたわね。あれを巻くわよ」
「布張りですかぁっ!? そんな無茶な!」
さすがに、森が呆れ半分の驚愕の声を漏らす。
確かに、そうすれば人工筋肉を機能単位に束ねることは可能だろうが……
「ほんの半世紀前は、布張りの戦闘機が空を飛んでたの! いちいち文句言わない!」
一喝され、森は押し黙り煤色の騎魂号を見上げた。彼女が命を預けることになるはずの、恐らく人型戦車史上稀に見る特殊機になる機体を。
原自身、無茶苦茶言っているのは承知している。確かに人工筋肉は収縮硬化によりある程度の耐弾性能を提供してはくれるが、硬化テクタイトの代わりになるほどの硬度は持っていない。小型幻獣を主要な相手と想定しているウォードレスならともかく、中型幻獣相手にチャンバラをやらかそうという人型戦車の装甲材としては紙と呼んでも差し支えなかろう。
しかしながら、現実にそうしなければ動かないという事情がある。ガイドレールのため最低限の装甲は設置せざるを得ないが、他は全て切り落としてしまわねば、まともな機動を期待できないだろう。そしてそれは、機動力にものを言わせるという人型戦車の設計思想からすれば論外というより他にない。
――最悪、使い捨てか。
人型戦車一台、戦局を考えれば非常に惜しいし、手ずから仕上げた機体を使い捨てるのは正直よい気分ではないが、自分と森の命には代えられない。芝村にとってどうだかは知らないが、彼女らにとっては代えの利かない命だ。人々を守るために散るのであればまだ納得いくだろうが、芝村の都合でどうこうされてたまるものか。
原はそう思い、そしてこう考えた。
「どうせなら、思い切りマニアックに仕上げるわよ。元より防御力は期待できないんだから、ハリネズミみたいに腐るほど武装を積んでみる?」
「いえ、ですから搭載量に余裕が無いと……」
ポーズなのか地なのか、子供のように瞳を輝かせ楽しげに問い掛ける原に、森は少々閉口しつつ冷静な意見を返す。
「じゃあ、いっそ高機動を極めてみる? 軽装甲の三倍くらいをメドにして」
それで、赤く塗るんすか。うちたち、彗星っすか。
などと突っ込みたいのをグッと堪え、森はかぶりを振って応じる。
「私たちじゃ、運用し切れないと思いますけど……」
「もう――」
両手を腰にあて、呆れたようにため息をつきつつ、原が言った。
「遊び心がないわねぇ、森さんは」
遊んでる場合じゃねぇっす。
そう言いたいのを我慢しつつ、森は原を促した。
「それで、結局どうしましょう?」
やれやれ、しょうがない、とでも言いたげにひとつ肩をすくめ、原は落ち着いた声で答える。
「基本仕様は突撃型で行くわよ。但し、両脚Cセクションと腰部B・Dセクションの筋量は半分。背部ポッドは、フレーム残して一旦とっぱらって。腕部筋量は肩部A・C・D・F以外は全て七割。そうそう、側胸部アタッチャは残しといてね。足首と膝回りは、少し構造材の補強をやるから置いといて。そこまでやってから、ガイドレールを装甲から切り出す。それを取りつけて、素体完ってところね」
森は、原がまともなことも考えていてくれたこと(及び話の流れが真面目な方向に戻ってきたこと)にホッと胸を撫で下ろしつつ応じた。
「大手術ですね。脚のCセク抜いて、大丈夫でしょうか? 踏ん張り利かなくなりますけど」
ヒラヒラと手を振りながら、原は苦笑混じりに答える。
「嫌ね。踏ん張る必要が出るような状態になったら、脱出するに決まってるじゃない。正直、何でも出来る機体なんて作れないし、そもそもパイロットが何にも出来ないんだから」
なるほど、と、森は頷く。漸く、原の意図が読めてきた。
正常な運用体制も無し、まともな訓練期間も無しでは、機械的にも人員的にも実働に耐え得る汎用的な能力を発揮することは期待できない。そうであれば、道具も戦法もあらかじめ特化させて、他は何も出来ないが特定の行動にだけは充分な能力を持つ、という状態を目指した方が、まだしも生き残る目がある。それならば、戦場での行動指針もはっきりしたもの。要は、こちらに充分な状態になるようもっていく、そのことに腐心すればよいのだから。
実践できるかどうかは別として、考え方としてはそういうことだ。先刻の子供じみた提案も、あながち冗談ばかりではなかったということか。流石は敬愛する原先輩だ。
「わかりました。それじゃ、とりあえずどこまで行きましょう?」
どこで作業を区切るのか、と尋ねる森に、原は意地の悪い笑みを浮かべて素っ気無く答えた。
「全部」
「……マジっすか?」
「何言ってるの? 今夜中に、基本武装まで行くわよ」
「無茶っす!」
「時間が無いの! さっさとやる!」
どやしつけ、自らも袖をまくる原。
森には、敬愛する先輩が時々鬼に見えるのだった。