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「香織お姉ちゃんには、好きな人、いるの?」
「いるよ」
(中略)
「……さ、もう寝ましょ」
「……うん」
「…」
「…ねえ」
「…何?」
「もうひとつ聞いていい?」
「いいよ。何?」
「……そのお兄ちゃん、□りコン?」
「……その嫌疑が、あるのよねぇ……」
はぁ、と心の中でだけため息ひとつ。
……。
いや待て。
香織は、はた、と気付いた。
今、モーラは「お兄ちゃん」と言わなかったか?
まあ、確かに香織と釣り合うぐらいの歳となると、モーラから見ればみんなお兄ちゃんだろうが。
……。
確か、惣太のことをお兄ちゃんと呼んでいなかったか?
「…」
「…」
沈黙。
「……」
「……」
痛いくらいの沈黙。
「………」
「………」
ものすごく痛いくらいの沈黙。

 

争奪戦 〜 in VJEDGONIA 〜

 

「選べ」
いつものようにけたたましく来訪した香織は、惣太を前に低い声で簡潔に言ってのけた。
ちなみに、深夜。
今宵もそろそろ首切りタイムかな〜とか思いながら準備万端整えていた惣太は、拘束具を身に付けたままフローリングの床に正座させられるという、なんともマニアックかつ情けない状態に陥っていた。ちょっと歪んだ性癖の人から見れば、ある種の羨望を受けるようなシチュエーションだ。そんなもん受けたくもないが。
目の前には、女が二人。
えらく目の据わった来栖香織と、おどおどびくびくの子供を装いつつも紫色の瞳は決して笑っていないモーラ。
ヴェドゴニアと化した惣太の警報装置が最大級のレッドアラートを響かせる。ヴァンパイア三銃士勢揃いのイノヴェルチと対峙している方が、まだ安全なような気がしてならない。
(助けて、リァノーン……)
耳無しロボットにすがるダメ小学生よろしく淡い期待を念波に乗せてみるが、生憎夜の森の女王は留守のようだった。ま、リァノーンにすがってもどうなるもんでもないが。
「惣太」
凶悪な視線をスゥ…と細めて、香織が口を開く。
「あんた、わかってるんでしょうね。子供に手ェ出したら、犯罪よ」
あまりの迫力に、惣太はカクカクと機械仕掛けの玩具のように首を縦に振る。
と、横合いからゾクリとする冷たい視線。確かめるまでも無い。モーラだ。
「お兄ちゃん」
と呼ばわりつつ、モーラは惣太にだけ見えるようにちらりとスカートの裾を上げて見せる。
「お兄ちゃんは、香織のこと好きなの?」
惣太は、震える首を微かに横に振動させる。ちょっと拗ねた可愛い子供、を装いつつも、その底辺には『答え如何によってはどうなるかわかってるわね?』という恫喝が秘められているからだ。細い太ももに縛り付けられたホルスターに収まっているデリンジャー(たぶん強装弾硫化銀合金弾頭)を見せ付けられた後では、迫力はなおさらだった。
「ほほぅ……」
香織の額に青筋ひとつ。
「惣太、あんた立場ってモンわかってる?」
「わかってるよねぇ、お兄ちゃん」
最早、一刻の猶予も無い。
そう直感した惣太は、いきなり最後の手段に訴えることを決意した。
意識を集中させ、心の中に語り掛ける。
(おい、俺の中のもう一人の俺!)
(んだョ、うるっせーな)
(この身体、譲り渡す!出て来い、今すぐに!)
(あ、あれな、もういいわ)
(もういいって、お前……何荷造りしてんだぁっ!?)
(こんなヤバ気な身体頂いても、しょうがねーかなーって)
(ああ〜〜っ!お前、逃げる気だな!?そうなんだなっ!?)
(しゃーねーだろ。地獄見るよか、消えたがマシ。達者でな〜)
(こら、消えるな!バッキャロォォォ……)
惣太、落涙。自分の影にも見捨てられる。暴走の危険性も消えたわけだから、喜ぶべきかもしれないんだが。
「何?惣太、何が悲しいの?……オトシマエは私が付けたげるわ
「大丈夫だよ、お兄ちゃん……私と来るんならね
(喜べねェ。喜べねぇっす!)
今、目の前にある危機。
ロードヴァンパイアの血ですら、裸足で逃げ出すデンジャラスワールドである。
ずずぃ、と二人が詰め寄る。
っち
「と、となり街の製薬会社にキメラヴァンプが来たってねぇ……」
れで
「え、ええっと……」

冷たい視線。
惣太は逃げ出した。
今宵の為に裏に止めていたデスモドゥスに飛び乗って。
変身もしていないのに、最高の加速力をもって。
生身で体験する時速300kmまで8秒のロケットスタート。
そりゃもう、全身全霊をもって逃げ出した。
「あー、逃げた!」
「追え!」

 

 

数ヶ月後。
アメリカ合衆国西海岸。
砂漠に打ち捨てられた廃工場に、ひょんな事からインフェルノとかいう組織の殺し屋として訓練を受ける惣太の姿があった。
デスモドゥスにまたがり、根性で海を渡ってきたらしい。
吸血鬼化は進みもせず治りもせずといったところだが、最近はトレーニングのおかげか身体の調子もいい。
アインとかいう能面のように表情の無い女の子から厳しい訓練を受けているのだが、それだってあの修羅場に戻ることを考えれば極楽気分といったところだ。
が。
幸福とは、えてして長く続かないことによってその価値を誇示するものである。
ある日、アインは(彼女にしては珍しく)言い辛そうに惣太に告げた。
「今日からは別の訓練をするわ」
アインの提示したメニューは、どうにも惣太のアラートに引っかかりすぎるものだった。

A.スレッジハンマー
B.徒手空拳(空手)

「ちなみにそれぞれ講師が異なるから」
アインの言葉に応じるように、背後にただならぬ気配。
「これは夢だ……悪い夢なんだ……」
ついつい呟く惣太の声に、聞き覚えのあるふたつの声が応じる。
「慰めになるのなら、構わないわ」
「夢だと思っておきなさい」
沈痛な面持ちで、アインは宣言した。
「……でも長い夢になるわよ」

争奪戦は、終わらない。相変わらずバカです。世紀が変わっても。