戻る Episode2 "Around The Parade, After The Parade."
 

Act1 "Am I the audience, or an actor ?"

ジョルジオは、ぼんやりとデモ行進を見物していた。取りたてて理由があってそこにいるわけではない。知り合いのサイボーグ技師ウィン・ロリマーのラボから帰る道すがらである。
確かにシティ議会や軍はいけすかない連中だと思っているが、ジョルジオ自身にはデモに参加するつもりはなかった。デモ行進など、シティ議会にとってはさしたる痛みでもないだろう。本当に体制に問題があると思っているのであれば、もっと有効な手段に訴えかけるべきだとジョルジオは考えている。そう、例えばレジスタンスのように。
そんな事情もあって、ジョルジオの精神は目の前をゾロゾロ歩く市民ではなく、ラボで見せてもらった試作型フルボーグの素晴らしい出来映えを思い起こすことに費やされていた。
あれは、実によい出来だった。さすがは、同志ウィンというところか。ツボというものを心得ている。
細く頼りなげでありながら、同時に形容し難いしなやかさを感じさせる体躯。
作り物とは思えないきめ細やかな褐色の肌、緩やかにウェーブする絹糸のような黒髪。
目鼻立ちはくっきりと、しかし微妙に柔らかなラインを崩すことなく。
組み込まれたサイバーアイは透き通るような淡い碧。
それは、ジョルジオやウィンのような趣向の者たちにとって至上の美であり憧れである。
実に見事な『少女』であった。
専用に用意された対弾服も、ふりふりレースの慎ましやかな――ここが、重要だ――可愛らしさに溢れる逸品。
あれだけの出来を見せられれば、しめて35000ドルという値段にも納得がいく。むしろ、安過ぎるのではないか、とすら思えるほどだ。恐らく、商売のことを考えて作成されたものではないのだろう。
ジョルジオは、本気でこのフルボーグセットの購入を検討し始めていた。今、彼が自由に出来る金は30000ドル。あと5000ドルだ。それだけあれば、憧れのボディを手に入れることが出来る。
手に入れてどうするのか、という疑問をさておき夢想の世界に浸るジョルジオ。
実に幸せな時間である。
そういうわけで、ジョルジオは突然響いた銃声に対する反応が少しばかり遅れた。


「何事ですの、いったい?」
手近な路地に素早く身を隠し、光輝はポソリと呟いた。
突然目の前で銃撃が始まったにしては、落ち着いたものである。
護衛兼店番のキッドを店に残してきたことを、少しだけ後悔する。こんなことなら、店を閉めてついてこさせるべきだったか。護衛に五月蝿く付きまとわれるのを嫌ってわざわざ店番を押し付けてきたのだから、誰にも文句の言いようはないのだが。
反体制デモを横目で眺めつつ、ご苦労なこと、などと心中で苦笑していたところへ、いきなりの銃声である。
最初は、幾らか遠くの方――恐らくは北の方角――で聞こえたようだった。
だから、人波に紛れるように南へと逃げ、途中から路地に入り込んだのだが。
今度は、飛び込んだその路地で銃撃開始、である。
自分の運の無さを呪いつつ、どうにか機を見て逃げおおせねば、と、チラリとすぐ近くで散発的な銃撃を繰り返す連中を観察する。
思い思いの服装、幾人かが手にする銃にも統一性は無い。大柄な赤毛の女が、何やら指示を飛ばしている。
――レジスタンス?
声には出さず喉の奥で呟き、光輝は訝しげに眉を寄せた。
何故、レジスタンスが市民に発砲するのか。彼らにとって、メリットなど無い行動のように思えるのだが。
使用している銃は、いずれも小口径の拳銃だった。ライフルは肩から下ろしていなかったし、大口径の拳銃はホルスターにしまわれたままだ。
ますますもって、理解し難い。何故、ともすれば護身用にも心許無いと評価される22LRや25ACPの銃をわざわざ使うのか。


アオは目の前で起きている信じ難い現実に、咄嗟の行動を取り損なった。
――どういうことだ。何故レジスタンスが?
声に出さず問うてみるが、答えがあろうはずもない。
市民に向けて発砲するレジスタンス。
事情はわからない。
だが、ともかくそれがアオの瞳が捉えた現実だった。
常日頃一目置いていたレジスタンスが、下層市民の救済を叫ぶレジスタンスが、シティ議会打倒を目指しているはずのレジスタンスが、何故反体制デモを行う市民に発砲するのか。
全くもって不可解な現実に、アオは彼らしからぬミスを犯した。
レジスタンスから丸見えの位置で、棒立ちになってしまったのだ。
陣頭で何やら指示を飛ばしていた背の高い赤毛の女が、ふとこちらに振り向いた。
鋭い眼光。
肩の赤いコピー品のCAM。
そうか、あれは音に聞こえるレジスタンスの女闘士クリス・スタックウィル。
――まずい!
レジスタンスと遣り合うつもりは更々無い。とはいえ、戦闘行動中に背後を取った相手を黙って見過ごしてくれるほど甘い手合いでもないだろう。話し合いで片がつくのならそれでもいいが、今の自分はシティの下層市民からも敵視される無頼漢だ。その上この状況。あまり、尋常な会談は期待できそうに無い。
とりあえず、逃げなければ。


「何?なんなのかしら?」
中年男にはとても似合わない少女言葉で疑問を口にしつつ、状況を確認しようと周囲を見まわす。銃声は、北の方から聞こえてきたようだが……
と、思っているところへ誰かがぶつかって来た。みすぼらしい身なりの小男だ。慌てふためいた様子で詫びも無く逃げ出そうとする男に抗議しようと思った瞬間。
横合いから更に銃声が聞こえた。
同時に、顔の直近を通過する何か。目には見えなかったが、それはジョルジオにとって慣れ親しんだものに相違なかった。
すなわち、銃弾である。口径や弾種まではわからない。
漠然と、さほど強力な弾ではないのだろうとは感じた。強力な弾であれば、直近を通過しただけでも腕っ節の強い者に拳で強打されたような衝撃があるものだから。
もう2・3cmも弾道がずれていたならどうなっていたことか。そう思えば肝が冷えてもおかしくないはずだったが、ジョルジオはむしろ頭に血が昇ってくるのを感じた。
頬に生暖かいものを感じていたからである。
恐る恐る触れてみれば、チクリと痛みが走る。浅く裂傷が出来ているようだ。
手の平に付いた己の血を目にした瞬間、ジョルジオの思考は沸騰した。
「この腐れXXXX野郎ォッ!」
甲高い、どちらかと言えば気色の悪い声で口汚く罵り、弾丸が飛来したと思われる方向の路地に突撃する。
視線がその先にいる襲撃者の姿を捉え、未だ僅かに残っている冷静な部分が彼らの素性を判定する。
思い思いの服装、幾人かが手にする銃にも統一性は無い。大柄な赤毛の女が、何やら指示を飛ばしている。
――レジスタンス。
そう判断すると、更に気持ちが昂ぶってくる。
ジョルジオは、かねてよりレジスタンスに一目置いていた。
"見えざる刃"ジンの主張は正しいように思われたし、幾度となく軍を出し抜いた彼らの手腕にも敬意を表していた。
だが、目の前にある彼らの実態は、何だ?
体制打倒、弱者救済を唱える自らの主張とは裏腹に、反体制デモの市民に発砲するとは何事か。
これでは、議会や軍の主張――レジスタンスは利権を求めるだけの暴徒――が正しいとも思えてくる。
ジョルジオは、手痛い裏切りを受けたような怒りと落胆をわけのわからない叫びで示し、遮二無二彼らの中に切り込んでいった。腰のホルスターには護身用の拳銃があるのだが、それを抜くことすらも考え付かず、赤毛の大女――恐らく、名高い女闘士クリス――に殴り掛かる。
どういうわけか視線を背後に向けていたクリスは、駆け寄ってくるジョルジオを目にして大いに驚いた様子であった。
拳が、綺麗にクリスの頬に打ち込まれる。
が、クリスもさすが音に聞こえた戦士である。
すぐに意識をジョルジオに向けたらしく、倒れ際右脚を繰り出し鮮やかにジョルジオの軸足を払う。
我を忘れている今のジョルジオに、その攻めを避け得るはずもない。
あっけなくバランスを崩し、倒れようとしたところをライフルのストックで腹を突き上げられた。
鳩尾を痛打され、ジョルジオは今度こそもんどりうって倒れた。そこへ、もう一度銃床による一撃。
ジョルジオの意識が遠のく。
「駄目だ、クリス!これ以上は市民に被害が!」
「チッ!無駄骨か。とはいえ仕方ない、引き揚げる」
そんな会話が酷く遠で交わされたように聞こえ、ジョルジオの思考は闇に飲まれた。


――レジスタンスは、市民に発砲していたのではなかったのか?
新たな疑問がアオの脳裏をよぎったが、今度はその疑念に囚われることなく全力で走り抜けた。
しばらく進んだところで振り返る。
そこに誰の姿も見えないのを確認してから、アオは無線越しに相棒に語り掛けた。
「レイ、レイ!とんでもないものを見ちまった。今どこだ?」
『こちらレイ。アオ、何があったか知らんが落ち着きな。こっちは、今13ブロックの辺りだぜ』
少々苛立った風ではあるが、落ち着いた調子の相棒の声。
アオは、漸く人心地ついた思いで、レイに事情を説明しようと口を開いた。
「聞いてくれ。レジスタンスが……」
レイは、ため息混じりにアオの言葉を遮る。
『話は後だ。どうにも、ヤバイ状況だぜ。ゲートで落ち合おう』
何がどうヤバイのか、アオは今ひとつ得心いかなかったが、とりあえず相棒の指示に従うことにした。こういうわけのわからない局面では、レイの感と経験を信用しておいた方が間違い無い。
「わかった。ゲートで」
それだけ答え、アオは通信を切った。
全ては、アオたちが『ゲート』と呼び習わす秘密の抜け道へと辿り着いてからだ。
引き揚げる、というクリスの言葉とは裏腹に、銃声は未だ通りに木霊していた。


「君子危うきに近寄らず、ですわね」
光輝もまた、レジスタンスたちの混乱に乗じ――光輝とてあまりの不可解さに混乱しかけていたが――、殴り倒される男を尻目にソロソロと路地を離れていた。
追っ手が無いことを確認しつつ、細い裏路地を伝いダウンタウンにある自分の店へ。
ネオフリスコ・シティの実家から用意してもらった雑貨屋だ。あまり儲けにはなっていない――むしろ慢性的な赤字だ――が、父も娘が道楽に使う金に関して細かい事は言わない。彼にとっては、この店と引き換えに護衛を一人付けることを娘が承諾したことの方が重要であるらしい。もっとも、その護衛も実務といえば店番ばかりさせられているのだから、どうにも娘の方が一枚上手、という按配ではあった。
この店を光輝は気に入っていたが、今しがた目にした事件を思い返すと、近いうちに手放した方がよいかもしれない、とさえ思える。
この街は、そう遠からず激動の波に呑まれるだろう。そこに巻き込まれるのは、さすがにご免蒙りたい。
漸く辿り着いた愛しの店の前で、光輝は天を仰ぎ、短く唸った。
「それで、今度は何事ですの?」
店の前に停めてある、真新しい弾痕に飾られた蒼いトライクを目にして、光輝はため息をつく。
どうにも、自分は運が無いらしい、と。


十分もしないうちに落ち合ったアオとレイは、周囲に気を配りつつお互いの情報を交換していた。
「ほう、レジスタンスがねぇ?」
アオの話を半分も信用していない様子で、レイは首を傾げる。
「俺だって信じたくない。でも、この目で見たんだ」
「そりゃそうかもしれんが、目に見えたモンが真実とは限らんぜ、この世の中」
呆れ顔でそう返されると、アオも自信が無くなる。知り合って以来の事だが、どうにも相棒には頭が上がらないアオ
だった。
とりあえず沈黙したアオに、レイは肩を竦めつつ呟き掛ける。
「まったく、この街はどうしちまってんだろうなぁ。オレの方じゃ混乱に乗じて子供掻っ攫うヤツが出て来やがったし」
「子供を?」
サラリと物騒なことを口にしたレイに、アオは眉間に皺を寄せて詰め寄った。
「それは、どういうことだ。いったい何が……」
「知らん」
にべも無くそう答え、レイは大仰にため息をついた。
「まあ、命知らずにもその人攫いの前に飛び出したヤツが、そいつの乗ってたトライクのタンクに穴開けてたからな。まだその辺にいるかもしれん。だからって、何が出来るわけでも無い」
「しかし……」
食い下がるアオを、レイは困ったような苦笑を浮かべて嗜める。
「お人好しが過ぎるぜ、アオ」
そう言われては、返す言葉も無い。とりあえず、アオは沈黙した。
しかし、その顔にあまりにもありありと不服の色が浮かんでいたので、レイはそれほど間を置かず天を仰いぎつつ言った。
「わかった、わかった。ちょっくらネットダイブして調べて来てやる。周りを見張ってな」
ため息混じりにダイブコアを起動。今のレイはアウターサヴェッジ、サイバースペースに頼るものとて無いが、そこは昔とった杵柄というヤツだ。どんな情報がどこに集まるか、それなりに見当はつく。
アヴァタールに老人のスキンを被せ、噂話の飛び交うコミュニティへ。素知らぬ顔で、あれこれ交わされる情報を拾い集める。
「D.B.が女の子を攫ったらしい」
「まさか、ジョルジオじゃあるまいし」
「また、トラシューへの風当たりが強くなりそうだなぁ」
「そうでもない。攫われた方にも、何かあるみたいだぜ」
「何か?」
「知らねぇよ。インフォが虫食いで追えやしねぇ」
ふむ。あのトライクの男、D.B.と言うらしい。情報が消されているということは、ここの連中が言うように攫われた側にも何かあると踏んでいいか?
まあ、それに関しては、まあ後でトラブルシューター・コミュニティにでも潜り込めば何か情報があるだろう。あまり気は進まんが、アオのヤツに突っ走られるよりゃ百倍マシか。
それじゃ、お次は発砲事件についてか?
事件後間もないというのに、コミュニティには諸説紛紛、相矛盾するものも含め様々な情報が氾濫していた。
「レジスタンスが発砲したらしいぜ」
「いや、先に仕掛けたのは軍だってよ」
「何だ?また貧民狩りか?」
「いや、サイボーグらしい」
「おいおい、サイボーグなんざ、軍にいるわけねぇだろ?」
「はン、物知らず。ありゃガンドールってぇんだよ!」
「銃人形?何だ、そりゃ」
「シティの正義をお守り下さる英雄リヒシュタイン閣下殿の精鋭部隊だとよ」
「そりゃまた、ありがてぇこったな。シティの洗い掃除は貧民の血で、か?」
「速報ーー!ついに被害者は五千人を突破!軍の殺戮大作戦は大成功の模様ーー!」
やれやれ、とため息をつき、レイは切断オペレーションに移った。
どうやら、あの事件は軍の謀略である可能性が高い。今のところ、わかったのはそれだけだ。
しかし、こうなると少々興味がわく。金か、少なくともいけ好かない軍に嫌がらせを仕掛ける契機にはなるかもしれない。軍が忙しくなるのは結構なことだ。それだけ、こちらも仕事をやり易くなる。
意識を現実に引き戻し、主観を交えつつアオに状況を説明する。
「てなわけでな、どうも軍が仕組んだ謀略らしいぜ。まあ、よくあるこった。トライク乗りの方は、今は追えんな。あと二時間もすれば情報が落ち着くだろうから、そん頃見にいってやるさ」
「わかった」
短く頷くアオに、レイは不敵な笑みを浮かべつつ提案した。
「ところで、お前の見た発砲現場とやら、案内してくれるか?」
怪訝な顔を浮かべ、アオは訊き返す。
「構わないが……どうするつもりだ?」
「何、現場百回っていってな、何か美味しいネタでも転がってねぇかと思って」
アオにしても特に異存は無く、二人はそのままあの薄暗い路地へと向かった。
十数分ほど歩き、ダウンタウンへ。
「で、この先がその場所だってか?」
レイの言葉に、アオは短く頷く。それを確認したレイは、猫のように慎重な足取りでゆっくりと歩みを進める。
「おや、まあ」
芝居がかった口調で言って、レイが肩を竦める。
そこに転がっていたのは、レジスタンスに喧嘩を売った、勇敢なのか無謀なのかわかりかねる男だった。

Act2 "Side stage of nosiy blackgurad."

「待ちやがれ、てめぇ!」
「うぉっとぉ!」
突然眼前に躍り出たワタルに、D.B.は大いに驚き思わず急ブレーキをかけた。
まさか、この状況で武装トライクの眼前にわざわざ立ちふさがるような無茶をやらかす男がいようとは。
「アンタ、そんな子供を攫ってどうするつもりだ!」
大声で呼ばわる東洋系の青年。その手には小口径の拳銃が握られている。
D.B.は、呆れた。
拳銃片手に凄みをきかせる青年には、トライクのカウルに固定されているカービンライフルの銃口が目に入らないのだろうか。
「なあ、青年。お前さん、自分がおかれてる状況ってモンがわからないか?」
一応問い掛けてみれど。
「何だと?アンタこそ、自分が何やってるのかわかってんのか!」
返って来たのは、この答え。
なるほど。
どうやら、この青年はD.B.が少女を小脇に抱えているのがお気に召さないようだ。
しかし、D.B.には少女クライノーワの価値を、目の前の青年が正確に知っているとも思えなかった。少なくともこの街では、この少女はまだ少々生まれと育ちがいいだけの、どこにでもいる子供と認識されているはずだ。
となれば、青年の行動は純然たる正義感に突き動かされてのものか。
ため息をひとつつき、D.B.はワタルに語り掛ける。
「やれやれ、こりゃまたアナクロな青年だねぇ。悪ィけど、こっちは先が長いんでね、こんなところでモタついてるワケにもいかんのよ」
「うるせぇ!その子を離しな」
ワタルが手にするスタームルガーの22LR弾では、装甲カウルに包まれた武装トライクに有効なダメージを与えることは難しい。それどころか、D.B.のヘルメットを貫通することも出来ないだろう。もしそこを狙えるだけの腕があったとしても、だ。
それがわかってなお、これだけの無茶をやらかしているのであれば結構な胆力だ。
そうは思ったが、D.B.としては悠長に遊んでいる暇はない。


「困ったものですね」
怜樹は、咄嗟に身を隠した物陰で、ポツリと呟いた。
たまたま診察帰りに騒ぎに巻き込まれたのも充分に災難であったが、逃げ込んだ路地に武装トライクが突っ込んでくるなど、何者かに呪いでも掛けられているのではないか、と勘繰りたくなるほどの災難である。
その上、果敢にもその武装トライクと正面から対峙する青年が一人。
これでは、動くに動けない。
「やれやれ、私としては早く立ち去って欲しいのですが」
何やら言い争う様子の二人に聞こえないように静かにため息をつき、怜樹はそっと様子を窺った。
蒼いトライクの男。ヘルメットと、恐らくは防弾仕様のスーツのため年の頃はわからない。
その男に抱えられた少女。歳は十歳前後か。所々フリルの付いた小奇麗なワンピースや整えられた柔らかそうなブロンドから察するに、それなりによい暮し向きの家庭に育っていると思える。
そして、トライクと対峙する青年。歳は、二十歳にもなっていないだろう。小口径の拳銃を手に隙無く構えており、それなりに荒事に慣れているような印象を受ける。
だが、果たしてトライクの男に抗することが出来るのか。それに関しては疑問であった。
武器も違うし、何よりも、青年がピリピリと緊張した雰囲気であるのに対して、トライクの男は未だ余裕の雰囲気で全く肩に力が入っていない様子。
格が違うのではないかな?
そう思って、少しだけ首を捻る。
と、路地の向こうの側に活発そうな雰囲気の少女の姿が見えた。年の頃は15・6といったところか。


「うっわ〜、よくやるぅ」
リーファは、咄嗟に身を隠した物陰で感心したように呟いた。
たまたま買い物帰りに騒ぎに巻き込まれた挙句、逃げ込んだ路地に武装トライクが突っ込んでくるという災難に見まわれつつも、とりあえず結果はOKかな、などとも思ってしまう。このまま自分の身に災厄が降り掛からなければ、という前提条件付きで、だが。
珍しい武装トライク。
そして、果敢にもその武装トライクと正面から対峙する青年が一人。
どうにも好奇心を刺激される光景であった。
「ふむふむ。これは面白い構図だよ。あの二人、何者なんだよ?」
呟きつつ、意識は瞬時にサイバースペースへ。
調べ物なら、あそこに限る。

蒼いトライクの男……D.B.。職業トラブルシューター。通称の由来は色々あるけど正確には不明。
交友関係は……っとと、ガードが固いや。じゃあ、搦め手から行くもん。
過去の関係事件履歴……って、トラブルシューターどころか、アチコチでトラブル振りまいてない、この人?
むむ?
細かいところが、全部ぼかしてあるよ……改竄かな?
もう一人の方は……う〜ん、さすがに特徴無さ過ぎでわかんないよ。
うむぅ、めげないもん。
このハニーボマーの手に掛かれば、暴けない情報なんて無いんだよ……そんなに沢山は。
まあ、とにかくあと一人いたっけ。
あの女の子、可愛いし上品な感じだから、上流市民とかエトランゼとかに情報あるかもしれないんだよ。
あ、ヒット!
えぇっと、クライノーワ・ティリバシュ。所属は……
『は〜い、そこまで、そこまで』
『うわ、誰!?何でボクのシェルウォールを突破できたんだよ!』
『私はフクロウ。うん、あなたのシェルウォール、結構硬かったよ。お陰で、ちょっと介入遅れちゃった』
目の前にいるのは、黒ぶち眼鏡の女の子。歳はボクと同じぐらいかなぁ?
まあ、サイバースペースでのアヴァタールなんてアテにはなんないんだけど。
『あ、じゃあD.B.の情報を消したのはキミなんだね』
『さあ?私はフリーだし』
コロコロ笑いながら、そう答えるフクロウ。
それって、肯定してるのと一緒だと思うんだよ。
『とにかく、ここまでは私の不注意ってことでしょうがないけど、これ以上はダメだからね』
別に機密情報見てるわけじゃないのにぃ。
でも、ボクのシェルウォールを突破してきた腕といい、さっきのD.B.の情報の消し方といい、ちょっとここで遣り合うのもボクに不利だよね。
『うぅ〜、わかったよ』
……あとで覗きに来るもん。
『うん、いい返事。悪く思わないでね。何か縁があったら、情報とか仕事とか回してやるからさ』
満足げに頷いて、そう言うフクロウ。
う〜ん……なんとなくだけど、年上っぽい気がするよ。
『じゃ、ね。また会いましょ、ハニーボマーさん』
教えてもいないボクのハンドルを言い当ててから、フクロウは姿を消しちゃった。
で、後には何も情報無し、だよ。
ふぅ……何だか、相手が悪いなぁ、って感じだよ。

リーファは、サイバースペースから意識を戻した。現実の世界では、ほんの数秒の時間しか流れてはいない。
ゆっくりと瞼を開く。
と、路地の向こうの側に利発そうな男の姿が見えた。年の頃は、24・5といったところか。


怜樹とリーファ、恐らく等しく騒動に巻き込まれ、同じように身動きを取れなかった者同士の視線が、ふと重なり合った。
リーファは、思わず漏れそうになった驚きの声を慌てて呑みこみつつ、気恥ずかしそうにお辞儀をする。思わずつられて、という感じで怜樹が会釈を返す。
暢気に挨拶を交わしている場合でもないのだが、とお互いが自身の行動に苦笑したその時、対峙していた二人に動きがあった。


「どけ。轢き殺すぞ」
D.B.は、低い声でそう宣言してエンジンを吹かす。
示威ではない。
この場所に長く留まることは、D.B.にとっても彼のクライアントにとっても、芳しからぬ結果をもたらすのだ。危険を承知のビジネスを遂行する、その時目の前に立ち塞がるものがあるのならば排除するだけ。素性も理由の如何も知ったことではない。わざわざそんな下らないものに考えを及ばせているようなアマちゃんに務まるほど、トラブルシューターという商売は簡単でもなければ安全でもないのだから。
「嫌なこった」
吐き捨てるようにワタルが呟くのと同時に、D.B.は情け容赦無くトライクを急発進させた。いや、カービンを撃たなかっただけ情け深いのかもしれない。弾がもったいないと思ったという可能性も捨てきれないが。
ともあれ、ワタルにもD.B.の行動は予測できていたのであろう。サッと横にかわすと、跳びざまダブルタップでトリガーを引き絞った。
少女を巻き込むわけにはいかない。狙いは下方、D.B.の足に集中させる。
放たれた二発の弾のうち、一発が首尾良くD.B.の右太腿を捉える。だが、それなりの防備を固めているのだろう、貫通した様子は無い。
D.B.にとって厄介な結果をもたらしたのは、もう一発の弾だ。弾丸は、無防備なトライクの燃料タンクにぶち当たり、その側面に穴を開けた。
「チッ!」
D.B.は、足の痛みよりもトライクの破損に顔を歪めた。
まずい。燃料が噴き出している。あと一撃でも食らえば、爆発炎上も不思議ではない。
その瞬間、D.B.は青年を道端の障害物ではなく、倒すべき敵として認識した。
キラリとD.B.の瞳が光る。
「お痛が過ぎるぜ、青年!」
叫びざま、トライク前面をワタルに向け、カービンの引き金を引く。
「青年青年ってうるせぇんだよ!オレにゃワタルって名があらぁっ!」
ワタルは、上手く障害物を盾に取り銃撃をやり過ごしつつそう叫ぶ返した。
さて、どうするか。
トライクの燃料が噴き出している以上、迂闊に銃撃は出来ない。万が一着火して、少女まで爆発に巻き込む事態は避けねばならないからだ。
となれば、おびき寄せて格闘戦に持ちこまねば。
ワタルがそう考えていると、D.B.の冷笑するような声が響いた。
「そりゃ、悪かったな。俺はD.B.。お詫びに教えてやるが、そんな頼りねぇ壁に隠れたって無駄だぜ」
D.B.の機械の左腕が、バクリと開く。そこには、凶悪な大口径の銃口が潜んでいた。
轟音と共に、破滅的な破壊力を秘めたフィフティー・キャリバー弾が射出される。本来は対物ライフルだとか対戦車ライフルだとか呼ばれる狙撃銃に使用される強烈な弾丸である。その威力は、生半な装甲など問題にしない。さすがに装甲車相手には厳しいが、車輛を直接破壊できるだけの威力だ。
目の前の壁が弾け跳び、想像もしなかった衝撃がワタルを襲う。隠れるとか、避けるとかでどうにかなるレベルの問題ではない。
腕っ節の強いサイボーグにでも殴られたような衝撃を受け、ワタルの意識が遠くなる。
「くそ。こりゃ、北に行く前に直さなきゃならんな」
愛車のタンクに開いた穴を眺めつつ言うD.B.の呟きがやけに遠く聞こえ、ワタルの意識はフェードアウトした。


D.B.のトライクが駆け去る、その音が聞き取れなくなるよりも早く、リーファは好奇心に駆られ路地に飛び出した。もう、サイバースペース上での情報にあまり期待できないだけに、現実の世界での情報ぐらいは拾っておきたい。
「うっわぁ〜……」
感嘆したように呟きを漏らすリーファの様子に興味をひかれたのか、怜樹も路地の様子を窺った。
そして、怜樹は呆れたように、ポカン、と口を開けてしまった。
先刻まで確かに存在したはずの壁が、瓦礫に変わっていた。冗談抜きで、大砲でも撃ち込まない限りはこうはならないはず。
あのトライクに搭載されていたか?
いや、そんなものは見受けられなかった。ミサイルならば格納できそうだったが、耳にしたのは発砲音だ。
「これは、なんとも……」
絶句する怜樹に、リーファは相槌を打つように言う。
「すっごいよね〜、コレって。対戦車ライフルクラスの遅延炸裂弾でも使ったのかなぁ?」
それを聞いて、怜樹はなんとなく使用された兵器の正体に思い当たった。
コンシール・クラッシャー。
サイボーグ義手に大型ライフル弾を仕込む、という製品があったはずだ。生憎、そのサイバー手術を行った事は無いし、これからも行う予定は無かったが。
「あとは……コレ、どうしよう?」
リーファの声に振り向けば、半ば瓦礫に敷かれる形で先刻の青年が倒れていた。
胸は上下している。
「……生きていますね」
少々呆れがちに、怜樹は呟いた。
この惨状を見るにつけ、青年が生きているのは奇跡のようにも思える。
殺し損ねたのか、あるいは、殺さぬよう配慮されたのか。
真相は、あのトライクの男――D.B.に訊くより他無いように思えた。

Act3 "Force of massacre."

ざわめきが悲鳴に変わるのに、それほどの時間は要しなかった。
もっとも、その二つの間に「銃声」という人ならぬものの声が入っていれば、当然の帰結ではあったが。
エーリッヒ・マイヤーは、その身に染み付いた習慣で反射的に遮蔽物に駆け込み、非番の日にこんな場所に出向いてしまった己の気まぐれを呪いつつ、腰に手を回した。
そこにあるのはコルト・ウッズマン。1900年代に70万丁以上が生産されたという、22口径の名銃だ。中でも、マイヤーの持つマッチ・ターゲットは射撃競技用に作られた精度の高い逸品であり、コレクション的な価値を別にしても充分に価値のある代物だった。
だが、その自慢の名銃とて、周囲に響き渡る轟音を耳にすれば蟷螂の斧にも等しいと悟らざるを得ない。
あれは、ガトリング砲の音だ。少々違和感があるが、間違いない。
他にも、アサルトライフルやソリッドシューターの音も聞こえる。
装甲戦闘車の36mm砲の音まで混じっているとは、さては耳がおかしくなったのか?
そう思いつつ様子を窺い、マイヤーは絶句した。
防衛機動軍が、マイヤー自身が属するシティの正義を体現する組織が、市民に銃を向け、牙を剥いている。
しかも、あの兵士たちは何だ?
ほんの一分隊ほどしかいないというのに、圧倒的な強さを見せつける兵士たち。
その全てが、一目でそれとわかるサイボーグであった。しかも、その装備たるや元より戦闘向けに造られているとしか思えない。
それは、誇りある防衛機動軍においては、あってはならない存在だった。戦闘サイボーグの有用性は一部で認められていたが、サイバー化は人の精神を著しく損なうとの理由で今日まで導入案は悉く却下され続けていた。サイバー化による一代限りの兵士強化――しかも、常に暴走の危険性を伴う――よりも、CAMをはじめとする高性能の個人用装備の充実に力と予算を割くのが防衛機動軍の方針。特に、シティ内部でのミッションにおいては、市民感情を考慮し極力非殺傷兵器を使用するよう求められていたはずだ。
自分が知らない間に、方針が転換されたのか?
マイヤーは自問し、すぐにかぶりを振った。そのような動きがあれば、当然下士官であるマイヤーの耳にも通達か、少なくとも噂ぐらいは届くはず。よほどの機密情報で無い限りは。そして、軍の方針を180度転換するような動きが、下士官に対してまで機密事項として扱われるはずは無かった。
サイボーグ兵が両手持つ剣を振るう。その刃は、人の目には捉えられぬスピードで、貧しい身なりの母子を背後から噛み砕いた。
噴き出した血が、非情の殺戮者と逃げ惑う市民を赤く染める。
呆然と事態を見詰めるマイヤーの瞳が、件のサイボーグ兵がこちらに振り向くのを捉えた。
逃げることも思いつかず、マイヤーは疾風の速さで駆け寄るサイボーグに叫ぶ。
「ま、待てっ!自分は軍人です。第1106分隊所属、エーリッヒ・マイヤー伍長、調べれば分かる!」
軍人ならば、その口上で止まるはず。だが、それはサイボーグ兵に対して何ら効果を持つことはなかった。
死を覚悟し、反射的にウッズマンを抜き構えたその時。
「!」
金属の噛み合う、硬質の嫌な音が響き、思わずマイヤーは顔をしかめる。
見れば、剣を持ったサイボーグ兵とは別のサイボーグ兵が、手にした長大な砲の砲身でマイヤー目掛けて振り下ろされた剣を受けとめていた。
「ハシモト上級陸兵!もう終わりです!」
そう叫ぶ砲を抱えたサイボーグ兵。女の声だ。よく見れば、ヘルメットからは柔らかなブロンドがはみ出している。
マイヤーは、呆気に取られつつも彼女の首を覆うアーマーに目を落とす。軍服やCAMの慣例からいけば、そこには姓名と階級、そして所属が記されているはずだ。
――レイ・C・C・グーラン上級陸兵。所属は……X401−08?
姓名と階級は、いい。
このサイボーグ兵が噂に聞くグーラン上院議員の忘れ形見であったことは、多少の驚きではあるが瑣末な偶然と片付けてしまうことが出来る。
だが、X401とは、何だ?
それは、マイヤーの記憶には無い部隊コードだった。呼吸するように軍律を守り、生半な士官などより遥かに軍と軍令に詳しいマイヤーが、だ。
「貴官らは、いったい……?」
わけがわからぬまま漏れ出たマイヤーの問いには答えず、レイは愁いを帯びた震える声で言った。
「伍長、この場はお逃げ下さい。ガンドールに理屈や常識は通用しません」
ガンドール……それが、このサイボーグたちの名称か。
いったい、誰がこのような悪魔を創り出した?
誇りある防衛機動軍は、いったいどうなってしまったのだ?
疑問は尽きないが、今はそれを追求すべき時ではない。
「あ、ああ……」
結局マイヤーに出来たことは、レイの言葉に従いその場を離れることだけだった。


「素晴らしい」
マクシミリアンは、憑かれたようにポツリと呟いた。
彼の瞳――片方は生来の機能欠損を補うため機械化されていたが――に映る光景は常軌を逸していたが、ある意味彼が理想とする兵士の姿であった。
それは、高度に機械化されたサイボーグ兵士、である。
傷病、特に戦傷による機能欠損を例外としてサイボーグ化を認めていない防衛機動軍には、本来存在し得ないはずのサイボーグ兵。その戦い振りは、マクシミリアンの持論を証明するものであった。
強力な敵と渡り合うためには、強力な個人装備が必要だ。往来に危険なサイボーグが出歩いている昨今、現行のCAMでは対応能力に限界がある。サイボーグ化による兵士個人の強化は、切実に求められて然るべきなのだ。
にも関わらず、軍では個人装備の強化どころか非殺傷兵器の配備や福利厚生の充実が優先されて行われているのが現実だ。
ゴムスラグ弾や催涙弾が、生半な拘束弾頭などサイボーグどもに効くものか。必要なのは、より強力な兵器。一方的に制圧できるだけのポテンシャルを持つ兵士である。
遠目にも、サイボーグ兵の凄まじさは際立っていた。そして、彼らに全幅の信頼を寄せていることを証明するかのように、平常勤務用の軍服でサイボーグ兵たちの後方に佇む人物が見えた。
あれは……リヒシュタイン・ネルベルク大尉。有名人だ。
なるほど、この部隊を指揮するのが彼ならば納得はいく。軍備拡充を強力に推進するリヒシュタイン大尉には、かねてよりマクシミリアンも一目置いていた。不思議と轡を並べる機会に恵まれず、知己を得てはいなかったが。
さて、どうすべきか。
今は非番で、拳銃程度の武器しか携えていない。当面、騒ぎに巻き込まれるのは得策とは言えないだろう。しかし、これだけのものを見せられては、このまま我関せずと黙っているのも収まりが悪い。
日を改めて、彼を訪ねてみるか。
そう心に決めつつ、マクシミリアンはそっとその場を離れた。


地に倒れ伏す市民の数は、百や二百ではきくまい。千、いや数千の市民が、血の海に沈んでいる。
だが、ウェイトリー・ウィルバー伍長にとって、それは忌むべき光景ではなかった。反体制デモに参加するような、市民の名に値しないクズどもには、鉛弾こそお似合いだ。今日が非番ではなくこの作戦に参加していたのであれば、喜んで彼も共に銃を取り狩りに参加していたであろう。
暴徒の群れを鎮圧したサイボーグ部隊が撤収する。その中に、ウェイトリィは著名な人物を見つけた。
常ならば、そのまま見送るだけだっただろう。
だが、目の前であれだけのものを見せられた後となれば、ウェイトリィには己の興奮を抑えることなど出来なかった。
「リヒシュタイン大尉」
興奮冷め遣らぬ声で、サイボーグ部隊を率いる有名人に声を掛ける。
反射的に、サイボーグ兵のライフルがウェイトリィに向けられた。敢えて言えばアサルトライフルの類なのだろうが、銃身が三つ束になっており常人にはまともに使えこなせそうにも無い。
ウェイトリィは、両手を挙げて従属を示し、遅れて振り向いたリヒシュタインに語り掛けた。
「敵意はありません。自分は、防衛機動軍第三師団き下312分隊のウェイトリー・ウィルパー伍長であります」
冷徹な瞳でねめつけるサイボーグ兵を制し、リヒシュタインが一歩前に出る。
「それで、何か用かね、ウィルバー伍長」
静かに問い掛けるリヒシュタインに、ウェイトリィは姿勢を正して一礼した。
そして、周囲のサイボーグ兵を眺め回しつつ訊く。
「実に、素晴らしい兵たちです。こちらは、皆サイボーグ……」
「ガンドール、という。ウィルバー伍長」
リヒシュタインは、皆まで言わせずそう告げた。
聞き慣れない名称に、ウェイトリィは鸚鵡返しに尋ねる。
「ガンドール?」
「そうだ」
鷹揚に頷き、リヒシュタインは信念を感じさせる自信に満ちた声で続けた。
「戦うために生まれ変わった、理想の兵士たちだよ」
その振る舞いに、ウェイトリィは感動すら覚える。
常々、リヒシュタイン大尉の主張には感じ入るところがあった。だが、その共感は今日この日、憧憬になった。
リヒシュタイン大尉は、口先だけの理論家ではなく実践者なのだ。それは、軍の唾棄すべき軟弱な姿勢に嫌気がさしていたウェイトリィには、神の福音にも近しく思える。
そうだ、この人物についていけば間違いは無い。
「もし、人員に不足があれば、小官をお使い頂けませんか」
気が付けば、そんな台詞を口走っていた。
「ふむ」
苦笑気味に唇を歪め、リヒシュタインが応じる。
「作戦行動中の上官に対してそのような要請、常識に欠けるとは思わんか」
言われてみれば、その通りだ。
常ならず後先考えない行動に出てしまった自分を恥じ、ウェイトリィは赤面して身を固くした。
これ以上リヒシュタイン大尉の前で失態を演じ、呆れられては元も子もない。
しかし、リヒシュタインは苦笑しながらではあるが、年齢的にも階級的にも格下のウェイトリィに手を差し出す。
「正直、嬉しいがね」
ウェイトリィは、一も二も無く差し出された手を握り返した。
「ふふ……ウィルバー伍長、日を改めて会話させてもらおう」
そう言って、リヒシュタインは指揮車輛へと踵を返した。


翌日。
マスコミが「血の行進」と名付けた昨日の事件は、軍内部にも少なからず動揺を与えていた。殊に、事件の首謀者と見られるリヒシュタインへの風当たりは強い。事件自体は、暴動の鎮圧という名目で片付けられる方針で作戦参加者に咎が課せられることは無いようだが、穏健派の中にはリヒシュタイン排除の動きもちらほらと見られる。
リヒシュタイン自身、そのことは感じ取っているのであろう。
事件から一夜明けたこの日、リヒシュタインは軍内部の機密情報として特殊部隊「ガンドール」の存在を明らかにし、希望者に対する説明会を設定した。が、それは賛同者への説明を行う場というよりも、反リヒシュタイン派に対するポーズのようなものであった。穏健派が説明会の席上でリヒシュタインの所業を突き上げているのと同時刻、個別に声を掛けられた、あるいはどこからか噂を聞きつけた、親リヒシュタイン派は彼のオフィスに詰め掛けていたのだ。
マクシミリアンの姿は、それらのリヒシュタイン派の中でも特に目立っていた。その原因が彼独特の雰囲気なのか、あるいはひとつの部隊を預かる証の歩兵隊尉官の階級章であるのかは定かではない。
マクシミリアン個人としては性急に過ぎる動きかと思わないでもないが、今後の展開を考えれば早期に旗色を明確にしておくのも悪くない。それは、リヒシュタインと彼に賛同するものたち――もちろん、マクシミリアン自身も含む――にとって、追い風となり大きな力となるはずだ。そして、隊というひとつの組織を預かる者として、一度ついてしまった勢いというものが簡単には覆し得ないことは重々承知していた。そう考えれば、この騒乱も充分に利用する価値があるというもの。
あるいは、リヒシュタインにとっては、それすらも計算のうちなのだろうか。あまりに手早い今回の対応を目の当たりにすると、そう思えないでもない。
ともあれ、マクシミリアンは他の者たちがリヒシュタインの参謀を相手にあれこれと対話している中、ただ一人リヒシュタインと直接対面していた。
「203小隊のマクシミリアン少尉か。こうやって面頭向かって話すのは初めてだな」
「はっ。光栄です」
一応は畏まって敬礼するマクシミリアンであったが、目は値踏みするようにリヒシュタインの瞳を捉えている。リヒシュタインは、少しだけ口の端を歪めるように笑みを浮かべた。
「ふむ……いい面構えをしている。それで、わざわざここに来た真意を聞かせてもらいたいのだが?」
「特別なものではありません。ただ、自分は貴公の考えに賛同する、と。そう申し上げに来ただけです」
「なるほど」
鷹揚に頷き、リヒシュタインはマクシミリアンに歩み寄る。
「何かと騒ぎ立てる連中も多い昨今だ、味方が増えるのは喜ばしいよ。少尉、心から礼を言わせてもらおう。ありがとう」
どこまで本心なのかわからぬ芝居がかった口調でそう言うリヒシュタインに、マクシミリアンは無言でもう一度敬礼を捧げる。
「出来れば君の意思に報いたいところだが、さすがにそう勝手もできん。君には君の部隊があるし、ただでさえ少ない士官、しかもすこぶる有能な一人を引き抜いたとなれば、君の上官からも恨めしく思われようからな。そもそも、私には君に与えて然るべきポストの持ち合わせも無い。が、私に出来ることがあれば、言ってくれ。可能な限り力になろう」
それは、リヒシュタイン大尉、貴公の役に立て、ということか?
そう問いたいようにも思ったが、マクシミリアンはとりあえず黙し、リヒシュタインの副官が次の職務に移る時間だと告げるまで、他愛のない会話――それでも、穏健派から見れば不穏なものなのだろうが――をかわした。
とりあえずリヒシュタインのオフィスを退去し、自身のオフィスに向かう道すがらマクシミリアンは考える。
僅か十数分の会談ではあったが、収穫はあった。
どう動くか、あるいは動かぬか。
そう遠くない未来に、それを決めぬわけにはいかないようだった。

Act4 "Elite of Dark."

久し振りに、背を冷たいものが流れる感覚があった。
――これは、まずい。
ノアジミルは、直感的にそう判断する。
「ネズミか。まあ、こちらも似たようなものだが」
そう呟き、薄く笑う男。この男は、確か――
「J7……」
思わず、呟きが漏れた。
「ほう。チンピラにまで名が売れているとは、俺も有名になったもんだな。議会の機密保持能力はザルらしい」
男は、軽く笑みを浮かべつつそう応じ、ノアジミルの記憶が正しいことを証明した。
反体制デモの警備で軍の警備網が手薄になっているのを利して「仕事」をさせてもらうつもりだったが、まさかこのような事態になろうとは。
デモ行進が突然暴動の様相を呈してきたことも予想外なら、その挙句避難した路地に名高いエージェントが佇んでいるなどとは夢にも思わなかった。
相手は、確か射撃の名手。
格闘戦ならばノアジミルも相応の自信があるが、拳銃相手では少々分が悪い。
「冗談だよ、ご婦人。あのオリエント系の議員さんだろ、情報元は」
不意に真面目な顔つきになって言いつつ、J7は手品のような素早さで懐の拳銃を手に取った。
まだ、銃口はノアジミルに向けられてはいない。
だが、一歩でも踏み込めば、その瞬間に鉛弾が正確に急所目掛けて撃ち込まれるだろう。理屈によらず、ノアジミルはそう確信する。
放たれた銃弾を避けるなど、人間に出来る技ではない。障害物に隠れたところで、こちらは銃を持っていないのだから応戦のしようがない。
では、どうするか。
ノアジミルは、J7が瞬きする一瞬に素早く踵を返して脱兎の如く駆け出した。背中から撃たれた時は、仕方ない。当らない事を祈ろう。
応戦できない以上、兎にも角にも一刻も早く戦線を離脱するしか道はないのだから。
「ほう、なかなか」
あの身のこなし只者じゃないな、などと思いつつも、J7は敢えてノアジミルを撃ちもせず追いもせず、銃を懐に戻して39番通りの惨状に視線を転じた。とりあえずは、こちらの方が火急の要件だ。
「まあ、次に会う機会があれば、その時はもう少しゆっくりと話すとしようか」
ポツリと独り言を漏らし、J7は己の任務に戻った。
その任務も、彼本来の任務とは直接的には関係していないのだが。


どうにか逃げ延びた――あるいは、見逃してくれたのかもしれないが――ノアジミルは、追跡を受けていないことを確認して額に浮いた汗を拭った。
もう、アジトのすぐ近くだ。
とりあえず一休みすることにして、ノアジミルはアジトの扉をくぐった。
「どうした。えらく疲れた様子だな」
扉のすぐ側で見張りに立つ男が、冷やかすように声を掛けてくる。
「ちょっとヤバイ奴にあってしまったからね」
憮然とした表情で、そう答えるノアジミル。さすがに、面白くない。
「ヤバイ奴?」
鸚鵡返しに訊く男。ノアジミルは、ため息混じりで簡潔に説明した。
「J7。私も、本物は初めて見たわ」
「ほう……で、どんな奴だった?」
面白いネタだとでも思ったのか、男が更に問う。
ノアジミルとしては、あまり思い出したくもなかったのだが、特に自分に不利益があるわけでもないので素直に答えた。
「どうもこうも、言った通りよ。ヤバイ奴」
「なるほどな。そういや、J7と言えば、面白い情報があったぞ」
思い出したように告げる男に、ノアジミルは怪訝な表情で問い返す。
「というと?」
男は、少しばかり唇の端を歪め、話半分で聞いておけ、と前置きしてから言った。
「最近、議会の特務委員会が奴に特殊指令を与えたらしい。詳しい話までは、ウチらの議員さんにゃ回ってきてねぇみたいだがよ、どうも財団の秘密ってヤツを巡って一悶着起こすみたいだぜ」
「へぇ……」
それは、初耳だ。
「稼げそうだろ?」
意味ありげに尋ねる男に、ノアジミルは少々芝居がかった仕草で肩をすくめてみせた。
「さあ?それはどうだか」
財団が絡んでいるとなれば、莫大な金になるモノが動くのは間違いない。
だが、そこに介入して上手く立ち回ることが出来るか否か。
知らず知らず、ノアジミルは皮算用を弾き始めていた。


「どうなっておるのかね、J7は!?」
怒鳴りつけられたところで、目新しい情報が無い以上答えは決まりきっていた。
「未だ連絡を絶ったままです。目下、局員総出で情報を収集しております」
にべも無い声でそう言ってから、J7の上長にあたる調査局局長は、書類上彼の上役となっている若手議員を慰撫すべく言葉を付け足す。
「J7は、当局随一の腕利きです。ご心配なさらずとも、彼に限って不測の事態など有り得ぬでしょう」
「わかっておる!」
だが、局長の配慮は特務委員会に所属する若手議員ケイトの感性に訴えかけることは出来なかったらしく、更なる罵声を導き出しただけだった。
「だからこそ、訊いておるのだ。J7が無事だとして、何故連絡が取れぬか。彼には素行上問題が多々あると聞くが?」
あからさまに疑惑の視線でねめつけるケイトの態度に、さすがに局長も渋面を隠せない。
シティの美名を守るため敢えて汚れ仕事を引き受けている特務委員会付諜報局。通称エージェントと呼ばれる我々に、栄光などありはしない。決して表舞台に出ることを許されず、不充分な装備であらゆる危地に放り込まれ、しかもこれといった特典など無い仕事だ。その我々を、何故疑うのか。
局長は、己の身を危険に晒すこともなく議会の利権を享受する議員が嫌いだった。そもそも嫌っている相手に悪し様に言われ、しかも身内を疑われたとあっては良い顔など出来ようはずもない。
そして、彼を更に不機嫌にさせるのは、ケイト議員の言葉を完全には否定できない、という事実である。
かのレジスタンス首領"見えざる刃"ジンを筆頭に、エージェントの中には変節した者も少なくない。まして、日頃から何かと不祥事の多かったJ7。彼が諜報局を裏切っていないと断言出来る材料は、どこにも無い。
「状況を確認しているところです。今しばしお待ち下さい」
局長に出来たことは、そう答えをはぐらかすことだけだった。

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