戻る Episode1 "Day of The Blood Parade"
 

Act1 "City Agent"

前時代的なイヤホンから飛び込んでくる雑音混じりの音声に、J7(ジェイ・セブン)は少しだけ顔をしかめた。使用されている通信手順は、装備にふさわしく前時代的な暗号無線システムだ。色々と扱いが面倒で通信の質も良くは無いが、下手に新しいシステムよりは傍受される可能性は低い。正確に言えば、有効な形で傍受されることはまず無いといっていい。相手に相応の設備が無ければ、だが。
『聞いているのかね、J7?』
複雑怪奇な変調電波の先から話しかけてくる相手に、J7は溜息混じりの声を返す。
「もちろん聞いていますが」
納得しているかと問われれば、また別の答えもあるだろうがね。
心の中でだけそう付け加え、J7はとりあえず確認すべきことを訊いた。
「それで、ケイト議員、結局のところ私は何を見張ればいいんですか? 防衛機動軍? レジスタンス? それとも裏町の阿呆ども?」
『全てだ』
概ね予期できていた答えに、J7の唇が歪む。生憎画像転送システムなどという贅沢な代物は使用していないため、話し相手であるシティ議会の議員殿には彼の心中を伝えることが出来なかったが。
『君が危ないと、あるいは怪しいと思うもの全てだとも、J7』
では、シティ居住者の全てですな――そう漏らしかけて、J7は代わりに苦笑を漏らす。言っても仕方の無いことだ。タカ派議員殿の感性に訴えかけることも出来まい。
「任務従事の期間は?」
『今から即刻、終わりは未定だ』
「では、通常の報告は出来ない。そうなりますな」
『当然だ。止むを得んさ……シティの根幹が揺るぎかねない事態だ。君の通常任務は、別の者が引き継ぐよう手配する』
「了解しました。J7、これより特殊任務に移ります」
そう答えるJ7の口の端に浮かんだ微かな笑みを見る者は無く、したがってその意味を知る者も無かった。
闇だけが、彼の真意を知っている。
――少なくとも、この街においては。

Act2 "Mobile Army"

防衛機動軍――シティ唯一の軍事組織。警察機構としての任務も一手に引き受ける、シティの正義を体現する組織だ。
元はもっと大きな国の大きな軍隊の一組織でしかなかったが、その上部組織が崩壊してしまっている現在、一軍隊として独自の組織を構成している。過去の名残は名称と、最上位が大佐という奇妙な階級構成に残っているに過ぎない。
その階級構成上、尉官ともなれば役職上の意味合いではなく正真正銘の幹部と言える。その地位にある人物は、シティでもかなりの有名人だ。
殊に、マジョリー・ミルフィード少尉は数少ない女性士官として、また軍人にしては珍しいロングヘアの持ち主として、そしてなによりも万事において有能な"紅き盾"として有名であった。若く見目麗しい彼女に憧れる者も多く、さながらアイドル的な扱いさえ受けている――本人は、いたくお気に召さないらしいが。
その彼女が完全武装で街角に現れたのだから、付近住民は興味津々といった感じで様子を窺っていた。もっとも、誰一人として一定距離以上近付こうとはしない。"紅き盾"ミルフィードが、時に苛烈な正義の体現者であることを知っているからだ。まして、展開している部隊はミルフィード隊だけではない。詳細はわからないが、何かただならぬ事態であることは、子供の目にも明らかなことであった。
思い当たるフシが無いではない。防衛機動軍の各隊が展開する39番通りでは、今日、大々的なデモ行進が行われる予定である。そのお題目は反戦と体制抗議。それほど目新しいわけでは無いが、大規模なデモが行われる場合に防衛機動軍の警備部隊が出動した事例は多々ある。
しかし、だ。ミルフィード隊といえば、推しも推されぬ実戦部隊だ。その主任務は、シティ内外の武装勢力の排除である。"アウター・サヴェッジ"と呼ばれる武装流民との衝突や、レジスタンス狩りの先鋒として有名を馳せる部隊が、高々デモ行進の警備に出てくる――何かしら、不安を掻き立てる異例の事態ではある。
この胸騒ぎを感じていたのは、観衆だけではない。
(リヒシュタインめ、何を考えている?)
答えが無いと知っていながら、ミルフィードはそう自問することを止められなかった。南北に伸びる通りの南の端をミルフィード隊が完全封鎖。主要な交差点を警備部隊が押え、さらに脇道、抜け道の類に斥候兵を配置――半包囲の体勢だ。もしデモ隊が暴徒と化しても、北以外には流れようがあるまい。逆に言えば、ここまでの布陣をしておきながら北に配置された部隊が新設の1分隊8名のみというのがあまりに不自然だった。
"統制の獅子"リヒシュタイン・ネルベルク大尉に対して、ミルフィードはあまり良い印象を抱いてはいない。有能なのは、認めよう。悔しいが、軍事的な采配では拮抗していても政治的な諸事に関しては向こうの方が一枚も二枚も上手だ。まあ、別段出し抜かれること自体は何とも思ってはいない。むしろ、有能な人材が高いポジションに就くことは、当然であり健全なことだと思っている。
しかし、リヒシュタインに嫌な気配を感じないと言えば嘘になる。今回の出動も、市民の不安を煽り暴発を促しているようにしか思えないのだ。まさか、北にある行政官庁地区まで暴徒を誘導するつもりでもあるのだろうか。
(まさか、ね)
ミルフィードは、荒唐無稽な自分の仮定に苦笑した。
確かに、リヒシュタインには政敵が多い。タカ派の議員と言えども、彼ほど強硬な軍備拡張論者は存在しないだろう。数々の武勲で今までは反対勢力を黙らせていたが、リヒシュタインのような軍閥派は根本的に嫌われ者だ。
だからと言って、クーデターまがいの民衆扇動など、ナンセンスもいいところである。そもそも、リヒシュタインは嫌われてはいても決してないがしろにはされていない。彼はシティの英雄であり、オリンピア・シティとの緊張が強まっている今、むしろ必要とされ、もてはやされている人物なのだ。政権を奪取したければ、堂々と選挙に名乗りをあげるだけで十分勝算がある。リヒシュタイン・ネルベルクは、クーデターなど必要としていないのだ。
(では、何故このような――)
詰まらない考えが堂々巡りを始めようとしたとき、CAMの内臓ヘッドフォンから部下の報告が伝えられる。
『報告します。各隊展開終了、所定の位置にて待機中です。少尉、ご命令を』
「よろしい」
ミルフィードは注意力を現実へと引き戻した。アウター・サヴェッジどもと銃火を交えるより遥かに危険は少ないが、非武装とはいえ友好的とは言い難い数万からの人間の群れを監視せねばならないのだ。気を引き締めてかからねば、余計な厄介を招きかねない。
「各員は予定通りにデモ開始まで待機。以後、デモ行進に合わせ漸次前進する。くれぐれも、市民を余計に刺激しないよう」
各隊員から了解の復唱を聞き流しつつ、ミルフィードは先程棚に上げておいた疑問を引き下ろした。
何故――問えば問うほど、疑問は募るばかりだ。

Act3 "Registance"

"見えざる刃"――その通り名を聞けば、十人中九人までが道を空ける。無論、無謀にも残る一人であることを選択した者は、力ずくで道を空けさせられるのだが。
畏敬をもってそう呼ばれる男ジンは、39番通りと隣接する裏通りのひとつに身を潜めていた。いかに防衛機動軍が大部隊を展開したといっても、彼と彼の参謀の目から見れば幾つも抜け道がある。中には、あからさまにこちらを誘っているような"抜け道"も垣間見えたが、そういった罠は巧みに避けきったという自信がある。
だが、ならばこの胸騒ぎは何だ?
そう自問する。
上手くレジスタンスを誘い出すつもりで待機しているであろう防衛機動軍を出し抜き、手痛いしっぺ返しを食らわせてやるだけのビジョンはある。武装はやや貧弱だが仲間の戦意も高く、作戦遂行には何ら問題ない。
防衛機動軍の動きに合わせた、性急過ぎる作戦自体が気に食わないのか――違う。防衛機動軍を叩くチャンスがあれば、どんなに急な作戦であっても積極的に遂行するつもりだ。
何かしら潜り抜けることが出来なかった罠がある――確率は低い。ジンはそれほど自信家ではないが、少なくとも防衛機動軍のリヒシュタインやミルフィードといった連中に遅れを取るとは思っていない。参謀であるシルビアのチェックも受けておけば、大抵の場合において連中を出し抜くことが出来る。今までレジスタンスが生き残ってきた事実が、何よりも雄弁にそれを裏付けてくれている。
市民を敵に回す可能性とそれへの不安――あまり無い。いざとなれば、市民を盾にしてでも戦うだけの覚悟と汚さは持ち合わせているつもりだ。レジスタンスは、決して慈善団体ではない。市民のために戦う、などという綺麗事は、建前以外の何物でもなかった。
何らかの、予測外の因子――考えるだけ無駄だ。予測できないのであれば、それは起こり得ないこととして扱うしかない。その辺り、明確に切り分け切り捨てられないようでは作戦立案など出来はしない。
しばらく考えてみても結論は出なかった。仕方が無いので、ジンは、ふむ、とひとつ頷いて参謀兼副官のシルビアを呼びつける。
「何か?」
怪訝そうに尋ねるシルビアに、自嘲気味の苦笑交じりでジンは答えた。
「理由も詳細もわからんが、イヤな気配がする。予感と言ってもいい。皆に、今回無理は慎むよう伝えてくれ」
直感と理屈が相反する答えを導き出したとき、ジンは概ね直感に頼ることにしている。今までそれで上手くやってきたし、上手くいくのならわざわざ改めることも無い。殊に今回の場合は、用心に用心を重ねるというだけのこと。一応の警告を出しておくだけでも、いざというときの動きに幾らか差は出る。
シルビアは、秀麗な眉に皺を寄せて、素直に頷いた。
「わかったわ。当たるものね、貴方の予感。クリスの隊はどうするの?通りの向こう側まで走ってる時間が無いけれど」
暗に無線機を使用してはどうか、と提案したシルビアに、ジンはかぶりを振った。
「必要無い。クリスは、理論は拙いが俺よりハナが利く。とっくに方針を転換しているさ」
こんなところで無線を傍受される危険を犯す必要は無い。通り向こうのクリスには配下指揮の全権を与えてあるのだし、全権を与えられたからには自分のケツは自分で拭け、というのがレジスタンスの流儀なのだから。
「それよりも」
と、ジンは思い付きを口にする。
「もう少し北に、幾つかポイントがあったな。そっちに移動しよう」
部下に注意を伝えに行こうと踵を返しかけていたシルビアの動きがピタリと止まる。
「……正気?ここが最高のポイントだと、昨夜の打ち合わせで合意したはずよ。それも、貴方の意見を中心に。何故、今更――」
掌でシルビアの言葉を制し、ジンはもう一度言った。
「北へ行こう」
自分の言葉に、ジンはようやく得心がいったように頷いた。
なるほど。あの胸騒ぎは、一手足りないが故の焦燥だったか。
いや、しかし――
まだ何かあるような気がする。
そんな気がしたので、ジンは『予感』を取り消すことはやめておいた。

Act4 "Trouble Shooter"

つまらなさそうに、D.B.は鼻を鳴らした。
デモ・パレードの行われている通りからは少し離れている。しかし、跨っているトライク(三輪バイク)の性能を持ってすれば、ものの数十秒で人の列に突っ込むことが可能だろう。彼の腕ならば、あるいは十秒かからないかもしれない。
そして、そうしなければならない事態が刻々と近付いていることを、D.B.は研ぎ澄まされたカンで察知していた。
ヘルメットのバイザー裏面に映し出されるいくつかの記号と数字は、防衛機動軍の動きを示している。おそらくは、レジスタンスも隠密裏に動いているのだろう。
「ターゲットの様子はどうよ、"フクロウ"ちゃん?」
冗談めかして無線機に呼びかける。ちなみに、一切の暗号化も傍受阻害もかけてはいない。どうせ、この状況で会話を拾われたところでさしたる問題はないのだから。
『先刻と変わらず。ブロック13のあたりで人の波に飲まれてるよ――ちょっと、哀れな犠牲者を踏み潰さなきゃならないかも』
無線越しに、若い女の声が返ってくる。D.B.は誰が見ているわけでもないのに、わざとらしく、困ったな、という顔をして見せる。
「気が重いねぇ。ま、脳味噌だけは踏み潰さねぇようにしないとな。あとは、そいつの財力次第だ」
ヒュウ、と口笛を鳴らして、"フクロウ"は応じた。
『デモなんかに参加するヤツらに、それを求めるぅ?』
「言うな、少女よ。おにーさんとて、ツライのだよ」
わざとらしく、よよよ、などと口に出して言うD.B.に、すかさず"フクロウ"がツッコミを入れる。
『ウソツキー。懐痛めるより胸痛めてる方が安くつくだけでしょ?だいたい、アンタもうおにーさんてぇよりオッサン』
「違いない」
クックッ、と喉を鳴らして、D.B.は笑みをもらした。まったく、顔を合わせたことも無いし本当に女か年下かもわからない相手だが、このネットダイバーは小気味が良い。
それに、有能でもある。彼女――正体不明だが、一応そう言っておこう――がどのような設備と立場で情報を流してくれているのかは知らないが、まずまず安い値段で飛び切りの仕事をしてくれる、いい仕事相手だ。問題は、どうも情報屋としてはモグリ臭いところなのだが……まあ、目をつぶろう。よりにもよって防衛機動軍の前線カメラからリアルタイムで情報を取ってきてくれるような命知らずは、少なくともD.B.は他に知らないのだから。
「ま、とにかく世話になったな。今回はここまででいいぜ」
『了解!じゃ、お仕事頑張ってね〜。私の口座に後金振り込むまででいいからさ』
「善処するよ、守銭奴ちゃん」
軽口を返しつつ、D.B.は武装トライクのカウルに固定されたカービンライフルに初弾を装填する。
コアポートにはスナイパーコアとアクションコア。ドラッグコアは、今回は必要あるまい。
左腰のシグ・ザウエルP226拳銃をホルスターの上から確認。使う可能性は低いが、右腰のコンバットナイフを一度鞘から引き抜き、すぐに戻す。
それから、奥の手。左腕サイバーアームに組み込んだ、コンシール・クラッシャー。強力無比のフィフティー・キャリバー弾がきっちり収まっていることを確認してカバーを戻す。こいつのおかげで、せっかくのサイバーアームも生身の手と変わらない程度の能力しか持っていない――精密作業に向かない分、生身以下か――のだが、コレの威力を知る身としては、ちょっと手放せない。
出撃前の儀式とも言うべき装備確認を終えたD.B.は、トライクのハンドルグリップをギュッと握り締めた。
――最初の銃声と共に動く。
それが、D.B.が下した判断。
そして、それは極めて正しい判断であり、行動であった。

Act5 "The Blood Parade"

最初の銃声は、北の方角、民衆の波の先頭付近から鳴り響いた。
あまりに軽い、乾いた音であった。
それに先立って、民衆の一部がストリート北に展開した防衛機動軍の新規編成部隊と一悶着起こしていた様子はあった。だが、それが銃撃に結び付くなどとは、多くの者は考えてもいなかった。
その多数派に属したミルフィード少尉は、続けて鳴り響いた連射音が僅かに途切れるまで、恐らく数秒かもっと短い間だけ、茫然自失の状態であった。思考活動を取り戻した瞬間、ミルフィードはCAMのヘルメットに内蔵されているヘッドセット・トランシーバーに向かって怒鳴り散らした。
「北部部隊!何をやっているか!」
あの連射音……サブマシンガンなどという生易しいものの音ではない。ライフル?いや、最も近いのは装輪装甲車のガトリングガンの音か。だが、北にいたのは歩兵分隊8名のはず。
ややあって、動揺と緊張に引き攣った声が帰ってくる。
『こちら北部、ガンドール隊。レイ・グーラン上級陸兵です。市民との間に行き違いが……』
「報告は後でいい!」
皆まで言わせず、ミルフィードは一喝した。
レイ・グーラン?オリンピア・シティとの和平交渉中に暗殺された、グーラン議員の忘れ形見だったか。リヒシュタインにスカウトされ、防衛機動軍に入隊したと聞いてはいたが……てっきり後方配置され政争の道具にでもされているものと思っていたが、前線配置されていたとは。
まあ、政治的アイドルがどこに配置されようが、ミルフィードの知ったことではない。それより、問題はレイ・グーランの声を聞く限り、丸っきり素人の反応を示していることだ。恐らく、行動にも期待は出来ないだろう。
「上級陸兵。とにかく市民を抑えろ。出来るだけ穏便に。これ以上の発砲は逆効果だ。控えろ。CAMの性能を活かしつつ漸次後退、友軍の到着を待て」
ゆっくりと、噛み砕くように、諭すように指示を与える。素人を怒鳴りつけても焦らせるばかりで効果は薄い。何を成すべきか、解きほぐすように説明してやる方がよほど効率がいい。
だが、北部に展開する部隊――ガンドール隊と言ったか――は、ミルフィードの指示に従うどころか逆に猛然と発砲を繰り返しているようだ。止まる気配は、無い。
苛立ちが、ミルフィードの声を荒げさせる。
「グーラン上級陸兵!何をやっているか!指示に従え!」
だが、返答は無い。
何が、起こったのか。
それすら理解できぬまま、ミルフィードもまた暴徒と化した市民の制圧・慰撫に奔走せざるを得ない状況に追い込まれる。
何故、こうなった。何故だ?
その思いが"赤き盾"と呼ばれる良将の精神を揺るがしていた。
だから、決して広くは無い脇道から踊り出た蒼いトライクが市民の列に突っ込むのを止め得なかったのかもしれない。

「どいた、どいたァッ!」
大声で、かつ実に品の無い表現で市民に退避を呼びかけつつ、D.B.はできるだけ慎重に市民の群れを掻き分けつつトライクを走らせた。慎重に、とは言ってもそうノロノロと這っているわけではない。周りにいるのは、暴徒だ。下手に同情心など持ちこもうものなら、逆に押しつぶされてしまう。
これまでのところ、十人以上を引っ掛け三人ばかり轢いた。まあ、つぶれたのは足とか腕とかだから、サイバーパーツを手配するカネさえ何とかなれば、そう不自由無く暮らせるだろう。それでも不満なら、これはもう、こんなバカげたデモに参加した自分の軽率さを呪ってもらうしかない。
「死にたくないなら、道空けな!こちとら曲芸運転は出来ねぇんだ!」
口上とは裏腹に、D.B.は巧みな操作で被害を最小限に抑えつつ目的地を目指す。抑えた被害が市民の側のものなのか、愛車のカウルの方なのかは、今ひとつ微妙だが。
無茶な運転を繰り返し、やっとの思いでD.B.は目的地に辿り着いた。
「よう、お嬢ちゃん。ワケあって迎えに来たぜ」
物騒極まりない武装トライクに跨った完全武装のトラブルシューターD.B.に気さくな調子で語り掛けられた少女は、呆然、という形容が実にしっくりくる面持ちで彼を眺め返した。
歳のころは十歳前後か。なるほど、写真で見た顔より少し成長しているようだが、面影は見間違いようもない。副脳にビデオコアを挿していれば実際目の中で比較してみることも可能なのだが、そこまでする必要性はないだろう。
グズグズしている暇は無い。元より、少女の意向など考慮するつもりも無い。
D.B.に求められているのは、この少女をレディとしてもてなすことではないのだから。
「つーわけで、乗りな」
などと言いつつ、D.B.は左手で少女を手繰り寄せ、自分の目の前、トライクの燃料タンクに押し付けるように乗せる。もっと大型のサイバーアームを取りつければ、ヒョイっと小脇に抱えて連れて行けるんだろうが。もっとも、大型のサイバーパーツはD.B.の美意識からは遠くかけ離れているので、今後とも装備の予定はない。
さすがに少女も幾らかの抵抗を見せるが、それはせいぜい一瞬のものでしかない。簡単に捻じ伏せられてしまい、不満気とも泣き出しそうとも取れる複雑な表情でD.B.を睨みつける。
睨みつけると言えば、先刻からD.B.に食って掛かっているご婦人が一人。D.B.は、面倒なので出来るだけ見なかったことにしようと努力したのだが、どうもそうはいかないらしい。
「その子を、クライをお離しなさい!あなたは、いったい何者ですッ!」
ギャンギャンうるさい、四十過ぎの女性だ。デモ行進に参加する者たちの中では、えらく身なりがいいので目立っている。
まあ、所謂この少女の保護者と言うヤツらしい。
彼女にD.B.の仕事とクライと呼ばれたこの少女の重要性、そしてそれがいかにD.B.の懐を潤してくれるのか、ということについて説明してもよかったのだが、面倒だったのでやめることにする。とはいえ、仮にも保護者に対して一言も無いというのも、あんまりというものだろう。
そこで、D.B.は、こう言った。
「まず要求への答え。クライノーワは離さない。それから質問への回答。1、仕事と金に誠実なトラシュータ、2、変質的誘拐犯、3、愛と正義のさすらい戦士。さあ、どれがいい?」
後半は保護者殿の感性に訴えかけることは出来なかったようだが、前半の方に彼女は言葉を失ってしまったようだった。
「あ、あなたは、クライの……?」
呆然とする保護者を尻目に、D.B.はトライクを急発進させた。周囲の暴徒がそろそろヤバ気な感じだったし、これ以上は保護者殿にリップサービスしてやる必要性も感じなかったからだ。
一応来た道を戻る形になるが、全く同じ道を辿るのも芸が無いので進む先は微妙にずらす。
最終的に目指す場所は、もっと先の方の、もっと別の場所である。

何が起こっているのか、わからなかった。
いや。
わかりたくないと思っていた。
レイ・クリスティーナ・クルステュア・グーランは、目の前で起こる惨事を呆然と眺めていた。
押し寄せる市民――暴徒の群れ。
それを、冷静に、効率良く、悉く、打ち倒す7人の同僚。
ミニガトリングガンを撃ち続けるリックス上級陸兵。
狙い済ました重ショットガンの一撃で数人ずつまとめて屠るレパード上級陸兵。
狂ったように、しかし正確に両腕の重層超硬張ブレードで死体の山を築くハシモト上級陸兵。
皆、何をしているのか――決まっている、交戦しているんだ。
戦いが始まった。そして、強化副脳は、この戦いを『勝てる戦い』と判断した。ならば、戦うべきである。
それが、ガンドールの判断基準。
戦闘固定型強化サイボーグ『ガンドール』。
両足に、もう痛覚は無い。代わりに現行あるあらゆるサイバーレッグに勝る強度と瞬発力・耐久性を持つか、人によっては凶悪無比な内蔵兵器が仕込まれている。
戦闘情報は、視覚を介在することなく光学センサーと副脳で処理される。取り返しのつかない数ミリ秒のタイムラグをおいて、結果だけが本来の脳に伝達される。後半は、あまり意味の無い機能だ。良心が痛むだけ。
腰から反動吸収用のサスペンション・バイポッドを伸ばしているのは、36mmツインキャノン装備のファルス上級陸兵か。
この力は――
キルナーク上級陸兵のトライ・アサルトが少年を肉塊に変える。
このために――
ルイス上級陸兵のソリッド・シューターから放たれたスラグ弾が、何人もの人間を紙のように貫通していく。
殺すために――
シメンス上級陸兵はPDWの連射を避けた。彼の腕なら、一撃必殺が可能だからだ。
何故、こんなことに――
重火器保持用に改造されたレイの右腕に、ガンドール装備最大口径の88mm短高射砲が揺れもせず握られている。さすがに、これを街中で撃つことは――撃つ事は……
知らず構えをとる右腕を、レイは弱々しくかぶりを振りつつゆっくりと下ろす。
強度問題で改造を見送られた瞳と、精密作業の為に残された利き腕だけが、微かに揺れ続けていた。
ガンドール。
遠からず『悪魔』の二つ名で呼ばれることになろう。
――こんなはずでは、なかった。
では、どうなるはずだったのか。
今のレイには、その問いに答えることも出来そうに無かった。

39番通り北、ブロック2。
大通りのすぐ隣にある小さな道で、ジンは市民と対峙していた。正確に言えば、市民の皮を被った人間の屑と、である。
市民の暴走が何故起こったか、その答えそのもの。つまり――
「さて、君には色々と訊きたいことがあるのだが」
スラリと淀み無く日本刀を引き抜きながら、ジンは目の前の男を改めて見据える。男の目は、屑特有の色をしている。己を高めるために他人を引き落とす以外の方法を考えきれない人間の目だ。
「か、勘弁してくれよ。こんなところに居ちゃ、アンタだって危ないんだろ?」
「何故、あのサイボーグ兵にわざわざ突っかかっていったのか」
問いつつも、問答無用の気迫で一歩を踏み出す。圧されるように、男は半歩身を引く。その先は、もうコンクリートの壁だ。
「そ、そりゃ、気に食わない軍のヤツらだった……」
「何故、見た通り凄まじい戦闘能力を誇るサイボーグ兵から逃れ得たのか」
更に一歩。もう一歩で、刃が届く。踏み出し、斬るだけでいい。一刀両断の距離だ。
「知るかよ。運が良かっただけだろっ!」
「最初、サイボーグ兵にナイフを突き立てたとき、どのような密談があったのか」
「な、何を」
ニヤリと笑うと、ジンは嘲るように注釈を加える。
「こと刃物の扱いに関して、俺の目を誤魔化せると思うなよ。フェイクとそうでないのと、見分けるのは造作も無い。アイコンタクトをとっているのを見破ったのはウチの参謀さ」
絶句し息を呑む男に、ジンは冷笑を浮かべた。
「まあ、そんなことは些細な問題だ。どうせ、狂言の目的も聞かされてはおらんのだろう?」
「へ、へへ。まあ、オレは下っ端だからな」
助かる目を見つけたと思ったのか、男は悪びれず下卑た笑いを浮かべる。だが、ジンの気には召さなかったらしく、ジンは不機嫌な表情で見据えて本題に入った。
「そこで、訊きたいことはひとつ、だ。誰に頼まれた?」
さすがに、この問いには男の顔も引き攣る。知らぬとは言えない。だが、答えても命は無い。
「……」
無言の男に、失笑すら漏らしつつジンが声をかける。
「リヒシュタイン」
男の表情に、変化はほとんど無かったはずだ。もっとも、ジンにはそれで十分だったが。
「当たりか。では、死ね。どうせヤツに殺られる身だろう」
「ま、待てっ……」
ヒュン、と風が鳴った。
"見えざる刃"の通り名に偽りは無い。
男は、死の瞬間そのことを悟った。
「よかったの、ジン?」
少し離れたところで事態を見守っていたシルビアが発した問いに、ジンは肩をすくめて答える。
「そこに転がっている屑に言った通りさ。今更何を調べても、大した埃は出てこんだろうしな。相手が特定できれば、それでいい」
「そう。なら、いいけれど」
「結局、俺は振り上げた刃を振り下ろす先が見つかれば、それでいいのかもしれないな」
自嘲気味のジンの言葉には答えず、シルビアは促した。
「引き上げましょう。最初に銃を撃った共謀者も探したいところだけれど、今日はもうタイムリミットよ」

裏通りを渡り歩き、どうにかスラム街へ辿りついた男は、ホッと一息ついた。
どうやら、仲間がレジスタンスに捕まったようだ。自分の情報が漏れないか気が気ではなかったが、だからと言って助けようなどとは思わない。それよりは、近隣のシティに逃げる手立てでも考えた方がマシだ。幸い、カネなら十分に払われるはずだ。捕まったマヌケが死んでいれば、実入りは多くなる。他数人居た仲間たちも、あるいは暴徒の波から抜けきれなかったか、あるいはやはりレジスタンスか事情を知らない一般軍人に射殺されでもしたか、今のところ戻ってくる様子は無い。
誰も戻らなければ、カネは総取りだ。そう思うと、知らず頬が緩む。
そんな調子だったからだろうか、男は背後から声が聞こえるまで、もう一人の男の存在に気付きもしなかった。
「やれやれ、"見えざる刃"も詰めが甘いねぇ」
わざとらしくそう言って、軽く笑みを浮かべる。
「あ、お前は……?」
「J7」
男の質問に簡潔に答え、J7はゆったりと銃を抜いた。H&K製USP拳銃。45口径オートの傑作だ。
「死にな。ダニはダニらしく、な」
止める間も、逃げる間も、命乞いする間すらない。何の気負いも躊躇いも無くトリガーが引き絞られ、当然の帰結として鉛弾が射出される。特に狙った風でもなかったのに、弾丸は自然と心臓に吸い込まれていった。
低い唸りを残して、男が倒れる。せめてもの良心のつもりか、J7は跪き男の瞼を閉じてやった。
「まあ、安心しな。金は俺が有意義に使ってやるさ」
立ち上がり、誰にとも無く呟く。
「これから先の仕事、金は腐るほど要るからな」

この出来事は『血の行進』として伝えられ、ブロッサム・シティと近隣の幾つかのシティを震撼させた。
公式に発表された死者の数は合わせて五千人以上。
事の始末を巡り、幾つかの新たな事件が引き起こされることになるのだが、それは別段に譲ろう。

Act6 "Corpolrte Thinking"

「そうか」
報告を終えた部下に、カール・ロハルト・クナップシュタインは背を向けた。そのままデスクから離れ、重層防弾ガラスが填められている窓辺へと歩み寄る。
「ついに、リヒシュタインが動いたか。さて、どう出る"見えざる刃"……」
テレビドラマの評論でもするような口調で呟くカール・ロハルトに、困惑したような声で部下が尋ねる。
「"子供"については、構わないのですか?」
カール・ロハルトは、何を言い出すのやら、とでも言いたげな惚けた表情を見せつつ振りかえり、どうでもよさそうに訊き返す。
「うん?ああ、トラブルシューターにさらわれたとかいう、哀れな少女のことかね?」
はい、と恐縮しつつ答える部下に、カール・ロハルトはニッコリと微笑んで答えた。
「構わんよ。今しばし、今生を楽しませてあげようじゃないか。そのぐらいの度量は見せないとね」
何事も時機というものがある。あの少女は、手の内にあればそれにこしたことはないが、今のところそう重要なカードではない。近いか遠いかはわからないが、とにかく未来の時点において、彼女の価値が確定してから手に入りさえすればそれでいい。
目下気にしなければならないのは、もっと別のことだ。
「それよりも、J7だ。どう動いている?」
幾分厳しい眼差しと声で尋ねるカール・ロハルトに、部下は精一杯動揺を隠す努力をしつつ答える。
「それが……一切不明です。さすがというか、完璧にこちらの目を逃れています」
それを聞いて、カール・ロハルトはパッと晴れやかな笑みを浮かべた。
「そうか。それなら、いい」
それでいい、J7。未だ会う事も無い、だがいつかは現れる者よ。
このクナップシュタイン財団を出し抜くほどの男でなければ、待つ身としてはあまりに甲斐が無いというものではないか。
「面白くなってきたじゃないか。色々と」
ついつい楽しそうな声で漏らすカール・ロハルトに、怪訝そうな顔の部下が尋ねる。
「色々と、ですか?」
今度は悪戯じみた笑みを浮かべ、カール・ロハルトは言った。
「そう、色々と、だ。まさか、これだけの騒ぎが単一の原因から起こっていると思うのかね、君は?」
私の主は、いったい何種類の笑顔を持っているのか。
いや、それよりも、いったい幾つの真実を捉えているのか。
クナップシュタイン財団に仕える男は、薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。

Act7 "Start The Game"

あなたは、目撃した。
街角で。
あるいは、少し離れた闇の中で。
そこに意思があったか否か、それは問題ではない。
問題となるのは、それがあなたに"死"をもたらしかねないという事実だ。

それを忘れていたとしても、目の前に立つ者の決して好意的ではない視線を見れば、抜き差しならない状況に置かれている事が嫌でもわかろうというものだ。
知らなくても良いことを知ってしまった者がどうなるか――この街に住む者なら、赤子でも知っている。
さて、どうするか――
幸い、まだ距離はある。
暢気に方策を吟味するような時間はないが。

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