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書きかけの歌

一生に、多分一度きりであろう高校の卒業式。
短い高校生活を締めくくる長い儀式が終わり、様々な表情の人々が会場である講堂から吐き出されている。
ぼんやりその様子を眺めていると、さすがに常ならず白衣を纏っていない草壁先生と視線が合った。
彼女は、しょうがないヤツ、とばかりに苦笑を噛み殺しつつ軽く俺に向けて手を振った。
俺は、それに応えて軽く一礼する。
――屋上からなので、その動作が見えたかどうか疑問だが。
「結局、間に合わなかったな」
ため息をつき、足元に広げていた五線紙ノートを拾い上げる。
腕に抱くのは、使い慣れたベースではなく未だ人前で弾く気にはなれないアコースティックギターだ。
上手く弾きこなせはしないが、音は出せる。作曲には、こいつの方がいい。
カチャリ、と校舎内に通じるドアが開く。
まあ、卒業式ともなればわざわざ屋上を懐かしみに来る暇人もいるだろうと思って片付け始めたのだから、そのこと自体には驚きはしなかった。
少々面食らったのは、そこに現れたのが意外な人物だったからだ。
「やっぱりここでしたか、先輩」
少しばかり口を尖らせて、天羽は俺を睨みつけた。
「いや、なに……」
視線を泳がせつつ言葉を探す俺に、天羽はいつも通りの凛とした声でピシャリと釘を刺す。
「言い訳なら聞きませんよ。卒業生在校生教員含めて、卒業式をサボったのは先輩だけです!」
いかにも天羽らしいその振舞いに苦笑しつつも、俺は早々に白旗を揚げることに決めた。一応、学生として芳しからぬことをしているという自覚も負い目もあったし、何よりも、こういうとき俺は天羽に勝てたためしが無いからだ。
「書きかけの歌が、な」
「歌?」
予想外の返答だったのだろう、虚を突かれた様子で鸚鵡返しにそう呟いてから、天羽は大仰にため息をつく。
「まさか、今更部活動ですか?」
「そんなとこかな」
あきれたように軽くこめかみを押さえ、天羽は俺に歩み寄る。
「それで、出来たんですか?」
「いいや」
肩をすくめて、俺は答えた。
「慣れないことは、するもんじゃない。こいつは、聴かせられたもんじゃないな」
「どんな曲です?」
悪戯っぽく、微笑を浮かべる天羽。
そうか。
こいつは、こういう顔もできたっけ。
「聴かせられん、と言ってるだろう? 未完成の歌なんざ、歌えるもんかよ」
「途中まででも、結構ですよ」
そんなことを言いながら、仕舞い込もうとしたアコギのネックを掴んで止める。
ああ、こりゃ頑固者モードだ。
こうなった天羽に逆らうのは、ちょいと得策ではない。
下手すりゃ、上岡たちまで呼び出しに行きかねんな。
最悪なのは、川鍋のヤローを連れてこられることだが。
あいつ、大学でも一緒だからな。
ご丁寧に、学部まで同じトコ受けやがって……
「他言無用だぞ」
やむを得ず、俺はギターを抱えた。
恥ずかしい思いをする相手は、一人で充分だ。
「ま、いいですけど」
楽しそうに言って、天羽は俺の隣に陣取る。
まともに聴くつもりなら座る位置が違うような気もするが、背を預ける場所が他にないんだからしょうがない。
それに、正面に居座られてもやりにくいこと極まりないので、敢えて指摘するのは避けておいた。
「書きかけの歌だからな。期待すんな」
気持ちを落ち着かせるように深く息を吐いて、付け加える。
「あと……慣れないラブソングだ。聴き流せ」
ゆっくりと頷く天羽を確認してから、俺は軽やかとは言い難い指使いで爪弾き始めた。