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災厄の標

中庭で、ようやく木立に寄り掛かり俯く天羽の姿を捉えた。
遠目にも悲嘆と寂寥を感じさせる様子に幾らかためらいを覚えるが、事情や経緯はどうあれ自分の蒔いた種だ、仕方ない。
軽く溜息をついて自分を落ち着かせてから、俺は天羽に向けて足を進めた。
もとより、俺にストーキングの技術なんてありはしない。
「!」
天羽はすぐに俺の存在に気付き、憎々しげに一瞥をくれて駆け出そうとする。
俺は、少しあきれた調子で言った。
「待て、とは言わん。お互い手間が増えるだけだが、お前さんが望むなら逃げればいい」
それで止まるもよし、止まらぬもよし、という程度の意識でかけた言葉。
天羽は、逡巡を窺わせながらも再び逃げ出すことより俺に向き直ることを選んだ。
その様子に、俺は少しだけ笑みを漏らす。
顔を見れば、天羽が踏み止まった理由が俺の話を聞くためというより俺と対決するためだと容易に理解できるが、交渉を先延べにして鬼ごっこを続けるよりは遥かにマシだ。
たとえ、彼女の瞳に覆い難く涙の跡があったとしても。
「すまんな。言い方に棘があった」
とりあえず軽く詫びを入れてみるが、天羽は憤懣を湛えた目で俺を睨みつけるだけ。
贔屓目かもしれないが、拗ねたようなその顔には普段のクールな素振りとはまた違った可愛らしさがある。
マジで美人だな、とか、俺はサドか?、とか、どうでもいいことを頭の片隅に浮かべながら、俺は次の言葉を捜した。
とはいえ、基本的に言うべきことは先刻言ってしまっている。本来なら、今は天羽が自ら思い、考えるべきターンだ。下手な慰め、それも傷付けた当の本人が言葉をかけるなど、傷口に塩を塗ることに等しい。
それでも放置するわけにはいかないのは、ひとえに天羽たちが置かれた異常な状況による。七角ペンダントの一件が――どれほど深刻なものか俺には実感が湧かないが――差し迫った問題としてある以上、時間が解決してくれる、などという悠長なことを言ってはいられない。少なくとも、天羽たちの騒ぎ振りや上岡の話からは、そのように感じられた。
「お前らのことを、俺はよく知らない。事情を聞いたからって、感情までわかるもんじゃない」
天羽と俺の性格を勘案すると、変に感情に訴えかけるより理性的に詰んでいった方がいいだろう。
俺は、手探りで言葉を選びながら続けようとする。
「認めなくていい。仮定してくれ。上岡たちとお前の立つ位置は違――」
「やめてください」
しかし、静かに、刺すような天羽の声に、俺の言葉は遮られた。
これ以上は堪え難い。そういうことだろう。
だが、俺はかぶりを振って食い下がった。
「やめて、どうする? ここで考えずに、どうする? 天羽、お前はどうするつもりなんだ?」
「もう、やめて! ただの、馬鹿げた嫉妬なんです!」
畳み掛ける俺に、天羽はヒステリックな声で応じる。
「あんまり二人の仲がいいから、妬いてるんです。だから、私が落ち着けば問題は終わり。さあ、これでいいですか? これだけ聞けば、満足!?」
普段のクールな態度を捨てて、金切り声を上げる天羽。言葉とは裏腹に、その様子は彼女が冷静とは程遠い精神状態にあることを雄弁に物語っている。
そんな単純な問題なわけあるか。
お互いの立つ場所が違う。それは、悲しいかな人が決して一様ではあり得ない以上避け難い事実だ。
それを認めた上で、自分以外の人間とどう付き合うか。その上で「仲間」であるために、お互いがどうあるべきか。
天羽は、その答えを自身に求めているのだろう。上岡たちの「仲間」であるために、ただただ自身を抑えることで彼らとの折り合いをつけようとしている。
俺には、それが必ずしも望ましいことには思えない。
上岡たちの、恐らく悪意の無い、むしろ善意に満ちた特別意識も気持ち悪いし、それを従容として受け入れようとしている天羽の言葉も気に食わなかった。
もっとも、上岡たちが特別である、ということを、完全に否定することはできない。あいつの説明を否定しようと思えば、不可思議な七角ペンダントを説明する代替案が必要になる。残念ながら、俺にはその合理的な説明を用意することができない。
それでも、思うのだ。
上岡進と星原百合が「特別な二人」であることを前提にした、いわば「従属的な仲間意識」などに囚われるのは愚かだ、と。
その思いを、どう説明したものか。
さすがに言葉に詰まる俺に一瞥をくれ、天羽が踵を返す。
やはり、時間が必要か。
そう思い溜息をついたが、次の瞬間に俺は、その時間があまりにも少なかったのだということを再確認することになる。
「!」
俺に背を向けた天羽が、絶句する。
夕闇の中、不意に浮かぶ煌き。
――七角ペンダント!
再び現れた、災厄の標。
なんてことだ。
状況は、やはり俺たちの混乱が収まるのを待っていてはくれなかったようだ。
紫の煌きが、薄闇を背に跳ねるのが見えた。
その先には、未だ固まっている天羽がいる。
「天羽!」
咄嗟に、手を伸ばした。
確かに、触れる感触。
――届いた!
しかし、体勢が悪い。
天羽の腕を掴むために、俺は致命的なまでに前のめりになってしまっていた。
その上、腕も腰も伸びきっている。
力任せに手繰り寄せても、間に合わないかもしれない。
酷く冷静にそんなことを考えるうちに、身体が勝手に動いた。
天羽を、半ば振り回すように弧を描いて体を入れ替える。
運動不足の割には、上出来だ。
これで、天羽への直撃は避けられる。
と、不意に身を襲う脱力感。
「!」
天羽は、声にならない悲鳴を上げた。
いや。
単純に、その音が俺にまで届かなかっただけなのかもしれない。
気付けば、俺の視界は淡い紫のフィルターに覆われ、そして、その色は急速に深みを増していった。