戻る

酷い、言葉

「それじゃあ、何か? そのトリスメギストスとかいう怪物が、まだ居なくなったわけじゃないということか」
全てを――少なくとも、上岡が語るつもりであろうことの全てを――聞き終えた俺は、苛立ちの残滓を混ぜつつあきれた声で言った。
荒唐無稽、としか表現のしようがない話なのだから当然だろう。
「トリスメギストスは、消えはしません」
静かに、星原が答える。上岡も、頷いて同意を示した。
「トリスメギストスは、今だっているはずですよ……僕の心の中に。それが、ひとつになるということです」
上岡たちの態度は、困ったことに酷く真面目で、とても嘘をついているようには見えない。
ならば、真実?
今のところ、それを否定できない。常識という枠を取り払えば。
俺は、とりあえず上岡の話を信用することにする。そうすれば、昨日来のこいつらの不審な態度の理由も理解できる。
七角ペンダントはトリスメギストスに繋がる、あるいは象徴するキー・アイテムであり、それが再び現れたということは、トリスメギストスの復活を意味しているのではないか、というのが連中の見解らしい。そうなると、余人を巻き込むのは極力避けたい、というのが彼らの意思だったのだろう。
ご立派なことだが、その考え方は俺にとって実に不快だ。
「なんて言うか、気持ち悪いな。それは、どうも人間的な考え方じゃない。強いて言うなら……そう、英雄的な考え方だ」
「英雄的?」
「そうさ」
俺は、無理に笑顔を作って続けた。少々引き攣った、歪んだ苦笑にしか見えなかっただろうが。
「上岡進が、世界を分かつ――それが英雄的でなくて、何だ? いっそ神話的と言ってもいいくらいだと思うが」
「僕は……」
「要するに、だ」
言葉を返そうとする上岡を手で制し、俺は続ける。
「上岡進、それから星原百合は、特別である、と。それを認めた上でなければ、お前さんの話は理解できない。天羽碧では駄目だし、もちろん俺でもいけない。上岡進、星原百合。二人だけが、この世界にとって特別でなければ筋が通らない、とは思わないか?」
「そんな!」
抗議の声を上げる星原に、俺は皮肉げに鼻を鳴らして応じた。
「では、例えば俺が上岡と、天羽が星原と、代わる事はできるのか? その辺、フレキシブルに変更が可能でないのなら、やはり人の世の道理からは外れようよ」
「先輩、そういう問題じゃないんです」
苦しげに言葉を返す上岡に、俺は軽く頷いてみせた。
「ああ、そうかもな。それでも俺は、上岡と星原が特別な存在であること、その可能性から目を背けることはできない。それを伏せているのも、賢明な判断だろうさ。こんな情報が一般に漏れたら、お前たちもお前たちと向き合う者も、甚だ困った状態に陥るだろうしな」
しかし、ああ、どうにも腹立たしい。
こんなことを認めるってことは、つまり、努力や心掛けでは決して越えることのできない壁の存在を肯定することだ。
そして、想いでは決して埋めることのできない深い溝があることを首肯することだ。
抑えることができず、俺は毒づいた。
「なるほどな。天羽が塞ぎ込んじまうのも無理ないってもんだ」
「どういう意味ですか? 私、別に塞ぎ込んでなんていません」
上岡が説明を始めて以来黙りこくっていた天羽が、気丈にも震える声で言葉を返す。
すまん、天羽。
俺は、所詮お前らより一年ばっかし長く生きてるってだけなんだ。
何もかもを丸く収めちまうような方法、俺には思いつかない。
「いいかげん、認めてしまえ」
俺にできることは、天羽に冷酷な事実を突き付ける、ただそれだけだった。
「お前は秘密を共有することで上岡たちと同じ場所に立ってると思っているんだろうが、そんなもん幻想以外の何物でもない。上岡と星原は、違うんだ。お前とは、決定的に。思い悩んだところで、その事実を覆すことはできない――対等には、なり得ない。決して」
「待ってください、先輩。僕たちは、天羽さんを除け者にするようなことは――」
慌てて割って入る上岡に視線を転じ、俺は意地悪く鼻で笑った。
「なら、いざって時は一緒に戦うか? 天羽を、トリスメギストスとやり合う場所に連れて行くか? 抜き差しならない状況で、お前たちが天羽に望むものは、何だ? さっき天羽がお前たちを必死で探していたのは何故だ?」
畳み掛けるように問えば、上岡は言葉を失い視線を逸らした。
やはり、な。
「そういうことだ」
俺は、たぶん、この瞬間、自分自身が世界中の誰よりも嫌いだ。
「能力の欠如。状況の特異性。友人への思いやり。幾らでも言い訳は利くだろう。でもな」
何故、傷付ける?
俺は何故、こうやって人を傷付けるために言葉を紡ぐんだ?
「詰まるところ、本当の理由はひとつ。関わらせたくないんだ、お前たちは。自分たちの深淵に、天羽が関わることをよしとはしないんだよ」
大馬鹿野郎の俺は、結局最後の一言を口にするまで止まれなかった。
「それが、仲間、か。お笑い種だな」
深い溜息をついてかぶりを振り、俺は天羽から視線をはずす。
上岡か、星原か、どちらでもいい、即座に反撃してきたのなら、まだもったかもしれない。
だが、現実にはそれはなく、震えながら肩を抱きどうにか堪えていた天羽は、それで崩れた。
「天羽さん!」
上岡が叫んでも、俺は天羽を顧みようとはしなかった。
ただ、駆け去る足音だけを耳に入れ、自分自身に対する苦々しい思いに唇を固く結ぶ。
「先輩」
咎めるというには落ち着いた、だが悲嘆の色に染め上げられた声で、星原が訊いた。
「なぜ、あんなことを……」
「必要だろう」
俺は、鼻を鳴らして答える。口調が小馬鹿にするようなものになってしまうのは、この際勘弁して欲しい。俺にだって、感情はある。
「今を、今までを大切にするのもいい。わざわざ波風立てて、これまでの関係をぶち壊すのは愚かしいかもしれん。だが、これからを思えば必要だろう? 延々欺瞞に彩られた友情を続けていくつもりだったんなら、余計なお世話だったろうが。ま、キツイ言い方になったのは、悪かったと思ってるよ」
憎たらしげに俺を一瞥し、上岡が星原に声をかけた。
「百合、天羽さんを追いかけよう!」
だが、魂を賭して愛する男の言葉に、星原は微かにかぶりを振る。
「それは、私たちの役目ではありません。少なくとも、今は」
そう言って、俺を見つめる星原。
彼女の伝えんとするところを了解した俺は、肩をすくめて踵を返した。どのみちそうするつもりだったのだから、別段不満は無い。
「待ちましょう、進さん。私たちは」
俺の言わんとするところを理解したらしい――もっとも、やり方が気に食わないのか、瞳には多分に非難の色が浮かんでいたが――星原と、彼女の思わぬ態度に困惑する上岡を置いて、俺は天羽の後を追った。