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想い、気付かされ

翌日。
だんだん通い慣れてきた――というのも、改めて考えてみれば妙な話だが――新聞部の部室前で、俺はぼんやりとしていた。
こんなところで時間を潰していたいわけでもないんだが、鍵が開いてないのだからしょうがない。
あと一歩で、復旧完了なんだがなぁ……どうして、ここにきて作業が遅々として進まないのやら。
そんな埒もないことを考えていると、背後から聞き慣れた声が聞こえた。
「おや? そんな所で、何してるんだい?」
振り向けば、えらく不思議そうに俺を眺めている川鍋。
俺がこんな待ちぼうけを喰らうハメになった遠因は、お前にあるんだがなぁ、川鍋?
「おう、ちょうど良かった。鍵開けてくんないか?」
ちと釈然としないものを感じつつも、割とソフトな口調で要請するが。
「鍵? 持ってないよ、僕は」
「おい」
少々大仰にこめかみを押さえて見せつつ、俺はお気楽な口調で返答してきた川鍋に苦言を呈する。
「お前なぁ、仮にもこの部の元部長で現最上級生だろ? 合鍵くらい、作ってないのか?」
ちなみに、合鍵作んのは、本来なら規則違反。部室の鍵は、顧問の先生のとこまで一々取りに行かなきゃならん規則になっている――が、生徒にとっても教師にとっても面倒なことこの上ないこの規則、一部の例外(たとえば劇薬を扱う化学部、酷く高価な天体望遠鏡を抱えてる天文部など)を除いては、ほぼ死文化していた。軽音部や新聞部にもそこそこ高価な機材はあるんだが、それらは大抵個人の所有物なので管理も個々人の判断で行われるという、実に合理的なシステムになっている。まあ、それでも空き巣なんかが入った日にゃ、何かと問題になるんだろうが。
で、大半の高校のご多分に漏れず、聖遼学園においても上級生というのは下級生に対して絶対的に優位な立場にあるのが普通。引退後も勝手に部室を使ってあれやこれやといらんことをする三年生なんざ、珍しいもんでもない。
ところが――
「いやぁ、引退するとき、お嬢に取り上げられちゃってさぁ……」
なんとも物悲しい内幕を、力無く吐き出してくれる新聞部元部長。
こいつが現役の頃の力関係も、漠然とわかるような気がする。
余計なことを言っては天羽にピシャリと言い負かされる川鍋――ああ、なんてリアリティ溢れる情景だろう。
俺は、少しばかり川鍋に同情したのだが。
「それより、我が新聞部に何の用だい? さすがに、今から入部ってわけでもないだろう?」
んなトボケタことを言って下さるお方には、同情の余地など無いとすぐに思い直す。
「お・ま・え・が・な・? パ・ソ・ケ・を・な・? な・お・せ・と・な・?」
にこやかに、ゆっくりと、首絞めながら、俺は噛み砕くように解説を加えた。
ちなみに「?」は「覚えてるよなぁ、あぁん?」の略である。
「ぎ、ギブ! ギブ! 思い出した! 悪かったからっ!」
懇願する川鍋を――ホントに死なれても俺が困るから――放り出し、俺は深々と溜息をついた。
「ったく。お前、天羽の爪の垢でも煎じて飲んだらどうだ?」
「やめとく。お嬢に『爪の垢おくれ』とか言ってヘンタイ扱いされるのは、ちょっと堪えそうだし」
若干咳き込みながら、そう答える川鍋。
ああ、そりゃ確かに堪えそうだ。
「んで、上岡君たち、今日はまだなの?」
気を取り直して訊いてくる川鍋――相変わらず、打たれ弱い割に復活の早いやつだ――に、俺は肩をすくめて見せた。
「見ての通り、待ちぼうけだよ。もっとも、最初から約束なんざしてないが」
「その行き当たりばったりなところ、相変わらずだねぇ」
「お前にだけは言われたくないぞ、それ」
とはいえ、三年の間では『脊髄反射コンビ理屈系』とか陰口叩かれてるのは、公然の秘密ではある。
「それじゃ、今日は来ないのかもしれないねぇ。取材とかかもしれないし」
ふむ。言われてみれば。
天羽たちも、別に毎日毎晩部活に勤しんでるわけでもないだろう。
俺だって、コンサート前一月を別にすれば、ほとんど開店休業状態だしな。
「やれやれ。無駄足か」
「まったくだねぇ。残念、残念」
同情する振りをして俺をからかっているのか、などと一瞬思ったが、そう言う川鍋の様子は明らかに落胆を示していた。
「なんだ、お前も天羽たちに何か用だったのか?」
「お嬢っていうか、どっちかというと上岡君にだけどね。たぶん、お嬢は取り合ってくれないだろうし」
「察するに、阿呆なネタだな?」
「酷い言い方だなぁ。最新の噂に関する調査記事の提案だよ。これでも、真面目に考えてるんだけどなぁ……」
さも心外そうに言う川鍋に、俺は大仰に天を仰いで見せた。上には天井しかないけど。
「天羽に却下されそう、ってあたりで、程度が知れてるってもんだろ?」
「なんだい、さっきからお嬢、お嬢って。言っとくけどね、部長は上岡君で、僕は元部長なんだよ。どうして、お嬢を新聞部の基準にされなきゃならないんだい?」
その言葉に、俺は少しだけ、ドキリ、とした。
言われるまで気付かなかったが、俺はあの下級生たちを見るときに自然と天羽を中心に捉えている。
どうも、やばい。
いつの間にやら、俺は酷く惹かれている。
興味を、なのか、あるいは――
「そ、そりゃ、神輿よりは実権握ってる人間を基準にするに決まってるだろ」
はぐらかしてみるが、川鍋は僅かな間と動揺を見逃してはくれなかった。まったく、こういうときだけ妙に鋭いやつだ。
「なるほどねぇ……」
嫌らしく顔を歪めた川鍋が、実に不愉快なからかい口調で言った。
「いやいや、パソコンの修理ごときにえらく時間をかけてるもんだと、不思議には思ってたんだけどねぇ。お嬢は、見ての通り気難しいよ。性格の問題が無きゃ、一級品の美少女だってのは認めるけどねぇ」
ああ、もう。なんてこったい。
こうなると、俺も余裕かまして表情を取り繕ってはいられない。
頬を引きつらせて川鍋に詰めより、強引に話題の転換を迫る。
「で、川鍋。いったい『上岡に』何の話だったんだ?」
「またまたぁ。君の瞳にはっ!」
口で言っても止まりそうに無かったんで、俺はボディ・ランゲージに訴えることにした。
川鍋のヤローがよく動く口を止めた原因は、思いっきり踏みつけた爪先の痛みによるものか、体当たり気味に叩き込んだ腹への一撃によるものか、右手で締め上げたネクタイが酷くきつかったからなのか、判然としなかったが。
こいつとの付き合いは長いが、ここまでやらにゃならんほど劣勢に立たされたことは数えるほどしかないぞ。
「ぼ、暴力、反対……」
呻く川鍋に、俺は再度問い掛ける。
「で、何の話だったんだ?」
川鍋は、この期に及んでなおも俺をからかうネタに未練がある素振りだったが、物理的な圧力と視線に圧されたのだろう、しぶしぶ俺の提案に乗った。
「わかったよ、もう。聞いたことないかな? 七角ペンダントの話」