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思いを言葉にすることは

「ところで、上岡は? 天羽がアイツを待ってるってのは本当なんだが」
喜ぶようなことではないが、珍しく俺の嫌味が功を奏したらしく困惑を基本とした複雑な表情で黙り込んだ星原に、俺はそう言って話題の変更を持ちかけた。俺の方は、天羽と話すにしても急ぎというわけでも是非ともというわけでもないが、わざわざ話があるとか告げているのならば上岡の話は相応に重要なことなのかもしれない。少なくとも、そう捉えているからこそ天羽は部室で暇を持て余しているのだろうし。
星原は、軽く首を傾げて答える。
「わかりません。放課後は、図書室に用があったので」
「ほう。じゃ、行き違ったのかねぇ?」
「そうかもしれません。私のクラスは、少し早めにホームルームが終わりましたから」
「ま、そういうこともあるか。別に彼氏に縄つけて飼ってるわけでもないだろうしな」
表現がお気に召さないのか、再び複雑な表情で口をつぐむ星原。
本当に、喜ぶべきことではないんだが、ここ最近やり込められていた相手に一矢報いたような感じで悪くない。
「先輩は、またパソコンの修理ですか?」
幾分棘のある調子で、星原が尋ねてくる。
割と根に持つタイプかも。
「仕上げってとこだな。今日中には終わるよ」
答えながら、パックのグレープジュースを買う。いつもはコーヒーかカフェオレなんだが、天羽のコーヒーを断った手前、別の系統のものの方がいいような気がしたからだ。
「では、部室まで御一緒しましょうか」
意外な星原の申し出に、少しだけ動作が止まる。いや、どうせ星原も新聞部に行くんだろうし、並んで歩くのも不思議ではないが。
行き掛かり上、星原にはあまりよい印象を抱いていなかったし、向こうもそうだろうと思っていた。一緒に行くことになるにしてもお互い黙っているか、下手をすれば俺を置いてさっさと行ってしまうんじゃないか。そんな気がしていたんだが。
「まあ、行き先は一緒だからな」
とりあえずそう答え、並んで歩き出す。
何か、不思議な感じだった。
そもそも、星原自体が不思議な感じのする女の子だ。お嬢様然として気軽に付き合えるような雰囲気ではなく、口を開けば謎掛けみたいな問答ばかり。こいつがファッションだとかアイドルだとかの話に興じている姿は、ちょっと想像がつかない。
天羽にもそういった傾向はあるが、方向性としては正反対とまでは言わないまでも90度ぐらい違う。天羽の場合は理が勝ってるというか、奇妙に理屈っぽいところがあって、それは俺の傾向とも一致してる。だから天羽と話すのは苦痛ではないし、軽口で時間を潰すのにだってそれほどの労力を必要とはしない。
星原の場合は、観念的で哲学的。なんだか、何の気無い会話ひとつ取ってもこちらの性根に探りを入れられているような居心地の悪さを感じてしまう。
ウマが合うとか合わないとか、そういうレベルの問題じゃない。
星原には、何か俺からは隔絶したものを感じる。はっきりとは言えないが、やはり俺を拒んでいるような印象を受けるのだ。
それでいて、ああだこうだと禅問答を強要されるわけだから、そりゃ苦手意識のひとつも持とうというもの。
その星原と、僅かな距離とはいえ二人並んで歩いているのだ。不思議な感じがしても当然かもしれない。
「あの……」
詮の無いことに思いを馳せていると、遠慮がちに星原が口を開いた。
「すみません。色々と勝手を言って」
ぎょっとして、俺は星原に視線を向ける。
彼女はスッと前を見据えたままで、こちらを視界に入れようとはしていないようだった。
「はぁ?」
間抜けにも、そう声が漏れる。
意外だ。
星原が詫び言を、しかもこんなに唐突に言ってくるなんて。
こいつは、何か得体の知れない確固たる信念を持っていて、俺がそれを理解できないことを咎めているか、少なくとも不快に感じてるとばかり思っていたんだが。
しかし、続く言葉を聞いて、俺はあっさりと自分の考えが間違っていたことを悟らされた。
「いつも、奥歯にものの詰まったような言い方をしてしまって。先輩には、今のところあまり関係ないことなのに。ですが、私もどう表現すれば上手く伝わるのか、考えあぐねてあのような物言いになってしまっているんです。それで、さぞ不愉快な思いをされているのではないかと……」
ようやく、わかった。
星原は、何も韜晦するためにいちいち難しい言い回しや不明瞭な言葉を選んでいるわけじゃない。
単純に、上手く説明できないだけだ。自分の思いを、可能な限り正確に相手に伝えたいと願い、それが直接的な物言いでは表現できなかったり、あるいは誤解を招く可能性が高いことを知っている。だから、あえてあんな小難しい言い方になってしまうのだ。彼女の知る言葉で、出来る限り生のままの自分の思いを表現しようとするから。
人間の思いなんて、本来ズバリと一言で言い表せるような代物じゃない。だからこそ、文学だとか、音楽だとか、絵画だとか、そんな芸術に類する表現が残っているんだ。
星原は、自分の思いを誠実に伝えようとしていただけに過ぎない。そう考えれば、彼女がこうも真摯でありながら、いつももって回ったような文言で俺を惑わせていたことにも説明がつく。
「ははっ、なるほど」
思わず、おれは吹き出してしまった。
ネタが割れてみれば、なんてあっけない。
「はい?」
不思議そうな顔で、さすがに俺に顔を向ける星原に、俺は自然に微笑みながら軽くかぶりを振る。
「何でも無い。自分の鈍さが笑えてきただけだ」
「はぁ……」
首をひねる星原にもう一度笑いかけ、俺はサッサと歩き出した。
どうも、今の俺の思いを言葉にするのも、ちょっと難しそうだ。