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想いは呪い、言葉は魔術

ワープロ、表計算、スケジュール管理などが統合された添付品のオフィスソフトのインストーラを起動してから、待ち時間を利用してジュースの自販機へと向かっていた。
コーヒーを淹れましょうか、という天羽の言葉は丁重に辞退した。何となく、彼女とまともに話すような時間を持てば、余計なことを思い出し詰まらないことを口走りそうだったから。
だが、階段を降り一階の廊下に出たところで、俺は自分の行動を少しばかり呪わしく思った。そして、よせばいいのに、つい一言漏らしてしまった。
「星原……」
呟きを聞きとめたのだろう、星原がこちらを振り返り静かに会釈する。
「あれから碧ちゃんとは……」
「会ったが何もしていない。お前さんが期待するようなことはね」
意識するまでもなく、つっけんどんな物言いになってしまう。たぶん、自分でも嫌になるほど不愉快な顔をしているはずだ。
星原は、案の定表情を曇らせた。もっとも、ある程度は予期していたことなのか、酷く落ち込んだ様子は無い。
放っておけば、また昨日した禅問答の続きをやらされるのだろう。
そう思えたので、俺は少々わざとらしく切り出した。
「それよりも、お前さんの彼氏はどうした? 彼女に話があるのは、彼の方だと聞いてるんだが」
「進さん、ですか?」
俺は、不思議そうな顔をする星原に頷いてみせる。
「ああ。天羽に話があるとか言っていたらしいが」
そう言ってから、俺は星原に話のペースを持っていかれないよう、先手を打って続けた。
「出来のいい彼氏が、お前さんの意思を汲んでくれてるんじゃないのか?」
冗談めかしつつも言外に、俺に話を振るな、と釘を刺したつもりだったが、どうやら失策だったようだ。
星原は、ある種の迫力を感じるほど真剣な眼差しで俺を見据えて断言した。
「進さんでは、駄目ではないでしょうか」
「なぜ? 少なくとも俺よりは、天羽との付き合いは長いはずだろう。それは、星原、お前さんにも言えることだが」
ごく当然の正論を吐いたつもりだが、星原はきっぱりとかぶりを振る。
「共有した時間が、枷になることもあるのではないでしょうか? 想いは時として、呪いに通じることがあります」
真面目な顔をして、そんな突拍子も無いことを言い出すものだから、俺は思わず軽く噴き出してしまう。
「おいおい。そりゃまた物騒な話だな。お前らの恋の鞘当に巻き込まれるのはゴメンだぜ」
おどけた調子で言いつつ、俺は肩をすくめる。
星原は、しかし、昨日と、そして直前までと変わらない酷く真剣な表情で応じた。
「そうではありません……そういった問題なら、おっしゃる通り先輩にどうこうして頂くようなお話ではないと思います」
冗談を言っているようには見えないし、聞こえない。
正直、星原の言い分は一方的で、その上身勝手なように思える。
だが、一方で彼女は驚嘆に値するほど真摯で、一途だ。
だからこそ、結局折れずにはいられないのだろう。俺は。
「いったい、何が言いたいんだ? せめて、もう少し具体的に話してくれないと、な」
真面目に話を聞くつもりは無い、という状態から一歩譲歩し、とりあえず話を聞こうという態勢に入った俺に、星原は少し困ったような表情を浮かべ、申し訳無さそうに言った。
「言葉は、それそのものがひとつの魔術のようなものです。求めるものに応じて、無限に変化する……私は、一番良いと思う言葉を選んでいるつもりなのです」
さすがに、俺はため息をつく。相変わらずの、禅問答状態だ。
「参ったな。俺には、君の目的が俺を煙に巻くことなんじゃないかとすら思えちまう。そんなに、俺を悩ませたいのか?」
「すみません。ですが――」
「もういい」
俺は、星原の言葉を遮った。
「要するに、俺は天羽にこう言えばいいわけだ――元気を出しな、君は独りじゃないってね。三十分で書かれた安っぽいドラマの台本にでも載っていそうなハズい台詞ってのがなんだが、それで万事解決なんだろう?」
少々ふざけた調子で言う俺に、星原は困ったような呆れたような微妙な表情で注文を付ける。
「あの……先輩には、先輩の言葉があるはずです。変に他人の言葉で飾るよりも、先輩自身の想いをそのまま言ってもらえる方が良いと思います。特に、照れ隠しにおどけてみせるよりは」
「……まるで、天羽に告白でもしてこいって言われてるような気がするのは、俺だけか?」
大仰に頭を抱える仕草を見せつつ嘆息する俺。
星原は、漸く自分の発言が他人に与えている印象について思い至ったようで、少し赤くなりながら慌てて注釈を入れた。
「そ、そういう意味ではありません。ただ、不思議なことを不思議だと感じ、悲しいことを悲しいと、嬉しいことを嬉しいと思う、率直な言葉があるはずだ、と。韜晦も諧謔も、この際は邪魔にこそなれ良いようには働かないのではないかと、そう言いたいのです」
「言葉は魔術、か」
俺は、せいぜい恨めしそうに聞こえるであろう声で言った。
「なるほど、確かにお前さんは魔法を心得てるみたいだ。人を顎で使えるんだからな」