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言えないこと、伝えたいこと

「よう。今日も一人か?」
今日も今日とて軽口を叩きながら現れた俺に、天羽は平然と切り返してきた。
「はい。とりあえず馬に蹴られることはなさそうです」
「そいつは結構」
軽く肩をすくめて、俺はパソコンの前に歩みを進める。
正直、天羽しかいないのはホッとするようでもあり、気まずくもあった。
前者は、とりあえず星原と顔をあわせずに済むから。
後者は、昨日の星原の言葉が引っ掛かっているから。
結局どちらも星原がらみだ。あのお嬢様然とした下級生に、恨み言のひとつでも言いたいところではある。
まあ、うだうだ考えていても埒があかない。
俺はパソコンの電源を入れ、起動を待った。
ディスプレイのドライバと電源管理のソフト、それからプリンタドライバ、ワープロソフト、表計算ソフトにスケジュール管理ソフトをインストールすればシステム復旧作業完了。元のHDDからデータをコピーしてやれば、基本的に作業は終わる。
まあ、あと幾つか手は加えるつもりだったが、いずれにせよ今日中に何とかできる範囲だ。
それで、俺はもうここに足を運ぶ必要も無くなるはずだった。
「そういえば、先輩」
「ん?」
不意にかけられた天羽の声に、俺はブート画面を眺めたまま気の無い素振りで返事をする。
正直言って、昨日から今朝にかけて彼女以外の人間と交わした彼女に関する話題が尾を引いている。
努めて意識しないようにしているつもりだが、それですら稚気というべきだろう。
「上岡君を見かけませんでしたか?」
「いや、見てないが」
なぜそんなことを訊くのだろう、と思いはしたが、とりあえず正直に答えておく。
「そうですか。何か話があるようなことを言ってたんですけど」
ため息混じりにそう言って、トントンとノートやら書類やらをまとめる天羽がモニターの反射の中にいる。
「ま、そのうち来るんじゃないのか?話があるってんなら」
「教室を出たのは、上岡君の方が先だったんですけど」
お気楽な俺の言葉にそう応じ、ため息ひとつ。
原稿を書くわけでも無し、資料を整理するわけでも無し、モニターに映る天羽は所在なげに頬杖をついていた。
どうにも、手持ち無沙汰というところらしい。
と、OSが起動し、途端にモニターは安っぽい色調で満たされる。
こうなると、最早モニターの反射で天羽の様子を窺い知ることは難しい。
「星原のところにでも寄ってるんじゃねーのか?」
極力軽い口調で言いつつ、ディスク要求に従い今朝方草壁先生の端末からドライバをコピーしたFDを挿入する。
と、俺は自分の言葉に、はた、と気付くものがあって眉を寄せた。
「さっきの言いようだと、上岡とは同じクラスなのか?」
半分だけ天羽の方に向き直りつつ、そう尋ねてみる。
「ええ、そうですよ。百合はA組ですけど」
「クラスが同じなら、教室で用件を言ってもよさそうなもんだがなぁ?」
特に意味のある台詞じゃない。ごくごく単純に、思ったままが口をついて出ただけの言葉だ。
だが天羽は、一呼吸分だけ間を置いて、少し抑えた声で訊き返してきた。
「先輩も、そう思います?」
ジッとこちらを見つめる視線は真剣そのものだ。
「私も、何か変だとは思ったんですけど」
「うん、まあ、そうだな……俺なら、そう思う」
予想外の天羽の反応に、俺は少々言葉を選びながら答えた。
「話の内容にもよるがな。あんまり他人に聞かせたくない内容だったとか?」
「さあ……?それはわかりませんけど」
幾らか不快そうに口を尖らせる天羽。
機嫌を損ねてしまったかと思い、俺はわずかに視線を背けながらとりあえず軽く詫びておく。
「悪い。詮索するつもりはない」
僅かに俯いて、呟くように天羽は応じる。
「……別に。謝られるようなことじゃありません」
その表情に、俺は奇妙な違和感を覚えた。