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天羽の憂鬱

ピシャリ。
星原が会釈と共に扉を閉じてから、俺は首筋を掻きつつ言った。
「別に、追い出さなくてもよかったのにな」
精密作業をするというわけじゃない。難解な設定をするわけでもない。
これから控えている作業は、どちらかといえば単純作業に属するものだ。
上岡たちに席を外してもらう必要なんざ無いんだが。
そんな考えから単純に漏らした俺の言葉に、天羽は、ふぅ、と溜息をついて肩をすくめる。
「二組のカップルにあてられるのも嫌じゃないですか」
サラリと流すように言ったつもりだろうが、天羽の台詞には一種の違和感があった。
それは、昨日も感じたもの。
寂寥感、と言ってよいものか。
ただ、それは今しがた出ていった二組のカップルを羨むとか、妬むとかいうものとは少し違うように感じる。
一人身を嘆く、というのとは少し違う感触。
だいたい、天羽ほどの美少女であれば、その気になればいくらでも相手を探せるだろう。それが、彼女の御眼鏡に叶うか否かは別として。
まあ、あれこれ詮索しても仕方ない。
そう思うことにして、俺は再びパソコンと向き合った。
「特に気にもならんがね。学祭からこっち、にわかカップルはあちこちに増殖してるし」
これはまあ、毎年のことだ。
文化部に力を入れているからか、聖遼学園の学園祭には他校に比べ妙な盛り上がりがある。
その興奮の中で誕生する即席カップルは例年後を絶たない。
ま、えてしてそういうのは長続きしないもんだが。
「そういうのとは違いますよ・・・・上岡君と百合は」
またまた寂しげな天羽の呟きに、俺は肩をすくめる。
「ほう。それじゃ、長いのかい、あの二人?」
何の気なしに応じた台詞に、天羽は腰に手を当ててピシャリと言い返してきた。
「先輩には関係ないと思いますけど?」
「違いない」
俺は、もう一度肩をすくめて、そう答える。
確かに、他人様の惚れたはれたに首を突っ込むのはいい趣味ではないし、そもそもそんなことを詮索するほど俺たちは親しいわけでもない。袖ふり合うも多生の縁、とは言うが、頼まれもしないのにプライベートな問題に口を出すような仲ではないのだ。
OSのインストールCD−ROMをトレイに放り込み、何度かキーボードを叩く。
HDDの精査。インストールファイルのコピー。
じわじわと、静かな時間が流れていく。
古い機体は、この待ち時間が結構長いんだよな・・・・
「・・・・長いですよ」
と、天羽がポツリと呟いた。
「ん?」
不意を突かれ、俺は何ともマヌケな声で応答してしまう。
天羽は、長机に向かい何かの資料に目を落としたままの姿勢で、感情を抑えた調子で言葉を紡ぐ。
「長いですよ、あの二人。正式に付き合い始めたのは、今年の学園祭の前ぐらいからですけど。惹かれ合ってからは、本当に長いです」
淡々と事実だけを述べたてるような口調。
それがかえって、天羽の憂鬱を吐露しているように思えてならない。
横恋慕?
いや、違うな。
それならば、赤の他人に程近い俺がその問題に触れるのを許しはしないだろう。
諦念?
それも違う。
惜別を感じさせるような思いは、その言葉からは感じ取れない。
では、何が?
埒もないことに思いを馳せているうちに、モニター上にはユーザーエントリーを促すメッセージが表示されていた。
結局、俺は天羽に返す言葉を見つけられないまま、別の事を尋ねた。
「ユーザーは、誰にしとく?」
「川鍋先輩のものですから、川鍋先輩でいいんじゃないですか?」
何を言い出すのやら、といった風情でそう返してくる天羽に、俺は苦笑気味に応じる。
「ろくすっぽ使いこなせんヤツに、ユーザー名乗る資格なんざ無い。まあ、法的には別の見解も成り立つんだろうが」
「ひどい御意見ですね」
失笑気味に、天羽はクスリと笑みを漏らした。
その様子に、俺は他の何よりも、痛みを感じる。
「まあ、どのみち川鍋も今更コイツを持って帰ろうなんて気は無いだろうしな。だったら、新聞部とでも名前を入れといた方が、事実に則してるってもんだ」
出来るだけ軽口を装ってそう答えつつも、俺の意識は天羽に対する疑問に半ば支配されていた。
「それは、実際川鍋先輩に確認しないと、何とも言えないんじゃないですか?」
困っているやら、呆れているやら、という雰囲気でそう切り返す天羽。
俺は、少々芝居がかった苦笑いを浮かべつつ、確信をもって答える。
「いや、断言できるね。アイツとは付き合い長いからな、性格は熟知してる」
さて、呆れられるか、笑われるか。あるいは、いいかげんだと怒られるのか。
だが、天羽の反応は俺には予想外のものだった。
「そう、ですか・・・・」
表情を曇らせて、天羽は力無くそう答えた。
その素振りに、俺の頭は混乱の度合いを深める。
いったい、彼女は、天羽碧は、何を思ってそんな痛ましい顔をするのか。
「先輩がそう言うなら、そうなんでしょうね」
天羽は、一転して、やれやれ、しょうがないな、とでも言いたげな様子で軽く溜息をつく。
俺には、その表情が今では天羽が被っている仮面のひとつにしか見えない。
「まあ、文句が来たら俺がいなしておくさ」
俺はといえば、やはり軽薄な仮面を被ってそう言うことしか出来なかった。
これでは、たとえ天羽が俺の思うように本心を隠しているのだとしても、彼女のことを四の五の言えるような資格はないだろう。
頭ではあれこれと余計なことを考えつつも、指先はごく自然にキーボードを叩く。
ユーザーネームに『新聞部』と入力し、各種設定画面に移る。
後は、インストールCDが勝手に作業を進めてくれるはずだ。その作業とて、ものの十数分しかかからない。
「さて、今日のところはこの辺でタイムオーバーだな。続きは、明日でいいかい?」
ゴチャゴチャした小物を片付けつつ、俺はそう問い掛ける。
「私は、構いませんけど・・・・いいんですか、こんなに毎日来ていただいて?」
申し訳なさそうに訊き返してくる天羽に、俺は作り物ではない笑みを浮かべて答えた。
「構わんさ。別に、真面目にバンドマンしてるわけでもねーしな。今更受験勉強ってガラでもなし。正直言って、暇は持て余し気味だから、かえっていい暇つぶしになる」
言い訳、だろうな。
俺は、自分のハラの中の冷静な部分で、自分自身の言葉をそう評していた。
天羽が、気にかかる。
天羽自身が、なのか、天羽の態度が、なのか、あるいは、天羽の態度の裏にあるものが、なのかはわからないが。
ともかくも、俺は天羽が気がかりでならない。
その本心を隠すための言い訳だろう。
自分自身に軽い嫌悪感を覚えつつ、俺はCD−ROMをケースに仕舞い込んだ。