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陸上カップル

「こんにちわ、先輩。どうです、作業の方は?」
奥へと足を運びつつ問いかける上岡に、俺は苦笑混じりに答えた。
「イマイチってとこか。横道が多いもんでな」
「あ・・・・すみません。ついつい余計なことを訊いてしまって」
俺と上岡の会話を耳にしてそう恐縮する天羽に、俺は軽く肩をすくめてかぶりを振る。
「別にいいさ。一々答える俺も俺だしな」
「ほう」
井之上が、当の本人を目の前にしてズケズケと芳しくない方向性の感想を述べた。
「虫の次はパソコンか。お嬢もよくよく可愛げの無いもんに興味が・・・・っ!」
そこまで喋ったところで、井之上の表情が突然苦痛に歪んだ。見れば、右足の甲を東由利に思いっきり踏みつけられている。
こりゃ、痛そうだ。
「ごめんね〜、天羽さん。武士がヘンなこと言っちゃって」
少々口の端を引きつらせながらも、東由利は笑顔を作って天羽に詫びる。
ちなみに、その左踵は井之上の右足にグリグリと押しつけられたままだ。
「い、いいのよ、東由利さん。あ、でも私『お嬢』じゃなくて天羽だから、その辺は言い含めておいてね」
これまた引きつった笑顔の天羽が、せいぜいにこやかな感じを装ってそう応じた。
「うん、わかってる。じゃ」
「お、おい、鼓。痛いって・・・・」
情けない響きで発せられた井之上の抗議は功を奏さなかったようで、東由利は彼の耳を無造作に掴んでズンズンと奥へ引っ張っていく。
「うるさい。さっさと取材を受けるわよ」
「か、上岡ぁ〜」
救助を求める井之上に、上岡は笑いを堪えつつ答えた。
「まあ、今のはお前が悪いかな?」
「くぅ〜っ、友達がいの無いヤツ!」
「間違いを正してやるのも、友達ってもんだよ」
半ば漫才じみた遣り取りを眺めつつ、ふと、俺は気になったことを訊いた。
「そういえば、取材はまだだったのか?授業が終わってからずいぶん時間が経っているはずだが」
「井之上たちの部活が終わるのを待ってましたから」
上岡は、カメラバッグを軽く叩きながら続ける。
「それまでは、写真を撮らせてもらってたんですよ。僕は、こっちが専門ですし」
なるほど、インタビューはこれからということか。新聞部というのも、意外に段取りが面倒なもんなんだな。
「しかし、現部長が写真専門というのも、何だかな」
苦笑混じりに素直な感想を漏らすと、つられたように上岡も困ったような笑みを浮かべた。
「まあ、僕は元々写真部でしたし。二年に上がる時に、スカウトされたんですよ」
「スカウトねぇ」
そう言えば、川鍋から聞いたことがあるような気もする。
いくら文化部に鷹揚な聖遼学園とはいえ、部活動を維持するには相応の部員数と実績が必要だ。
部員数の方は、まあ幽霊部員でも頭数さえ揃えれば問題ないんだが、実績の方は幽霊部員では如何ともし難い。
実績といっても、何かの賞を取るとかいう類のものではなく、要するに「キチンと活動してます」ということが証明できればよいのだが。
俺が属する軽音部なんかだと、定期的に演奏会だのライブだのを開いておけば問題ない。その活動だって、部員が属するバンドが勝手にライブやってるのを「部活動だ」と言い張ることもできる。
新聞部の実績といえば、まあ、定期的に新聞を出すことなんだろうが、これがまた大変なのだと川鍋はいつもぼやいていた。
結構、教師というのは暇なものらしく、学校新聞なんかにはキッチリ目を通す先生が多いらしい。で、内容が手抜きだったりすると、色々と不都合が起こるのだそうだ。一応は学校の名を冠している出版物で、いいかげんなことをやられると困る者がいるのだろう。
そこで、キチンと記事を書いてくれる真面目な部員が必要になるのだが、新聞部というのはどうにも一般受けする部活ではないらしく、川鍋はいつも真っ当な部員の確保に頭を悩ませていた。お蔭で、俺は新聞部に新しい部員が入るたびに、喜色を浮かべた川鍋から報告を聞かされたものだ。
上岡は、川鍋が苦心してかき集めた中途入部組の一人ということか。
「ここにいるメンバーは。みんな最初から新聞部にいたわけじゃないですけどね」
「ほう?」
「天羽さんは川鍋先輩に勧誘されて二年からの入部ですし、星原さんも今年の学際前からですし」
「で、見たところその三人しかまともに活動はしてないようだが」
からかうような俺の言葉に、上岡は軽く笑ってうなずいた。
「記事は、それなりに分担してもらってるんですけど。編集とか校正なんかは、ここにいる三人しかやりませんね」
そいつはまあ、先行き不安な部活だな。
と、くだらない事を話しているところへ、東由利が割って入る。
「ねえ、進君。インタビューは?」
見ると、井之上は向こうの椅子に座って脛のあたりを押えて唸っている。東由利の『制裁』による結果だろう。
「おいおい。彼氏がずいぶんと痛めつけられてるようだが?」
冗談めかして言ってみると、東由利は肩をすくめて答えた。
「いいクスリってとこですよ。それより、どうするの、進君?」
「そうだね」
上岡は、笑いを噛み殺しつつ俺に尋ねてくる。
「どうしましょう。作業の邪魔になるようなら、場所を移しますけど」
「ん?別に――」
「そうね。そうしてもらえる?」
と俺の言葉を遮って、天羽が幾分抑揚を抑えた声で言った。
「今の時間なら、図書室が空いてるはずだし。椎ちゃんか亜希ちゃんにでも頼めば、使わせてもらえると思うから」
俺は別に構わんのだが。
そう言おうと思ったのだが、俺の口が開くよりも上岡がうなずく方が速かった。
「そうだね。じゃあ、井之上、負傷中悪いんだけど、隣まで歩いてくれるか?」
などと言いつつ、上岡は書類棚の中からノートと録音用機材を取り出し始める。
やれやれ、と思って天羽の方を見ると、彼女は仏頂面というか、感情を消したような様子で上岡たちを眺めていた。