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懸想

結局、僕らは何をしていたんだろう?
最後に残された疑問は、それだった。
トリスメギストスが、桐生真という個人に依存する存在ではない、という事に関しては、今では確信を持っている。
かといって、あまねく人のすべてに根差すものなのか、と問われれば、簡単に頷くことが出来ない。
僕は、自分が特別な人間であるというような考え方は――まあ、ちょっと特殊ではありたいな、とか、一目置かれるようではありたいな、とかいう、幾らか邪な希望はともかくとして――あまり好きじゃない。それなりに名誉欲もあるし、できれば傑出していたいとは思うけれど、異質でありたいとは願わない。
トリスメギストスは……やっぱり、異質な存在だと思う。少なくとも、僕らの常識が通じる相手じゃなかった。
ひとつであり、全てであり、世界ですらある、創世の邪神。
正直に言うと、僕の表現力の限界を超えている。
ま、それが原稿書けない理由にはならない、ってのは、ごもっともなんですけどね。
「先輩、またボーっとしてますね!」
眦を吊り上げ、新聞部の後背が詰め寄る。
「あ、いや、うん。大丈夫、ダイジョウブ」
根拠不明意味不明の言葉で誤魔化そうったって、そんなのが通じる相手じゃない。
「何がどう、大丈夫なんですかっ! 今日中に入稿しないと、校正間に合いませんよっ!」
殴り掛からんばかりに、ずずいっ! っと更に詰め寄る後輩。
あの騒動からこっち、どうにも僕はこんな感じだったり。
我が愛しの新聞部の活動にすら、どうにも身が入らない日々が続いていた。
カラカラ、と。
遠慮がちに部室(正確に言えば、間借りしている中等部の教室のひとつ)の扉が開かれる。
「あ、あの、すみません……」
で、これまた過度に遠慮が効いた声。
見れば、扉の影から顔を覗かせていたのは、優希ちゃんだった。
うわぁ、カッコ悪いトコ見られちゃったなぁ。
「あれ? どうかした、優希ちゃん?」
僕に詰め寄ってた剣幕はどこへやら、コロリと態度を変えて優希ちゃんに向き直る後輩。
うん、絶対数十着のレベルで猫皮コートを常備してるよね、彼女。
ま、ここでツッこんでヤブヘビになるのもなんだし、言わないけど。
とりあえず、僕は苦笑しつつ優希ちゃんに小さく手を振って挨拶に代える。
「あ、うん。その、先輩に、お礼をと思って……」
そんな可愛いことを言いながら、優希ちゃんは鞄の中からラッピングされた小箱を取り出す。
カサコソ鳴ってる音から察するに、お菓子の類かな?
ああ、ありがたや、ありがたや。
聖邪さん辺りに知られたら、どんなことになるか、ちょっと想像したくないけれど。
「そんなことしなくても、先輩にはキッチリ報酬出てるんでしょ? 仕事なんだし」
腰に手を当てて、勝手に僕に成り代わって受け答えしてくれる後輩。
……部員の教育、間違えたかなぁ?
まあ、とりあえず僕は誤解を解いておくことにする。
「残念ながら、今回の件ではビタ一文も出てなかったり。結局、僕自身が事件の中心になっちゃってたからね」
「そ、そうなんですか? ごめんなさい……」
優希ちゃんの謝り癖は、相変わらず。
「ジン族の規定だから、仕方ないよ。僕も、稀有な経験をさせてもらったし、こっちがお礼を言いたいぐらい」
「は、はい! あの、これ……」
おずおずと小さな紙箱を差し出す優希ちゃん。
僕は、満面の笑みでそれを受け取る。
「うん、ありがとう」
「……それはいいんですけど、先輩。で、原稿はどうなるんです?」
自分に対するものとあまりに違う僕の態度に機嫌を損なわれたのか、通常比150%ほどのトゲトゲしさで横槍を入れてくる後輩。
いや、君だって僕相手と優希ちゃん相手じゃ、正反対とまではいかなくてもオーバー90度ぐらいは態度違ったでしょうに!?
とはいえ、原稿書けてない事実は事実なワケで、この際僕に反論する権利はなかったりする。
「はは……そういうわけなんで、ゴメン、優希ちゃん。せっかく来てもらったんだけど、お構いも出来ない有様なんだ」
「あ、いえ! 私も、これから部活ですから! それじゃ!」
真っ赤な顔で慌しくお辞儀して、優希ちゃん脱兎のごとく駆け去った。
ううん、いちいちカワイイんだよなぁ。
「まったく……」
ややあって、後輩がため息混じりに言う。
「何があったかと思えば、原因はこれですか」
「は? 何が?」
「惚けても無駄です。優希ちゃんみたいに可愛い娘、好きになるなとは言いませんけど……ケジメはちゃんとつけてくださいよね」
それだけ言うと、ダメだこりゃ、とばかりに、もう一度深くため息をついて、後輩は紙面データが入力されているノートパソコンに向かう。
……否定はしないけどさ。
そんな、浮ついてるように見えたかな、僕。
もっと、いや、ちょっとは、高尚な類の疑問に胸を塞いでたつもりなんだけどなぁ。
「とりあえず! 先輩、早く原稿!」
向こうの方からどやしつけてくる後輩の迫力に勝てず、僕は原稿用紙とにらめっこすることにした。
机の端には、かわいらしいプレゼント。
……うん。
やっぱ、浮ついちゃうかも、ね。