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深淵

僕の失策は続く。
「バカッ! 何をやってるんだ!」
氷狩先輩の叱責を受けるまでも無く、僕は胸の内で異口同音に自分自身に罵声を飛ばしていた。
こんな状態で、無限風盾を構築してどうなるんだ?
それが、魔水晶の力に抗し得ないことは実証済みだというのに。
むしろ、後背に控える氷狩先輩の攻め手を阻害することにしかならないというのに。
それ以上毒づいたところで仕方が無い、と思ったのだろう。
氷狩先輩は、短く舌打ちをして魔水晶の側面に回るべくステップを踏む。
「優希ちゃん、下がって!」
自分の間抜けさを呪いながらも、僕はそう声を掛ける。
こうなったら、氷狩先輩と挟撃の体勢に持ち込むのがベターだ。
上手くいけば、僕が持ちこたえている間に氷狩先輩の一撃で魔水晶を追い払えるかもしれない。
せめて、何とか昨日の再現を、などと目論んでみたのだけれど。
「え?」
我ながら、間の抜けた声を出すものだと思う。
スルリと、流れるように魔水晶から放たれたのは、昨日受けた衝撃波ではなかった。
まったく、迂闊にもほどがある。
魔水晶の攻め手が衝撃波だけなどと、何故僕は思い込んでしまったのだろう?
淡い紫の奔流は、無限風盾など欠片も役に立たない禍々しき魔力の束。
防ぐことは、出来ない。
そして、避けることも。
「先輩!」
真後ろに、優希ちゃんの叫びを聞く。
ほんと、肝心なところで失策ばかりだなぁ。
どうにか、優希ちゃんの盾として踏み止まれたことだけは、とりあえず自分で褒めておこうか。
濃密な魔力の衝撃を感じる。
それも、ほんの一瞬のことで、気付けば僕は何処とも知れない虚無の中に浮かんでいた。
「はぁ……はぐれちゃった、か」
力無く、笑う。
幸いなことに、意識ははっきりしている。
ただ、僕の周りには既に何も無かった。
優希ちゃんも、氷狩先輩も。
大地も、僕を取り巻き踊るはずの風も。
音も、光も、何もかも。
ああ、ここは深淵だ。
あらゆるものが、全て無となる。
もしここから帰ることが出来たのなら、どんな記事を書けるだろう?
きっと、何一つ言葉を見つけることが出来ないんじゃないだろうか?
まあ、身動きしようにも足場も何も無いこの世界からどうやって帰れるのか、という問題に比べれば、些細なことだけれど。
せめて、優希ちゃんがこのことを気に病まないでいてくれるといいのだけれど。
それだけが、心苦しい。

どれだけの間、そうやって無意味な思考に身を委ねていたのだろう?
不意に、僕は何も無いこの世界に確かな存在を感じた。
瞳には何も捉えられないけれど、確かに感じる。
それは、霊的な何か――恐らく、魂とか、そういった類のものだ。
困ったことに、僕はその何ものかに急激に引き寄せられていく。
まさか、霊縁?
僕は、そちらの分野に詳しいわけではないけれど。
これほどまでに強く引かれるとなると、尋常の沙汰じゃないことくらいはわかる。
「ま、ずい、な」
もう、それは目と鼻の先まで迫っていた。
必死にもがくけれど、ゴースト族でもない魂魄体に何ができるわけでもない。
衝撃。
意識が、霞む。
同時に、誰かの意識が覚醒していく。
僕が、僕でなくなっていく――

そして、僕たちは、ひとつに、なった。