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急襲

「ええ、はい……まがくふ、ですか? はぁ?」
いまひとつ要領を得ない様子で、優希ちゃんが首を捻る。
左手には、僕の携帯。
何故かと言えば、心霊管理局は半人前に携帯電話を持たせてくれないから。
ちなみに、個人の携帯は聖邪さんの意向で持ってないのだとか。
なお、通話先は鈴科先輩の携帯。
これは単純に、優希ちゃんがそちらしか知らなかっただけ。
もちろん、話している相手は替わってもらった桐生先輩なんだけど。
僕と氷狩先輩は、話がこじれたり優希ちゃんの理解が及ばない方向になってきたときは交代しようと、じっと通話の様子を見つめている。
……傍から見るとイジメの現場に見えなくも無いかもしれないけれど、当人、一応は命が掛かってるんで真剣なだけです。
「そうですか……あ、はい。また何かあったら、訊くかもしれません。ありがとうございました」
で、お約束通り深々とお辞儀して電話を切る優希ちゃん。
その様子に、僕も氷狩先輩も苦笑混じりに頬が緩んでしまう。
と、それはおいといて、と。
「で、何かわかったか?」
ちょっと慌てて表情を引き締め、氷狩先輩が問う。
「は、はい。桐生先輩の話だと、魔楽譜、というものが深く関わってたみたいです」
「魔楽譜?」
鸚鵡返しに呟いて、僕は首を捻った。
「そういえば、事件はコンサートの時だったっけ」
「はい。でも、魔楽譜自体は、どちらかと言えば厄介物だったそうです。それ自体も、もう残ってないとか……」
氷狩先輩は、微妙に渋い表情で訊き返す。
「残っていない? それに厄介物というのは、何だ? 結局、トリスメギストスを調伏した『力』は、何なんだ?」
「えっと、あの……」
一気に問われて困惑気味の優希ちゃん。
僕は、苦笑しながら氷狩先輩に目配せする。
さすがにわかってもらえたみたいで、氷狩先輩は、コホン、とひとつ咳払いしてから言い直した。
「ああ、ひとつずついこう。まず、魔楽譜が残っていない、とは?」
「はい、事件の混乱の中で大半は失われて、僅かに残った物も処分されちゃったみたいです。元は、桐生先輩が書いたものらしいんですけど……」
「うん? じゃあ、思い出せば書けるんじゃ?」
首を捻る僕に、優希ちゃんは力無くかぶりを振る。
「いえ、魔水晶の力でトランス状態の時に書いたみたいで、さっぱり覚えてないそうです」
「なるほど。だとすれば、厄介物というのもわからんでもないな」
優希ちゃんの説明に、氷狩先輩が頷く。
確かに、魔水晶の影響で書かれたものなら、どちらかと言えば悪い方向のアイテムだ。
さすがに、僕も困り顔で言わざるを得なかった。
「そうなると、なおさら最後の質問への答えがわからなくなりますね」
一番重要なところなんだけど。
「どうなんだ?」
促す氷狩先輩に、優希ちゃんはやっぱり困り顔で答える。
「それが……『流水音のピアノに助けられた』と。確かに、あの時鈴科先輩がピアノを弾いて、桐生先輩と合わせてるうちに霊障が収まっちゃったんですよね……」
顔を見合わせる、僕と氷狩先輩。
うん。
きっと、思いはひとつだ。
「そういうことを知っているなら、最初から言え」
「ご、ごめんなさい! そんな重要なことだとは思わなくって」
ちょっぴりドスの効いた氷狩先輩の声に、頭を押さえて小さくなる優希ちゃん。
ダメだ。
このまま放置すると、それこそイジメの現場にしか見えない。
「まあまあ……正直、それだけ聞いても何のことだかわかりませんし。それに、核心的な部分はイマイチはっきりしないんですよね」
僕のとりなしに、氷狩先輩は待ってましたとばかりに乗ってきた。
「わかっている。ちょっと、からかっただけだ」
で、ちょっぴり涙目の優希ちゃんに、ぶっきらぼうに詫びる。
「すまんな。私も、少し落ち着いた方がいいみたいだ」
「は、はぁ……」
未だ、おっかなびっくりの優希ちゃん。
がくりと肩を落として、ポツポツと呟くように続ける。
「結局、あんまり役に立ちませんでしたね……ごめんなさい」
それを見て、僕はつい今朝方まで悶々と悩んでいた問題を思い出す。
不快そうに顔を歪める氷狩先輩。
まあ、氷狩先輩みたいな性格の人には、優希ちゃんの謝り癖は苛立たしいものかもしれないけれど。
まずいな、と思って制止しようと僕が動く。
よりも早く。
「おいっ!」
いち早く察知した氷狩先輩が、鋭く声を上げ優希ちゃんの背後を指差す。
「優希ちゃん!」
遅れて気付いた僕は、慌てて優希ちゃんの腕を手繰って引き寄せる。
ああ、なるほど。
桐生先輩や鈴科先輩が、事件当時のことを明確に説明できなくても、あるいは覚えてさえいなくても仕方が無い。
こんな、どうにもならないくらいの急襲を受けて、どうして冷静でいられるだろうか?
「魔水晶……!」
漸く自分の背後に展開していた事態を認識し、驚愕のままに呟く優希ちゃん。
その言葉が酷く遠く聞こえた時には、僕は自分の失策に気付かざるを得なかった。
一番の標的が、一番前に出てどうするんだ、と。