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再来

「僕、ですか?」
正直言って、幾らエリザさんの言葉とはいえ、僕にはまるで信用できなかった。
いや、信じたくなかったといった方がより正しいだろう。
「僕に霊縁があるって、桐生先輩はどうなるんですか? 桐生先輩こそ、トリスメギストスを封じた転生者でしょう?」
「同一存在が複数存在に転生する……そういう学説が無いわけではなくってよ?」
諭すようなエリザさんの言葉に、幾らか侮蔑を混じらせた溜息をついて、聖邪さんが応じる。
「ローキングの拡散霊核理論ですか? あれはまだ、証明されていなかったはずですが」
「さすが、聖邪君。よく知ってたわね」
教師としての顔と魔術の専門家としての顔を微妙に混在させながらそう言って、エリザさんはかぶりを振った。
「確かに、学術的な証明はなされていない。けれど、それがイコール否定に繋がるわけではないわ」
聖邪さんは、面白く無さそうに軽く肩をすくめただけで、敢えて反論しようともしない。そんなことは言われなくてもわかっている、ということだろう。
「ね、ね? どういうこと、いったい?」
「俺が知るかよ」
首を捻る鈴科先輩と、なんだか投げ遣りに応じる桐生先輩。
あきれたように溜息をついて、聖邪さんが解説を加えた。
「こいつが、霧城昂の転生だという可能性があるということだ。桐生真、お前と同じにな」
例の、人を小馬鹿にしたようなその声に、桐生先輩の頬が僅かに痙攣する。
やっぱり、聖邪さんって天然で人に喧嘩売るタイプの人だな。
「で、でも、お兄ちゃん。それじゃ、霊核保存の定理に反するんじゃ?」
またぞろ険悪な方向に傾きそうな雰囲気を察してか、優希ちゃんが慌てて尋ねる。
それは、僕も訊きたかったところだ。
ユーロンの霊核定理によれば、霊格・霊量・霊力は常に一定。
更に言うなら、霊格・霊量から霊力への非可逆的な変換が絶えず行われている。
自慢じゃないけど、ジン族という高い霊格を持つ僕が人間族である桐生先輩と同一の祖を持つとは信じ難い。
そもそも、霊核が分裂するなんて想定は霊核保存第二定理に違反するはず。
「ペーパーテストの解答なら、そうなるが……現実は、学説の都合に合わせてくれるわけではないからな」
相手が優希ちゃんだからだろう、幾分柔らかな口調で聖邪さんが応じた。
続けて、エリザさんもため息混じりに賛同する。
「そう。極めて霊に縁の深い貴方たち死神族にとってさえ、本当は目にすることも手に取ることも出来ない存在だものね。霊に関する謎解きは、残念ながら未だ終わっていない――もしかしたら、始まってすらいないと言った方がいいくらいですもの」
そこで一度言葉を切り、エリザさんは僕に視線を向けた。
「学説や常識は、この際考えないようにして。可能性の問題として、君にはトリスメギストスとの霊縁がある疑いがあるのよ」
「どうして……」
そんなことが言えるのか。
そう続けたかったけれど、声がかすれて消えてしまった。
僕は、自分で思っている以上にエリザさんの仮定に衝撃を受けているみたいだ。
「ひとつの、特徴があるのよ」
エリザさんは、僕の疑問ももっとも、と軽く頷き、説明を加える。
「以前のトリスメギストス事件の時、様々な怪異があった。けれど、その中心である桐生君や、それに近しい人たちは、その怪異をほとんど感じ取ることが出来なかった――私も含めて、ね。さながら台風の目の中にいるように、周囲の被害や混乱を余所に何も感じない。あるいは、感じたことを忘れてしまう」
少しだけ言い淀み、足を組み直すエリザさん。
タイトなミニでそれをやられると、健全な青少年には目の毒です。
テンパってる割には、妙な方向に余裕あるな、僕も。
「君や君の御家族は、何も感じなかった。けれど、風精異常は確かに起こった。表面上は、それだけ。それだけのことに秘められた意味は――私にも、断言できない」
うっかりすれば見逃してしまうほど微かに、しかし、爛、と、エリザさんの瞳が輝く。
「注意なさい。今や、君が一人でいることは大変危険。必ず誰か頼りになる人と一緒に行動すべきよ」
「!!」
慌てて、僕は視線を逸らし、隣に座る優希ちゃんにぶつかるぐらいの勢いで首を振った。
ヤバっ! いきなりこれは無いんじゃない!?
「えっ? ど、どうしたんですか!?」
目を開けば、僕以上に慌てて何やらあたふたする優希ちゃん。
その様子に、一気に気合が抜けた。
それでも、僕は恨みがましく口を尖らせる。
「いくらエリザさんでも、怒りますよ」
「ごめんなさい。ちょっと、強引だったわね」
バツが悪そうに視線を泳がせ、エリザさんは吐息をつく。
「え? え? 何があったんですか?」
まるで状況を理解できない様子で、なおもあたふたしている優希ちゃん。
もっとも、この場で状況を理解しているのは、当人たち以外には聖邪さんだけみたいだけれど。
その聖邪さんが、呆れ顔でエリザさんをねめつけながら解説を加えた。
「魅了の魔眼だ。そいつを操り人形にして拘束するつもりだったんだろう」
ビンゴ。
もちろん、それは善意からの行動だろうけど。
だからって、やられて気持ちのいいものじゃない。
ま、学内に多数生息するエリザさんのファンの中には、魅了されてみたい、なんて奇特な人もいるかもしれないけれど。
そういう人は、ここでいう魅了っていうのは、実は盲従と隷属に過ぎないっていう事実を知らないんだろうな。
普通、それを知ったときには手遅れなんだけど。
それにしても、エリザさんの魔眼は強烈だ。
今だって、エリザさんが強力な魔眼使いであることを知っていて、僕が抗魔力の強いジン族で、今がヴァンパイア族の魔力が落ち込む日中で、かてて加えて、以前に僕が学生時代のエリザさんから悪戯心で――いや、実のところ強烈に悪戯心を持っていたのは、エリザさんではなく僕の実の姉だったりするんだけど――【魅了】された経験がある、という、種々の条件が揃ってなければ、コロリと魅了されていたに違いない。
またぞろどうでもいいことに思考を飛ばしていると、隣から妙な気配を感じた。
「酷い、ですよ、先生」
一言ずつ区切って、噛み付くように唸る優希ちゃん。
どうやら、エリザさんのやりように憤っていらっしゃるみたい。
いや、ホント言うと僕だって怒りたいんだけど。
いつものように姉の玩具にされた情けない経験が思い出されるやら、いつものようにオロオロする優希ちゃんが可笑しいやらで、どうにも怒りが長続きしない。
優希ちゃんはと言えば、当の本人である僕以上に怒って……らっしゃるんでしょうけど、なんだか子犬が必死に唸ってるみたいで、てんで迫力がないです。
むしろ、可愛い。
なんていうか、小動物系。
駄目だ、ついつい噴き出してしまう。
「先輩!」
咎めるような視線で今度は僕に食って掛かる優希ちゃん。
「いや、もう、大丈夫だから」
何が大丈夫なのやら自分でも分からないけれど、とにかくそう言って僕は優希ちゃんをなだめようと試みる。
頬が緩むのは、どうにも止められなかったけれど。
「ごめんごめん。悪かった。もうやらないから」
エリザさんも、苦笑を浮かべつつ軽い口調で僕に追随。さっきまでの、深刻な雰囲気が嘘のよう。
どうも、優希ちゃんには場を和ませるような力があるみたい。
癒し系? ちょっと違うか。
「でも、怒ってくれてありがと」
笑いを噛み殺しつつ一応礼を言うと、優希ちゃんは赤くなって恐縮した。