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懊悩

結局、重要なことには何一つ結論を出せず、僕らは店を出て別れることになった。
決まったことといえば、明日僕と優希ちゃんで桐生先輩とエリザさんにもう一度会いに行く、ということと、その結果を氷狩先輩に連絡するということ、氷狩先輩がこの件に関して今後も協力してくれるということ。最後のひとつは、結構大きいかもしれない。
で、僕は一応優希ちゃんを送るということで、彼女と一緒に舞波家に向かっていた。僅かとはいえ聖邪さんと顔を合わせる可能性があるのを考えると少し躊躇しないでもなかったけれど、結構遅い時間になってしまったので、女の子を一人で歩かせるのはどうかとも思われたからだ。氷狩先輩はどうなるのか、という話もあるが、はっきり言って僕があの人に守ってもらうような事態は想定できても、その逆はちょっと考えにくい。
「それにしても、大変なことになってきたね」
トボトボと隣を歩く優希ちゃんに、できるだけ軽い調子の声をかけた。
彼女は、聖邪さんとのやり取りがあって以来消沈がちだ。僕はフェミニストではないけれど、こんなことで優希ちゃんに落ち込まれるのも辛いものがある。
事態の重さを考えれば軽く構えていられない。彼女は仮にもその解決にあたらねばならない中心人物なのだから、安穏としているわけにもいかないだろう。
だけど、そうだとしても優希ちゃんにはできるだけ気を楽にしていて欲しい。深刻ぶったからといって名案が浮かぶわけでも問題が解決するわけでもないんだし。
そう思って、敢えて他人事みたいに切り出してみたんだけれど。
「は、はい。ごめんなさい」
優希ちゃんは、しょぼくれた感じでそう答える。
この子の『謝り癖』は、どうにかなんないもんかなぁ?
「別に、優希ちゃんが悪いわけじゃないでしょ? それに、氷狩先輩にはありがとうの一言も言わなきゃならないだろうけど、僕は正式な依頼があってこの件に関与してるわけだし」
「でも……」
と呟いて言い淀む優希ちゃん。
うぅむ、変なところで手強い。
「何か、気になる?」
問い掛けてみると、優希ちゃんは少しもじもじした後で、遠慮がちに視線を僕に向けて答えた。
「あの、本当は私が色々考えないといけないのに、先輩に頼ってばかりで……」
僕は、軽く苦笑を浮かべて応じる。
「そんなこと、気にする必要ないってば。僕は、そのために派遣されてるんだから」
『サポート』ってのは『手足になって働く』っていう意味じゃない。クライアントに足りない部分を補い問題を解決する。それが、本当のサポートだ。
まあ、戦闘能力が現状要求されているものに比べ圧倒的に足りない僕が言っても説得力はなさそうなんで、そこまでは言わないけれど。
優希ちゃんは、困っているのか悩んでいるのか微妙な表情を浮かべて、小さく溜息を漏らしつつ俯く。
……ホント、手強い。
次はどういった流れで攻めてみようか、なんてことを考えていると、優希ちゃんがポツリと呟いた。
「私、本当に駄目だな……今度も、また、おまけみたい」
肩を落とし、今にも消え入りそうなか細く震える声で続ける。
「桐生先輩の力にもなれなくて、お兄ちゃんの力を借りなきゃ何もできなくって、今だって、先輩に頼りっきりで」
迂闊だった。
僕は、自分の感覚で、ビジネスライクな関係を冗談めかして強調した発言を繰り返してきたことを悔やんだ。
そういえば、新聞部の後輩は優希ちゃんのことを『本当にいい子』だと表現していた。
彼女は、優希ちゃんは、こんな軽い感覚で付き合っていい相手じゃなかったんだ。
エリザさんからは、しっかり守ってやれと、決して独りにしないようにと、忠告を受けていたはずなのに。
人付き合いっていうのは、距離感覚の問題だ。他人の心に土足で踏み入るような真似だけは、決してしてはいけない。
僕はそう考え、努めて他人との間に一定の距離をキープするよう習慣付けていた。それは、風が空を渡るように様々な仕事や人の間を渡り歩く僕たちジン族の、一種の種族的心得だと感じていたのだろう。いずれ去る身なれば、決して深入りはせぬよう、求められる以上のことには手を出さぬよう、自らのスタンスをキープするのが当たり前だという意識があった。
だけど、優希ちゃんが必要としているのは、そんな浅薄な関係ではなかったんだ。
今、彼女に一番重要なのは、技術的な力添えじゃない。
自分の立つ場所を、確かに認識すること。
優希ちゃんにしてあげなければならない、一番大事なことはそれだったんじゃないか?
確かに、僕に与えられた任務は彼女の仕事を手助けすることだ。心のケアまでは、命じられたわけじゃない。
でも、目の前の事件を片付けるだけじゃ本当の問題解決にはならないんじゃないのか?
少なくとも、そんな結末には納得できそうにない。
そう考えて、僕は愕然とした。
これまでの対応が、甚だまずいものだったように思えて。
そして、その問題の質と重さに比べて、経験も力量もあまりに不足している自分自身に気付かされ。
僕は、解決する術を持っているのだろうか?
彼女が抱える懊悩を、そのあまりにありふれた、しかし心の奥底に絡みつくほど深い問題を。
そのために、何ができるのだろう?
知らず言葉少なになり、僕らは気まずい沈黙のまま優希ちゃんの家まで歩いた。
「それじゃ、また明日」
そう言って、別れる。
結局、妙案も、気の利いた言葉のひとつも、僕の頭には浮かばなかった。