戻る

忠告

顔を合わせた瞬間に、氷狩先輩が著しく不機嫌であることと、優希ちゃんが心底困っているということが理解できた。
どうにも、あちらの方は首尾良く行かなかった模様だ。
「どうでした……と訊くのも野暮ですか?」
出来るだけ深刻にならないよう、やんわりと尋ねたつもりだったんだけど。
「不毛だ。不本意だ。それ以上に不愉快だ」
怒気も顕わに言い切る氷狩先輩。うわぁ、さすがというか、噂に違わぬすごい迫力……
「ご、ごめんなさい」
で、なんで謝るのかなぁ、優希ちゃんは。
その疑問に対する答えは、僕の視界の外からもたらされた。
「優希が謝ることは無い。現実を受け入れないのも、感情を剥き出しにしているのも、そいつの勝手だ」
僕にしてみれば突然の声にぎょっとして声のした方向に視線を巡らせれば、待ち合わせ場所の目印である木に背を預けている長身の男が目に入った。
いかにも頑丈な革製の黒装束。鮮血の赤い髪。そして、手にした巨大な鎌。
考えるまでも無く死神族、そして優希ちゃんに対する言葉遣い――つまりは、この人が優希ちゃんの兄にあたる舞波聖邪さんだということか。
「ええっと、これはどういう……」
一応、遠慮がちに尋ねてみる。
応じたのは、優希ちゃんでも氷狩先輩でもなかった。
「何か有益な情報はあったのかな?」
その上、答えにもなっていない。
この人は、要するにそういう人なんだろう。氷狩先輩が不機嫌になるのもむべなるかな。
独善が服を着て歩いているような人物に、僕はうんざりした声で答える。
「特には、何も。桐生先輩、というかその前世存在と魔水晶の縁は今でも有効だってことと、トリスメギストス事件が終わっているとは限らないってことの確認だけですね」
「そんなところか」
小馬鹿にしたように――意図的かどうかは知らないけれど、そう見えるんだからしょうがない――呟いて、彼は大鎌を携えて僕の方へと向き直った。
「それで、どうする? まだ続けるつもりか?」
何が、と明確には告げずに掛けられた問いに、僕は少し大仰に肩をすくめる。
「それは、僕が決めることじゃないはずなんですけど。僕が請け負ってるのは、優希ちゃんのサポートですし」
わずかにおどけた調子で、僕はそう答えた。
どうも、この人とは仲良くなれそうにない。
「随分と主体性の無いことだな。種族柄なのか、お前個人の趣向なのかは知らないが」
「お兄ちゃん!」
目下の者に対してとはいえ、いささか失礼に過ぎる物言いに、優希ちゃんが慌てて割って入る。
「せっかく手伝ってくれてる人に、そんな言い方はあんまりだよ」
「あ、ああ、優希。これは……仕事の話でだな、その、個人的な問題ではないんだ」
少々どもりながら、優希ちゃんをなだめる聖邪さん。どうやら、優希ちゃんに対しては弱いというか、甘いというか、そういう部分があるみたいだ。ひょっとして、シスコン?
そのまま見物していれば、それなりに面白い情景を楽しめるような気もしたけれど、こんなところで兄妹喧嘩――漫才?――されても処置に困る。
僕は、できるだけ軽い調子で先ほどの聖邪さんの言葉に応じた。
「一般論ですよ。僕個人の懐には雀の涙ほどしか入ってこないにしても、報酬を頂いている以上は相応のパートナーシップを発揮させて頂きますって」
ちなみに、報酬出してるのは優希ちゃんでも聖邪さんでもなく心霊管理局であって、僕が手にするまでに即応派遣協会と地域斡旋所と保護者組合による搾取を経た上で、更に僕が成人するまでは育成基金にプールされてるんだけどね。その上、基金から引き出す際に教育費をさっぴかれて、僕らの手元には本当にお小遣い程度のお金しか残らなかったりする。姉が成人したときには、それはもう嫌というほど愚痴を聞かされたものだ。
「わかっているのなら、いい」
明らかに優希ちゃんに対するものとは差異のある視線で僕を見やり、聖邪さんは続けた。
「と言いたいところだが、あまり張り切られてもな……正直、お前のような手合いに任せられる問題でもない」
ボキリ、と拳を鳴らす音。
氷狩先輩だ。
そろそろ、聖邪さんの態度を腹に据えかねているのだろう。
もっとも、普通の人間なら薄ら寒くなるような氷狩先輩の威圧も、聖邪さんには通用している風でもない。
思い切りあたふたしている優希ちゃんこそ、いろんな意味でいい迷惑である。
このまま話していても埒があかない。
事態を打開すべく、僕は対舞波聖邪用期間限定切り札を使用することにした。
「停職二週間」
聖邪さんの顔が、初めて歪んだ。
苦虫をコップ一杯まとめて噛み潰したみたいに、だけど。
やっぱり、気にはしてたんだ。エリートっぽい感じの人だから、そうだろうとは思ったけど。
えらく怖い顔で睨む聖邪さんは、それはもうすごい迫力だったけど、僕は臆せず、そして容赦なく追撃の言葉を口にした。
「謹慎オプションって、付いてなかったんですか? 死神族の風習って、僕はよく知らないんですけど」
聖邪さんの、真一文字に結んだ口の端が微妙に震える。
「せっかく、人が助言してやろうというのに」
何とか目を逸らしたい現実から逃れようと抵抗を試みる聖邪さん。
こうなると、僕のイジワルな性格が出てしまう。
「助言は優希ちゃんにしてやってくださいよ。僕みたいな門外漢に言われたって、半分も理解できないだろうし」
突き放すように言えば、聖邪さんはいかにも不快そうに鼻を鳴らす。
「不愉快な奴だ。桐生真といい、お前といい……」
あまりにも不毛なやり取りを見かねて、優希ちゃんが割って入った。
「お兄ちゃん! いいかげんにして!」
「あ、わ、わかった、優希。そう興奮するな」
ホント、妹に弱い人だなぁ。
僕と姉貴との関係を思い起こすと、優希ちゃんがうらやましくてならない。
僕の場合――恐らく、世間一般の弟という存在が概ねそうであるように――玩具もしくは奴隷扱いだものなぁ。
と、くだらないことに思いを馳せていると、さすがに不利を悟ったのだろう、聖邪さんは踵を返すところだった。
「ひとつだけ忠告しておくぞ。危険には、できるだけ近づくな。お前は、二週間持ち堪えればいいんだ。特に、優希を余計な危険に巻き込まないよう注意しろ!」
捨て台詞を残し、足音も荒々しく立ち去るエリート死神族。
うん。優希ちゃんには悪いけど、割と爽快。
その感想は、氷狩先輩も一致するところだったようだ。
「ふふ……意外に言うな。あの顔は、なかなか傑作だった」
「あれ? ご存知ありませんでした? ジン族って、滅法口が悪いんですよ。優希ちゃんには悪いかな、と思わないでもなかったんですけど、ね」
「そういうことにしておこう」
クスクス笑う氷狩先輩は、風評や今まで目にしてきた凛々しい姿とは違って、酷く可愛らしい印象だった。
つい、こうやって笑ってれば結構モテそうなのになぁ、などとつまらないことを考えてしまう。
本人に聞かれたら殴り倒されるような気がするから、言わないけど。
それに、そういう風にできないのが氷狩先輩だって気もするし。
「ま、それはともかく」
立て続けに珍しいものを見せてもらい満足した僕は、話を本題に戻すことにした。
「聖邪さんが言ってたことも、あながち嘘じゃないんですよね。理事長代理たちから聞いた話だと、実際相手がトリスメギストスだという可能性、否定できないんですよ。そうなると、僕らに何ができるかってのが問題で」
僕の言葉を聞き、優希ちゃんは未だ微妙な表情で困惑したようにオロオロしていたけれど、氷狩先輩は話題の転換にすばやくついてきて、いつもの真面目な顔に戻り頷いた。
「それは、そうだ」
そうしておきながら、軽く挑発的とも取れる笑みを浮かべて続ける。
「でも、考えてはいるんだろう?」
ありゃま。僕も随分買い被られたもんだなぁ。
それほど建設的な腹案なんて持ち合わせてないんだけど。
ま、それ以前の問題として。
「その前に、状況を確認しないといけませんね。聖邪さん、というか心霊管理局の動きも考慮に入れて」