戻る

戦陣

聖ヶ丘は、ごく平凡な住宅街だ。
喧騒に彩られているわけでもないし、静寂に包まれているというわけでもない。
極々平凡で平和な暮らしの舞台。
その中を、ツチノコを先頭に大鎌持った小さな女の子と同じくらい若輩の電光色の髪の男が緊張の面持ちで行進する。
傍目には、妙な滑稽さが漂う情景だろう。
本人たちは大真面目なんだけど。
話によれば、舞波聖邪は死神としてすこぶる優秀らしい。
話すまでもないけれど、優希ちゃんは死神としては半人前もいいところだ。
舞波聖邪の仕事を舞波優希が遂行する。
それが如何に大変なことであるか、考えるだけ野暮というものだろう。
ちなみに、とりあえず優希ちゃんをサポートする役目にある僕は、ジン族として可もなし不可もなしという評価を頂いている。
なお、死神族とジン族の地力を比べた場合、大体において死神族に分があると言われていたりもする。
つまり、総合的に考えて、僕らは戦力的にとても不安である、ということだ。
だいたい、霊を探すこと自体ぽちの霊的嗅覚に頼らざるを得ない時点で、任務遂行能力の程度は知れようというものだけど。
ぽちは、そういう現状を知ってか知らずか、ウロウロ、チョロチョロと、周囲を嗅ぎまわっている。
僕から見れば、散歩を楽しんでいるように見えなくもない。
「どう?」
「わ、わかりません」
すぐ前を歩く優希ちゃんに尋ねてみると、なんとも頼りない返事が返ってきた。
「ですけど、ぽちは何か感じてるみたいです」
一瞬コケそうになったけど、続く優希ちゃんのその言葉に、僕は意識して気を引き締めなおす。
そうだ。
心霊管理局が動くような事態なんだ。
ただの霊障であるはずがない。
時折、キュウ、と鳴いているぽちを見ていると、どうにも実感が薄れるのだけれど。
ややあって、ぽちは細い路地でピタリと制止した。
警戒するように、前方をねめつけているようだ。
もっとも、僕の目には何も不審なものは映らない。
「何か、あったのかな?」
僕の問いに、優希ちゃんはゴクリと喉を鳴らしてから答えた。
「な、何か、いるみたいです」
さすが、歳は若くても死神の娘、僕なんかよりずっと霊的感覚に優れているようだ。
などと思っていると。
「ぽちが、そう言ってます」
言わなくてもいいその一言で、僕は一瞬膝から力が抜けそうになる。
結局、優希ちゃんの感覚も僕と大差ないということだろうか。
まあ、死神族に関して感知力がどうこうという話は、確かに聞いたことがないのだけれど。
そんな、それこそどうでもいいことを考えていたからだろう。
僕は、優希ちゃんが声をあげるまで異変に気付かなかった。
「先輩!あれは?」
「ん?」
「目の前です!」
そう叫びつつ、優希ちゃんは前方を指し示す。
そこに、何があるというのか――そう思って目を凝らし、僕は渋面を浮かべた。
ゆらり。
空間が、微かな揺らぎを示す。
前方、距離は7・8メートルといったところか。
「何だ!?」
思わず叫ぶ僕に、優希ちゃんが律儀に答えてくる。
「わ、わかりません……」
何の役にも立たない答えだったけど。
息を呑みつつ、僕は横にある民家の壁に跳躍した。
狭い路地だ。どう動くにせよ優希ちゃんと肩を並べることは難しい。まして相手に害意があった場合、優希ちゃんの武器は手にした大鎌ということになる。それは、この路地では振りまわすこと自体苦労するような代物だ。
「優希ちゃん、距離を取って。様子を見よう」
いつでも跳躍できるように壁の上に膝をついた状態で、僕は優希ちゃんにそう声をかけた。なぜ、お手伝いのはずの僕が指示を出さねばならないのか、少々疑問に思うところがないでもなかったけれど。
「は、はい」
優希ちゃんは、素直にじりじりとあとずさる。ちなみに、ぽちはピッタリと彼女の側について移動している。小さくても守護精霊、主を護る意思は十分備えているようだ。
僕は、前方の空間の揺らぎに意識を集中した。
目の錯覚ではない。
確かに空間が歪んでいる。
これが霊障であるとすれば、相当強力な相手だと思うべきだろう。
本来この世のものでない霊魂がこの世の理に働きかけ、それを歪めてしまう。正確な計算式は忘れたけれど、そのために費やされる霊的エネルギーは莫大なものになるはずだ。
そう考えるうちにも、揺らぎはいや増してゆく。
そのリズムは――そう、胎動に近い。何故だか、そう感じる。
そして。
「……!」
瞬時、僕は我が目を疑った。
「あれは!?」
その声を聞く限り、優希ちゃんも驚愕しているようだ。
揺らぎの中に、確かに見えた。
影。
あれは、人か?
いや、何か昏い塊のようにも見えた。
ただ、それは――人の意思を感じさせた。理由はない。直感的に、そう思われたのだ。
そして、僕が息を飲んだのには、もうひとつ理由がある。
僕が感じた意思は、敵意。
戦慄するような、剥き出しの敵意を、あの影は僕たちに向けている。
「優希ちゃん、心霊管理局に連絡を!これは、僕たちの手には負えない!」
そう叫びつつ、僕は懐から携帯電話を取り出して優希ちゃんに放り投げた。
ジン族のセンターに連絡を入れるという手も無いではなかったけれど、万事に関してのんびりとしている僕らの種族よりは、緊急連絡体勢のしっかりしている死神族のネットワークに報告を入れたほうが動きが速いはずだ。
「は、はい!?」
お約束というか、優希ちゃんは僕が投げてよこした携帯電話を受けとめ損ねて足元に落としてしまう。
カシャン、と軽い音を立てて、携帯電話が二つに割れた。本体からバッテリーが外れただけだろうけど、何とも間が悪いことだ。
と、それに苦笑する間もなく、影の放つ敵意がグッと強さを増す。
攻撃する気だ。
方法はわからない。
威力も効果も不明。
しかし、明確な攻撃の意思あり!
「クッ!」
僕は、とにかく優希ちゃんの目の前に跳躍した。防御するにせよ回避するにせよ、彼女を放り出しておくわけにはいかない。
出来れば攻撃が物理的な手段であることを祈るばかりだ。霊的な攻撃は、僕の力では防ぎようが無い。
と、鋭い衝撃が打ち抜かれる!
「優希ちゃん!」
咄嗟に叫び、右腕で彼女を小脇に抱える。
あり難いことに、影は半ば物理的な力に訴えてきてくれたようだ。衝撃波ならば、幾らかは防ぎようもある。代わりに、かわすのは困難なのだけれど。
僕は、左腕を衝撃に向けて突き出し、僕は風の幕を十重二十重に張り巡らせた。
硬い層、柔らかい層、硬い層……交互に連なる、空気の壁。ジン族お得意の、称して『無限風盾』という防御法だ。一層毎には大した防御力はないが、この壁は必要に応じて何重にも連ねることができる。
10、20、30。
衝撃の勢いを漸減しつつ、空気の壁が突破されていく。
40、50、60。
多少の効果を示しつつも、風の盾は十分な効力を発揮しているとは言い難い。
70、80、90。
弾き返すというよりは、ゆっくりと抱き止めるように衝撃を打ち消す無限風盾。だが、勢いを殺しきれなければあまり意味はない。
「クッ!」
100の壁が突破されたところで、僕はこの方法で攻撃をしのぐことをあきらめた。
格が違う。
それが正直な感想だ。
「ぽちを回収して!」
「は、はい!ぽち!」
優希ちゃんの声に応じて、ぽちが彼女の腕の中に納まる。
150。壁の追加が間に合わない!
こんな時、儀式なしに空を飛べれば楽だろうに!
僕は、昔日ジン族が風の精霊と結んだ契約の内容に苛立ちを覚えつつ、後方に跳躍した。軽いとはいえ人一人抱えていては、それほどの距離を跳ぶことは出来ない。
「うっ!」
おまけに、当然だけど着地の衝撃も倍近い。足首にかかる負担に短いうめきを漏らしつつも、僕はすぐさま横へ跳んだ。
最初の跳躍でどうにか路地を脱することが出来たのが幸いだった。
200近い風の壁を突破した衝撃波は、僕たちの脇を通り抜けて数メートル先の民家の壁を半壊させた。
まともな戦闘訓練を受けた魔族の一撃や、あるいは人間族が開発した強力な兵器の威力から見れば可愛いものかもしれないけれど、僕にとっては空恐ろしくなるような力だ。しかも、あの影は何の予備動作もなしに何もないところから、あれだけの純粋な『力』を叩きつけてきたのだ。並の銃弾程度なら苦も無く止める、僕の無限風盾を突破して。
ゆらり。
一息つく間もなく、僕は再び空間の歪みを目にすることになった。
追ってきたのだ。
ゾクリ。
背筋に冷たい汗が流れる。
強い。
いや、それよりも。
不気味だ。
精神を押しつぶす、不気味な圧力が僕から動きを奪う。
わざわざ追ってきたからには、当然僕らを攻撃し、恐らくは殺すつもりなのだろう。そして、僕らには逆襲するどころか、ヤツの攻撃をしのぎきるだけの力も無い。
逃げなくては。
そう思いはするのだが、体が動かない。
気がつけば、膝が笑っている。情けないことだが、まさしく蛇に睨まれた蛙のような状態だ。
ゾクリ、ゾクリと、染み入るような悪寒を感じつつ、僕はヤツを凝視した。
よく見れば、影かと思われていたのは、空間の歪みが生み出したヒダのようなものらしい。
ヤツは、歪みそのもの。
しかし、そのような存在があるのだろうか?
あり得ないはずだ。
霊的存在理論に照らし合わせても、あらゆる物者には必ず『核』が存在する。
生命、依代、アバタール、階位も定義も様々だけど、神でも悪魔でも人でも、現世に存在するためには、この世に力を及ぼすためには、その象徴となる『核』が必要なはずだ。
では、目の前のヤツは?
ヤツのコアは、一体……?
この際あまり役には立たないと思われる疑念を抱きつつ、僕は震える手を前方に差し出す。
ヤツを凝視したまま再び風の壁を構築した。その積層数約250。
強力なライフル弾を、一発だけなら何とか防ぎきれる程度の盾。機関銃を持ち出されれば押し負ける。
それが、僕の限界だ。
キラリ。
「あれは!」
空気の壁が――正確に言えば、その各層に封じられた水蒸気――生み出す微妙な屈折と、相手自身との歪みが不意に見せてくれた真実。
目の前にいる恐るべき相手の正体。
それは、夕刻のおぼろげな光にキラリと光る小さな『核』。
「そんな……」
未だ小脇に抱える形になっていた優希ちゃんが、信じられないものを見たように呟いた。
「魔水晶……トリスメギストスは、滅んだはずなのに!」
これは、参った。
確かに、トリスメギストスとそれを巡る事件に興味はあったけれど。
僕自身、その渦の中に巻き込まれるような事態がこようとは。
いや、きっと。
僕はその渦に呑まれる前に、その淵の波に為すすべなく砕かれてしまうのではないか。
戦慄と、悪寒が止まらない。
凍えるような気すらする。
いや、待て。
悪寒なんかじゃない。
これは。
この冷気は!
「ハァッ!」
気合一閃、ヤツの横合いから先刻とは別種の衝撃が叩き付けられる。その煽りを食らって、僕の無限風盾が都合50層ほど吹き飛ばされた。
その衝撃の軌跡に煌くものは……雪?
「魔水晶が!」
優希ちゃんの言葉に、僕は視線を若干ずらす。
すると、キラリと小さな輝きが残照の中に消えていくのが見えた。
絶大なプレッシャーを与えていた歪みは、もうない。
代わりに、僕の目は褐色の肌と銀色の髪を持つ女性を捉えていた。
聖遼学園高等部の制服。ただし、何故か夏服だ。
もっとも、その季節に合わない服装の理由は、概ね想像がつく。
先刻の冷気、更には彼女の周囲に微かに舞う氷の粒。
雪男、雪女といった雪妖族は、熱に対して弱い。冬場でも、熱のこもる服は着用しないのが普通だ。
「氷狩先輩……」
優希ちゃんの呟きで、僕は目の前の女性が何者か理解した。
氷狩吹雪。
聖遼学園女子空手部主将。
褐色の肌の雪女……あまりよい噂は聞かない。
「舞波聖邪の妹か。いったい、何の騒ぎだ?」
氷狩先輩は、面白くもなさそうに厳しい視線をこちらに投げかける。
あの、その、と言葉を選びかねている優希ちゃんに代わって、とりあえず僕は礼を述べた。
「危ないところを、ありがとうございます。僕は――」
手の平で僕の言葉を制し、氷狩先輩は突き放すように言う。
「礼はいい。それよりも、質問に答えて欲しいな」
やれやれ。
とりあえずの謝辞も受け取ってもらえないとは、噂通りの人だ。
僕は、自分が漏らした溜息が安堵によるものか呆れによるものか、自分でも判別できなかった。