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舞風

正面玄関に飛び出すと、公衆電話に向かって頭を下げている優希ちゃんが目に入った。
なんというか、ある種お約束な光景だ。
苦笑を顔に貼りつかせて、僕は彼女の方へ向かう。
ちょうど僕がそこにつく頃に、優希ちゃんは受話器を置いた。
「電話口で頭を下げても、向こうには見えないよ?」
少々からかうような調子で、そう声をかけてみる。
と、彼女は顔を赤くして上目遣いにこちらを見返してきた。
「あっ、み、見てたんですか?」
などと言いつつ、モジモジする優希ちゃん。
うわぁ、その仕草は、反則だってば。
「いや、まあ・・・・それより、ほら、忘れ物」
僕は、誤魔化すように彼女の鞄を差し出した。
なんというか、顔が熱い。
「え?ご、ごめんなさい。私、うっかりして」
彼女には『謝り癖』のようなものがあるみたいだ。何かにつけ、ごめんなさい、を連発する。
僕はといえば、さっきからそんな様子を見ては苦笑いを浮かべっぱなしだ。
放っておくといつまで謝り続けるかわからない。
「いいよ、謝るようなことじゃない。それで、仕事の方は?」
僕は、とりあえず話を実務的なものにすりかえた。
「あ、はい。聖ヶ丘二丁目で霊的な干渉が観測されたらしいんです。それで、調査と、必要な場合事態の収拾を行うように、という指示でした」
「なるほど。って、それって、現地に行って考えろ、ってこと?」
呆れたように訊く僕に、優希ちゃんは自信なさげに小さくうなずいた。
「多分、そうだと思います」
なんともまあ、迷える魂を導くのが務めの死神族にしては、ずいぶんと大雑把な命令だ。
「はあ・・・・いつも、こんな命令なの?」
呆れて問う僕に、優希ちゃんは今度はかぶりを振る。
「いえ、私のところに来る指示は、いつもはもっと具体的なんですけど」
そう答える優希ちゃんの表情は、心なし強張っているようにも見えた。
なるほど。
これは、本来彼女の兄、舞波聖邪が担当すべき案件だということか。
そうすると、少々厄介で危険なものなのかもしれない。
「聖ヶ丘っていうと、少し距離があるね。どうする?」
僕の問いかけに、優希ちゃんはキョトンとして答える。
「え?あの、バスで現地まで移動して・・・・」
思わず、僕は膝から力が抜けそうになった。
そのレベルで間に合うような、時間に余裕のある仕事なんだろうか?
表情から僕の言いたいことを読み取ったのか、優希ちゃんは慌てて言い直した。
「あ、でも、急ぎだからタクシーを使った方がいいですよね?」
いや、そうではなく。
なんだか、最近デフォルトの表情になってしまった困惑混じりの笑顔で、僕は尋ねた。
「緊急飛行って、許可されてないのかな?」
「あ、あの、許可事態はありますけど、私の守護精霊はお兄ちゃんのワイバーンと違って・・・・」
答える優希ちゃんの声に応じるように、大鎌の先にぶら下がっている奇妙な生き物が、ピィ、と短く鳴いた。
これが、彼女の守護精霊?
僕は今の今まで、変わったペットを連れ歩くもんだな、などと思っていたんだけど。
「ぽちはツチノコだから、飛べないんです」
ツチノコとは、また。
聖邪さんの守護精霊がワイバーンだと言っているからには、舞波家の守護精霊は竜族だと思うんだけど。
そうか、ツチノコは竜族だったのか。
というか、守護精霊の名前が、ぽち?
とと、そんなことは、この際どうでもいい。
「許可があるなら、問題はないよ」
そう言って、僕は軽く優希ちゃんの手を取った。
「え?え?」
当惑する優希ちゃんを無視して、僕は深く息を吸い込んで、軽くターンする。
つま先に意識を集中し、トントンと二度地面を叩く。
傍目には優希ちゃんを相手に気障なダンスでも踊っているように見えるだろうけど、これはれっきとした儀式だ。
「危ないから、手を離さないでね」
そう忠告しておいて、僕はフワリと空へ舞い上がった。
「ええっ!?先輩、飛べるんですか?」
もう、実際に飛んでるんだけど。
そう思いつつ、僕は軽く笑って見せた。
「まあ、似たようなものかな?」
言いながら、グッと風を蹴る。
僕たちジン族は空を舞うことが出来るけれど、それは飛ぶと言うよりはジャンプしたり、泳いだりという感覚に近い。専門的には、空中歩行の一種と分類されている。
ジン族の空中歩行が他種族のそれと一線を画するのは、ひとつには高速であることと、もうひとつは手をつないだ他者に影響を及ぼすことが出来ること。それは、僕たちが風と高い親和性を持ち強い契約に縛られていることに由来する。
僕たちは、風の中で地に足をつけているより自由に振舞えるし、その世界に友人を招くことも許されているのだ。
「本当は、飛行許可が要るんだけど、まあ緊急の用件だし問題ないと思う」
もう一度風を蹴る。ふた蹴りで、僕たちは眼下を走る自動車を追い抜いていた。
足元から漏れ出た魔力が、キラキラと輝く粒子になって尾を引く。この甚だ目立つ副作用――俗に『風渡りの星屑』と呼ばれる――も、僕たちが空を駆けるときの特徴だ。
更にひと蹴り。目的の聖ヶ丘までは、あと数歩というところだ。
「うわぁ・・・・」
その声に視線を隣にずらせば、優希ちゃんが目を丸くして下界を眺めていた。守護精霊の力でも借りなければ中空を渡り得ない死神族――しかも、彼女の守護精霊はツチノコだ――からすれば、こういった空中移動は特異な経験なのだろう。
「なかなか爽快でしょう?」
軽く微笑んでそう声をかけると、彼女は目を見開いたままコクンとうなずいた。
その可愛らしい様子を見ていると、このまましばらく空中遊泳を楽しんでいたいようにも思うけど、そういうわけにもいかない。
そもそも優希ちゃんの仕事のために飛んでいるのだし、それ以前にこの能力は魔力の消費が異常に高い。もとより、そう長々と空の散歩を楽しめるようには出来ていないのだ。
せめて後数歩をゆったりと歩ききって、僕はフワリと着地した。
その瞬間に、つま先の余剰な魔力が弾け、一瞬だけ金色の波紋を作る。
それを見て、優希ちゃんがもう一度嘆息した。
「うわぁ・・・・すごいですね」
まあ、実際見た目ほど便利な能力でもないんだけれど、数ある飛行能力の中でもファンタジックな部類に属することは間違いない。
と、何かに気付いたように、優希ちゃんがペコリと頭を下げる。
「あ、ありがとうございます。わざわざ力を使って頂いて」
「いや、これも仕事のうちだし、それに、飛ぶこと自体僕も嫌いじゃないから」
度を越すほどの礼儀正しさに苦笑しつつも、僕は何となく照れてしまう。
可愛い子から礼を言われて、悪い気はしない。
ただ、今のところそういう感情に身を委ねているわけにもいかないはずだ。
「それより、優希ちゃんの仕事をどうにかしなきゃ」
「あ、はい。そうですね」
と、彼女の表情がきりりと引き締まる。
もっとも、その引き締めた表情ですらあどけなさが残っていて、今ひとつ死神という種族のイメージには則していないのだけれど。
「とにかく、ここからは君の指示に従うよ。よろしく」
「は、はい、こちらこそ」
そう言ってお辞儀をしてから、優希ちゃんは鎌の先にぶら下がっている守護精霊――ツチノコのぽち――の戒めを解く。
「先ずは、霊を探しましょう」
その宣言を皮切りに、僕たちは仕事に取り掛かった。
ぽちを先頭にして。