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  SPT流星記  その18 我道〜斉藤彰子の場合〜
 

「そうだ、トーナメントしよう!」
「はい?」
唐突に叫んだ社長に、霧子が怪訝な顔をする。
「いや、だからトーナメント戦。今月のメインはコレでいこうよ、と」
熱意が伝わっていないと見た社長が重ねて言えば、霧子は若干面倒くさそうな顔で応じた。
「はあ……社長が突飛なのは今更ですので実はそれほど気になるわけでもないのですけど、一応、お訊きしますね。突然、何をおっしゃるんですか、社長?」
「ウチの正式名称は?」
「スターレイン・プロ・トーナメント……ああ」
ようやく合点がいき、霧子は呆れに彩られたため息をつく。
「そういえば、一度もしたことありませんね。トーナメント戦」
「うん。経営とかで忙しくてスッカリ忘れてた」
にへらっ、と笑う社長。
霧子は、あまり乗り気ではない様子で首を捻る。
「今更、という気もしますけど。伊達選手のAACヘビー戦の方が、集客力はありますよ?」
「その伊達が怪我してるから、どうしようかって考えてたんだってば」
先月AACヘビーを奪取した伊達であるが、シリーズ全戦で遥か格上のチョチョカラスと激闘を繰り広げた代償として、深刻ではないものの膝の調子があまりよくないとのことだった。
お抱えのスポーツドクターの話では試合を出来ないほどではないらしいが、ここで無理をさせて膝がパンクするような事態は避けたい。
「ああ、それで伊達選手抜きでマッチメイクを考えてたんですか。そういうことなら、反対する理由はありませんよ」
漸く納得し、ニコリと微笑む霧子。
選手の健康管理にまで気を配ることが出来るのは、社長の数少ない美点の一つだ。
レスラーというものは、とかくタフさを売りにする。
無理をしてでも試合に向かい、一度リングに立てば自分の選手生命のことすら頭から消し飛んでしまうような連中ばかりだ。
格闘技に完全な安全性など求める方がどうかしているが、それでもリング禍に至らぬよう配慮すべきだし、長く元気に試合をしてくれた方がありがたい。
社長の場合は、この分野に対して経験がないためか多分に自身の感情に起因してはいたが、とりあえず褒めてよい経営者としての配慮である。
おかげで、経験豊かで質の良いレフェリー団やら、過度ともいえる専門のスポーツ医療資格を持つリングドクター団やら、経営を圧迫しかねないコストが掛かっているのも事実ではあるが。
それを、必要経費だし、の一言で済ませてしまう辺りが、社長という人間が大物なのかバカなのか判断を迷う一因でもある。
まあ、それだけの配慮をしても実際毎月のように怪我人は出ているのだし、霧子も社長の判断が誤りだなどとは思っていなかった。
「んー、真田選手が海外遠征中、伊達選手が負傷欠場で、残る8人で綺麗にトーナメントが組めますね。AACの選手をどうするか、という話もありますけど」
「それはまあ、悪いけどAACの内輪でやってもらうことにして。んじゃ、霧子ちゃんのお許しも出たみたいだし、V−MAXトーナメント開催決定ってことで」
嬉しそうに宣言する社長に、霧子は少しだけ怪訝な顔をする。
「V−MAX? MAXはともかく、Vって何です?」
「霧子ちゃんの……あ、いや、ヴィクトリーのV! それっぽいでしょ?」
本当は、バイオレンスのV。
口が裂けても、言えない。

勝ち負けが全てではない。
プロレスについて語るとき、必ずと言っていいほど囁かれる言葉である。
実のところ、斉藤彰子はその言葉の真意を未だ測りかねていた。
そもそもが、勝ち負けが全ての格闘畑の人間だ。
更に言うなら、斉藤はその頂点に立ったことのある人間だった。
それ故に、そこに至るまでの道のりがどれほど険しいか、その頂に立つことがどれほど賞賛に値することか、身に染みてわかっている。
もちろん、卑劣な振る舞いをして得た勝利に意味などない。
それは、わかる。
だが、勝つために全力を尽くす――隙という隙を徹底的に排し、常に最も有効な攻め手を尽くす――ということ、それが受け入れ難いものであるという意識が理解できない。
プロレスが"魅せる"ものだとは、知っている。
だからこそ、避けられる攻撃も敢えて受けるし、得手とは言えない投げ技や飛び技も時に繰り出していく。
それでも、全て納得ずくでそういった行動をとっているかといえば、否、だ。
プロレスはそういうもの、という諦念、あるいは蔑視のような感情がそこにはあった。
プロとしてやっている以上、プロレスはやる。
だが、それは本来の自分ではないし、自分が望んでいたものでもない。
SPTに籍を置いていながら、ここは本来自分がいるべき場所ではないのではないか、という疑問が斉藤には常に付きまとう。
それでも飛び出していかないのは、とりあえず安定的な収入をあてにしているからなのか、あるいは旗揚げ以来苦楽を共にしてきた仲間への義理の意識からなのか。
社長の独特な人柄が気力を削ぐ、というのもあるかもしれない。
いずれにせよ斉藤は、なし崩し的にプロレスをやっている、という意識を胸のうちに強く、根深く持っていた。
プロレスラーとしてプロ意識を持って練習に、試合に臨む一方で、その心中にはプロレスから乖離した不安定な部分がある。
ところが不思議なもので、斉藤はSPTでも1・2を争う人気選手だった。
RIKKAの人気があるのは、まあわからないでもない。
そもそも社長が意識していたという、華麗な空中殺法で観客を沸かせる名選手。
日常生活からして謎だらけという、いかにもマスクウーマン、プロレスラーらしいギミックに満ちたレスラーだ。
斉藤の目には、RIKKAはまさにプロレスファンが好む種々の要素を持った花形選手に見える。
そのRIKKAと、ある意味対極にいる斉藤。
どういうわけか、今のところその二人にだけ公式のファンクラブが存在する。
嫌というわけではないが、斉藤にしてみれば不思議というより他にない現象だ。
一度、その疑問を社長に投げてみたところ。
「いやぁ、斉藤の場合は"天然"だから」
という、なんとも失礼な返答が返ってきた。
誰が"天然"だ、とさすがに憮然としたものだが、社長にしてもそういった表現でお茶を濁すしかなかったのかもしれない。
そもそも斉藤がスカウトされた理由は、キックボクシングから抜け出せ切れないでいた近藤と当てるための、言い方は悪いが"プロレス"を出来ない選手の相手を務めるためだと、スカウトされたその時に聞いている。
端から、プロレスラーとして期待されていたわけではないのだ。
社長の"プロレス観"とかけ離れた、人気の理由を理解し難い存在であったとしても不思議ではない。
斉藤自身、前述のプロレスからの心情的な乖離と相まって、自分の人気を半ば他人事のようにすら感じていた。
そして、そういう人気を得れば得るほど、違和感は強まる。
"プロレス"は自分の居場所ではない、自分は空手に立ち戻るべきなのではないか、と。
そんな中で告げられた、ワンナイト・トーナメント戦。
AACヘビー王者の伊達を除いたところでのSPT最強を決めるイベントに、斉藤はいささかシニカルな笑みを浮かべずにはいられなかった。
チャンピオン抜きのトーナメントに、何の意味があるのか。
それも、王者への挑戦権を賭けて、というわけでもない。
一過性のお祭りに過ぎないイベントで、最強を決めるなどと言ってもお笑い種。
そもそも、プロレスは極限の真剣勝負じゃない――
そんな感情が渦を巻き、今ひとつ練習に身が入らない。
そんな自分がまた気に入らず、ついついダラダラとトレーニングを続けてしまう。
気が付けば日はとうに落ち、ジムには斉藤とRIKKAの二人だけになっていた。
RIKKAはRIKKAで朝からドタンバタンと飛び技の練習をやっていたようであるが、何か気に入らないことでもあるのか腕組みして首を捻っている。
二人の動きが止まり、ふと、静まり返るジム。
「……RIKKAさん」
何となく、唇が動いた。
チラリ、とRIKKAが視線を向けるのを確認して、続ける。
「プロレスは、楽しいですか?」
「…………?」
真意を測りかねる、と首をかしげるRIKKA。
構わずに、斉藤は続けた。
「私は、プロレスには向いていないような気がして……」
「…………ふむ……」
漸く、何事か相談なのだと理解したRIKKAが斉藤に向き直る。
口数が極端に少なく、あれこれ言ってこないのが斉藤にはありがたいところだ。
そういう相手だからこそ、つい口を開いてしまったのかもしれない。
とはいえ、斉藤にしても明確な目的があって話を始めたわけではないから、何を言うべきかと少しだけ逡巡する。
「次のトーナメント」
少しだけ迷った挙句、斉藤は微かに決意をにおわせる口調で言った。
「"本気"でやってもいいですか?」
提案の形をとった宣言に、RIKKAは、スッ、と目を細める。
たしなめているようにも見えるし、あるいは許容した上での挑発的な態度にも見えなくはない。
斉藤の言う"本気"がどういう意味か、わからないわけではないだろう。
「……主殿は」
ややあって、何事か思い出すような素振りで静かに瞳を閉じ、RIKKAが呟いた。
「……お主を、褒めておったが……」
「社長が?」
幾らか醒めた声で、斉藤は応じる。
「どこまで、本心なんだか……悪い言い方になりますけど、調子のいい人ですからね」
「……ふむ……」
処置なし、とばかりにため息をつき、RIKKAは続けた。
「……己が目で……見てみるも、よし……」
「いいんですか?」
今ひとつわかりずらい反応に重ねて問えば、RIKKAは、コクリ、と小さく頷く。
そして、そのまま話題に興味を失ったかのように練習用のリングへ足を向ける。
「押忍……」
歯切れ悪く呟いて、斉藤はため息をつく。
何となく釈然としないが、一応RIKKAの理解は得られたようだ。
――やって、みるか。
そう心に決め、確かめるようにサンドバッグに一撃くれる。
V−MAXトーナメント第一回戦、RIKKA対斉藤彰子のカードが決定したのは、翌日のことだった。

――何故だ?
斉藤は自問する。
いつもと変わらないリング。
いつもと変わらない対戦相手。
観客も、たぶんそれほど変わらない。
ただ一人、斉藤だけがいつもと違っていた。
不用意な隙は見せず、不得手な組み付きは徹底的に避ける。
正拳は多用できないが、得意の掌底とローキックを軸にした"空手家"斉藤彰子らしい戦い。
そして、斉藤は――圧されていた。
対するRIKKAは、あくまでプロレスを志向する。
無闇に、と言っていいほどに飛び、斉藤の打撃は極力受けていく。
その上で、致命的な一撃だけは悉くスカされ、ドロップキックやレッグラリアットのような"プロレスの"技を的確にヒットさせてくる。
上手い、と素直に思う。
よほどコアなファンでなければ、斉藤が端からセメントマッチを仕掛けていることにも気付かないかもしれない。
RIKKAのプロレス志向は、それだけ徹底していた。
自身のスタイルを貫くだけではない。
相手のスタイルもまた、彼女の手に掛かれば魅せる要素のひとつとなってしまうかのようだ。
そして、認めたくないことだが、その手並みに乗せられている自分がいることにも、斉藤は気付き始めていた。
そういった諸々の全てを、彼女は理解しかねる。
RIKKAの強さも、それでいてショーに興じる意味も、自身の苛立ちも、ふとRIKKAに合わせたくなる衝動も。
それが、答え切れない疑問となって斉藤の脳裏に浮かぶ。
「チッ!」
舌打ちをして、斉藤は詰まらない自問に囚われた一瞬を悔やむ。
鋭く前進するRIKKAに、対応が間に合わない。
かわしきれず、組み合う。
軽く、RIKKAが笑った。
実際にはマスクに隠れて察知など出来ない口元が、僅かに綻ぶのを何とはなしに感じる。
「このッ!」
苛立ち混じりに、斉藤はこの試合初めて相手をロープに振った。
何故、と問われてもわからない。
感情的に、そうしてしまっただけのことだ。
「セイッ、ヤァッ!」
戻ってくるところに合わせて、正拳突きを繰り出す。
「……!」
胸元に一撃喰らい、もんどりうって倒れるRIKKA。
観客が沸くが、そんなことはどうでもいい。
カバーはせずに、自身の感情を紛らわすかのように無防備な頭を蹴りつける斉藤。
「クァッ!」
二撃目に合わされ、RIKKAにしては珍しいドラゴンスクリューで転がされる。
「クソッ!」
痛みよりも己の不注意に顔を歪めて、斉藤は立ち上がった。
そこへ。
「……参る……!」
コーナーポストを蹴ったRIKKAが、空中で印を結び飛来する。
無明蹴。
RIKKAの必殺ミサイルキックだ。
「しまっ…!」
不覚を悟り切るよりも早く、斉藤の胸板にRIKKAの一撃が届いた。
堪えられるはずもなく、無様にマットに転がる斉藤。
即座に、RIKKAがカバーに入る。
「こんな……ところでェッ!」
どうにか跳ね除け、クリアする斉藤。
先ほどから、観客が五月蝿い。
いったい何を、そんなに騒いでいるのか。
……わかっている。
理由など、本当はわかっているのだ。
ただ、わかりたくないだけ。
苦虫を噛み潰したような顔で、斉藤は再び立ち上がった。
「……ほう……?」
少しばかり驚いたように、RIKKAが眼を丸くする。
そんなに意外だろうか?
確かに、無明蹴を受けてなお立ち上がるのは少々辛いが。
打たれ強さに関しては、相応に鍛えているのだから驚くほどではあるまい。
何故そのように鍛えたのかと問われれば、今の斉藤には少々答え辛いものではあるのだが。
そうだ、自分は強くなっている。
ただ空手家をやっていた、あの頃よりもきっと。
方向性に違いはあれど、それは間違いない。
何とも懐の深い競技……いや、世界だ。
それが、自分に見合ったものなのかはわからない。
だが、認めざるを得ないだろう――この、戦いの場を。
だから、戦おう。
「……私の蹴り」
吹っ切れた様子の斉藤が、ボソリ、と呟く。
「見切れるかッ!?」
そして、裂帛の気合と共に鋭くミドルに右足を叩き込む。
無論、そこで止まりはしない。
ローへ、そして止めのハイへ、疾風の速さで蹴りを叩き込む。
「……ウ……ッ!!」
飛燕脚。
斉藤の奥の手。
いかにSPT随一のスピードを誇るRIKKAといえど、対応できるものではなかった。
崩れ落ちるRIKKAを瞳に捉えつつ、斉藤は漸く決意していた。
――そうだ、戦おう。
空手家の誇りを胸に。
プロレスラーとして。

「斉藤……お主は、何をしておるのか?」
控え室に戻って早々、冷ややかな目で柳生が詰問する。
さすがに、ファンの目は誤魔化せても柳生あたりには試合の流れがバレバレであったようだ。
「すまん」
斉藤は短く答え、よほどダメージが堪えたのか横になっているRIKKAの前に立つ。
「押忍。ありがとうございました」
静かに一礼する斉藤に、RIKKAは肩をすくめて見せて問う。
「……して、如何にする?」
「私は……」
何を言うべきか迷い、結局斉藤は韜晦することにした。
「確かめたい……勝ち負けを超えたところに、何があるのか」
「…………うむ……」
斉藤の答えに納得したのか、あるいはその裏を見透かしたのか、RIKKAは少しだけ笑って頷き、後は無視を決め込んだ。
柳生も、それ以上は追求しなかった。
まあ、斉藤ならばアレもアリだ。
"空手家"斉藤彰子。
それこそが、斉藤彰子のギミック。
天然、という言い方はなんだが、社長の言う通り、自然発生的なギミックなのだと、端から理解していたから。

V−MAXトーナメント二回戦、斉藤はRIKKA戦のダメージを引きずったままプロレスを志向し、余力充分であった草薙に敗れた。