4月。 SPTも設立3年目を迎え、いよいよ本格的な全国展開を開始。 その動向は、良くも悪くもファンと業界の注目の的となっていた。 が。 そんな動きとは全く関係なく、マイペースに行動している人間が約一名。 「さてぇ〜! やるッスよ〜〜〜ッ!」 言わずと知れた真田美幸、今月よりメキシコの空の下である。 「いや、それAACに着いてからでいいから」 少々呆れ気味に応じる社長。 これが柳生とか、せめて近藤あたりなら、現地でのスケジュールを事前に打ち合わせするぐらいで送り出しても不安はないのだが、なにぶん真田の場合奇妙にトラブルが付きまとう。 とりあえずAACの人間と渡りをつけるところまでは引率していかないと不安でしょうがない。 そんなワケで、忙しい中を縫ってメキシコまでビジネス旅行と相成っていた。 「ホラ、とにかく行くぞ。出口にプロモーターが来てくれてるハズだから」 「ハイッ! いよいよメキシコへの第一歩ッス!」 ゲートをくぐり入国審査。 こういう時、国際的に信頼のある日本人であることは結構有利である。 真田も、ほとんど言葉がわからない割にはすんなりと審査をパスして社長に続く。 「んぁ? どうかしたか?」 難しい顔をしている真田に社長が問えば。 「い、いやぁ……やっぱり、ちょっとはメキシコ語も覚えてきた方が良かったかと、なんか不安で……」 対する社長、何とも微妙なツラで応じる。 「メキシコはスペイン語だ。俺も、コッチに来るようになってから覚えたカタコトしか出来んケド……あと、それ以前に入国審査官が喋ってたのは英語だ」 「な、なんとっ!? どうりで、何か聞き覚えのある言葉だと……」 驚愕する真田。 これから先に思いを馳せ、とてつもない不安に襲われていた……社長が。
「うむぅ……ここが、これからお世話になるジムっすか」 一人、腕組みして唸る真田。 社長はプロモーターと話があるとかで、とりあえず見学してろ、とジムに放り出されてしまった。 正直に言うと、SPTのジムのように綺麗な場所ではない。 若干乱雑で、少しばかりくたびれた印象だ。 その中で、よく知らない選手たちが黙々と練習に励んでいた。 その光景は、言い方は悪いが少しばかり時代遅れという感想を抱かせる。 誰か、知っている選手はいないものかとグルリと見渡すと。 「お?」 「げっ!?」 隅っこの方に、ジュリア・カーチス発見。 ジュリアは、うわぁ、スゴイのが来ちゃったよ、という感じの微妙な驚愕を浮かべ、見なかったことにしようとサンドバッグに向き直る。 因縁浅からぬ――何故か、真田が際立ったバカ騒動を起こす時、対戦相手は大半彼女だった――ジュリアを発見し、声を掛けようかと思っていると。 「おや? サナダじゃないか」 不意に、ジムに入ってきた人物が真田に声を掛けた。 ありがたいことに、なかなか綺麗な日本語だ。 その声に振り向いて。 「! ジョーカーさん!?」 さしもの真田も驚愕した。 先月、試練の8連戦の相手となった選手、例の奇抜なメイクこそしていないもののジョーカー・レディに間違いない。 「へぇ……SPTから来るレスラーって、お前だったのか」 トレーニングウェア姿で、ニッコリ微笑むジョーカー。 「私はまた、新人が修行にでも来るのかと思ってたよ。まさか、人気も実力も充分あるお前が来るとはねぇ」 どうやら、SPTからの遠征話は中途半端に選手たちにも伝わっていたようである。 クスクスと笑い嬉しそうですらあるジョーカーに、真田は表情を引き締めて応じた。 「いやッ! 自分は新人で修行に来たッス! ルチャの世界に入門ッス!」 「そうかい、そいつはいいや。正直、お前に向いているかと問われれば微妙だが……まあ、ここに来た以上は嫌でもルチャをやってもらうことになる」 割と微妙なツラで言うジョーカーに、真田は満面の笑みさえ浮かべて応じる。 「ハイッ! よろしくお願いしますッ!」 「あー、まあ、試合については色々あるだろうが……」 どこからどう説明したもんだか、と言い淀んでいるところに、社長とプロモーターが揃って現れる。 「真田ー、おとなしくしてたか……って、ジョーカーちゃん、来てたの?」 「ああ、向こうのボスもご一緒だったか。私は、今しがた来たところだよ」 気軽に言葉を交わす二人に、驚愕する真田。 「なっ!? 社長とジョーカーさんって、仲良かったんスか?」 「仲がいいっていうか……」 「私は、SPTとの渉外担当も兼ねてるからね。お互いの団体が上手くいってりゃ、自然と仲良くなるよ」 「な、なんとっ!?」 初めて知る事実に驚きっぱなしの真田。 唖然としているところへ、現地のプロモーターとジョーカー、ついでに社長が耳慣れない言葉で話し始める。 スペイン語経験値ほぼゼロの真田が呆然と成り行きを見守っていると、話がついたのか社長が振り向く。 「うん。とりあえず、ジョーカーちゃんトコでお世話になることになったから」 「は、はぁ……」 何がなにやら、と目を瞬かせているところへジョーカーが付け加える。 「言葉も何もわからなくって、ホテル住まいもなんだろう? 丁度部屋に空きもあるんでね、私のアパートに下宿ってことさ」 「そ、それはありがたいッスけど……」 「何、下宿代はSPTのボスが払ってくれるってことだしね。試合も、とりあえず方向性が見えるまでは私の下って扱いだな。チョチョの正規軍と遣り合うために、私が海外からスカウトしてきた傭兵ってところだ」 どうやら、当座の方向性まで決められてしまった模様。 まあ、取り立てて希望があったわけでもないので構わないのだが。 「てことは、自分、ルーダっすか?」 「当座はね。ポッと出の外国人選手の扱いなんて、どこでもそんなもんさ。まあ、お前自身の人気が出てくれば、私を裏切ってチョチョに付いたってシナリオもありだろうな」 「はぁ……?」 どうも、SPTではその手の軍団抗争などが皆無であるため、感覚的にわかりにくい。 苦笑しつつ、社長がフォローを入れる。 「あー、難しく考えなくていいぞ? 要するに、ウチのリングにいる時と立場が逆になるってだけだ」 「あ、なるほど。そりゃそッスね」 「さすがにボスだけあって、サナダの扱いには慣れてるね。まあ、こっちじゃ軍団抗争なんてものは主流じゃなくってね。そういう演出を入れてるのはメキシコシティとあと幾つかぐらいのもんだ……そうそう、こっちじゃ興行地によってシナリオも立場もコロコロ変わるから。そこは注意しといてくれ」 「はぁ……色々あるんッスね」 漸く、この先について漠然とした不安を感じてきたらしい真田、彼女らしくもなく、うぅん、と唸る。 「実力はあるんだ、何とでもなるさ」 真田の不安を一笑に付し、ジョーカーは社長に向き直った。 「それじゃ、サナダを借りるよ。まあ、とりあえず安心しておきな」 「うん、よろしく。シッカリ鍛えてやってください」 にへらっ、と笑って後事を託し、真田に別れを告げる。 「じゃ、あんまりジョーカーちゃんに迷惑掛けないようにな。俺は、プロモーターとちょっと話して帰るから」 「は、ハイッ! 全力でルチャを習得してくるッス!」 ビシリ、と決意の表情で答える真田に笑いかけ、社長はジムを後にし、その日のうちに日本行きの飛行機に飛び乗った。 なにぶん、日本でもやることが山積みとなっていたのだ。
「それじゃ、リングネームはバーニング・サナダってことでいいな?」 「ハイッ! 全然問題ないッス」 何が嬉しいのか、真田はニコニコしながら答える。 ジョーカー・レディの下で幾らか不安なメキシコ暮らしを始めた真田であったが、あっという間にすっかりジョーカーの人柄にやられ、今では"ジョーカー師匠"などと呼ぶほどになっていた。 リング上での"計算高く抜け目無い悪役"という印象とは裏腹に面倒見の良い人物で、公私にわたって色々と便宜を図ってくれる。 今は、明日に控えた真田のAACデビュー戦の打ち合わせ@ジョーカーのアパート。 AACでは演出も選手の個人裁量が大きく、日本にいる時以上に自分で考えて色々と行動しなければならなかった。 「試合自体は、私と組んでだから大きな問題はないだろうが……どうやって、観客にアピールするかだな」 「むぅ……そッスねぇ……」 二人して、首を捻る。 メキシコのファン層は、日本に比べて遥かに純朴だ。 観客にアピールするためには、何かしらわかりやすい記号を持ち出す方が有利。 そういう土地柄だからこそ、ジョーカーの奇抜なメイクが出てきたり、チョチョカラスの"仮面の貴婦人"という謳い文句があったりと、個性的なレスラーが多いのである。 メキシコマットでは新参者の真田が目立つためには、それ相応の小道具を使うべきだ、というのがジョーカーの主張なのであったが。 「マスクでも被るか?」 「う〜、自分、マスクは苦手っす。どうにも、視界が狭いと……」 これが、なかなか難しい。 四六時中気合MAXという特徴を持つが故に、どうにもそれを超えるイメージというものが掴みにくいのであった。 「ふむ……私のようにペイントでもするか?」 「自分に似合うでしょうか」 不安そうに首を捻る真田に、ジョーカーは暫し唸ってかぶりを振った。 「似合わないし、その綺麗な肌を傷めるのもなんだな」 「きっ、キレイって! そんな……」 そういう方向で褒められるのには慣れていない真田が赤くなる。 ん? 赤くなる? はた、と思いつき、ジョーカーが手を打った。 「そうだ、せめて髪なり染めてみるか! 安めの水性染料なら、洗えばすぐ落ちるしな」 「あ、それなら何とかなりそうッス!」 「燃えるような、鮮やかな赤に染めるんだ。バーニングの名に相応しく、ね」 「おお、なるほど! さすがジョーカー師匠!」 こうして、二人の会議は何とか収束を見せたのだったが。 それが、半ば無駄な努力であったことは、神ならぬ二人には知りえないことであった。
試合当日。 「いいか、サナダ。積極的に飛び技を狙っていくんだ。ルチャでは、飛ぶのは義務みたいなものだからな」 「わかりましたッ! 全力でいって来るッス!」 ジョーカーの指示に頷き、真田がリング中央に向かう。 カードは、ジョーカー・レディ&バーニング・サナダ対デスピナ・リブレ&ジュリア・カーチス。 先発は、真田とジュリア――SPTのリングを知っている者なら、この組み合わせになった時点で、何かあるのでは、と疑いたくなるのは必至であろうが。 メキシコシティの観客は、無関心というわけではないにしても、それほどこのカードに熱を入れているわけではないようだった。 実際、筋書きではこれは前哨戦。 本当のメインは、この戦いに勝利した側とチョチョカラスが戦う、という算段になってた。 ジョーカー側が勝てば、執拗に首を狙うルードとチョチョカラスの一騎打ち。 デスピナ側が勝てば、ジョーカー組を追い払った褒美として胸を貸す。 いずれにしても、観客が待っているのは試合カードに明記されていないチョチョカラスの登場であり、そこに至るまでの経過はせいぜい酒の肴程度の意識でしかないのだろう。 割とやる気のない観客に、それでもバーニング・サナダを印象付けねばならない。 頭の痛い状況ではあったが、一度走り始めれば真田の頭からはそういった雑念はスッパリと切り捨てられてしまう。 悪く言えば単純、よく言えば一本気な性格ゆえの利点だ。 「おりゃぁーーーっ!」 大仰な掛け声と共に、エルボーを繰り出す。 「くっ!」 真田がデビューした当時から何度も受けている技だが、年々鋭さも重さも増している。 ちょっとした試合なら、本気で打ち込んでくるエルボーをまともに喰らっただけでフィニッシュになりかねないほどだ。 ジュリアも、今ではそれなりに注意しておかねば厄介なことになると認識していた。 それどころか、注意してはいても僅かにふらついてしまうほどだ。 「ハッ!」 真田は、やや反応の鈍いジュリアをリズムよくアームホイップで投げる。 更に、自らロープへと走る真田。 ジョーカーの助言通り、空中殺法を繰り出すつもりだろう。 しかし、この動きにジョーカーは幾分渋い顔をした。 それほど重い技ではないが、序盤から一方的に攻めるのはルードとしてはいただけない。 暗に注意を促すべきかとジョーカーが動きかけたところへ。 「おりゃぁー……あ?」 思わず、ジョーカーは彼女のキャラに相応しくも無くズッコケる。 「さ、サナダぁ……?」 ロープに足を掛け……ようとした真田、SPTのロープと微妙に張り具合が異なり、しなりの違いから踏み損ねてそのまま場外に着地。 「え、あ、あはは……」 照れ隠しにポーズなどとれば、客席からはクスクスと笑い声。 「なんの! もう一度ぉ!」 リングインし、組み付きからジュリアをもう一度投げる。 若干焦っているためか、いささか相手を見せるという観点が抜けている行動だ。 「よしっ! 今度こそぉっ!」 勢いを付け、コーナーポストに飛び乗りる。 そして。 「おぅぶぅはぁぅっ!?」 思い切り足を踏み外して後頭部からリングに転落。 さすがに頭を押さえて転げまわる真田。 対するジュリア・カーチスは"また、このパターンか"と、いささかうんざりした表情で首を振る。 さすがに、ざわつく客席。 誰からとも無く、こんな呟きが漏れた。 「トンタ(馬鹿)?」 「トンタ(馬鹿)」 その声が、だんだんと広がっていき。 「トンタ(馬鹿)!」 「トンターーーッ(馬鹿ーーーッ)!!」 トンタッ! トンタッ! トンタッ! トンタッ! 巻き起こる「トンタ」コール。 「あ? え? おおぉぉーーーっ!」 スペイン語がわからない真田、わけがわからぬまま、ウケている、と思ってアピール。 それでまた、爆笑の渦に巻き込まれる客席。 トンタッ! トンタッ! トンタッ! トンタッ! 最早止まらぬトンタコール。 向こう側のコーナーでハラを抱えて笑うデスピナ&ジュリア。 頭を抱えるジョーカー。 トンタッ! トンタッ! トンタッ! トンタッ! ひたすらヘンな方向にヒートアップする会場。 この日、メキシコシティに伝説が生まれた。
試合後。 ジョーカーから”トンタ”の意味(馬鹿、の女性形。男性形はトント)を聞いて頭を抱える真田に。 「負けたわ、サナダ。私には、とてもマネできない」 「ええ、日本で試合してる頃からやるとは思っていたけど、ここまでとは思わなかったわ」 デスピナとジュリアが口々に賞賛する。 「はは…そっすか……」 「あー、当初予定とはかなり違うが、まあ観客のハートは掴んだな……この路線でいくか。というか、もうコッチの方向にV1アームロックでガッチリ固まってしまったという気もするが」 ジョーカーも認める方向性。 「はは…そっすね……」 チョチョカラスに至っては。 「素晴らしいわ、サナダ! あなたが、ここまでプロフェッショナルだとは思わなかった。いいえ、あなたには天性のものすら感じる! 百年に一度の逸材と呼ぶに相応しい!」 賞賛の雨あられ。 「は、はは……そりゃ、ども……」 真田は、ただひたすら力無く笑うしかなかった。 AAC史上最強のコミックレスラー、バーニング・"トンタ"・サナダ、衝撃のデビュー。
その日以降、バーニング・サナダの名がコールされると、途端に巻き起こる大トンタコール。 一目トンタを見ようと興行は連日札止めの大盛況。 AAC幹部もホクホク顔である。 「喜んでいいのやら悪いのやら……」 「すごい人気だぞ。トンタ、じゃない、サナダ」 「ううっ……複雑ッス」 ただ一人、真田だけは複雑な顔をしていた。
やっぱ、こうなる? |