さて。 社長の精神並びにお財布に甚大なダメージを与えて終了したバカンスであったが。 それ以外にも、少しばかりの影響が出ていた。 それは、RIKKAが新車を買った、とかいう浮ついた話ではなく。 「熱が入っておるな、伊達」 「…は、はい……」 無心にキックマシーンに打ち込んでいた伊達は、声を掛けてきた柳生に振り向き、ふぅ、と一息ついた。 以前ならば肩で息をしていたことだろうが、今ではとりあえずへたり込むほどの疲れはない。 トレーニングは以前に増して質・量共に上がってきているが、身体能力はそれ以上に上昇していた。 バカンスから戻った伊達は、何か思うところがあったのかヘビー級への本格挑戦を直訴。 霧子は幾らか渋ったが、曲がりなりにも決定権を持つ社長がアッサリ了承し、AACジュニアのベルトが返上された。 その月のうちにチョチョカラスのAACヘビーに挑戦、惜しくも敗北を喫したものの、ただ胸を借りていただけのこれまでとは一味違うファイトでヘビーへの転向をアピール。 未だ実力差はあるものの、チョチョカラスとも充分張り合えるだけの選手として認識され始めていた。 社長も「エースの貫禄が出てきたなぁ〜」とニコニコしていたし。 ……ゴメンナサイ。やっぱ浮ついた話でした。 まあ、純粋に力量としても、伊達は既にジュニアの枠に収まりきれなくなっていたのではあるが。 「結構。だが、私とマッキーも先月でジュニアを卒業したということも、忘れてもらっては困るぞ? 油断するようなら、その首貰い受けることになる」 「…き、気を付けます……」 物騒な言い回しの柳生の言に、伊達は表情を引き締める。 SPTの選手はほとんど同期であり、草薙・葛城の成長の早さもあって、技量にそれほど大きな差があるわけではない。 とても浮かれてはいられない状況であることは確かだ。 まあ、若干一名、未だ"迷走中"の選手もいたりするのだが……その約一名は、来月からAACに半年間の遠征修行に出かけるらしい。 社長が今月メキシコへ遠征する斉藤に付き添って、現地との調整を行ってくる事になっていた。 何で斉藤がAAC遠征なぞするのかというと、社長に騙くらかされて出版に漕ぎつけてしまった「道〜斉藤彰子写真集〜」から逃げているだけだ、との噂がまことしやかに囁かれていたりするのだが。 ついでに、社長を連れて行くのはメキシコの土に還すためだ、とか、夜は治安が悪いから人一人ぐらいいなくなっても誰も気付かない、とか、危険な噂も飛び交っていたり。 社長、道中お気をつけて。 「それはそうと、今月のメインもお主で行くとの知らせだ。長も、お主には相当期待しておるようだな」 「…! は、はい……」 期待されたんでは、頑張らないわけにはいかない。 伊達遥は、結構難儀な娘であったりするのだ。
3月シリーズ。 伊達とマッキーによるEXタッグリーグ制覇というサプライズは、SPTの企業活動に大きな変化をもたらしていた。 全国展開、である。 これまで九州を中心に西日本を巡るという地域密着型の展開をしていたSPTであるが、インターネットアンケートやらプロレス専門誌に寄せられるファンの声やらで、東海以北の地域への巡業を求める声が予想以上に大きくなっていた。 社長としては、僅か2年で当初方針を転換するのはどうか、という意識も無いではなかったが。 霧子は、経営方針にまで口を出すつもりは無いと前置きした上で、実務上の立場から利を説いた。 確かに、いずれ全国展開を考えているのならファンの声が高まっているこの機を逃す手はない。 ただ、もちろんリスクはある。 これまで頻繁に興行を行っていた西日本地域での活動は相対的に疎となるし、全国展開ということになれば新女をはじめとする各団体との競合が激しくなるのも事実。 それでも、より多くのファンに試合を見てもらえる、ひいては興行収益の増加が見込める、という利を霧子は採る。 もちろん、それは霧子の判断であり、SPTの経営に関して最終的に決断すべきは社長だ。 その社長は、う〜ん、とひとしきり唸った後で、ボソリと呟いた。 「真田の実家は長野でRIKKAは山梨だよな。ラッキーは東京? 草薙は……山形か。うん、全国展開。決定」 なんともいいかげんな決着の付け方である。 ともあれ、これで全国展開は決まった。 先月は東海から北陸・甲信と回り、真田やRIKKAが故郷に錦を飾ったのであるが。 今月は、SPT初の関東興行。 新女はもとより、WARS、JWIといった経営上の難敵がひしめく、ファンの目も肥えた難しい地域である。 この壮挙にあたり社長が組んだカード編成は、選手にとって厳しいものとなった。 特に大変な目に遭っているのが、エースである伊達とAAC遠征を控えた真田である。 真田は、AACに対応するためと称してジョーカー・レディとの8連戦。 伊達に至っては、連日連夜の対チョチョカラス8連戦、しかも最終戦東京ではAACヘビーのタイトルマッチである。 各地域でファンを集めるためには、それくらいのインパクトは必要であった。 しかも、今後継続的に会場へ足を運んでもらうためには、その全てで充分に観客を沸かせるファイトを展開しなければならない。 冷静に考えれば無理難題に近いものがあったのだが、選手会長柳生はいともあっさりと社長の不安を斬って捨てる。 「なに、旗揚げ当初のことを思えば、何ほどのこともあるまい」 その頼もしい言葉通りに、SPT関東興行は連日大入り満員の盛況で、試合への評価も充分なものであった。 最後の問題は、今夜。 最終戦の舞台である東京は、他の多くの分野と同様、女子プロレス団体SPTにとっても特別な意味を持つ場所だった。 何といっても、日本を駆け巡るマスメディア情報のほとんど全てが発信されている巨大な街だ。 東京における評判は、すなわち全国レベルでの評判に直結する。 メインイベント、AACヘビーに挑戦する伊達の双肩に掛かるものは、限りなく重いものであった。 「はるっち! 今夜こそッ! 頼んだッスよっ!」 セコンドに付く真田が、相変わらず無責任かつ過度に熱い激励を飛ばす。 ふたつ前の試合でジョーカー・レディにノされた割に、異常なほど元気である。 「…うん……!」 真田の熱にやられたわけではあるまいが、伊達も決意に満ちた表情で頷く。 ここまで伊達は7連敗。 あわや、という瞬間を何度も作りながら、最後の砦を崩すことが出来ずにいた。 手応えは、確かに掴んでいる。 あと一息、決定的な一撃を叩き込むことが出来れば、勝利も夢ではない。 無論、その一撃を決めることこそ、今の伊達にはそれこそ無理難題の類ではあったのだが。 「…ベストを…尽くしてきます……!」 何度目になるのか、もう忘れてしまったが、今度こそは、と決意を胸に伊達はリング中央に向かった。
「ハッ!」 鋭く踏み込み掌底を狙っていく。 対するチョチョカラスは、冷静に間合いを計り有効打にさせない。 「フッ!」 切り返しのローリングソバット。 上手くガードし、伊達もこらえる。 実力拮抗、ではない。 序盤の小競り合いから、この中盤の攻防まで。 ここまでは、伊達も喰らい付いていけるのだ。 マッキーにしても、柳生にしてもそう。 チョチョカラスの凄さは、その先、終盤の展開を独り占めしてしまう抜群の上手さにあった。 そこを如何にして切り崩すか、流れを自分に手繰り寄せるのか。 それが、チョチョカラス攻略の鍵。 わかってはいるのだが。 「いきますッ!」 「……あぅっ!」 ロープに振られ戻ってきたところへ、チョチョカラスのジャンピングニーが突き刺さる。 一進一退の攻防から、僅かに抜け出すチョチョカラス。 いつものパターンだ。 ここから先が、チョチョカラスの時間。 やはりダメなのか、と観客の間にため息にも似たどよめきが起こる。 ――この、ままじゃ…… 伊達自身、うっかりと弱気が頭をもたげる。 それが、伊達の"弱さ"だった。 再度、ロープに振られる伊達。 「はるっちーーーッ! 来るッス! 返すッスよーーーーーッ!!」 無責任にも程がある真田の声。 少しだけ、苛立ちを覚える伊達。 それが出来るものなら、とうの昔にやっている。 いったい、どうしろというのか? 伊達の心を読んだわけでもあるまいが、真田が声を張り上げる。 「肘ィッ! 当ててくッスーーッ!!」 肘? どうやって? エルボーに持ち込める流れではない。 チラリと、懐疑の視線を真田に走らせる伊達。 ――あ…… 自分が試合をやっている気にでもなっているのか、しきりに身体で思考を表現する真田の姿が目に映る。 後背に肘を打ち込むような腕の振り。 自分の適性も考えず空中殺法に陶酔し、迷走中と言われようがひたむきにそれに打ち込んできた真田。 社長と二人で楽しそうに(※伊達ビジョン)特訓に励む、その姿を嫌というほど見せ付けられて(※伊達歪曲ビジョン)きた。 その中に、確かにこの技があったはずだ。 ――トペ・レベルサ! 理解した瞬間、伊達の身体は動いた。 「タァッ!」 「何ッ!?」 二度目のジャンピングニーパットを仕掛けようとするチョチョカラスが跳ね返ってきた伊達の肘を喰らい、そのまま二人もつれるように倒れ込む。 チョチョカラス必勝の流れを断ち切る返し技に、今度は不意の期待感に客席がどよめく。 ――うるさいとか思ってゴメン。ありがとう、美幸ちゃん。 心の中で詫びと礼を言い、気を引き締めなおしつつ伊達は立ち上がる。 そう、この試合はただチョチョカラスがAACヘビーのベルトを賭けているだけのものではない。 大げさに言えば、こちらが賭けているのはSPTの命運だ。 本当に、負けられない一戦。 伊達は、今更ながらに自分の肩に掛かるものの重さに気付き、弱気になっている場合ではないと自身を叱咤する。 「クッ!」 不快そうに顔を歪め、チョチョカラスも立ち上がる。 ――的確に切ってきた……迂闊に飛べませんね。 そう思い、僅かに逡巡するチョチョカラス。 それが、仮面の貴婦人らしからぬ隙を生む。 「ハァッ!」 「ウッ!」 組み付きから、素早い展開でフロントスープレックスで投げ飛ばされるチョチョカラス。 やはり、投げ合いでは既に彼我の優劣は無い。 サブミッションに捕えるか、あるいは多少のリスクは覚悟の上で、あくまで空中殺法で圧していくか。 それしかないか、と考えをまとめつつ立ち上がる。 しかし、その思考に囚われた僅かな時間が、取り返しの付かない隙を生んだ。 迷いに似たチョチョカラスの表情を見た伊達は、はっきりと確信した。 ここしかない、と。 「この瞬間……ッ! 待っていたッ!」 一瞬で間合いを詰め、矢のようにローキックを放つ伊達。 「ハッ!?」 チョチョカラスが思わずひるむその刹那に、ミドル、ロー、ハイと踊るように華麗な蹴りが放たれた。 「フェニックス・コンボ・キックッ!!」 「アァッーーーッ!?」 信じられないものを見た、と、チョチョカラスは驚愕に目を剥く。 ――バカな……馬鹿げている。何だ、この脚のしなりは? いったい、どういうリーチだ? 何て、スピード、そして、威力……! 崩れ落ちるチョチョカラスの身体に、伊達が覆い被さる。 仮面の貴婦人は、呆然としたまま三つ目のカウントを聞いた。 もう、絶対に油断も迷いも許されない。 伊達遥は、間違いなく世界レベルのトップ選手へと成長を遂げたのだ。 負けたチョチョカラスの口元に、自然な笑みが浮かぶ。 漸くにも得た、真のライバル。 それが提携団体の選手であることは少々複雑でもあったが、長く孤高の地位にあったチョチョカラスにとってはこの上なく喜ばしい。 ――さあ、これからよ。楽しみましょう、ダテ……! とりあえず、リベンジ戦だ。 AACの至宝は、キッチリと返していただくことにしよう。 それも、今やチョチョカラスにとっては対戦を実現するための口実に過ぎなかった。
「やったッスーーーーーッ! お見事ッスよ、はるっちぃッ!!」 当の伊達より遥かにうるさい真田をヘッドロックに捕えて押さえつつ、柳生も祝福する。 「誠に、めでたいことだ。長が帰国したら、改めて祝宴でも開いてもらおう」 「……は、はい」 わざわざパーティーなんか開かなくても、もう既にこの控え室の段階でお祭り騒ぎなのだが。 そんなことを思わないでもなかったのだが、まあ、社長に良い知らせを報告できるのは嬉しい。 みんなが喜んでくれているのも、もちろん嬉しくはあるけれども。 方向性の違い、というヤツである。 「いや〜〜〜、これで自分も安心して修行に行けるッス!」 柳生のヘッドロックから自力で抜け出した真田が、ニコニコと満面の笑みで言う。 「うんっ!」 珍しく、間髪入れず力強く頷く伊達。 そう、社長を独占していた(※伊達歪曲ビジョンMAXI)真田は、来月からAACへの長期遠征だ。 実に喜ばしい。 「逆に風当たり強いんじゃないの〜? ベルトを奪ったカタキの仲間だ、とか言われて」 近藤がからかうと。 「そッ! そんなコトはッ!? ……あるんッスかね……?」 後半が消え入りそうになる真田。 呆れ顔で、葛城が口を挟む。 「子供でもあるまいし、無いと思いますが? 多少扱いが悪い可能性は、否定できないかもしれませんが」 いまいちフォローになってなかった。 「う……そんな。前途多難ッスか、自分?」 少々弱気になって真田が訊けば。 「…………さて……?」 首を捻るRIKKA。 微妙な顔の真田の手を取り、伊達が励ます。 「……大丈夫。弱気だと、負ける……向こうで、頑張ってきて」 何となく、そのまま向こうで頑張ってね、という風に聞こえなくも無いのは事情を知るものの偏見だろうか? まあ、真田にそういった機微が理解できるはずもなく。 「そ、そッスね! 自分、全力でブチ当たってくるッス!」 途端に気を持ち直して気合を入れる真田。 その単純さに、控え室が笑いで満たされた。
こうして、静かなる不死鳥がSPTに舞い降りたのでした。 |