「もしもし? ……ああ、長か。用件は? ……ふむ……まあ、我らに関係するとも思えぬが、留意はしておこう……は? 誰が、警察沙汰になど……あー、うむ、気を付ける。気を付けさせるとも……承知した。ではな」 面倒くさそうに、携帯電話を切る柳生。 「何事ッスか、柳生さん?」 怪訝な表情で、隣を歩いていた真田が問えば。 「うむ、長から伝言だ。なにやら、国内の不穏分子が界隈を騒がせておるらしい。我らにも、充分注意するようにとの伝言だ」 いや、よくはわからないけど政治団体のデモとかち合っちゃったから注意してね、という内容だったんですが。 どうしてそう、物騒な言い回しになってしまうのやら。 「不穏分子?」 「詳しくは知らぬ。大方、気の触れた似非政治団体などであろう。政治だの、民族だの、思想だの、理屈を付ければ何をしてもよいと思っておるたわけどもは、存外世に溢れておるものだ」 割とどうでもよさそうに、酷くニヒルな意見をのたまう柳生さん。 一刀両断にも程があります。 「あー、自分、よくわかんないっすけど」 私おバカです、と顔に書いて笑って誤魔化そうとする真田。 仏頂面で、柳生は力なくかぶりを振る。 「だからこそ怖いのだろうよ、長も。無知を罪とは言わぬが、時に災厄を招くのは事実。それよりも、だ」 そこで、コホン、と咳払いをして見せ、柳生は少しばかり引きつった笑みを浮かべて確認する。 「真田、お主今回はちゃんとサインペンを持ってきたのであろうなぁ?」 「も、もちろんッス! 自分、己の技量を充分思い知ったッスから!」 昨年夏、真田拓の喜劇悲劇を思い起こし、さすがに笑顔が凍る真田。 と、向こうの方から巫女装束の草薙が二人に声を掛ける。 「先輩方! サイン会の準備、整いましたが?」 恒例、SPT選手サイン会。 選手比率の関係上致し方ないが、今年もどうにも和風に傾いてしまっているようであった。
「わかっておるとは思うが、今一度確認しておくぞ?」 サイン会に先立ち、選手会長柳生から訓示が出される。 こういうところで、ついつい余計なリーダーシップを発揮したりするもんだから選手会長なんぞという面倒な役目を押し付けられたりするのだが、まあ、それが柳生という人なのだから仕方ない。 「昨今色々と問題になっておる故、ファンの御好意とはいえ付け届けなどは一切受け取らぬよう」 ここのところSPTも知名度と人気が上昇しているためか、ファンからのプレゼントが届いたりすることがある。 SPTの事務所に郵送されてくることもあれば、試合会場に持ち込んで来てくれたり、あるいはサイン会の際に持ってきてくれたりと様々だ。 有難いと言えば有り難くはあったのだが、全部受け取っていてはキリがない。中には生ものとか、大量にもらっても始末に困るものもあるし。 また、ごく稀にだが危険物とかがあったりするので、防犯上の理由からもSPTとしてはプレゼント受け取り禁止、というルールが敷かれていた。 ウェブサイトやら何やらで告知はしてあるのだが、結構ファンにも浸透していなかったりするから意外に処置に困る。 「公の場で行うことであるから、決して騒ぎは起こさぬよう。特に真田」 「わかってますって」 名指しされ、さすがに口を尖らせる真田。 言っちゃあ何だが、過去に巻き起こった騒ぎには少なからず柳生も関係している場合が多々あるのだが。 「今回、興行準備と重なりスタッフの動員数が少ない。ファンが混乱するようなら、我ら選手の方からも整然と行動するよう呼びかけよ。また、今回は社長や霧子殿もおらぬので、問題があった場合は私の判断を仰ぐよう」 ぶっちゃけ、後半部分に関してはかえって安心出来そうですが。 「また今回、ウェブサイト掲示用の写真を撮影することになっておる。一応、スタッフが中心となって行うが、我らが手ずから撮影したものも欲しておるらしくてな。デジタルカメラを借り受けて来ておる故、手が空いたときに適当に撮影してもらいたい」 それを聞いた草薙が、思わず叫ぶ。 「でっ!? でじったるっ!?」 「……どうした、草薙?」 怪訝な表情で訊く柳生に、草薙は慌てて愛想笑いを浮かべて取り繕う。 「い、いえ、何でもございません」 「あれ? ファン撮影会じゃないんスか?」 キョトン、として真田が問えば。 「たわけ。それは霧子殿に禁じられておる。著作権がどうの、肖像権がどうの、との仰せだったと思うが。今までも、スタッフが撮影禁止云々ファンに触れて回っておったろうが」 柳生は呆れ顔でそう答えた。 まあ、それでも撮るヤツは隠れて撮っていってたりするのだが。 どうも、霧子としては写真集だとかDVDだとかいう辺りの展開も考えているようで、とりあえずそういうお達しが出ていたりするのだ。 今回のウェブサイト用写真というのも、そういったものを見越しての戦略かもしれない。 そういった細かなことは霧子に任せるとして。 「他に質問は? 無ければ配置につけ」 とりあえず、柳生の任務はこのサイン会を無事終了させることであった。
――とんでもなく、困難な任務である――
「いや、規則で受け取れぬこととなっておる。悪いがお持ち帰りいただきたい」 ファンが差し出したプレゼントを、丁重にお断りする柳生。 丁寧なんだが、割と取り付く島が無い。 そう言われては、ファンとしても渋々引き下がらざるを得ないのだが。 「ありがとうございます! 感激ッス!」 「だぁ〜〜〜〜っ! 言ってる側から受け取るな!」 叫びつつ、隣で差し入れの回転焼を受け取ろうとする真田に空手チョップをお見舞いする柳生。 こんな調子だと、ファンの側でも、いいじゃないですかキモチですから〜、なんて感じで強引に押し付けてきたりするのである。 「いや、結構。禁を破り霧子殿に折檻されるのは、御免こうむりたい」 一層きつい調子で拒絶し、何とかファンを退かせる柳生。 「う〜申し訳ないッス」 心底残念そうにファンに詫びて、真田はブツクサと呟く。 「回転焼ぐらい、ここで食べてしまえばバレないと思うんすけど」 「甘い。相手は霧子殿だぞ?」 部外者にはよくわからない柳生の切り返しであるが、SPTの選手にとっては恐ろしく説得力のある主張であった。 その迫力たるや、思わずファンがひいてしまうほど。 「む、流れを切ってしまったか」 さすがに、やり過ぎたかと思わないでもなかったが。 「まあ、ある意味丁度良い。真田、お主はちと写真でも撮っておれ」 この機会にと騒動を起こす主要因を体よく追っ払って、柳生はもう一度席に着く。 「写真ッスか? まあ、いいですけど……」 真田は、ヒョイッ、と柳生が寄越したデジカメを手にして席を立つ。 その様子を見て、草薙が愕然とした表情で訊いた。 「さ、真田先輩……もしかして、そ、その、そういうのが、お得意だったりするんですか!?」 「は? 写真とか? 別に、フツーに人並み程度っすよ?」 わけがわからぬ、といった微妙なツラで答え、ピコピコとデジカメを弄ぶ真田。 草薙は、まるで宇宙人でも見つけたかのような面白フェイスで固まってしまう。 ――そ、そんな! "あの"真田先輩ですら、あのように自在に!? ガガーン、と大技を喰らったかのような衝撃に襲われる草薙。 この瞬間、草薙は、おバカ代表その1である真田以下の存在であった――少なくとも、彼女の脳内世界では。 そう、世の中には二種類の人間がいる。 デジカメを使える人間と、使えない人間だ。 柳生は、全く動じていないところを見ると使える人。 真田は、今現在誇らしげ(注:草薙ビジョン)にデジカメを手に取り自在に操って見せている。 草薙は――独りだった。 この広い世界の中、草薙みことは唯独り、こちら側の世界にいる―― 「……どしたん、みこっち?」 草薙脳内の面白世界を知らない真田、さすがに怪訝そうな顔で草薙に尋ねるが。 「あ、いえ! そういえば、何か人通りが激しいのではないか、と」 この事実、知られてはならじと思い切り不自然な誤魔化し方をする草薙。 頭上にクエスチョンマークをつける真田に代わり、柳生がその疑問に答える。 「ああ、お主には伝えておらなんだか。何でも、政治的に不満を抱く不穏分子が集会行動を行っておるらしくてな」 だから、ただのデモだというに。 あんまりな柳生の説明に、ファンが並ぶその向こう側を通過していたデモ隊の人々が不愉快そうな視線を投げ掛ける。 パシャ。ピッ。 「自分らが撮った写真なんか、どうするんスかねー?」 小首を傾げる真田の脳天に、柳生の鉄拳が炸裂。 「おぶっ!?」 「たわけっ! 不穏分子なんぞ撮ってどーする!? 我らのサイン会の様子を撮らぬか!」 いつも通りの漫才に、ファンの間から笑いが漏れる。 が、笑っていない人もいたわけで。 「ちょっと! 何撮ってるんだ!」 デモ隊の中から、慌てた様子で駆け寄ってくる男が一人。 まあ、真田のバカ行動が元かと思えば少々悪い気もするが、大事なファンを突き飛ばしてきたとあっては柳生も心中穏やかではいられない。 「む? 経緯はともかく、余所様のファンに向かって何をするか!」 気の弱い人間なら思わず立ちすくんでしまう程の迫力で一喝する柳生であったが。 「うるせぇっ! 写真よこせっ!」 更に詰め寄り、乱暴に長机をひっくり返す男。 「うおっとと……」 巻き込まれそうになった真田が、慌ててバックステップで飛び退き、荷物を避けて着地する。 で、その真田の目の前に掲示板。 所謂、この顔にピンと来たら110番。 「あれ?」 振り返ればそこに。 「あら?」 110番しなきゃ。 「指名手配犯みっけーーーっ!?」 真田、指差し絶叫。 「何!?」 ギョッとする柳生。 性質の悪い冗談のつもりだったのに、本当に不穏分子? そりゃ、写真は撮られたくなかろうなぁ。 やばい、と、ファンを突き飛ばしながら脱兎のように駆け出す男。 「チッ! 我らを愚弄して、逃げおおせるつもりか!」 いや、別にSPTを愚弄なんかしてないし、そもそも向こうとしても関わり合いになんかなりたくなかったんじゃないかと思うのですが。 とはいえ、指名手配犯に倣ってファンを突き飛ばしていくような真似は出来ない。 「皆、そこを空けよ! 真田、付いて参れっ! 草薙は、警察に電話せいっ!」 ファンに道を空けるよう要請し、真田に指示を出しつつ、更に草薙に携帯電話を放り投げる。 この場合、最後の一言がいけなかった。 「はっ! はいぃーーーっ!?」 草薙、思わずキャッチしてしまった柳生の携帯を恐る恐る握り締め。 ピッ。 ピピーッ。 「せ、先輩! ななな、なにか、ぴーって! ぴーーーって!」 結果、余計なパニックが発生。 「貴様、携帯電話も使えんのか!?」 思わずズッコケ、ツッコミを入れてしまう柳生。 これも、ひとつの体質である。 「う、噂には聞き及んでおりましたがっ! これが、世に言う携帯電話なのですか? 電話線はどちらに!? お金は何処に入れればよろしいのでしょう!?」 「私が言うのも何だが、時代錯誤も甚だし過ぎるわ!」 パニック絶好調の草薙に、ついつい放置出来ずにツッこんでしまう柳生の性。 「はっ! そう言えば、今は割符で電話が出来る時代だと聞き及んだことがっ!」 「それはテレホンカードのことか!? ここ数年使ったこともないわ!」 全身全霊でツッこんでから、はた、と出遅れていることに気付く。 こうなっては、追跡は真田に任せる他無いか、と思って振り返れば。 「お? ここにサインっすか?」 頼みの綱は、状況をよく理解していないのか、あるいは引き止め工作なのか、デモ隊のオバちゃんの署名運動に捕まってました。 「だーかーらーっ! ワケわからん署名運動にサインしてる場合かっ!?」 思わず署名ボードをチョップで叩き落としたところへ。 「先輩! やりました! ようやく受話器が取れました!」 見事折りたたみ式の携帯電話を二つに分割した草薙の歓声。 「折るんじゃないーーーっ! それは壊したというんだーーーーーっ!」 ああ、ダメだ。 何か、色々、もうダメだ。 そう思いつつ、吼えずにはいられない柳生だった。 怒鳴り過ぎて息を切らしているところへ。 「それで、コイツは何の犯人なんだ?」 ボロ雑巾のようになった件の指名手配犯の首根っこ捕えて引きずりつつ、やってきた斉藤が呆れ顔で尋ねた。 これがラッキーあたりだったらアームロック極められるぐらいで済んだのかもしれないが、生憎斉藤は不器用一途に殴る蹴るの人なのでした。 おおー、とファンの間からため息が漏れる。 一番美味しいトコ、持ってっちゃいましたよ、このヒト。 「斉藤さん? どうしてここへ!?」 驚く真田に、手近なファンに警察への連絡を頼んでいた斉藤は、ため息ひとつ。 「社長が、心配だから見てきてくれ、ってね。意外と当たるね、あの人の予感」 そう言って、しっちゃかめっちゃかの周囲を見渡す。 「お、お主に……」 その中心で。 「お主に私の苦労がわかってたまるかーーーーーっっ!!」 柳生美冬は叫んだのであった。 なお、この一件で斉藤が感謝状を受け、それで株が上がったためであろうか、この月に斉藤のファンクラブが設立されたり、さらに年度末には写真集が出版されたりするのだが――それはまあ、余談である。
結局、警察沙汰。 |