8月、四国・中国シリーズ。 最終戦の舞台は、慣例通り広島大会。 そして、そのメインイベント。 そこに自分が立っていることを、伊達遥はほんの少しだけ非現実的な夢のように感じていた。 「ッシャ! 行って来い、伊達!」 「ファイトっす! はるっち!」 セコンドに付くのは、同期の二人。SPTが誇る、おバカの双璧ことマッキー上戸と真田美幸である。 「う…うん」 この手の緊張とは無縁の二人を羨ましく思いつつ、伊達がリングイン。 そして、いささか本人の雰囲気に似つかわしくない重いBGMにのって対戦相手が現れる。 AAC世界ヘビー級王者、チョチョカラス。 先月、マッキー上戸を一蹴した最強のルチャドーラだった。
シリーズ前。 「おーい、伊達ー」 フラリとジムにやってきた社長が伊達を呼ぶ。 「…な、なんですか……?」 少々ギクシャクしながら伊達がやってくる。 相変わらず人見知りが激しいなぁ、などとトボけたことを思いつつ、社長は、ポン、と伊達の肩に手を置いて言った。 「次、タイトル戦行くから」 「は、はい?」 いきなり過ぎて目を瞬かせる伊達。 AACジュニアの防衛戦なら、毎月のようにこなしているが。 海外防衛戦でもあるのだろうか? 社長は構わず、いつものように、にへらっ、と笑う。 「期待してるよー。ま、胸を借りるつもりで思いっ切りやってみて」 「…え…あ…はい?」 イマイチ意味が伝わっていないらしく、首を傾げる伊達。 見かねて、近藤が口を挟んだ。 「社長、ちゃんと言わなきゃ伝わらないって」 社長の前で緊張120%なんだから、とは胸の中でだけ呟いて、確認するように付け加える。 「AACヘビーでしょ?」 「うん。って、あ、そか。伊達の場合、ジュニアがあるからどっちか判りにくいか」 あはは、と頭を掻く社長。 なるほど、AACヘビーのタイトルマッチか。 漸く理解して。 「えっ…AAC、ヘビー…? わ、私……?」 んでもって、漸くうろたえる伊達。 「えぇ〜っ! アタシのリマッチは、どうなるんだよ〜」 脇から出てきて、ブーたれるマッキー。 先月挑戦してコテンパンにノされた割には、これっぽちも気に病んでないらしい。 まあ、一度や二度の敗戦で凹んでいるようではレスラーなんぞ務まりゃしないのだが。 「あのね……少しは成長してから言ったら?」 ため息混じりにツッこむラッキー。 思わず言葉に詰まるマッキーに、苦笑しつつ社長がフォローを入れる。 「いや、連チャンじゃファンも飽きるでしょ? とりあえず、今回は伊達。柳生も考えたんだけどね」 言いつつ向けられる社長の視線を感じ、柳生が仏頂面で鼻を鳴らした。 「長、勢いは伊達にあると言ったはずだ。少々残念ではあるが、私は伊達へのリベンジが済んでおらぬからな。流れというものは、大切にするものだぞ?」 ついでに、マッチメークに関してまで諭す柳生。 どっちが社長だかわかりゃしない。 「てなワケで、次シリーズのAACヘビー挑戦者は伊達に決定。しっかりね〜」 「あ…ぅ…はい……」 そんなわけで、割とお気軽にチョチョカラスと伊達遥のタイトルマッチは決定したのであった。 それがAACジュニアがAACヘビーに挑戦する、という注目度抜群の一戦であることを社長が理解したのは、大会のポスターが出来上がってからだったりする。
そして現在、リング上に至るわけだが。 「…フゥ……」 思わずため息を漏らすチョチョカラス。 彼女にとってこのカードは、正直あまり面白いものではなかった。 AACヘビーは、ジュニアの選手が挑戦できるほど軽いものではなかったはずだ。 新進気鋭とはいえ、伊達がジュニアの選手であることは事実。 近年対戦相手に恵まれずなかなか納得のいく防衛戦を行えずにいるとはいっても、挑戦するのならせめてジョーカー・レディ程度の地力は持っていて欲しい。 まあ、SPTにチョチョカラスを満足させるだけの選手がいるのか、と問われれば、かぶりを振るより他にないのではあるが。 参戦しているSPTがAAC勢との対決をウリにしている現状では、とりあえず納得するしかない。 プロである以上、たとえ消化試合でもしっかり務めよう。 しかし、そこにAACジュニアのベルトを巻いている者を当ててくる無神経さには、さすがに閉口する。 これでは、AACヘビーがAACジュニアと同列だ、とファンに誤解を与えかねないではないか。 まあ、先月同様一蹴して、ジュニアがヘビーにまるで及ばぬことを証明して見せればいいだけのことだ。 そう考えて、とりあえずリングに立ってはみたが、やはり気は乗らない。 一方、伊達はというと緊張の渦中にあった。 なにしろ、相手はチョチョカラスだ。 AACのトップイベンターであり、恐らく世界最高の空中殺法の名手。 敵うわけがない。 空中殺法ではもちろん、得意の打撃戦でも太刀打ちできるかどうか。 結果など、火を見るより明らかなカードである。 しかし。 格上との戦いなんて、いつものことだ。 旗揚げ間もないころは、AACの中堅どころを相手にひたすら立ち向かう日々だった。 それを思えば、曲がりなりにもベルトを巻いている今、トップイベンターと相対するのもどうということはない。 まあ、さっきから心臓は早鐘のように鳴っているんだけれど…… そして。 社長から、期待してるよ、などと言われては、伊達としては奮起せずにいられない。 乙女心は、大変なんである。 「フン…」 余計なところに精神を飛ばしていると、早速チョチョカラスに捕まった。 「あ…!」 ロープに振られ、戻ってきたところに打点の高い綺麗なドロップキック。 転がったところへ、無造作にすら見えるスリーパーホールド。 これは、さすがに入り方が甘く力ずくで振りほどく。 「くっ!」 スタンドから組みに来たチョチョカラスへ、嫌うようにエルボーを放っていく。 少々不快な顔をしながらも、余裕でそれを受け止めるチョチョカラス。 それならば、と掌底のモーションに入ったところで。 「あぅっ!」 ズダン、と。 絶妙なタイミングで腕を取られ、アームホイップで投げ捨てられる。 倒れた伊達に、再びぞんざいなスリーパー。 「フゥ…」 さすがに、チョチョカラスもため息をつかずにはいられない。 わかってはいたことだが、あまりに一方的な展開。 これでは、試合にならない。 せめて、先月のマッキーのように剥き出しのファイトを見せてくれるのなら、まだあしらう楽しみもあろうというものを。 が、このため息が、伊達に火を付けた。 「う…このままでは!」 引き下がれない、と思った。 それが、社長に笑われる、という焦燥感から来たものなのか、あるいは僅かに芽生えつつあるSPTトップとしての自覚からなのか、それとも単純にレスラーとしての矜持なのか、そこまで考えは及ばない。 ただ、このままでは引き下がれない、と思った。 そう思えば、最早恐れなど障害にはならない。 もう一度、強引にチョチョカラスの腕から逃れる。 漸く、伊達の中でゴングが鳴った。 ――ホウ? 先刻までとは、目の色が違う。 さすがに百戦錬磨のチョチョカラス、伊達の中で起こった小さな変化を敏感に察知する。 先ほどのように組むのを嫌ってではない、明確な意思を込めた伊達のエルボー。 ――なかなか、鋭い! 表情を変えぬまま、それでも幾分慎重に、チョチョカラスはその一撃をしっかりと受け止める。 なるほど、ジュニアとはいえベルトを巻くだけのことはある技のキレ。 ダテは打撃戦を得意とすると聞いていたが、これならシウバ程度では返り討ちにあうのも不思議ではない。 続いてミドルのキック。当たりは浅い。 ――牽制。 冷静に判断し、神経を研ぎ澄ます。 予想に違わず、伊達の腕が鋭く突き出される。 「しかし、甘い!」 ニヤリと笑い、繰り出された掌底をいなして腕を取り、そのままロープに振る。 戻ってくる伊達に合わせて―― 「ムッ!」 チョチョカラスは、僅かに戸惑った。 戻ってくる伊達の目には、明らかに攻撃の意思がある。 この流れ、伊達が繰り出すとすれば――ラリアット? いや、ランニングエルボーか? しかし、答えは意外。 力強く踏み切り、宙に浮く伊達。 「なっ!?」 長身の長い脚が繰り出す、綺麗なドロップキックが炸裂した。 チョチョカラスほどの打点はないが、SPT選手の中ではRIKKAと並び美しいとされるドロップキックだ。 やっとエンジンが掛かってきた様子の伊達に、観客の声援が飛ぶ。 「おのれ…」 さすがに不機嫌に顔を歪めるチョチョカラスに。 ガツン、と。 膝立ち状態の顔面目掛け、畳み掛けるようにローリングソバット。 これで、チョチョカラスにもスイッチが入った。 生意気にも、得意の打撃ではなく空中殺法で抵抗してくるジュニアの王者。 そう。 小さくても、ベルトを巻いているのなら、それ相応の対応をしてやろうではないか。 立ち上がり、睨み合いからローリングソバットを仕掛ける。 当然だが、伊達のそれとは一味も二味も違う。 「うっ!」 「行きます!」 思わず仰け反る伊達を間髪入れずに捕えロープに振り、これが本当のドロップキックだ、とでも言わんばかりの高度とキレの高空ドロップキック。 更に、ロープの反動を利してギロチンドロップを叩き込む。 「くぁっ!」 さすがに呻きを漏らす伊達。 「ふん…」 少しばかり溜飲を下げたチョチョカラスが、そろそろ楽にしてやろう、と伊達を強引に引き起こすと。 「シッ!」 途端に、逆襲のエルボーを喰らう! 「チィッ!」 ぬかった、この程度で音を上げるような手合いではなかったか! そう思うところへ。 「ッ!!」 ドスッ、と痛烈な音が響く。 矢のような掌底が、漸くチョチョカラスの身体を捉えた。 ――なんて、衝撃! その威力に、チョチョカラスは少しだけ前の考えを訂正する。 シウバ程度では、返り討ちにあって当たり前だ。 一気に畳み掛けようとエルボーを乱打する伊達。 その攻撃を凌ぎつつ、チョチョカラスはゾクゾクと身体の内から歓びが駆け上がるのを感じていた。 まだまだ伸び盛りの若手でこれだけやるのなら、あるいは――いや、いずれは。 それでも。 「ハァッ!!」 間隙を突き、素早く裏拳を繰り出す。 小生意気にも、このチョチョカラスに空中殺法で対抗しようなどとしてくれた礼だ。 当たりは浅いが、構わない。 どのみち、これは繋ぎ―― 「あっ……!?」 気付いて声を上げた時、伊達は既にバックを取られていた。 「喰らいなさいっ!」 ドスンッ、と盛大にマットが揺れる。 ジャーマンスープレックス。 柳生を葬るだけの威力を秘めた、フィニッシュホールドのひとつだ。 しかし、今夜のチョチョカラスは、ここで止まらなかった。 「ダテ。あなたには、悪いことをしたわね」 いっそ見惚れてしまうほど凄惨な笑みを浮かべ、仮面の貴婦人は、ついにその本当の牙を剥く。 「あなたには、もっとふさわしい扱いがあった!」 コーナーポストに駆け上がる、その姿を伊達は他人事のように瞳に焼き付けた。 ムーンサルトプレス。 チョチョカラス真のフィニッシュホールド。 真田が憧れ、そして伊達が以後幾度となく目にし、喰らうことになる、伊達が、SPTの選手が、その技を初めて受けたのはこの夜だった。
「うぅ……」 「大丈夫っすか、はるっち?」 「スゲー音したもんなぁ」 あまりの威力に力が抜け、真田とマッキーに支えられて何とかかんとか花道を戻ってくる。 トボトボと、伊達の脚に力がはいらないのは精神的な要因も大きかった。 頑張ってはみたものの、結局ピンフォール負け。 順当な結果と言えばそれまでだが、期待はずれと言われても返す言葉はない。 社長に顔向けできないな……などと、ちょっぴり気落ちしてしまうのも致し方なし。 ところが。 「あ……」 その社長が、通路で出迎えたりするもんだから。 「ちょっ!? ドコ行くんすか、はるっち!?」 慌てて回れ右しようとする伊達を真田が押さえつけてるところへ。 「いや〜、伊達! よくやった!」 とか、舞い上がった調子で駆け寄ってきて、伊達の手を取りブンブン振り回す社長。 「あ、え、でも、その」 伊達は、いろんな意味で対応に窮して困惑する。 もちろん、社長はそんなコトお構い無しで。 「あのチョチョカラスにムーンサルトを出させるとは、いや、たいしたもんだ! これなら、お前の株もウチの評価もグンと上昇間違いなし! ファンも俺も、次に期待しちゃうぞ?」 「え、あ、その……」 伊達はやっぱり困惑していたけれど。 「……うん」 最後は、ちょっと赤くなりながら頷いちゃったりするのでした。 「社長〜、次はアタシだってば〜っ!」 脇で喚いてるヒトも、若干一名おりましたが。
タイトルマッチって、胸キュン? |