「ただいまー」 「お帰りなさい。どうです、真田選手は?」 ジムから戻ってきた社長に霧子が問う。 もちろん、真田美幸にルチャを仕込む特訓計画、通称フライング真田プロジェクトの手ごたえについての質問である。 「あー、うん。始めたばっかだしね。もっと長いスパンで見ないと何とも」 言葉を濁す社長。 まあ、なにしろあの真田だ。 ジムでの混乱や騒ぎがいかほどのものか、想像するに難くない。 「でも、ま、追々成果は上がってくると思うよ。特訓自体は上手くいってると思うし」 霧子の心配を見越してか、慌ててフォローを入れる社長。 その様子に苦笑して、霧子は話を変える。 「それはそうと社長、インターネットアンケートの結果出てますよ。ユーザーメッセージと一緒にサーバーに上げておきましたから」 「あ、左様で。んじゃ、早速見ましょうかね、と」 自分のデスクについて、パチパチと端末の電源を入れる社長。 ちなみに、社長のパソコンは事務兼外部接続用のマイクロタワーが1台と、経営資料用のファイルサーバーを兼ねるミドルタワーが1台、更に外部持出用のモバイルノートが1台、という構成である。 実はこういった畑の出身である社長、IT機器にはそこそこうるさい。 本当はラックマウント型のサーバー群を入れたかったらしいのだが、それは価格と場所の問題から霧子に却下されている。 というか、そもそもそんなの個人で運用するモンではないという気もするが…… 今電源を入れたのは一番使用頻度が高いマイクロタワー。 ぶっちゃけ、社長の玩具のような端末である。 「ふぅん、こんなモンかね?」 インターネットアンケートの結果は、先月とそれほど変わらない。 ファンの声は、当然のように多数派を先頭に順次少数意見が現れるように並べられている。 「お?」 読み進むうちに興味を引くものが出てきたのか声を上げる社長。 「どうしました?」 怪訝そうに尋ねる霧子に、社長はヒラヒラと手を振って答える。 「んにゃ、何でも。見てる人は見てるな、とか思っただけ」 言いつつ、社長は前のシリーズにもう一度思いを馳せた。
7月。 チョチョカラス参戦に沸きかえった6月近畿シリーズから一月。 最終戦メインはチョチョカラスにマッキー上戸が挑む一戦であったが、実はもうひとつの大一番があった。 言うまでもなく、AACジュニアヘビーのタイトルマッチである。 前月の最終戦こそAAC勢に占拠されはしたが、一方でAACジュニアは、もうかなりの長きに渡ってSPT勢の選手ばかりが戴冠している。 AACもさすがに危機意識を持ったのか、一度本拠地メキシコでの防衛戦を要請されたことがあった。 この時は、当時のタイトル保持者であった近藤が単身敵地に乗り込み見事防衛を果たして凱旋している。 まあ、そういった事態を受けての本格的なAACの攻勢であったわけだが、それはまた別の話なのでおく。 ともかくも、AACジュニアのベルトは柳生を皮切りに斉藤、近藤、と渡り歩き、今は新進気鋭の伊達の腰に巻かれていた。 とはいえ、それがそのまま伊達の評価に繋がるのかと言えば、それほど単純ではない図式があった。 SPTの選手と言えば、唯一の空中殺法使いであり独特の地位を築いているRIKKAは比較対象外として、まず筆頭に上げられるのは柳生である。 斉藤や近藤も確かに強いが、彼女らの場合いささか見た目がプロレス的ではない。 もちろんプロレスをしてはいるのだが、彼女らのイメージは明らかに空手でありキックボクシングである。 どうしても、しょっぱい試合になりがちだったし、流れを掴み損ねるとコロリと負けてしまうという欠点があった。 その点、柳生はいかにもプロレスラーらしい選手であったし、安定感でも群を抜いている。 これを追うのがマッキー、ラッキーのジューシーペアであり、そして、急速に力をつけてきた伊達遥であった。 ちなみに、真田は"迷走中"というのが衆目の一致した見解であったりするのだが……ま、それはこの際いい。 ともかく、伊達がAACジュニアを奪取したのは近藤からであり、その直後にAAC経営陣の命を受けたミレーヌ・シウバを返り討ちにはしたものの、未だ王者としてはやや不満、と評価されていた。 ファンの間では、SPTのトップと言えば柳生美冬だ、という意識が根強いのだ。 柳生をタイトルマッチで倒してこそ、伊達遥は万全の王者として認められる。 "伊達の柳生越え"というテーマが、SPTのリングに発生していた。 チョチョカラス来日の前に霞んでしまってはいたが、それは実にプロレスらしい図式であり、SPTが団体としてある程度成熟しつつある証左。 本来なら、シリーズ全体のテーマとなってもおかしくないムーブメントだった。 そうした流れの中、柳生を越え名実共にSPTのトップに立たんとする伊達と、そう簡単にはトップの座を譲れず、また、AACにSPTの戦いを見せ付けてくれん、と意気込む柳生との一騎打ちとなったのである。
試合は、大方の予想を覆し伊達優勢で進行する。 しかし、実際戦っている柳生にとっては、むしろ予測通りの展開であった。 「さすがに、腕を上げておる」 攻めあぐねつつ、ボソリと呟く柳生。 ここ最近、伊達の上達は目を見張らんばかりだった。 柳生自身は何とか付いていけているが、最早斉藤や近藤では止めることも難しい。 伊達こそは、いずれSPTの頂点に君臨するエースとなるだろう、と、自身がその地位に結局たどり着けぬであろうという少々の自嘲混じりに思いさえする。 だが、そこで黙っているようではプロレスラーではない。 柳生を捕まえた伊達が、組みの体勢からロープに振る。 「行きますッ!」 気合と共に、自らも駆け込みラリアットを放つ。 が。 「掛かりおったな!」 「えっ!?」 伊達の伸ばした腕に一瞬にして絡みつき、そのまま捻り倒す。 脇固め。 ポピュラーな返し技であり、関節技であるが、それはつまり極めて有効なサブミッションである、ということの裏返しだ。 「うぁっ! あ…ぁあっ!」 捻り上げられる激痛に叫びを上げる伊達。 柳生は、してやったり、と笑みさえ浮かべ、殊更意地悪く囁く。 「どうした、伊達? まさか、ラッキーばかりが関節使いだとでも思っておったか?」 「くぅ……っ!」 唸りつつ、伊達は必死の思いで脚を伸ばす。 多彩な蹴り技の数々を支える長い脚は、どうにかこうにかロープにたどり着いてくれた。 「ふん……」 ひとつ鼻を鳴らし技を解く柳生。 「まだまだ、甘い!」 腕を押さえつつ立ち上がった伊達の、その両腕をクラッチして後方に投げ飛ばす。 リング中央。 申し分ない。 「立て。その程度で、そのベルトを巻き続けるつもりか?」 冷淡に嘲笑う柳生に、悔しさを隠せぬ視線を投げつつ立ち上がる伊達。 「それ、参るぞ!」 無造作に間合いを詰めてくる柳生。 「はあっ!」 その間隙に、伊達は思わず裏拳を叩き込む。 しかし、これは柳生に打たされたと言うべきもの。 「たわけがっ!!」 見え見えの軌道を描く拳をいともあっさりとキャッチし、再び脇固めで押し倒す柳生。 「あぁあぁーーーっ!!」 執拗な腕殺しに、伊達とその腕が悲鳴を上げる。 やはり、伊達では未だ経験が足りないか。 いや、むしろ柳生の上手さが際立っていると言うべきか。 観客の多くが、そんな感想を浮かべどよめく。 「この程度か、伊達。そのまま、ずっと這いつくばって過ごしてみるか?」 憎たらしいほど冷たく言い放つ柳生。 「まあ、それもよかろう。あの甘い長のことだ、期待に応えぬからとて放逐されたりはすまいよ」 「……ッ!!」 安い挑発に、伊達の目の色が変わる。 「ムッ!?」 「く、あぁぁーーーっ!!」 叫びを上げ、伊達が強引に身体を捻り腕を引き抜く。 痛みに耐えかねゴロゴロとコーナーまで転がるが、どうにかロープを掴んで立ち上がる伊達。 その瞳に闘志の炎が揺れていることを確認した柳生は、少しばかり引きつってはいたが笑みを浮かべた。 「そう来なくてはな……しかし、アレが一番効くとは、後々少々色々不安だぞ?」 後半の方は微妙なツラでボソボソ呟いていたが。 そんな柳生の思いを知ってか知らずか、伊達は決然と言い放つ。 「負けません! こんなところでは!」 「言うのは勝手! 己が力で示して見せよ!」 対する柳生も叫び返し、挑発するように構えてみせる。 キれたかのように、突進しランニングエルボーを放つ伊達。 ――チッ! 隙がない! もう腕を取りにもいけず、柳生は甘んじてその打突を受ける。 僅かに意識が揺れ、少しだけ腰が落ちたところに。 「な!?」 膝を蹴る感触。 いや、蹴り上がる感覚。 まずい、と思った瞬間には側頭部が衝撃に襲われていた。 シャイニングウィザード……! あのタフな近藤から戦闘能力を奪ったこともある、伊達の必殺ブローだ。 さすがにたまらず、柳生も倒れこむ。 すかさずカバーに入る伊達。 「ま…まだまだぁっ!」 気合と共に、その伊達を払い除ける。 カウントは2.9。 どうにか、命拾いしたようだ。 「私も、そう簡単には譲れぬ!」 咆哮し、掌底を浴びせかける。 「ガ……ッ!」 短く漏らして顔を歪めるが、伊達の瞳は裂帛の気合をはらんだまま柳生に向けられている。 「いい目だ! 来いッ!」 「ハァッ!」 答えるように、伊達は掴みかかって膝を突き刺す。 重いニーリフトだ。 再び倒れ臥す柳生。 それでも。 「まだ……早いと言っておろうがッ!!」 カウント2.9。 またしても返される伊達。 「くっ……」 しかし、最早憎まれ口も叩けず何とか膝立ちになる柳生。 そこへ、言葉もなく二発目のシャイニングウィザードが叩き込まれる。 「うっ…がぁっ!!」 朦朧となりながら、それでも柳生はカウント2.9で三度伊達を撥ね返す。 客席のボルテージは、今やとめどなく上昇していた。 「うっ…はぁぁ…」 まずいな、煽り過ぎたか。 自分でも嫌になるくらい冷静で役に立たない判断に苦笑したとき。 「ヤアァッ!!」 二発目のニーリフトが柳生の腹に突き刺さった。 1・2…3! さすがに最早返す気力もなく、3カウントを聞く。 見事柳生越えを果たした伊達に、観客たちが熱狂的なコールを送っている。 それを聞きながら、柳生はぼんやりと呟いた。 「さて、これで追う立場、か」 まったく、損な役回りだ、などと思いつつ憮然として付け加える。 「あと、あの挑発はもうよそう。うん」 轟音のような歓声に阻まれて、その呟きは誰の耳にも届かなかったが。
それは、トピックス投票では残念ながら6位止まりの出来事。 しかし、ほとんどがAACトップ参戦に絡む話題ばかりの最近の動向の中で、それはSPTの今後を示す重要な成果だった。 伊達や柳生への激励メッセージも随分届いている。 ひょっとして、アイツらは経営陣が思っている以上にファンの心を捉えているのかも。 そんなことを考えつつ、社長は鼻歌混じりに早速それらをプリントアウトすると席を立つ。 「もっぺんジムに行って来るねー」 「はいはい」 ヒラヒラ手を振って出て行く社長に、霧子は軽く受け流して答えた。
ホント、落ち着きのない社長だこと。 |