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  SPT流星記  その7 プロレスラー〜タフ過ぎガール斉藤さん〜
 

時代劇で流れるような、和風を装っていながらその実雅楽とは似ても似つかない音楽が鳴り響く。
SPTのお膝元、福岡のファンたちで埋め尽くされた会場は、期待感からか既にざわめきのただ中にあった。
コスチュームとシューズを確認する。
真剣を鞘走らせるかのごとく、手刀を鋭く一振り。
柳生美冬の、試合前の儀式のようなものだ。
そう、殊更大事な試合の前の。
「……参るか」
呟いて、花道へと一歩踏み出す。
瞬間、会場は歓声と熱気に包まれた。
闘志はひたすら内に、柳生は静かにリングインし対戦相手の登場を待つ。
不本意ながら、今日は挑戦者だ。
いや、今日も、か。
三ヶ月前、全く同じこの会場で、柳生は全く同じ挑戦者だった。
違うのは、対戦相手だけ。
会場に、もうひとつの入場曲が鳴り響く。
柳生と同じ和風でも、こちらはより渋めで演歌の類をイメージさせる。
その音と自身を迎えるファンの声すらも雑音だと言わんばかりに、ただリングを、そしてそこに立つ柳生をしっかと見据えて歩みを進める。
スパルタンさを強調するためか、袖を切りボロボロに擦り切れさせた意匠の変形道着に身を包む、斉藤彰子。
流浪の空手家、というキャッチコピーは、なるほど彼女にしっくりと似合っている。
三ヶ月前に、柳生が巻いたAACジュニアのベルトは、今や斉藤の腰にあった。

AACのベルトである以上AACの選手と争うものか、と思っていた。
ところが、社長は意外な事実を伝えてくる。
「いや〜、AACがさ、ジュニアの選手をよこしてないんだわ、これが」
酷い話であるが、旗揚げ興行で柳生が破ったアリシア・サンチェスは、既に年齢的にジュニア資格を失っていたのだそうだ。
本来なら資格喪失ということでベルト返上となるところだが、手続きの問題など――アリシアが返上を渋った、という話もある――で保持し続けていたところを、うっかり柳生が奪取してしまった、というのが真相らしい。
そして、参戦しているAACのメンバーは、いずれも年齢的にジュニア資格がないか、あるいはジュニアベルトそのものに価値を見出しておらずヘビー級であると主張している。
そういうわけで、ジュニアヘビー選手権をやりたいのだが、というSPTからの打診に対して、AACはこう答えたのである。
しばらくの間そちらの選手で試合を組んでくれ、と。
なんとも酷い話だが、AACとしてはベルトがSPTにある限り誰が戴冠していようが同じこと、との判断を下したのだ。
そして、AAC自身にとってジュニアのベルトはそれほど価値の重いものではない、とも。
ふざけた話だ、という思いがあった。
価値のないベルトなら、いっそSPTのようにベルトなしという体制の方が清々する。
まだ、ベルトって段階じゃないでしょ? という社長の言ももっともだ。
未だ選手同士の噛み合いが悪く、充分にファンを魅了するファイトも出来ないでいる現実。
そんな状態で、ベルトだ、王者だ、といっても、無様で無価値。
価値の無いベルトなら、奪い合う意味も無い。
しかし、一方でベルトはモチベーションになる。
少なくとも、試合に賭ける"何か"を形にしたものとして、欲しくないと言えば嘘になる。
無論、ファンに対するアピールとしても、ベルトを賭けるとなればそれだけで一定の説得力となる。
AACの、ジュニアのベルトはそちらで勝手に、という提案は、"会社"としては渡りに船だった。
実情はともかく、少なくとも権威ある団体の名を関した正式なベルトを、SPTのベルトとして運用してよい、とお墨付きをもらったようなものだ。
霧子は単純に喜んでいたし、社長も「まあ、タイトルマッチが組めるってのはヨイね」と微妙な表現で歓迎していた。
が、当時の王者であった柳生としては、いささか複雑な思いがあったのも事実だ。
せっかく手に入れたベルトが、AACからは無価値と断ぜられてしまったわけだから。
その心の隙を突かれたのだ、と、柳生は思っていた。
AACジュニア奪取の翌月、相手は格下と侮っていた斉藤。
このカードにも、柳生は僅かに不快感があった。
柳生は、自身の実力をSPTでも暫定トップであると自負している。
それに次ぐのは、柳生よりも長くプロレスをやっているRIKKAとなるだろう。
当然、防衛戦の相手はRIKKAだと考えていた。
空中殺法を主体とするRIKKAとの試合は噛み合わせがやや厄介だが、なに、AACの選手とやるのも大差ない。
ところが、組まれたカードは昨日今日プロレスを始めたばかりの空手家、斉藤彰子だ。
プロとしてのキャリアは、柳生も大差ない。
格闘、と言う範囲で括ってしまえば、むしろ幼少から空手に打ち込んできた斉藤の方が遥かに長い。
だが、ことプロレスに対する理解としては、やはり柳生にこそ分があった。
"空手"に心を囚われ過ぎている斉藤は、所詮異種格闘まがいのしょっぱい試合しか出来ない。
実際、試合はお互いが噛み合わず、お世辞にもタイトルマッチに相応しいものとは思えなかった。
そして最終的に、柳生は斉藤に不覚をとった。
エルボー、掌底、キック、無骨な打撃技が乱れ飛ぶ乱打戦の中、納得のいかないカードとなかなか倒れない斉藤に対して、ふと、苛立ちが招いた間隙。
あまりにも唐突に飛んできた、渾身の裏拳を喰らい意識が揺れた。
そして、そのまま3カウント。
あまりにも情けない結果だった。
何が情けないと言って、その日一番のファンの歓声を得たのが、その斉藤の裏拳が決まった時であったことだ。
よりにもよって、"もどき"に過ぎない斉藤に、プロレスのショー的部分でも負けた、ということだった。

斉藤が、リングに立つ。
女子プロレスの華やかな舞台には未だ慣れていないようだが、大舞台ということであれば空手家時代に何度も経験してきた斉藤だ。
いまさら物怖じするような手合いではないし、周囲の雑音を気にも留めない玄人の風格があった。
いささか面倒そうに、ベルトの一時返還などのセレモニーをこなす。
その間にも、精神レベルでの戦いは既に始まっている。
眼光鋭くねめつけてくる斉藤を、柳生も負けじと睨み返す。
この日の為に、遠大な目標はおくとして、とりあえずはこの戦いの為に、敗戦の日から己が技に磨きをかけてきたのだ。
柳生は、傍から見ても伸び悩んでいる斉藤とは、この二ヶ月で更に技量の差が開いたと見ている。
必ずや、過日の屈辱を晴らしてみせん。
今度は、格下と侮って不覚をとるような真似はしない。
その闘志は、ゴングと共に一気に紐解かれた。

鋭いエルボーで機先を制する。
斉藤もさすがの手並みで上手くいなすが、2発、3発と立て続けに打ち込めば守り切れるものではない。
更に1発、と振りかぶったところに、逆襲の逆水平チョップ。
空手家とはいえ、斉藤はスポーツ化された流派の人間ではない。
より実戦的な、古い教えに従う武道家である。
攻防の呼吸を読み些細な隙も見逃さずに反撃する、その手腕には驚くほど長けていた。
それならば、と掴み掛かり、柳生は斉藤をロープに振る。
斉藤も、プロレスをしている以上は敢えてその流れに逆らうような無粋な真似はしない。
戻ってきた斉藤に、ドロップキック。
そうそう殺せるものではない質量という名の破壊力に、斉藤も敵わず吹き飛ばされる。
こういった、いかにもプロレス的な技には、斉藤は未だ慣れていない面があった。
そうだ。
"プロレス"をしている限り、私の優位は揺るがぬ。
「さあ、プロレスを教えてくれようぞ」
自信をもって言い放つ柳生に、斉藤は不敵な笑みさえ浮かべて切り返す。
「そいつは、有り難いね。お前に、それが出来るんなら!」
言葉と同時に、手刀を繰り出す斉藤。
敢えて避けず胸で受け止め、柳生はショートレンジのラリアットで対抗する。
この程度では、斉藤も倒れない。
もう一度、胸元への手刀。
これも身体で受け、柳生は振り抜かれた斉藤の手を手繰ってアームホイップで投げ捨てる。
技のバリエーション、攻撃のリズム、いずれにおいても柳生が一枚上手。
一本調子な斉藤に比べ、柳生は手を変え品を変え、あるいは切り返し、あるいは攻め立てる。
次第に、手数でも柳生が上回り始め、観客の目には試合の趨勢が柳生に傾いたかのように見えていた。
しかし。
「セイッ!」
気合一閃、放たれた掌底をまともに喰らい、柳生はもんどりうって倒れ込む。
追撃を警戒し、横転で間合いを開けてから立ち上がる柳生。
その顔には、相手を圧倒しているような余裕は微塵もなく、むしろ焦燥に近い感情が見え隠れしていた。
「あれだけやって揺るがぬとは……いったい、どういう身体の造りをしておるのだ!?」
休みなく攻め立てた柳生は、少しばかり息が上がり始めている。
対する斉藤は、さすがに無傷というわけではなかったが、呼吸に大きな乱れもなく余力充分といった様子。
観客が、大きくどよめく。
見た目には、追い込まれていた斉藤が掌底一発で試合をひっくり返したように映ったからだ。
大きく息をつき、斉藤が口を開く。
「悪いけど、フルコンの打撃はもっと抜けてくるもんでね。効かないわけじゃないけど、派手なだけじゃ私には通用しない。それと」
少しだけ可笑しそうに、斉藤は笑った。
「レスラーってのは、タフでないとやっていけないモノじゃないのか?」
ハッとして、柳生は思い返す。
自分が技に磨きをかけた二ヶ月間、斉藤は何をしていたか。
ジムの片隅で、黙々と基礎トレーニングに打ち込んでいる姿。
そればかりが、印象として残っている。
「……してやられた」
悔しさも露わに、柳生は歯噛みした。
プロレスを教えてやろう、などとは、傲慢もいいところ。
斉藤は、この二ヶ月でしっかりとプロレスに対応してきたではないか。
スタイルの問題ではない。
試合を、意地を見せていく、そのために何よりも大切なタフさにおいて、斉藤彰子は圧倒的ではないか。
生真面目に基礎を大切にしていく、それが斉藤の見出したプロレス観であった。
だが、それでも。
「私にも、意地があってな!」
叫んで、鋭く踏み込む。
「ッ!?」
瞬間の迷いは、致命的だった。
乾坤一擲、必殺の延髄斬り。
後に"雷神蹴"と異名をいただくことになる、柳生ならではの鋭角を描く軌跡を、斉藤は捉えきれない。
ガツン、と重い音が響き。
「ガッ…アァッ!」
咆哮する斉藤。
その顔が、苦悶に歪む。
「技を魅せるのも、プロレスであろう……!」
会心の笑みを浮かべる柳生。
技に打ち込んだ、己の二ヶ月間も無駄だとは言わせない!
客席から、感嘆の声が響く。
柳生の技にもまた、それだけの価値があった。
しかし、その吐息の何割かは、それでも倒れない斉藤に向けられていたのではないか?
効いていないはずはない。
しかし、斉藤の瞳からたぎる闘志の炎は失われていなかった。
「いく、ぞォッ!」
全身全霊の力を込めて、斉藤が必殺の構えに入る。
柳生には、もはや迎え撃つ余力は残されていない。
まずいな、と、柳生の中の未だ冷静な部分が他人事のように判断する。
そして。
「セッ! ィヤァーーーッ!!」
裂帛の気合をもって、二ヶ月前と同じ技が放たれた。

ゴングが鳴り響く。
朦朧とする意識の中、怒号のような歓声が遠く耳を打つ。
またしても、同じ相手の同じ技に、してやられた。
しかし、その意味合いは、違う。
少なくとも、柳生の中では違う意識を持って捉えられていた。
ああ、私は――とんでもなくタフな"プロレスラー"斉藤彰子に負けたのだ、と。

「済まぬな……私は、考え違いをしていたようだ」
「は?」
興行終了後、引き上げ直前の控え室で不意に掛けられた柳生の言葉に、斉藤は怪訝な表情を浮かべた。
委細構わずと、柳生は常と変わらぬ気難しげな顔で付け加える。
「お主とは、同じリングに上がる仲間だということだ」
それで、かえって意味を捉えかねた斉藤は首をひねった。
「何を言いたいんだか?」
クスリ、と小さく笑うと、柳生は荷物を手に踵を返して背中越しに言った。
「深く考えずともよい。お主ではなく、私の問題だ」
そのまま移動バスへと向かう途中、ようやく事務仕事――取り仕切っているのは主に霧子で、社長は雑用係に過ぎないのだが――から解放されたらしく、廊下でフラフラしていた社長とバッタリ出くわす。
「や。なかなか見ごたえある試合だったぞ。随分やるようになってきたじゃないか」
にへらっ、と笑って声を掛けてくる社長。
いささか憮然とした表情で、柳生は応じる。
「長。それは斉藤の手柄だ。私は……」
柳生の主張を皆まで聞かず、興行の成功を受けてか舞い上がり気味で社長がまくし立てた。
「いやいや、なかなかストロングでバッチリだったって。AACのベルトを賭けてこれはどーよ、て気もするが」
言われてみれば、と、軽く笑みを浮かべる柳生。
「確かにな。今度、RIKKA殿に空中殺法の手ほどきでもしてもらうか?」
「んー……とりあえず、自分のスタイルで完成させていいんじゃない? 未来のSPTベルトを見越してさ」
首をひねる社長に、柳生は肩をすくめて言葉を返す。
「ふん……そのベルトとやらは、いつ出来るのだ?」
「あー、いや予算がね。霧子ちゃん、シブくってサ……」
途端に困った表情で頭を掻き掻き言い淀む社長。
「ふふ……冗談だ」
二人の力関係など先刻承知の柳生は、それ以上追及しない。
代わりに、ふと、思いついたことを口にしてみる。
「しかし、長よ。あのベルトを、我らの色に染めても構わぬのだろう?」
「いーんじゃない? ベルトの価値が上がる分には、向こうさんも文句は言わんでしょ」
お気楽に答える社長に失笑しつつ、柳生は思っていた。
では、お返しするまで存分に磨いておいてやるか。
我らならば、それも難しくはない。
明日の我らなら、もっと容易くなっていよう。
我らがあのベルトの名に冠された価値を超えるその日まで、存分に磨いてやろうではないか、と。

あれ、今回マジメだね?